2011-03-19

蓮の花奨学生からの便り(22)

22回目の蓮の花奨学生からの便りは、ダナンのハンさんからの手紙です。
じつは、私たちは、このハンさんにお会いしていません。去年の8月16日、彼女は、病気で、会場に来られませんでしたので、ダナン市枯れ葉剤被害者協会のラン副会長さんに贈呈しました。
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宮尾様

私は、1991年10月21日生まれのグエン・トゥイ・ハンで、ダナン市の経済大学2年生です。

今日、日本の静岡の心優しい皆様に手紙を書くこと、この日をずっと待っていました。クリスマスシーズン、新年がそろそろ来ますので、心から皆様にご健康、平安、と喜び出来ますように祈ります。今日は、障害の日(北村註:12月3日)友達と枯れ葉剤の被害に遭った子供達に会いに行きました。皆で歌を歌いながら、楽しく踊りました。自分と同じような子供達と楽しい一時を送ることが出来てとても嬉しいです。

宮尾様、2010816日のことを覚えています。その時、私は病気になって、ベッドにずっと横になりました。それで皆様から直接奨学金を受け取ることが出来ませんでしたが心から感謝しています。この奨学金は私にとって大きな意味があります。家族の経済が大変なときに、この奨学金が凄く助かりますし、精神的なプレゼントとして応援団になりました。そして、前期に一生懸命に勉強しましたから、成績良かったです。私の一番大きな夢は元気で大学へ通うことができる事です。出来れば、もっともっと勉強して働いて、私と同じような子供を助けたいと思います。皆様の活動のようなことを続けたいと考えます。

最後にもう一度静岡の皆様にありがとうございますと、お礼を申し上げます。ここで失礼致します。


NGUYEN THUY HANG


ハンさん、お手紙ありがとうございました。あの日、お会いできなかったので、残念ですが、写真が載せらません。元気で、勉強してくれていますか?


実は、日本では、8月16日は、女子大生の日なんです。ちょっと、そのことを説明させてください。
今地震で多くの犠牲者が出ている宮城県の話です。
1913年(大正)2年、東北帝國大学(現:東北大学)が、女子受験生3人の合格を発表しました。日本に初めて女子大生が誕生した日です。その女子大生のうち1人は、日本初の女性理学博士となった黒田チカさんという方です。
黒田チカさんは日本初の女性理学士で、化学の分野に業績を残した研究者です。
 黒田さんは明治17(1884)年、佐賀県に生まれました。進歩的な父のもとに育ち、佐賀師範学校女子部卒業後の1年間の義務奉職の後、当時の女子にとっての最高学府であった東京の女子高等師範学校理科に入学しました。理科の実験は学校でなければできないと考えたのが、理科を選んだ理由でした。卒業の頃には化学に興味を持つようになり、更なる進学を希望しましたが、そのころ帝国大学は女子に門戸を閉ざしていました。しかし1913年に、東北帝国大学が初めて女子の受け入れを決めます。
黒田チカさんの写真です。
 すでに女高師の研究科を修了して助教授になっていた黒田さんは、母校の教官の推薦を受け、東北帝国大学理科大学化学科を受験しました。黒田さんを含む女子2名と男子7名が合格します。わが国最初の女子の帝大生となった黒田さんはこのとき29歳でした。世間も新聞も大騒ぎをし、文部省は女子を入学させることに対して不快感を示す書状を東北帝大に送ったのです。
  東北帝大での眞島利行教授との出会いは、その後の化学者としての黒田さんの生涯に決定的な影響を与えました。教授の専門分野の有機化学に最も興味を持ち、卒業研究を教授の指導のもとで行いました。天然色素の構造について研究したいとの黒田さんの希望に対して、教授は、紫の根に含まれる古代むらさきという染料の主成分である色素の構造研究をテーマとして与えます。

 黒田が生涯続けた天然色素の研究は、こうして始まったのでした。まず、天然物の研究における結晶を得ることの大切さと大変さを黒田は学びました。そして純粋な色素の結晶を使っての構造研究は、黒田の限りない努力と情熱に支えられ進められていきました。大正7年にはシコニンと命名した色素の構造を論文に発表し、東京化学会で口頭発表を行いました。初の女性理学士の発表と世間は大騒ぎをしたそうですよ。

 その後大正10年から文部省外国留学生として2年間英国に学び、帰国後は女高師教授としての授業のほか、新設の理化学研究所の眞島研究室で女性を華やかに彩る紅の色素の構造研究を行いました。5年にわたる研究の末、昭和4(1929)年にカーサミンの構造を決定し、これを発表した論文で黒田さんは女性理学博士第2号となったのです。
  黒田さんは多くの良き師に恵まれました。東北帝大受験に際して長井長義博士から贈られた「化学は物質を対象としているから物質に親しまなければならない」との言葉を終生大切にし、心の支えとしたということです。女性化学者として、その絶えざる精進の軌跡と輝かしい業績は、今もなお後進に無言の教えを示しています。また、退官記念会のときに贈られた祝金は、後輩の育成のため「保井・黒田奨学金」として大学に寄附され、若い研究者を励まし続けています。

私たちも、故櫻田先生の「櫻田基金」からもご支援頂いて、ベトナムの学生さんを励ましています。
今回の大震災を契機に、亡くなられた方々の使命を背負って、この被災者の中から、必ず優れて人材が東北地方から立ち上がると確信しています。
ハンさんも、今年は一層勉学に励んで下さい。元気でダナンでお会いしましょう。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊since1990
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