2009-12-25

蓮の花奨学生からの便り(2)

蓮の花奨学生からの便り(2)は、クアンガイ省のレ・ティ・キム・チュンからのものです。きれいに、そして一番長文のお手紙でした。
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宮尾和宏様 手紙をお送りするのが遅くなった事をお詫び申しあげます。
  私は高校三年ですので勉強が忙しくてなかなか時間が取れませんでした。

皆様お元気ですか? 皆様にお会い出来ることを願っています。お会いしたいです。支援隊から奨学金を頂いて、沢山の励ましを頂戴しました。そして頑張る力も与えて頂きました。

  学校の友達には、日本人の優しさ、親切さ、人を愛する心について話をしました。そして友だちには、あの時下さった富士山の写真を自慢して見せました。友だちは皆、日本の素晴らしさと日本人の事を感心してくれました。

贈呈式の記念写真のレ・ティ・キム・チュンさん

私の故郷はとっても貧しいです。両親は二人とも軍人でした。兄弟は5人です。女三人男二人です。しかしお兄さん二人は枯れ葉剤の影響を受けて普通の生活はできません。全ての事は誰かにやってもらわなければなりません。私が中学二年のとき兄が一人亡くなりました。

家族は少しの水田を耕作しています。両親は戦争の時負傷しています。しかし両親は私を養うのに一生懸命です。生まれつき障害を受けている子供達を悲しく思っているようですが、それにもかかわらず負ける事無く私達を養って、教育も受けさせてくれています。

両親を悲しませないようにしようと考えています。そして自分自身何時も願っていることは、早く大人になって家族を助けられるようにしたい、そして、何時か日本に行ってみたい、ということです。

日本人はとっても親切な人たちだと思います。

あまり長く書くと皆様の貴重な時間を潰してしまうので、ここで終わります。

最後に皆様のご健康と仕事が順調でありますように、そして今後意義のある活動を続けてくださる事を心から願っています。

特に名古良輔先生には感謝致します。皆様の素敵な笑顔を、今でもはっきり覚えています。近いうちにお会いできれば・・と願いつつ。

敬具
  (静岡在住 ヴィンさん訳 2009.12.22 多謝)

名古医師から証書を受け取るキム・チュンさん
ここに、本人の奨学金申請書を貼り付けます。

ベトナム社会主義共和国
国立・自由・幸福
申請書

静岡県 ベトナム支援隊さま
私はLe Thi Kim Chung(レ・ティ・キム・チュン)と申します。
1992年生まれです。

父:Le Hoa Hieu(レ・ホア・フィエウ)  1948年生まれ
母:Nguyen Thi Thanh(グエン・ティ・タイン)  1952年生まれ
現在、クアンガイ省ソンテイン郡ティンザ村に住んでいます
(北村註:ソンティン郡はソンミー村のある郡ですが、国道を挟んで西の一番奥です)

家族は5人です。家は農業です。次男、レ・ホア・ヒエウ、1982年生まれです。次男は枯れ葉剤被害者です。長兄はレ・ホア・フン、1981年生まれですが、枯れ葉剤被害で2008年に亡くなりました。

私は現在、ソンティン高校の2年生です。家族の農業収入は少ないです。私の勉学でもとても苦労しています。


愛のさわやかベトナム支援隊に奨学金を申請致します。ご検討をよろしくお願いします。

奨学金をいただければ、私は勉強に頑張って、社会に役立つ人になることを誓います。

本当ありがとうございます。
サイン
Le Thi Kim Chung

ソンティン郡ダイオキシン協会

Le Thi Kim Chungの書いた上記のことは事実と認めます。
Le Thi Kim Chungの奨学金授与を推薦致します。
検討をお願い申し上げます。

2009年8月23日
サイン
(静岡県富士市在住 レ・タイン・トゥンさん 訳出091222 ありがとうございました)
キム・チュンさんの得意科目は、体育です。他の科目より群を抜いて好成績です。陸上でしょうか? 汗をかきながら走るキム・チュンさんを想像してみました。贈呈式の時、分からない日本語を、聞き逃すまいとする姿勢が、輝く瞳の中に現れていました。
17歳の長兄を去年(2008年)亡くして、頼りにしていたに違いない肉親の死を身近にみたキム・チュンさんは、何を感じたでしょうか。枯れ葉剤の怖さだけでしょうか。いずれは、自分の身にも・・と考えたとしても不思議ではありません。
向学心に燃えるキム・チュンさんが健康で、すべての問題を克服し、いずれ家族を助けられる境遇になっていくことを皆とともに祈らずにはおれません。(北村 記)Posted by Picasa

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