2006-08-28

ホーチミン書簡

ベトナムの建国記念日が近づいてきた。私は、今、この50年近くのベトナム史に立ち会ったベトナムの方々の話を整理しながら、出版の準備をしている。

ある元外交官との話し合いの中で、私はこう質問した。
「もしトップ同士が直接に話し合えば、もっと短い時間で解決できたのではないか?」

私の質問に、この元外交官はしばらく考えるかなと思ったが、返事は即答に近かった。
「ホ-チミンさんが後5年-
7年長生きしたとしても、それより短時間で解決できなかったろうと思います」と言った。彼の話の内容は別の機会に譲る。

ホーチミン主席がジョンソン大統領に宛てた書簡は、結局トップ同士の話し合いのきっかけにはならなかった。そして、ホーチミン主席は、1969年8月25日づけでも、ニクソン大統領に宛てて書簡を送っているのだ。今回はベトナム戦争を一番拡大したジョンソン大統領に宛てたホーチミン書簡を紹介したい。

ホーチミン主席がこの書簡に託した北ベトナムの決然とした態度が伺えるが、この文面からでも、アメリカの力の闘争が浮き彫りにされていると思う。

                 アメリカ合衆国大統領
リンドン・B・ジョンソン氏閣下閣下

1967年2月10日、私はあなたのメッセージを受け取りました。これは、小生の返書です。ベトナムは、合衆国から数千マイルも離れた国です。ベトナム国民が、合衆国にいかなる危害を加えたことなど一度もありません。しかし、1954年のジュネーブ会議で貴代表が行った約束に反して、アメリカは、ベトナムで絶えず介入を繰り返してきました。合衆国は、ベトナムの分断を引き延ばし、南ベトナムを新植民地化し、米軍基地化する考えをもって、北ベトナムにおいて侵略戦争を繰り広げ強化してきました。すでに2年以上も、合衆国政府は、空、海軍を使って、独立主権国家であるベトナム民主共和国に戦争を行ってきています。

合衆国政府は、戦争犯罪、平和に対する犯罪、そして人類に対する犯罪を行ってきました。南ベトナムでは、50万のアメリカ軍、同盟軍が、われわれの同志を虐殺し、穀物を破壊し、村々を完膚無きまでに壊すために、ナパーム弾、有毒化学物質や有毒ガスなどの最も非人道的な武器、かつ最も野蛮な戦争手段を行使しています。北ベトナムでは、何千というアメリカ軍機が、何千、何万トンという爆弾を投下して、町、村、工場、学校を破壊しています。貴メッセージでは、あなたは明らかに、ベトナムにおける苦しみや破壊を嘆いていらっしゃる。ご質問したい。誰が、一体これらの恐るべき犯罪をしでかしているのでしょうか? それは、合衆国であり、その衛星国軍なのです。ベトナムにおける極めて深刻な状況は、まったくもって合衆国政府に責任があるのです。

ベトナム人民に対するアメリカの侵略戦争は、社会主義国家への挑戦であり、民族独立運動への脅威であり、アジアと世界の平和に対する深刻な危険を構成しています。


Posted by Picasaベトナム人民は、独立、自由、平和を芯から愛しています。しかし、アメリカの侵略にあたって、彼らは犠牲と困難を恐れず、立ち上がり、一丸となって団結しました。彼らが本物の独立と自由、真の平和を勝ち取るまで、抵抗運動を行う決意です。われわれの公明正大な主張は、アメリカ国民の広範な層を含めて、全世界の人々から強い同情と支持を集めています。

合衆国政府は、ベトナムで侵略戦争を展開しました。この侵略を停止しなくてはなりません。これが、平和回復の唯一の方法です。アメリカ政府は、ベトナム民主共和国に対する爆撃と他のすべての戦争行為を、確実にそして、無条件に停止すること、南ベトナムから全アメリカ軍及び衛星国軍を撤退させること、南ベトナム解放民族戦線を承認すること、そして、ベトナム民族に民族自決を委ねること、これらは、ベトナム民主共和国政府の5項目方針の基礎になっているものです。それは、ベトナムに関する1954年ジュネーブ合意の根本原則と条項を具体化したものです。

貴殿のメッセージでは、ベトナム民主共和国と合衆国間の直接対話を提案しています。もしアメリカがそのような話し合いを真に望んでいるなら、まず民主共和国に対する爆撃と他のすべての戦争行為を、無条件に停止しなくてはなりません。ベトナム民主共和国と合衆国が話し合いに入り、両国に関する問題を討議するのは、ベトナム民主共和国に対する合衆国の爆撃と他のすべての戦闘行為を無条件に停止した後に限ります。

ベトナム人民は、決して力に服従することはしません。爆弾の脅威の下では会談を受け入れることは決してありません。

われわれの主張は、公明正大です。合衆国政府が、理性にかなってこうどうされることを望んで止みません。

敬具
ホー・チ・ミン(1967年2月15日)

上記の書簡は、「自由と独立ほど尊い物はない」という徹底抗戦のアピールをした1966年の翌年に書かれたものである。67年2月7日に受け取って、ほぼ1週間後の2月15日に返書を出している。その迅速さにも、注目したい。それ以前にも、ホーチミン主席は、1945年9月2日に「ベトナム民主共和国」独立宣言したが、そのころ、トルーマン米大統領に8通の独立支援の手紙を送るが無視されている。書簡の中には、「我々は60年前に会えたら良かったのに、、、」と主席の言葉が添えられている。アメリカ側に、聞く耳さえあったなら、どこかで直接の話し合いのチャンスは間違いなくあったと固く信じる。(北村 記)

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