ハノイ北部はおおむね田植え時期。中には収穫している家もありました。上から写真を撮っていますと聞こえませんが、下におりていくと、まあ賑やかな話し声が聞こえてきました。世界第二の米輸出国の稲作農家の声です。
ニンビン省の ニャンちゃんの家に行って来ました。7月23日にお邪魔しました。暑い日でした。ハイ君が亡くなって3ヶ月目。ハイ君が住んでいた家に入りました。やはりハイ君がいないことは限りなく寂しいです。19歳の生涯ですから。大釜会長、宮尾事務局長、小生(北村)と家内の4人でハイ君の遺影にお線香を焚き、全員でご冥福を祈らせて頂きました。
「葬儀の時、ニャンちゃん、ハイ君を2回もバクマイ病院に入れてくれたことを、親戚の人も感謝してくれました」と、お母さんから話を窺いましたので、これをまず、援助して下さった方々に謹んでご報告申し上げます。「ハイ君、ニャンちゃんの命を支えてくださって感謝しています。残念ですが、命は尽きました。退院してからは、元の状態に戻りました。そして異変が起きた後ちょっとして亡くなりました。すごく驚きました」と、話しています。私たちの援助を、お母さんは大変喜んでくれていますが、救えなかったことに私たち自身も悔しい思いをしています。
ハイ君は、2回目にバクマイ病院から戻ってきた後、容態が急変したそうです。そして、ニンビン省総合病院の救急病棟に入った時は仮死状態だったそうです。そして、奇跡的ですが、1ヶ月目には起きて帰れるようになったということです。でも、その直ぐ後に・・・残念です。
そして、そういう説明をするお母さんの健康も良くないようです。顔色もよくありませんでした。もちろん息子を亡くした心労も相当あるはずです。「疲れが出やすいです」と仰っていました。加えて、今田植え時期です。疲労は余計に加わります。
さて、妹のニャンちゃん(左の写真)は通院はしていません。その後、病気で倒れた事もあるそうです。
バクマイ病院での検査入院の後、退院してから、やはり健康ではありません。退院してからも、腹部のふくらみがお母さんの目には目立つそうです。体力的に弱いので抵抗力がなく、病気にかかりやすいです。今は薬での対処法しかありません。
「ご飯は好きですが、今はパンとかおやつしか食べません。毎日3食摂ってはいます・・。ご飯は1回に茶わん1杯です。普通の子どもなら2杯食べるところですが・・。今、ニャンの健康を守るために、食べたいものを食べさせるようにしています。毎日3食・・・でも、おかずを買うお金がないのです」
驚きました。極貧家庭です。おかずで栄養をつけなくてはならない時期に・・。
経済状況を知っていただくために、いくつかご報告します。
今年の米の収穫です。5月に500キロが取れました。今の田植えで収穫期は9月の予定です。「多分台風が多いので、9月には500キロも期待で来ません。200キロくらいかも・・・しれません」と、お母さんは予想します。500キロの収穫も詳しく聞いて驚きました。畑仕事の手がないために、近隣の人々に労働力を借金します。それを獲れた米で返しますと、手元に残るのは50キロで、これも籾付きの重さです。きれいに精米すると30キロしか残らないそうです。これで、どうやって1家3人が暮らせるのでしょうか?
今ある収入です。赤十字会から月に20万ドンの手当を受けていましたが、ハイ君の死亡により支援の収入は無くなりました。この20万ドンで40キロの普通の米(良質の米ではないが)が買えていたのです。村からは障害児手当として65,000ドン。ベトナムの場合は、家族に2人の障害児がいた場合、複数人は支給されません。従って、ニャンちゃんの家のように2人の障害を持った子がいても、2人同時の受給は出来ません。
一つ経済的に明るいニュース。ニャンちゃんが枯れ葉剤の被害者に認定されたことです。しかし、まだ支給は始まっていません。支給が始まると、月に20万ドン近くは受給出来る見通しです。
因みにニャンちゃんのお父さんは、1976年からカンボジア国境のタイニン省とプノンペンで従軍しました。変に思う方もいらっしゃるかも知れません。ベトナム戦争は1975年に終わっているではないか、と。タイニン省は枯れ葉剤の大量撒布されたところです。そして、この従軍活動は、多分、ポルポト軍の動きに合わせたものとかんがえられますが、ニャンちゃんのお母さんさんは詳しいことは、多分結婚前のことなので知らないようです。
借金です。銀行から200万ドン。親戚から350万ドンなど合わせて600万ドンほどあるようです。
ニャンちゃんには、お姉さんがいます。ファム・ティ・クエン(Pham Thi Khuyen)さんといいます。(左の写真の右の女性です)1990年生まれ。高校2年生です。今のところ、何の病気も出ていないようです。お母さんの支えになれる人です。
現在は、6キロの道のりを45分かけて毎日自転車通学しています。年間授業料の24万ドンは、学校と折半です。
ハイ君の話を聞いたら、堰を切ったようにわあっと泣き出しました。兄を失った寂しさ、悔しさが出てきたのでしょう。
「家族3人(父、兄2人)が亡くなりました。妹のニャンも重病と聞いています。今は好きなことをやらせてあげたい・・です。好きな物(肉、おやつ=ビスケット、菓子パン)を食べさせてあげたいです」「大学へ行きたいです。卒業して秘書になりたいです」と言いました。
今後のニャンちゃんですが、年1回の輸血が必要で、現地の病院では駄目で、やはり首都ハノイのバクマイ病院への入院が必要です。輸血のための入院は1週間必要。
私たちは、暫定的に、ニンビン省旧女性兵士連絡会幹事長のビンさんに管理をお願いして、シドニーの宮路さんから頂いたお金で60万ドンを託してきました。ビンさんが月々に届けてくださるそうです。9月に再訪した時は、これまでにお預かりしている皆様からの浄財でさらなる支援を考えます。
取り急ぎご報告させて頂きました。(文責:北村 元)
2006-08-01
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