2007-08-07

MIP様から新品のTシャツ600着が!!

このたび、MIPスポーツ・プロジェクト事務局長相沢雅晴さが代表となって、私ども愛のベトナムさわやか支援隊に、600着の新品スポーツTシャツを贈って下さいました。

12箱もです。

我が隊始まって以来、一度にこれほど多くの支援物資を受領したのはこれが初めてです。厚く御礼を申し上げます。いま、うれしい悲鳴を毎日あげています。

この600着には、
1)MIPスポーツ・プロジェクト様の他に、

2)株式会社ゼロ様

3)株式会社ゴールドウィン様

4)森永製菓株式会社様

5)ハードロックカフェ様

の4社、合計5社のご厚志が含まれています。

暖かいご支援に、私ども一同、心より感謝申し上げます。

実際に発送を担当して下さいました佐藤訓之様 有難うございました。

皆様のお気持ちで、ベトナムの枯れ葉剤被害に苦しむ子ども達と、貧困に悩む子どもたちに着せてあげることができます。

個人的なことになりますが、相沢雅晴さんと小生北村とは、丁度1年前の昨年8月に初めて、シドニーのオリンピック・スタジアム近くのハウスパーティでお目にかかりました。

その時、枯れ葉剤の子ども達の話を聞いて下さり、Tシャツのベトナムへの贈呈を実現して下さいました。

(左は、送って下さったTシャツの箱の山です)

相沢さのことを簡単にご紹介をさせて頂きます。

国学院久我山高校から明治大学に進まれ、高校大学とラグビー部で一貫して大活躍された後、株式会社リコーへ入社。リコー時代には、プロップとして、日本代表に選出され、第1回ワールドカップにも出場されました。

日本代表の主将も務めました。

現役引退後は、日本国土開発株式会社ラグビー部監督に就任し、関東1部リーグにチームを昇格させるという実力をさらに発揮されましたが、
ラグビー部解散で、吉本興業スポーツ事業部チーフプロデューサーへ。

さらに、現在はMIPスポーツ・プロジェクト事務局長として、少年少女達に家庭にと、健康スポーツの夢を与えていらっしゃいます。

因みに、2007ラグビー・ワールドカップは、2007年9月7日から10月20日まで、フランスを中心にウェールズ・スコットランドで行われます。日本はB組です。

ある方のブログからです。

その年元旦もノート片手に花園へ行きました。国学院久我山の試合を見ていると、 大柄なロックが目に付きました。

大柄と言っても筋骨隆々じゃなく、どっちか言うとただ太っている感じの、動きも緩慢でヨッタヨッタとモールに突っ込んでいました。

相沢雅晴選手でした。

ショートパンツの太腿は破れんくらいパンパンになって、シャツも皆はパンツの中に入っているのに、一人だけパンツの外にだらしなくはみ出していました。

勿論プレーの最中にそうなったのですが、でもそんな相沢選手が大好きでした。愛嬌があるのです、プレーぶりも顔も。

明治に進学して(中略)・・・俺の弟も妹も、相沢のファンで、家では「おっちゃん」と呼んでいました。明治の試合がある時は「おっちゃん出てる?」が我が家の合言葉でした。

そしてリコーに入社したのですが、あのオールブラックスばりのユニホームも 似合っていませんでした。相変わらず、パンツの太腿はパンパンで、太った芝居の黒子のようで・・・・(以下略)。

それから3~4年経った頃、家に帰る途中の俺は大阪の天神橋筋を歩いていました。中崎町商店街へ行く信号の所で、相沢が立っていました。

相沢の横には洞口と河瀬がいました。三人は信号待ちしているところで、多分大阪出身の河瀬の案内で食事に行く途中だったと。

俺は大好きな相沢選手に声を掛けようか迷っている時信号が変り三人は歩き始めました。
俺は慌てて「相沢さん」と声を掛けました。相沢は振り返り「はぁ」とキョトンといていました。

その顔はテレビで見るよりも優しく、目は本当に象さんのように可愛いく、善人そのものでした。

俺は「どうも」と訳の解らん事を言い、ペコリとおじぎをして立ち去りました。

俺の背中に相沢の「どうも」が聞こえてきました。

以上が、あるブログからでした。(無断借用 失礼!)


実は、ホームパーティの会場は、この7月にドイツのサッカークラブVFB リューベックと契約した今矢 直城選手のご実家でした。彼を応援してあげて下さい。

その席に、豪州在住の元三洋電機ワイルドナイツのホポイ・タイオネさんも、同席。

この写真はホポイさんのお母さんではなくて、今矢直樹選手のおばあちゃんです。ホポイさんは、ハナちゃん」と、呼んでいました。

ホポイは、身長188センチ、84キロと、これは現役の時の数字です。今は、もうちょっと重い?か。

彼の大きさは、実はこの数字ではなくて、声の大きさです。

これは数字には出せません。騒音レベル120デシベルというのは、「会話不可能」レベルdすが、これは、航空機のエンジン近くや、騒音の激しい地下鉄の駅を想像してください。

ホポイさん一人で、このくらいの声をだすのです。

ホポイさんが話している間は、体が大きいかの相沢さんも、一目おいていました。笑いの絶えない賑やかなパーティでした。皆、相沢さんの仲間です。

最後に、もう一度、ベトナムの子ども達に応援して下さった各社の皆様ありがとうございました。

そして、相沢 雅晴さん ほんとうにありがとうございました。
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