2011-05-28

人間・動物・環境は不可分です

文部科学省は5月27日、宮城県気仙沼市沖から千葉県銚子市沖まで南北約300キロにわたる海底の土から、最高で通常の数百倍に当たる濃度の放射性物質を検出したと発表しました。文科省は「海底も汚染されている。海水や餌を通じて海洋生物に蓄積し、海産物に影響が及ぶ恐れがある」 としています。東京電力福島第1原発から海に流出した汚染水に含まれた放射性物質が、広範囲に拡散していることが裏付けられた。 東電は、こういうことを知っていたはずですね。あるいは、少なくともこうなるであろうことは。そして、原子力安全保安院も、原子力安全委員会も、こうなることの予知能力があったはずですね。

このこと一つとっても、人間と環境は不二であることの恐ろしさを十分学べますね。まして、1961年に猛毒の枯れ葉剤がアメリカ軍によって撒かれた旧南ベトナムでの枯れ葉剤被害は容易に想像できると思います。動物と環境も不二、人間と動物も一体不二です。
ベトナムは昔から、人と自然との調和を尊重することでは有名な国でした。1961年に枯れ葉剤をアメリカ軍が撒き始めて、旧南ベトナムの環境が破壊されていきました。ベトナム人がいかに自然の環境の中で暮らしていたかを示す一端をお話ししましょう。
 ここが全体の中で共存できるということは、素晴らしいことであり、共存とは一つ一つを引き離すことは不可能であるという考えです。このベトナムの考え方は、生活のいろいろな面に反映しています。特に、ベトナム語もその一つです。
 かつて動物王国だったベトナムには、日常の会話の中に人びとの智慧が込められたものがあります。動物への深い洞察は、人間の特徴を表すための表現として使われます。それは人の姿を現すものから、人の個人的特徴まで種々です。動物への類似点は、言語を創造的かつ想像性に満ちて使用します。それがまた、ベトナム語表現を豊かなものにしていると言えます。

 人の顔の特徴を表す表現としては、フェニックスの目や蚕の眉毛を持った人という表現があったり、うなぎのように小さな目を持つとか、カエルのような眼(まなこ)、ゆで豚のように大きくて白い目・・とか、ライオンのように大きな鼻とか言う表現をすます。

 さらには、オスの木登り魚のように痩せているとか、豚のように太っている(これは日本でも使われた時代がありましたね)とか、コウノトリのように長い首という言い回しもあります。

 しかし、人体の特徴的表現よりもっと面白いのは、生物と個性の類似性でしょうか。

 リスのようにすばしこい・・・亀のようにのろい・・水牛のように強い・・・カタツムリのように弱い・・・おんどりのような筆跡・・井戸の底に座ったカエルのように偏狭な・・・などという表現があります。歴史がどこかで繋がっているので、少しは、日本人にも想像はできますね。こういう無数の表現が、ベトナム語に散りばめられ、日常の会話を構成されています。

 また、生物の一定の行動が、天気の変化を告げる兆しとして表現されています。例えば・・
①カラスが水浴びすると、晴れになる。カバイロハッカ(椋どりの類)が水浴びすると、雨になる。カエルが泣くと、池の水がいっぱいになる。
②トンボが低く飛ぶと雨になる。トンボが高く飛ぶと、晴れの日になる。トンボが普通の高さで飛ぶと、曇になる・・。

 ベトナムのような米生産国では、天候は何はさておき重要な要素です。農家の人は、動物の動きによってどの穀物を先に収穫するかを決めてきました。


 『蛍が現れて木綿の花が咲く時は、ごまの収穫期だ』という具合です。

 人々は、例えばどの動物を買うかといったように大きな決断を迫られた時、そのような言い伝えを参考にしてきました。良い水牛とは、コウノトリのように長い首をもったものが良い・・とされてきました。

 調理の表現もあります。すべての動物に特定の方法があるようです。
●にわとりをカリカリにするには、レモンの葉で。●豚料理には玉ねぎが必要である。一方、犬料理には、カヤツリグサ(着香料として、刺身のツマなどに用いられている)が必要だ・・・などです。

ベトナム人や少数民族の言語表現には、動物の行動性、人との類似性に深く根ざしたものがあります。そういう文化が、ベトナム語を豊富な表現にさせていますね。ですから、ベトナム語の習得も容易ではありません。
 
  の写真は、ハノイから東へ約30kmのところにあるバクニン省のドンホー村で作られた版画です。もう16年前に買ったものですが、色は新鮮です。ここにも動物が描かれていますね。ドンホー村は、伝統的な絵が描かれた版画を作る村です。ドンホー版画は、かつては貧しい庶民が旧正月を華やかに迎えるため、また将来の繁栄を願って作られたものでしたが、そこに生き生きとした庶民の生活や風刺が描かれています。500年の伝統を誇るドンホー村では、現在わずか2軒のみが伝統的製法で版画を作っています。このことは、いつかまた、別にご紹介するチャンスがあると思います。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊
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2011-05-26

蓮の花奨学生からの便り(33)

33回目のお手紙は、ニンビン省のクエンさんからのお便りです。ハノイの大学で勉強しています。
前回の32回目のお手紙(リン君)に次ぐすばらしいお手紙です。4月17日の発信で、10日かかって日本についています。
葉書をポストに投函

ベトナム 2011年4月17日
拝啓
愛のベトナムさわやか支援隊の皆様へ
皆様、お元気ですか?
私は東日本大震災や津波の影響で、心が痛みます。損失と悲しを繰り返したくはありませんが、私が一番言いたい事は、日本人にすごく感心したことです。苦難と困難の中にも、日本人は心強さと勇敢な心を持って、困難があっても決して負けないと言う姿を世界に見せました。自然災害による破壊は大きいですが、日本人は、冷静でお互いに頑張って協力していると世界が賞賛しています。私は日本の皆様に出会って本当に誇りに思います。
savejapan2
実は、2011311日に東日本大震災の情報を受けた後、英語の手紙をあるメールアドレス送りましたが、返事がありませんでした。あとで、間違ったところに送ったことがわかりました。その時、タイン(外務省)様に電話して、皆様の住んでいる所は、地震に影響されなかったと聞いて、本当にホッとしました。でも、皆様は、本当に無事なんでしょうね。生活などは、別に何も変わらないですね!?
 
 私はインターネットでよく日本のニュースを見て、現在の日本は、徐々に回復していくから、すばらしい国だと思います。この災害の影響で、日本の復興にい時間がかかるかもしれないですが、日本人は不屈の意志が強いと思いますので、絶対にこの困難を超えて早く復興すると信じています。
がんばれ東北!がんばろう日本(日本地図と日の丸メッセージ)
 ところで、私の家族は皆元気で、妹のニャンは2週間前に病院で輸血して、現在健康的に輝いており、元気になっています。彼女は勉強でがんばっており、常に高得点を取りますので先生と友達に好かれています。母は、田んぼでの作業、編み物や鶏と豚の家畜の世話などをやっていますので、時々疲れて、病気になる時もありますが、私たちのため、大変な仕事を頑張ってやってくれています。
中央がニャンちゃんです
私は成績は普通で、5月末に後期の試験を受け始めます。あと残り1年で卒業しますね。でも、これから就職活動が始まるので色々心配しています。実は、家族の面倒をみてあげられるようないい会社にと願っています。早く就職が決まったら良いですね。ベトナムでは、インフレで物価が急激に上昇していますので、現在の生活は大変す。私は毎日の支出のためにいろいろなことを工夫する必要に迫られています。
 
4月30日と5月1日は、ベトナムの統一記念日と国際労働日です。この2日間は、学校が休みですので、お母さんに会うために帰省します。
後に、日本及びオーストラリアの皆様は、どうかお元気で。どんな状況にあっても頑張って、生活のあらゆる困難を超えて克服し、日本の皆様の早い復興をお祈りしています。
 皆様の返信の手紙を楽しみに待っています。

PHAM THI KHUYEN より
f2593
クエンさん お手紙ありがとうございました。
ベトナムから10日で着くようになりました。かつては、2~3ヶ月かかったこともあり、また、着かなかったこともありました。こうやって、お手紙が着くと、とてもうれしいです。

震災勃発直後に、タインさんにお電話くださったそうで、ありがとうございました。いままで、私たちと一緒にベトナムに行った方々は、無事です。ご心配ほんとうにありがとうございました。

ニャンちゃんの輸血も定期的におこなって、健康が保たれているのはうれしいです。
次のベトナム行きのために、ニャンちゃんの写真を一杯用意してありますよ。同じ学年でもニャンちゃんよりずっと年下で、ニャンちゃんも尊敬され、皆も慕ってくれている姿を想像すると、ほんとうに心が温まりますよ。ベトナム社会の基盤に”暖かみ・ぬくもり”があるのを感じます。
いま、震災のあった東北地方は、片付け、絆・・・とかいろいろの言葉が飛び交っています。社会の蘇生に全力をあげています。医療関係者の支援も相変わらず続いています。一日も早く、安心して生活出来る町や村の再興を願っています。その前に、大事な人を亡くしてしまった人たちの心のケアも欠かせません。私たち日本人も、当地、オーストラリアでは、今も支援のチャリティが続いています。応援は長期になりそうです。
また、元気でお会いしましょう。お手紙ありがとう。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊
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2011-05-25

蓮の花奨学生からの手紙(32)

蓮の花奨学生からの手紙・・今回はとっても楽しい手紙でした。芸術家をめざすフート省のリン君の手紙です。
芸術の秋イラスト
拝啓
愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんへ

皆さんにお会してから、もう数ヶ月が経ちましたね。皆さまはお元気ですか?仕事は順調に行っていますか?
私は相も変わらず元気です。私は大学で像彫刻プログラムに参加しました。彫刻した像は大学のキャンパスに置かれました。プログラムの終了時に、他の作品の作成にも参加しました。大学で勉強以外、QUOC TU GIAM と言うベトナムで最初の大学や寺院や神社等の歴史遺跡としての所を見学に行きました。(北村註:11世紀に建設されたベトナム最初の大学。”孔子祠”と呼ばれているヴァン・ミエウ、つまり文廟は、1072年に開かれました。1076年には、この敷地のすぐそばにベトナム最古の大学、国子監Quoc Tu Giam が併設され、アジアのこの地において、中国の貴族や役人の子弟たちが集まる一流の学問所となりました。孔子を祀った聖域は多くの中国風の櫃が置かれ、敷地内の中央に位置しています。文廟と国子監の神聖な空気には圧倒されます。そして、それらは一体となり、アジアでも最も魅力的な観光地となっています。)そして、先生から、従来のベトナム文化や歴史遺跡等を紹介してもらって学習するすべを会得しました。
 日本ではベトナムのように、寺院や神社等がたくさんありますか? いつか機会があれば、一度日本の富士山を直接に見に行きたいなと思います。

これがリン君の作品かな?
 修学旅行が終わって、前期の成績は7.5でした。成績表は大学からまだもらっていませんので、今度の手紙で成績表をお送りするつもりです。卒業の試験が近付いてきました。良い成績を獲得するために、一生懸命勉強しています。卒業したら、良い会社で就職できるように願っています。
ハノイ市内文廟ですね。
今回の手紙は皆さんに送るのが遅くなってごめんなさい。次回は約束通りに送りたいと思います。
いつか皆さんにまたお会いできるのを楽しみに待っています。
 皆さん、お元気で、体を大切にしてください。
HUNG VUONG美術短期大学―クラス:6K

NGUYEN HUU LINH より

+++
 
リン君!大変でしょうが、彫像は楽しそうですね。お手紙に写真を一杯いれてくれてありがとうございました。写真を同封してくれたので、ホーチミンさんの切手が一杯貼ってありました。写真はちょっと画質が劣っているので、全部を載せられず、とても残念です。今度私が撮ってあげたいです。
次回お会いするのが楽しみです。良い成績で卒業して下さい。
 
ちょっと雄王について、説明します。
フン・ヴォン(雄王)は、ベトナムの伝説に出てくる建国の王で。ラク・ルアン・クァン(狢龍君)と帝来の娘の子です。この血筋は炎帝神農氏と龍神の血を継ぐようです。

この2人、男神「水」と女神「山」から100人(!)の男の子をもうけ、百越の祖先となったという。しかし、水と山の二人が一緒にいることは難しく、50人ずつ連れて別れ、50子が父のもと、南に残り、その長子がフン・ヴォンでした。 神話によると、その後山へ行ったうちの長男を雄王(フンヴォン)に封じ(雄王は代々受け継がれる王号で個人名ではない)、文朗国を建てたといいます。 そして、2007年からベトナムの始祖と言われるHung Vuong(雄王)の命日、旧暦3月10日が祝日となりました。

数少ないベトナムの祝日。学校はもちろん休みです。 Posted by Picasa
北村 元 愛のさわやか支援隊
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16年ほど前の話になりますが・・

今私は、昔の資料を整理しています。昨日は、ベトナムの資料を整理していました。そしたら、「パスポート売りの商売」という見出しの記事が出てきました。今から16年前の9月27日のチュオン・マイという新聞の記事です。

 クアンチ省(北村註:ベトナム中部。ベトナム戦争時代はベトナム共和国(南ベトナム)の領土でした)の国境の町ラオ・バオでは、パスポート売りの商売が大当たりをしている。パスポート一冊につき、500ドル相当の商品がベトナムへの持ち込みで免税となる。つまり、パスポート4冊あれば、(ホンダの)ドリーム2(バイク)が免税になるということだ。かつての政府17号決議によると、外国へ仕事に行って帰ってきたものは、1000ドル相当の商品の持込みが免税となり、しかも、年に4回まで有効であるとされていた。
 現在(北村註:1995年時点のこと)では、その政府19号決議によって、”全く自由”となり、1回に免税とされる品の額は500ドルだが、1日、1ヶ月、1年間に持ち込める回数は無制限となった。バイクを飛ばしてラオ・バオまで行き、パスポートを5~6冊借りてたうえ、他の人に又貸しすれば1日で結構な稼ぎとなる。

 また元手があれば、自分で商品を買い入れて堂々と国境を超えることも出来る。話によると、ひとによっては1日に3往復する時もあり、利益は月に数億ドンになるという。一体、パスポートの出所はどこで、入管、税関は何をしているのであろうか。

 こういう記事です。やはり、入管、税関も個人的に儲かっていたのではないか・・と、私は想像します。向こう三軒両隣の人びとが、すべてお目こぼしの中で行われないと、こういう密輸はできません。ラオバオは、まだ外国人旅行者に国境を開放していないのではないでしょうか。ですから、暗黙の内に、密輸行為を促進する闇のルートができるのです。

 ラオスから商品を仕入れるのではたかが知れています。それも大元は多分タイから商品が運ばれてくると思います。ただ、一旦ルートが出来ると、思わぬものが運ばれてきます。しかし、いま、この2011年の時点でこういう行為がなされているかどうかは、疑問です。

北村 元 愛のさわやか支援隊
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少し昔のことですが・・

今私は、昔の資料を整理しています。
今日は、ベトナムの資料の整理の日です。
パスポート売りの商売」という見出しの記事が出てきました。今から16年前の9月27日のチュオン・マイという新聞の記事です。

 クアンチ省(北村註:ベトナム中部。ベトナム戦争時代はベトナム共和国(南ベトナム)の領土でした)の国境の町ラオ・バオでは、パスポート売りの商売が大当たりをしている。パスポート一冊につき、500ドル相当の商品がベトナムへの持ち込みで免税となる。つまり、パスポート4冊あれば、(ホンダの)ドリーム2(バイク)が免税になるということだ。かつての政府決議17号によると、外国へ仕事に行って帰ってきたものは、1000ドル相当の商品の持込みが免税となり、しかも、年に4回まで有効であるとされていた。
ごく最近のラオバオ
 現在(北村註:1995年時点のこと)では、その政府決議9号によって、”全く自由”となり、1回に免税とされる品物の額は500ドルだが、1日、1ヶ月、1年間に持ち込める回数は無制限となった。バイクを飛ばしてラオ・バオまで行き、パスポートを5~6冊借りてたうえ、他の人に又貸しすれば1日で結構な稼ぎとなる。

 また元手があれば、自分で商品を買い入れて堂々と国境を超えることも出来る。話によると、ひとによっては1日に3往復する時もあり、利益は月に数億ドンになるという。一体、パスポートの出所はどこで、入管、税関は何をしているのであろうか。

 こういう記事です。やはり、入管、税関も個人的に儲かっていたのではないか・・と想像します。向こう三軒両隣の人びとが、すべてがお目こぼしの中でおこなわれないと、こういう密輸はできません。ラオバオは、まだ外国人旅行者に国境を開放していないのではないでしょうか。ですから、暗黙の内に、密輸行為を促進する闇のルートができるのです。
 ラオスから商品を仕入れるのではたかが知れています。それも大元は多分タイから商品が運ばれてくると思います。ただ、一旦ルートが出来ると、思わぬものが運ばれてきます。しかし、いま、この2011年の時点でこういう行為がなされているかどうかは、疑問です。

北村 元 愛のさわやか支援隊
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2011-05-18

蓮の花奨学生からの便り(31)

今日の奨学生からの便りは、フート省のトゥーハーさんからです。手紙は入っていなくて、成績表だけでした。いい点数の科目もあり、優良可でいくと可もあります。
でも、こうやって送ってきてくださるということは、誠実、真面目な方なのだとつくづく思います。なぜって、自分の成績表を送るっていうことは、イマイチの成績も全部見せるわけですから。
これは、学校が発行した公式の成績表です。昨年8月にお会いした時は、フート省の奨学生5人をを代表して、私たちにお礼の言葉を述べてくださいました。やはり、責任感がある方に違いありません。
『政治』が8点を取れています。『外国語』も8.3を取れています。7.3を取れているのは、『保健教育』?なのでしょうか? いい成績の科目を伸ばし、中間点にあるような点数の科目をもう少し頑張れば、素晴らしいと思います。そうして行くうちに、自分の使命がみつかるのではないでしょうか。トゥーハーさん、ありがとうございました。
北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊
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2011-05-16

蓮の花奨学生からの便り(30)

今回の手紙は、ホーチミン市で大学に通うチ・君からです。震災後の日本のことを心配してくれています。
            ホーチミン市、2011年3月24日

愛のベトナムさわやか支援隊の皆様 及び宮尾 和宏さまへ

拝啓

私はホーチミンの経済大学のグウェンタイン・チです。最近、ニュースや新聞で知って、日本の大震災と津波が起きて、本当にビックリしました。皆様とご家族が住んでいる所は被害を受けなかったでしょうか?

日本の大震災の画像を見て、心が痛みます。泣きながら子供を探しに行く母親の画像や津波後のガレキの画像等を見ながら、涙が出てたまりませんでした。その時から、大震災で被害を受けた人の数が減少し、家族に再会できるように、私はお祈りしています。

また、家族を失った9歳の男の子はお腹が空いても、人から優先的に進められた一人前の食べ物を受け取らず、長い列でちゃんと並んでいるという新聞を見て、本当に感動して、この男の子から私は、とてもいいことを勉強させてもらいました。まだまだ感動する新聞記事はありますが、それらだけを見ても、私と友人たちは日本人の精神的強さに頭が下ります。日本のことはまるで鏡のようで、誰もが学び真似るべきだと思います。

現在、トゥー・ドゥック(北村註:ホーチミン市とビエンホア市の中間くらいの場所。THU DUC)という所で、軍隊に入り研修しています。軍の地域から出られませんので、日本の状況はあまり詳しく入ってきません。ですから、オンラインで、友達などと情報交換したり、手紙を書いて送る形でしています。だから、この手紙は遅くなって、申し訳ありません。

私は、本当に心から、日本の皆様がご無事で、安否の確認でき、家族に再会できるようにお祈りしています。ここベトナムでは、ベトナム人達はもちろん、私も大震災の被害を受けた日本の人達に自分のできる限りで寄付して、少しでも力を合わせていきたいと思います。

愛のベトナムさわやか支援隊の皆様は、現在どうなさっているかと心配しています。何回も同じような言葉を繰り返しますが、神様は、日本の皆様が無事に復興出来るように見守っていることを願っています。

最後ですが、皆様、どうかお元気で、お幸せでありますように。日本が一日も早く復興できまように、私は祈ってやみません。
NGUYEN THANH TRI より
お手紙をありがとうございました。
軍隊の研修に入っているなかで、日本のことを心配して下さり、本当にありがとうございます。
原発の方は困難がともない遅々として進んでいませんし、宮城、岩手などの東北地方の被災者もまだまだ苦しい状況です。時間がかかります。ですが、少しずつ・・立ち直りの目は出てきています。肉親を失った人たちはみな、まだ重い心を引きずりながらの生活です。本当に、時間がかかりそうです。
応援をありがとうございます。今年も元気でお会いしましょう。

北村 元 愛のさわやかベトナム支援隊
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1964年6月のホーチミンさん

1964年6月に、ホーチミン北ベトナム主席(当時)が、フランスの通信社女性記者のインタビューを受けてフランス語で話しているフィルムがユーチューブにアップロードされ、いな、ベトナムで話題になっているようです。
貴重な映像ですし、とてもきれいな画像ですので、ぜひご覧になってください。インタビューのベトナム語版を富士市在住のレ・タイン・トゥンさんに訳して頂き、それに小生が英語の情報を付け加えたものができましたので、ブログに掲載しました。ベトナム語の邦語訳をしてくれたトゥンさんに、感謝申し上げます。
映像は、ハノイ市内の映像で以下のナレーションで始まっています。
7
ベトナム、ハノイ。Paul BertとPetit Lacの交差点、ラッシュアワー。車はまったく走っていないが、たくさんの自転車がゆっくりと走っている。
普通とは違った世界に浸っているにも関わらず、私たちは北部(北ベトナムのこと)から離れる気にはならない。
不思議なことの一つは、個人的な生活がまったくないことだ。
その代わりに、団結と組織力をもった官僚の指導のもとで、国の建設のために集団的努力が大規模に使われている。
ベトナムは、10年前の1954年に南北2つの国に分断された。国の悲劇の中で、困難な暮らしを続ける多くの家庭は、…それでも南部の戦場のためにすべてを補給している。
記者:主席閣下、南ベトナムでの戦争に、何か軍事的解決策はありますか?
ホーチミン主席:いいえ(ありません)、…なぜなら、あなたも知っていると思いますが、「ベトナム国民は団結しています。ベトナムは一つの国です」。アメリカは理由なく戦争を起こしました。そして、また、ご存知の通り、世界のマスメディアは、戦争を長く続けると、アメリカは泥沼にはまり込み、失敗すると分析しています。

この戦争をずっと続けるわけにはいきません。私は、フランスの政治家たちがこの現実を明確に理解してくれていることをありがたく思っています。

記者:首相はド・ゴール将軍がこの戦争の審判に乗り出す提案すると思いますか?
 ホーチミン主席:あなたは「審判」の意味が分かっていますか? 私たちはフットボールの試合をしているのではないんです。
記者:私がもし間違っていなければ、ジュネーヴ協定の他に、ド・ゴール将軍は南東アジアに統一国家を作るという案を提案しましたが、これについて主席はどう思いますか?

 ホーチミン主席:私も1回言ったことがありますが、この考えはかなり興味深い考えです。でも、それぞれの国の意見ややり方などによります。それは大きな疑問です。この考えに、私は賛成とも反対とも言いません。花に例えると、いろいろな種類(の花)がありますね。白い花、赤い花、黄色い花...きれいな花もある、きれいじゃない花もある。でもそれらすべてを「花」と呼んでいますね。
記者:主席、今回、私たちは北ベトナムに来てみて、ここにはあまりフランスの影響は残っていないと感じました。今、25歳以下の人たちはフランス語を話せません。私たちはフランスが一定の役割を果たすかつての越仏関係を築くことができるか、文化、経済関係の中で、フランスが何かある程度の役割を持てるのでしょうか。大統領どう思われますか?

ホーチミン主席:フランスだけでなく他の国ともそうですが、私たちはいつも文化や経済の交流や協力関係を持ちたい(と思っています)。でも、あなたが前のようにフランスがベトナムに与えた影響力のことに触れているわけではないと思います。それは又別の話です。

記者:はい、その時代はもう終わりました。
 ホーチミン主席:経済や文化の友好関係、またスポーツなど私たちはいつも大歓迎です。
記者:もし、ベトナム南部の戦争が数年後にエスカレートした場合、北ベトナムの経済は今と同じレベルで維持できると思いますか?
 ホーチミン主席:私は、維持するだけでなく、もっと発展すると確信します。ここでは、国民が勤勉に必死に一生懸命働いています。我々の奉仕、熱意、国内の力と、それに加えて、他の社会主義国からの支援もあり、われわれは、日進月歩しており、もちろん将来もそうだと思います。
 
記者:社会主義国のことを話されましたが、これらの支援はソ連と中国のイデオロギー論争に端を発した支援ですか?
ホーチミン主席:そうではありません!兄弟国からの支援は続くでしょう。支援は私たちにとって非常に役立っています。
記者:現在、北ベトナムは孤立しているという見方があります。政治面からいって、中国への依存から脱するのは非常に難しいのではないか、と。これらの意見にどうお答えになりますか?
 ホーチミン主席:JAMAIS!(それは、決してない!)

ユーチューブにアップされたインタビューは、ホーチミン主席の「ジャメ!」という怒りをこめたような力強い言葉でいきなり終わっています。その後には、ハノイ市内の旧正月の風景や軍の映像が見られます。

この映像をご覧になりたい方は
 http://www.youtube.com/watch?v=xtV4Kf0Dhew  を御覧ください。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊
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2011-05-15

蓮の花奨学生からの便り(29)

最近送られてくる奨学生からの手紙には、東日本大震災を心配してくれている文章が書きこまれています。

今日ご紹介するお手紙には、封筒にも文面にも、お名前が書かれていません。ハノイの消印ではなく、3月30日付けのタンロンの消印になっており、ハノイ市内の郵便局かと思われますが、そうすると、誰なのでしょうか? 字体は女性のようです。ホアさんかな・・では、手紙をご紹介します。
愛のベトナムさわやか支援隊の皆様と北村さんへ

拝啓

私は、ベトナムのニュースや新聞により、日本の大震災と津波の酷さを見たり聞いたりしていてぞっとしました。自然災害で壊れた東日本の姿をテレビで見て、なかなか言葉に出来ないくらいすごく心が痛んでいます。皆様とご家族はご無事でいらっしゃるのかどうか心配しています。

ベトナムでは、日本の国民がこの災害を乗り越えて、一日も早い復興を・・と、多くの人がお祈りしています。それに、ネットワークに接続すると、「PRAY FOR JAPAN」(祈りを日本に!)という英語が書かれて出てきます。

現在の日本は厳しい状況になっているようですが、私たち及び世界の人々は、日本の方々が絶対にこの災害を乗り越えて、早く復興する心の強さを持っていると信じています。

私は大震災の話が報道されてある新聞記事を見て、すごく感動しました。このような大きな災害が起きても、日本人たちはすごく冷静で、お互いに力を合わせ頑張っているという画像を見て、本当に素晴らしい国だと思います。それに、長い行列の中にいる9歳の男の子がお腹が空いているのに、支援された食料の配給を待って秩序よくちゃんと並んでいるのに感心しました。

そして、ある学校の先生は、生徒たちを救うために、危険な所に戻るという話しなど・・・まだまだたくさんの感動する話が新聞に載っています。

私は、何より日本の皆さまが無事で、早い復興が出来るようにお祈りしてやみません。

                               敬具
 優しい気持ちの詰まったお便りありがとうございました。
お名前が分かりませんが、間違いなく女性の文面です。
 少なくともこの数年、ベトナムに行って皆さんに会った人たちは、全く無事です。ご心配ありがとうございます。しかし、その親戚や友人をたどれば、被害に遭っている方はいるかも知れません。事実、私の友人も、福島で被害に遭っています。
 さて、復興と言ってもそう簡単ではありません。復興は、産業の復興だけを意味しません。もっと大事な被災者の生活の立ち直りが伴わないといけません。誰のための復興か・・その視点を欠いた復興に幸福は存在しません。それ無しの復興を急いで、失敗した過去が日本にはあります。

 が、行政の力強い後ろ盾は必要ですが、個人的には強い希望を捨てなければ、復興は出来ると思いますし、その心の芯の強さを持っていると思います。やがて、この国難に打ち克っていく姿を、応援してくださった世界の人びとに見て頂くことが出来ると確信しています。
 ご心配 本当にありがたく、このお手紙もまた、宮城県の友人に転送をさせていただきました。
 どうか、お元気で、勉学を続けてください。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊
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2011-05-14

蓮の花奨学生からの便り(28)

久しぶりに蓮の花奨学生からの便りです。
ダクラク省ブオンメ・トゥオットから来ました。ベトナム戦争中はバンメトートと表現されていました。
ダクラクは、エデ語で「湖水」という意味です。きれいな表現ですね。ダクラクは、感じで書くと「多楽省」と書くのと「得楽省」とかかきます。なにか、楽しいことがあいそうな省ですね。
ベトナム
Buôn Ma Thuột, Đăk Lăk, Việt Nam


拝啓、皆さまへ

 皆さまに、ご健康とご成功をお祈り申し上げます
 東日本大震災では、皆さまは被害を受けましたでしょうか? ニュース等をあまり見ていませんが、深刻な災害が起きてしまったと聞かされました。皆さまのことをすごく心配しており、自分自身は皆さんのお力になりたいと思っています。しかし、何でもいい、できることからお手伝いしたいという気持ちがいっぱいですが、私は心から皆さんに良い結果に終わるように祈ることしかできません。皆様だけでなく、多くの日本人にも困難を越えて頑張ってくださいと応援をし続けます。
手紙の中に前期の成績を同封しました。新しい環境にまだ慣れてなく、集中力が出ていません。それに色々心配ごとがあって、成績があまり良くありませんでした。しかし、後期は良い結果を出せるように、一生懸命勉強するとお約束します。
  ところで、一ヵ月半前に皆に手紙を送ったが、多分届かなかったのではないかと思っています。私は引っ越したばかりです。新しい住所は22 XXXX, Thành Phố Buôn Ma Thuột , tỉnh Đăk Lăk。

 新しい部屋は私と二人の友達と一緒に住んでいるので、一ヶ月の生活費は80万ドンで済みます。今年、学費を400万ドンも納めました。大学で先輩から色々お世話になっていただいたので、勉強も順調にできました。夜も英語の塾に通いますので、さらに60万ドンがかかります。(生活費と同じくらいかかります)。

 後期は科目が多くて、夜も勉強するので、忙しくなります。しかし、時間ができたら、すぐに実家に電話します。私と兄は勉強するために、実家を離れなければならないので、母のことだけが心配です。兄は、今年、大学での研修のために、アルバイトして貯金しなければなりません。兄はずっと仕事しているので、今年の正月は実家に帰りませんでした。たまに、兄から送金してもらいました、父がいないので、兄が家族を支えています。

 お母さんは毎月援助金が40万ドンぐらいもらえますので、ちょっと生活費の足しになります。一般の人よりお母さんの体は不自由ですが、晩御飯も食べずに、夜9時まで働き続けます。お母さんが雨で濡れている姿を想像すると、涙が止まりません。そのため、お母さんと皆さまの期待に応えて、一生懸命に頑張りたいと思います。

 ところで、大学でQuảng Ngãi故郷会の人たちと出会って、私のこともいろいろ面倒をみてもらっています。今年、皆さんの手紙の返事はまだいただいてなく、今回はすごく楽しみに待っています。
 
 ところで、レー・バン・チュオンの政治課指揮部の新聞を見ました。皆様は、私の家の中にあるすごく古いテレビを気遣って下さって、本当に感動しました。あのテレビは私が小学2年生の時からありました。すごく古いですが、私の家族にとってとっても貴重なものです。ですから、テレビは母の親友と言えるほどです。私の家族だけでなく他の家族も日本の皆様から色々面倒を見て下さり、何よりうれしく、心から感謝します。誠にありがとうございます。
 皆様、お元気で。そしてどうかいいことがありますように。
敬具
グエン・ティ・トー・クエン
ベトナムの国旗
トー・クエンさん、お手紙ありがとうございました。
これまでベトナムにいった我々のグループでは、被害に遭った方は居ないと思います。
ご心配ありがとうございました。
成績表もありがとうございました。
自分の成績を人に見せるということは、とても勇気に要ることです。そこには、トークエンさんの誠実さと責任感が現れていると思います。
被災者のために、祈ってくれていること、とてもうれしいです。少なくとも、私の友人には、必ずお伝えします。

トークエンさんの母親思いの文章に感動しました。お母さんと価値あるテレビのことも初めて知りました。古いテレビには、お母さんの気持が染みこんでいるんですね。

 それでは、友人から頂いたこちら被災地宮城県の母の日の話をさせて下さい。
 5月8日の日曜日は母の日でした。東日本大震災の被災地、宮城県名取市は東北一のカーネーションの産地なのですが、その畑で津波で海水をかぶりながら、塩害にも枯れず花を咲かせたカーネーションが、朝市の一角に並び話題を呼んだそうです。

 生産者は被災したこともあり、出荷は見合わせたそうなのですが、支援者の助けで格安販売が行わることになったそうです。買いに来た人たちは“津波に耐えたカーネーション”ということで、いろいろな思いを胸に母に捧げる小さな花束を買って行ったとか。

また、友人は、こうも書いています。「厳しさに耐え抜く姿は、どんな苦労をも厭わず、子どもを守り育てようとする“母”の姿にもつながります」と。お母さんに喜んでもらえることをすることが、一つの大きな平和です。そのために頑張る・・・そのことによりトークエンさんの力が引き出されます。後期も応援していますよ。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊
      Love & Support Vietnam Since 1990
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2011-05-09

ベトナム3空港の浄化作業は進行中だが・・

今日も、ダイオキシンに汚染されているベトナム3空港のダイオキシン浄化事業の話です。
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ベトナム3空港の毒物浄化作戦進行中

ベトナム資源環境省は、エージェント・オレンジ/ダイオキシンに関する越米の対話グループの話として、ベトナムのダイオキシン汚染空港の毒物浄化に今後10年かかると、伝えた。

この浄化計画に含まれる空港は、ダナン空港、ビエンホア空港、及びフーカット空港である。

毒物浄化とエージェント・オレンジ被害者への諸援助への計画の総費用は、最低でも6兆ベトナム・ドン(概算3億1500万ドル)になると、同対話グループは語った。
 
ダナン国際空港は、計画通り、今年7月には正式に毒物浄化が完了する予定だ。そして、残り二空港の毒物浄化作業は、2015年までに完了する予定だ。

同対話グループは、この計画の実施にあたり十分な資金の動員することが大きな挑戦で、そして、アメリカ政府が手助けしなくてはならない、と注文を付けている。
 
さらに、同対話グループは、ビルとメリンダ・ゲイツ財団や大西洋慈善財団のような国際組織からのより多くの援助を呼びかけている。(出典VOV:2011・04・22
 ビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates FoundationB&MGF)は、マイクロソフト会長のビル・ゲイツと妻メリンダによって2000年創設された世界最大の慈善基金団体である。
2006年にはウォーレン・バフェットの300億ドルにのぼる寄附により規模が倍増した。世界における病気・貧困への挑戦を主な目的としているが、特にアメリカ国内においては教育やIT技術に接する機会を提供する活動を行っている。ワシントン州シアトルに本部を置き、ビル・ゲイツ、メリンダ・ゲイツ、ウィリアム・ゲイツ・シニア(ビルの父)3人の共同会長により運営されている。財団の理事は、主要な寄付者であるゲイツ夫妻とバフェットの3人である。また、マイクロソフトの元幹部ジェフ・レイクスがCEOを務める。
世界地図
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2011-05-08

ダイオキシン汚染地域で浄化作戦を続けるベトナム国防省

下の写真は、ナムディン省の枯れ葉剤被害者第2世代の兄弟です。
一時期この兄弟にも支援をしましたが、当時のナムディン省の枯れ葉剤被害に関わっていた人(今ではVAVAが創設されています)の「まずカネを出してほしい」という発言で、私たちの支援は取り止めになりました。
この兄弟は、自分で起き上がって座ることができません。精神的にも異常をきたしており、自分たちでは何も出来ません。でも、とても、よく笑顔を見せる兄弟でした。まだ幼い頃の写真を、私は持っています。
本日のブログの原稿を書くにあたり、VOVが配信した写真に懐かしさを覚え、掲載しました。ご両親もお元気そうで、少しの救いです。
さて、今日のブログの内容は、1ヶ月半ほど古い内容になります。
VOV配信
ベトナム国防省は、外国の駐在武官に対し、ベトナムで戦争中にアメリカ軍が残していった有毒化学物質の影響克服のためのアメリカ並びに国際協力について説明した。

3月25日にハノイで開催された国防省の行事で、国防省は、 ダナン、南部のドンナイ省のビエン・ホアと中部ビンディン省のフーカット(Phu Cat)の3空港のダイオキシン汚染レベルの評価を基本的に終えたと、語った。

それによると、国防省の化学部隊は、ビエンホア空港のダイオキシン汚染地のうち、ほぼ10万立方米の土壌の廃棄に成功したということだ。

多大な努力をしたにもかかわらず、ダイオキシン浄化作戦の結果は、必要条件を満たすことはできず、多くの困難と試練が残したままとなった。

国防省は、国防省の各機関と部隊が、持てる力を発揮し、協力を拡大して、情報を共有し、環境の浄化と蘇生のため国内外の個人及び機関と種々の努力で足並みを揃えた意義を強調した。

南アフリカ大使館駐在武官は、汚染地域でのダイオキシンの影響を克服しようとするベトナム国防省の努力を高く評価した。(出典:VOV=ベトナムの声放送)
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このニュースを読みますと、ダイオキシン汚染した土壌の浄化が如何に難しいかがよくわかります。環境と人は一体不二です。科学が進んだ世の中で、人が作ってしまったダイオキシン2378-TCDDを消滅させる術はないのでしょうか。
 
北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊 since1990
Love & Support Vietnam since 1990
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2011-05-07

正義を求めて裁判継続へ

枯れ葉剤散布から50周年の日が近づいてきた。今日から、50周年のその日の8月10日まで、エージェント・オレンジ犠牲者への鎮魂、クアンチ省のチュオンソン烈士墓地への参拝、8月10日の枯れ葉剤散布50周年のための集会、1万人の被害者に対する無料検診など、ベトナム政府は、枯れ葉剤散布50周年の一連の活動を計画している。

ベトナム枯れ葉剤被害者協会(VAVA)のチャン・スアン・トゥ副会長は、『ベトナムの声放送』(VOV)とのインタビューで、アメリカでの枯れ葉剤被害者の裁判闘争のために、さらに証拠を集めたと語った。

アメリカが認定しているダイオキシン関連の疾病のすべては、ベトナムで見つけられた。それら疾病は、VAVAの法的手続きの確たる証拠の一部として考えられるか?

国防省は、ダイオキシン汚染地区で浄化作業を展開している。ダイオキシンに重度汚染されたベトナムの3空港は、汚染除去作業が続いている。

VOV:(アメリカでの)訴訟が最終結論に達すること無く7年続いたが、VAVAはアメリカの化学会社に対する訴訟を続行するのか、それとも新たな方向で正義の闘争をするつもりか?

トゥ副会長: 時間の経過に関係なく、枯れ葉剤被害者協会は法的手段によって正義を追求し続ける。我々は、これから先もやるべきことが多く残っていることは承知している。まず 第1には、我々はアメリカ下院に、米越双方の枯れ葉剤被害者に対する補償を求めていく。そして第二に、我々はアメリカ議会と政府に、犠牲者に対して補償または助成金の支払いを求めていく。

ニューヨークのアメリカ最高裁判所による判決は、この州だけの効力しかない。 たとえニューヨークの法廷がベトナムの被害者の申し立てを却下したとしても、ベトナムはまだアメリカの別の州で裁判を起こすことができる。

最後段階の準備が進められており、ベトナムは、2011年後半か2012年前半には再び裁判を起こすものとみられる。
老いた祖母が孫に・・・ 
VOV: アメリカ法廷は、これまでの訴訟で、ベトナムが提出した証拠の多くを却下した。 今度提出する新証拠は、何か?

トゥ副会長: 我々は、訴訟のために、広範囲にわたる新証拠を集めた。アメリカが法的責任を忌避し、訴訟を行き詰まり状態に持ち込みたいことは、疑いあのないことだ。最終結論は、被告だけでなく、アメリカ政府の責任感次第でもある。

VOV: 米国が認定したダイオキシン関連の疾病のすべては、ベトナムで見つかっている。 彼らは、VAVAの法的手続きの説得力のある証拠の一部として考えられるのか?

トゥ副会長:その通りだ。それは重要な証拠だ。 米国は、15の疾病、ベトナムは17の疾病を確認した。疾病の多くは、両国に共通するものだ。 しかし、両国が提供しているリストには、免疫不全のようなダイオキシン起因の多くの重要な疾病を含まない。免疫不全は、他の病気ほど深刻でないので、一般的だが、誰にも気づかれないものだ。

一方、アメリカ政府は、アメリカのリストにあげられた疾病に悩むすべての被害者に助成金を支給している。それには、労働能力の10%を失った人々をも含んでいる。この実施は、アメリカがエージェント・オレンジのベトナム人被害者への責任を故意に回避することを、明白に示している。

チャン・スアン・トゥ副会長


被害者により多くの配慮を

VOV: アメリカはエージェント・オレンジ関連の問題で、ベトナムと共同して対応している。しかしながら、資金の投下は遅々としている。 アメリカ側の動きは、どこまで進んでいるのか?

トゥ副会長:アメリカ側は、国内と国際社会の強い圧力の下で、責任を認識している。 彼らは、/ダイオキシンの化学物質の有害な影響を認めた。 これは、ベトナムのエージェント・オレンジのAO被害者の正義を求める闘争では、最初の成功と思われる。

アメリカは年々、財政援助を増額してきて、2007-2009年度は300万米ドルから、現在はおよそ1500万米ドルまできた。 私が知る限り、枯れ葉剤被害者に何十億ドルを支出している。それでも、400万人のベトナム被害者の苦しみに比べれば、その金額はあまりにも少額だ。さらに、支出の大半は、汚染地区の浄化のためのものだ。汚染地域の解毒をすることとともに、アメリカは直接に犠牲者を支援しなければならない。

VOV: 最近のインタビューで、各省と都市に被害者のための施設を建設することなど被害者支援のための広範な活動を計画していると、あなたは言った。 どのような案なのか?

トゥ副会長:2009年8月10日の ベトナム枯れ葉剤被害者の日に、われわれは、5年以内に640億ドンを目標に、募金計画を始めた。現在、我々は、1件あたり5億ドンの建設費で、58の施設を建設する費用が十分に集まった。国からの支出でけんせつする10の施設を別にして、すでに12の施設の建設を完了した。 ベトナム市や各省にそのような施設を建設する事業は、2013年までに完了する予定だ。

当初は、各々の施設に、数十人の枯れ葉剤被害の子どもたちの面倒をみるために、5億ドンが支給される。 我々は、今、身寄りのない被害者や家族の支援を受けられない被害者の両親の面倒をみるために、ハノイ市、ダナン市とホーチミン市の3市に大型施設を建設する計画書をグエン・ティエン・ニャン副首相への計画を提出したばかりだ。
VOV: ベトナムへの枯れ葉剤の散布から50周年(1961- 2011)を迎え、どんな活動を計画しているか?

トゥ副会長:枯れ葉剤散布50周年の節目にあたり、8月10日に8月10日に、全国会議を開催する。この会議は、枯れ葉剤被害者支援にあたり、国内、国際社会に共に感謝の意を表し、戦後の後始末にはアメリカに責任があることを明確にするものである。

全国で、広範囲な活動が行われる。その中には、7月にも、困難な時期を耐えてきた枯れ葉剤被害者の栄誉を讃える第1回の全国会議を開催する。また8月6ひから9日までは、別の会議を開催し、被害者を訪問して慰問品を贈呈する他、被害者にに救急医薬品を贈ることも計画している。
VAVAは、現在これらの活動の準備をしている。

VOV: どうもありがとうございました。

愛のベトナムさわやか支援隊snnce 1990
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