2006-08-18

今日 ロング・タンの戦いから40年

本日(8月18日) きょうは、ベトナム戦争多鋭気軍人の日です。オーストラリアのベトナム参戦史のなかでも大きな戦いから40周年を迎え、全国で行事が行われています。左は、首都のキャンベラでの早朝の式典を報じるテレビから、撮りました。

ロング・タンの戦いを簡単に振り返りましょう。
40年前の1966年8月18日、夕方近くから始まったロング・タンの戦い。オーストラリアがベトナムで闘った戦闘の中でも最も有名な戦闘の一つです。それは、南ベトナム・ヴンタウの北東40キロのフオック・トゥイ省ロング・タン村近くのゴム園での戦闘です。詳細は、一方的に、オーストラリア軍の報告に基づいて書きます。激しく降る雨の中で、雨中の対決となりました。戦争画家が描いて画をご覧下さい。

闘ったのは、オーストラリア軍第6大隊D中隊108人。(支援部隊、増強部隊除く)です。指揮官は、ハリー・スミス少佐。これに対して、ベトナム側は、第275連隊と地元のD445大隊(合計2500名とされていますが、大きな疑問あり)です。司令官は、グエン・タイン・ホン(Ngueyn Thanh Hong肩書き不祥)もちろん、オーストラリア軍は、アメリカ軍、ニュージーランド軍の支援を受けています。雨とゴム園の軟らかい土とで泥まみれの壮絶な戦いだったようです。

戦闘は、翌日まで続きましたが、最終的に、18日の3時間の戦闘で、オーストラリア側の死者18名。負傷24名。(これはほぼ正確とみていいでしょう)ベトナム側の死者少なくとも245名。負傷者750名。ここからは不正確です。戦闘後はおおざっぱにしか数えないからです。ベトコン側から押収した資料でオーストラリア側が推定した数字は、死者推定500ー800名。負傷者推定、約1000名となります。現在では、テレビでも、4時間の戦闘で800名を殺した・・という風に焦点を当てています。小さい時間枠の中でみれば、オーストラリア軍の圧倒的勝利です。しかし、勝ったとしても所詮、これは侵略戦争です。尊い人命という広大な枠の中で考えれば、なんというおろかな勝利感でしょうか。

Posted by Picasa今でも、このロング・タンの村は存在していますが、オーストラリア軍が駐屯していたヌイ・ダット(NuiDat)という地名は、ベトナム側によって消されました。理由は、わかりません。ちめいや省の名前まで変わるのは、ベトナムによくあることです。

左の写真は、多分カオダイ教とみられる寺院で真剣に祈る老婆の姿ですが、この老婆の願い(平和)が実現するまでには、さらに多くの人命の損失とかなりの年月を必要としました。ベトナム戦争退役軍人の日といっても、不戦の誓いが根底になければ、狭いところで勝った負けたの談合が続く限り意味のないものと考えますが、いかがでしょうか?(北村 記)

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