このたび、私どもの“愛のベトナムさわやか支援隊”が、ベトナム天然資源・環境省の中の33委員会の機関誌に紹介されました。
機関誌の名前は『毒学』です。
この機関誌は、今もなお、ベトナムの人々に苦しみを与え続けているダイオキシンを中心とした化学物質の最新情報を提供しているベトナムの機関誌です。
編集長は、東ドイツ留学で毒学を修めたレ・ケ・ソン博士です。常に、人の立場、もっと突き詰めていうなら、被害者の立場に立って研究を続け発言する方です。
被害者とは誰か? を究極のテーマに、この人災の解決に努力しています。
ソン博士の発言で忘れない言葉がある。2003年のことである。当時、博士は赤十字勤務。
「被害者の中にはすでに死んだ人もいる。これから静かに死に行く人もいる。子どもも2代目、3代目が生まれてきている。今頃になって病気が出る人もいる。潜在的被害者も数多くいる。だから、被害者の正確な人数は言えないのである。アメリカ兵は、延べ300万人がベトナム戦争に参加した。統計、経済、医学、科学に世界一優れているアメリカといえども、自分の国の被害者の数を正確に上げることはできないのである。
もちろん、ベトナムの方も、被害者の正確な数をこれから把握する必要があるし、常に情報をアップデイトしていかなくてはならない。
議論ばかりが先行していても、被害者の人生は変わらない。そして暗いままである。
本当の問題は、検査方法とかいうものではない。責任と良心の問題である。私たちは、退役軍人の家族を訪問してきた。胸が詰まる思いをしてきた。夫には体に傷が残り、妻は病気であるのに、ダウン症の子どもの面倒を見ている家族。政府には被害者家族への援助の制度があるが、少ないカネで、食べ物や着る物は買えても、そのカネで病気を治すことは不可能である。書類を紛失したために、政府から援助のカネを受け取れない不幸な人の如何に多いことか。
悲しいかな、ベトナムのダイオキシンの被害者は、こんな不幸に慣れてしまった。彼らは、不満を持ちながらも、それを口に出すことはせず、全てを受け入れて呑み込んでしまうのだ。彼らは、一日単位で生きている。我慢しながら」
同機関誌では、第5号の49頁に、『枯れ葉剤被害者支援団体』というタイトルで、わが支援隊の歴史と活動を紹介し、写真は、この5月に、旧南ベトナム政府軍の空軍在籍中にアメリカの枯れ葉剤作戦に協力したホーチミン市在住のマイ・ザン・ヴーさんを訪問した時のものが使われています。
今後とも、わが支援隊は、33委員会と友好協力関係を続け、微力ながら被害者救済の意識向上に努力するつもりです。(了)
2007-08-31
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