ヴェトナム-長崎交流評議会は、ベトナムの枯れ葉剤被害者支援のために50万円(約1億ベトナムドン)を目標に募金活動を開始した。
この行事は、ヴ・フイ・ムン駐福岡ベトナム総領事の長崎訪問にあわせて始まった。
長崎滞在中に、ムン総領事は、経済、社会、教育と文化協力の促進方法を話し合うために、長崎県当局や、友好・社会機関の代表の300人以上と会見した。
枯れ葉剤被害者を支援しよう! 寄付金受付中! 2011年分の衣類は目標達成・・・
皆様と家族の皆様はお元気ですか? 私は二年生になりました。法律に関する科目が多くなってとても難しくなりましたがとても勉強が面白く思っています。法律を勉強する事によって社会のこと、先生の事などいろいろ理解出来る様になりました。
今寮に住んでいますが相変わらず生活には何の問題も有りません。今10人が一部屋で生活しているのでとても楽しいです。しかし勉強に支障になる場合が時々あります。これは寮での生活の現状ですので自分で克服するしか有りません。
ホームシックが大分治りました。昨年のように頻繁に家に帰ることがなくなりましたが家へは電話でよく話しています。
母と妹は相変わらず元気です。農業の仕事に励んでいます。妹は真面目に勉強をしています。成績もとっても良いそうです。家族みんなでとても喜んでいます。それは妹が以前より元気になって友達と遊べるようになったからです。
9月に母は妹を連れてハノイの子供病院へ診察をしてもらいに来ました。先生に三ヶ月に一度は輸血をしなければならないと言われました。輸血前は頭が痛く食欲もなくなりますが、輸血の後は元気になります。
前回手紙で私の寮の写真を送ると約束をしましたがカメラを借りられないのでまだ写真を撮っていません。出来るだけ早く送るようにします。以上私と家族の報告を申し上げました。
皆様と約束した通りにこの手紙を書いて皆様にお礼を申し上げます。そして成績を報告します。
昨年は私は頻繁に病気をしましたが今年は元気に生活しています。しかし学期の初めから体の具合が悪く二日間休みました。
これからもっと勉強を頑張ります。日本を私は知りませんが、本を読んで日本はとても進歩した国だと知りました。私は勉強が終わって若し機会が有ったら日本へ行ってみたいと思っています。
宮尾さん、Eメール有りますか? 若しEメールが有りましたら私のアドレスを追加して下さい。
私のEメールのアドレスは 「because_i0_0love_you @・・・・・・・」です。
でも私は日本語を知らないので、誰かに翻訳をしてもらって下さい。
そろそろ終わりにしたいと思います。宮尾さんに絵のプレゼントをします。
最後に宮尾さんと皆様のご健康をお祈りいたします。
私はそろそろ人生で一番大切な時期に来ていると思っています。それは高校を卒業して大学に入る事です。
今とっても心配している事は、何処の大学に入るかです。とても迷っています。学校の案内はまだ届いていません。私が勉強したい事は経済です。大学を卒業したら経済の勉強を生かして、沢山の仕事をしたいと思い描いています。
しかし、今一番大切なことは勉強する事だと思います。全力で勉強して、よい成績を修めたい・・・そう考えています。今年は高校最後の年ですので、卒業試験が有ります。その卒業試験でよい成績を取りたいです。
金原さんから奨学金を受けるニャット君
次に皆様の事をお尋ねしたいと思います。
皆様お元気ですか?仕事は順調に進んでいますか?皆様が何時も楽しく過ごせる事を願っています。私は元気です。家族の為に何時も元気でいなくてはならないと思っています。
私と私の家族を支援して下さり本当に感謝しています。私にとって皆様の支援は大きな励ましです。皆様のご期待を裏切らないように、しっかり勉強をして良い成績を修めたいと決意しています。
ストレス解消の為にも、お母さんの仕事を手伝います。皆様ともう一度お会いしたいと思っています。皆様、ベトナムへもう一度いらっしゃいませんか? ベトナム人はお金持ちでは有りませんが、心が有ります。ベトナムへ来たら皆様は大歓迎されると思います。
是非もう一度いらして下さい。そろそろ終わりにしたいと思いますが、もう一度皆様の仕事や生活が順調に行くことを願っています。私は勉強を頑張って、そして独立して役に立つ事を誓います。
皆様と同じように良い人になって、貧しい人を助けられるよう頑張りたいと思っています。本当に有難うございます。
皆様お元気ですか? 皆様にお会い出来ることを願っています。お会いしたいです。支援隊から奨学金を頂いて、沢山の励ましを頂戴しました。そして頑張る力も与えて頂きました。
学校の友達には、日本人の優しさ、親切さ、人を愛する心について話をしました。そして友だちには、あの時下さった富士山の写真を自慢して見せました。友だちは皆、日本の素晴らしさと日本人の事を感心してくれました。
私の故郷はとっても貧しいです。両親は二人とも軍人でした。兄弟は5人です。女三人男二人です。しかしお兄さん二人は枯れ葉剤の影響を受けて普通の生活はできません。全ての事は誰かにやってもらわなければなりません。私が中学二年のとき兄が一人亡くなりました。
家族は少しの水田を耕作しています。両親は戦争の時負傷しています。しかし両親は私を養うのに一生懸命です。生まれつき障害を受けている子供達を悲しく思っているようですが、それにもかかわらず負ける事無く私達を養って、教育も受けさせてくれています。
両親を悲しませないようにしようと考えています。そして自分自身何時も願っていることは、早く大人になって家族を助けられるようにしたい、そして、何時か日本に行ってみたい、ということです。
日本人はとっても親切な人たちだと思います。
あまり長く書くと皆様の貴重な時間を潰してしまうので、ここで終わります。
最後に皆様のご健康と仕事が順調でありますように、そして今後意義のある活動を続けてくださる事を心から願っています。
特に名古良輔先生には感謝致します。皆様の素敵な笑顔を、今でもはっきり覚えています。近いうちにお会いできれば・・と願いつつ。
敬具
(静岡在住 ヴィンさん訳 2009.12.22 多謝)
しかし、誰が受益者になるかを決めることは、悪夢だ。個人でダイオキシン濃度を測定するのは、一人1,000ドルものコストがかかる。— ヴェトナム人には、そんな余裕はないという価格だ。ヴェトナム側は全人口の先天性欠損症を枯葉剤になすりつけるようなので、アメリカの交渉担当官と科学者はイライラが募っている。
外交官は、彼らが広範囲にわたる曝露と健康障害の主張を支持しないかもしれないので、ヴェトナムは認められた科学的研究法を使用する気はないと不満を表明して、数年前、会談を打ち切ったことがある。彼らは、ヴェトナム側がもっと自助努力をすべきだと不平を述べた事がある。ベトナム人が汚染地区の周辺に塀を建設するのを止める者など誰もはいないと、あるアメリカ外交官は指摘する。(北村註:上のオレンジ色の文章を指している)そして、ベトナム側はこの問題をより多くの援助と同情のために利用しているとほのめかしている。
上の写真は、ホーチミン市のトゥーズー病院に保存されている奇形胎児。 ある若き女医さんが、研究のためと、後世のためになると、せっせと集めたものです。その収集の大変さと保管の苦労について、彼女はほとんど封印したままです。ほんとうは、もっと数が多かったのです。なぜ?という純粋な医師の心で、足を運んで集めたものなのです。同病院の医者は、戦争中のエージェント・オレンジの使用が、高い奇形の発生率を生んだと指摘しています。
今回は、12月19日付けのタイム誌の記事を引用します。完全ではないですが、いろいろの考えの違いを浮き彫りにしています。
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エージェント・オレンジの毒 ヴェトナムの新世代をも脅かす(上)
アメリカが放棄したダナン空軍基地の孤立した一区画は、かつてアメリカの空軍兵士と兵器で埋まっていたところだ。オレンジ色のストライプが付けられた巨大なドラムス缶が保存されていたのが、そこである。そして、ドラム缶の中に詰められていた除草剤は調合されて、待機中の飛行機に積まれた。外へはねたものは、土中にしみ込み、実際給水系統にまで入り込んだ。30年後に、この旧米空軍基地を訪れた珍客には、ゴム長と防護服が与えられている。敵(北村註:北の軍隊、解放戦線部隊を指す)の軍隊から天蓋のジャングルを剥ぎ取るために撒布されたエージェント・オレンジは、猛毒のまま残留しており、この一区画はベトナムで最も汚染された不動産と考えられている。最近の研究では、終戦後30年たってさえ、発癌性ダイオキシンは、安全基準の300~400倍高いことを示しているのだ。
何年も会議を重ねた末、調印をし、マスコミ向けのポーズを取って、アメリカはエージェント・オレンジの暗黒の遺産を継続して管理する姿勢の一環として、12月16日にヴェトナムで、もう一つの式典を開き、もう一つの覚書に署名した。それでも、不満はある。 —もし 何かあるとすれば — それは最も汚染されている土地を浄化は、まだ何もなされていないということだ。2007年以来、アメリカ議会はヴェトナムでのエージェント・オレンジ対策費として、合計600万ドルを割り当てた。その金額は、問題の表面を掘り始めたり、国中の何トンという有毒な土壌の除去作業を始めるためだけでなく、その資金がどのように費やされているかという疑問がある。そして、いくつかの団体も、お金は、新世代のダイオキシン曝露防止対策を実行するよりも、むしろ、そもそも問題を調査して、コンサルタントを雇用するためのものであると認識しており、不満を募らせている。
「あの地域に住んでいる人には、依然として危険がある」と言うのは、バンクーバーに本社を置くハットフィールド・コンサルタント社のトーマス・ボアヴァン社長だ。同社は、1994年以降ヴェトナムのエージェント・オレンジ汚染の確認と測定を行ってきた環境調査会社だ。良い知らせは、たとえば、南部ヴェトナム領土の10%にもダイオキシンが撒布されたとしても、ほんの一握りの重度の汚染地区―そのすべては枯れ葉剤を調合し貯蔵していたアメリカ軍の軍事施設である―だけが人体に危険となっているだけだ、ということを、ハットフィールド社の研究が 示しているということだ。悪い知らせ? 「もしそれらがカナダやアメリカにあったなら、彼らは即時の除去作業を要求するだろう」と、ボアヴァン社長は言った。
アメリカは援助の支払いを故意に長引かせているという不満に答えて(北村註:この件は以前のブログでも報告した)、駐ヴェトナムのマイケル・ミカラク米大使は、ハノイで調印式の後で次のように語った。「ごく最近ダナン空軍基地の環境アセスメントを実行するために割り当てられた170万ドルは、アメリカとベトナムの法律を遵守して使用され、汚染地区の浄化に対する必要な一歩である。我々は、多くの有望な技術を調査中である。正しい方向で仕事をするためには、注意深い研究が必要である。我々は、ダイオキシンが土壌の中にあるということは知っている。しかし、それを取り除くために、どんな方法を使用すべきか?作業員に どこを掘れと指示するのか? それは、過程の中の次の段階だ」
しかし、アメリカを批判する人たちは、潜在的に高くつく訴訟を避けるために、人々の死を待っているのだ、などと言って、アメリカが厳しい待機戦術をしていると思っている。現在2つの戦争に携わっている国にとって、戦時損害賠償に対する包括的な責任を認めることは、高価な先例を作りかねない。「彼らは、問題が何であるか、そして、それがどこに横たわっているか、分かっている。なぜ、彼らはいま環境影響評価を必要としているか?彼らは、死ぬほどそれについて勉強しているのだ」と、チャック・サーシー(VVMFヴェトナム退役軍人記念財団アメリカ代表)は言う。
科学者は、1960年代以降ダイオキシンについて警報を出していた。TCDD(エージェント・オレンジの中のダイオキシンのこと)がガンと先天性欠損症を引き起こすとわかったあと、米環境保護局(EPA)は、1979年に除草剤使用の緊急禁止令を出した。エージェント・オレンジの最大手メーカーであったダウとモンサントは、結局、それが1961年から1971年まで戦時中の枯れ葉剤として使用された間、エージェント・オレンジに曝露した米兵に、損害賠償として数百万を拠出した。アメリカ政府は、ヴェトナムで従軍した元兵士に、障害手当てとして、毎年、いまだ数10億ドルも払っている。 —それらの支払いには、ダイオキシン関連のガンからの苦しみと先天性欠損症に苦しむ多くの二世が含まれている。そして、この10月に、復員軍人省は、白血病、パーキンソン病、稀有の心臓病をエージェント・オレンジ関連の健康障害リストに加えた(北村註:以前のブログに掲載済み)。それでも、米政府当局者は、枯れ葉剤に曝露した何百万ものベトナム人とその子どもの間に、枯れ葉剤が健康障害を引き起こしたという決定的証拠はないと主張している。(つづく)