2006-04-07

山口元のふぉとぎゃらりー

2005年10月の愛のベトナムさわやか支援隊ツアーに参加してくれた山口 元さんが、ツアー中に撮影した写真から厳選して送ってくれました。山口 元さんの”ミニ個展”です。改めて映像の訴える迫力を感じます。 山口さんは、現在アメリカのカレッジに留学中で、写真の勉強をされています。ご成功をお祈りします。


(copy right:Gen Yamaguchi) タインホア省孤児センター


(copy right: Gen Yamaguchi)ハノイ:タインスアン平和村で


(copy right: Gen Yamaguchi)ハノイ:タインスアン平和村で


(copy right: Gen Yamaguchi)ハイフォン市の枯れ葉剤被害者グエン・ヴァン・クイさん宅で 手前長男グエン・クアン・チュン君(被害者2世)と祖母


(copy right: Gen Yamaguchi)タインホア省孤児センターで


(copy rihgt: Gen Yamaguchi)ハイフォン市の被害者ヴー・ヴァン・グエン宅で

2006-03-10

車いす贈呈のご報告です 

 久しぶりの情報です。あまりにも多忙で、頁を作成することができませんでした。

 昨年の10月、愛のさわやかベトナム支援隊がベトナムを訪問して、皆様の浄財で購入した車いすですが、フート省で枯れ葉剤被害者・障害者の方々にお贈りした残り3台分の車いすの配布先が分かりました。日本ですと、通信事情がよくて、すぐ伝わってくるのですが、ベトナムでも首都のハノイからわずか70キロのフー・ト省でも、通信連絡は大変です。
 
 そのうえ、こういう被害者の方々の面倒を観てくださっている方々に交通手段がありません。時間をみつけては、仲間のところにバスでいく、あるいはバイクでいく。訪問先に電話がありませんから、事前になかなか連絡をつけにくい。そういう事情を、ご賢察頂きたいと思います。人のために走る方々のご苦労は大変です。いつも、私は頭がさがるのです。

 フート省の車いす残り3台の配布先のご報告。フー・ト省女性兵士連絡幹事長のトーさんからです。

1台目。贈呈日2006年3月8日。ゴ・ティ・フオン・トゥイ(Ngo Thi Phuong Thuy)さん(女性21歳=1985年生まれ)に。Thuyさんのお父さんは、中南部戦場で戦闘中に、枯葉剤を浴び、生まれた娘のThuyさんはその影響を受け、足が変形して歩けない状態です。Thuyさんのお母さんは、元チュオンソン女性兵士ではなく、普通の町工場で働いている女性従業員です。Thuyさんは今、ご両親と一緒にヴィエ・チ市(住所:Khu3、thon Huong Tram, phuong Dieu Lau, thanh pho Viet Tri)の実家に住んでいます。

2台目は、チュオンソン元女性兵士のご主人で、両足を失った傷病兵のThangさんです。フー・ト省のトーさんが、チュオンソン山脈元女性兵士についてのテレビ特別番組に出演するため、ベトナムテレビ局の撮影の時に、画面の中で贈呈してくれました。3月19日のことでした。Thangさんの住所・詳しい病状については後日報告させていただきます。

3台目。 3台目は、枯葉剤の被害者であるチュオンソン元女性兵士のキエムさんという方にお渡しする予定でした。この方は、ヴィエ・チ市から50キロも離れたフー・ト省のはずれのトゥエン・クアン省との州境に近い所に住んでいて、なかなか連絡がとりにくい方です。

 車いす贈呈のお話を白紙に戻さざるを得なくなりそうです。と、申しますのは、車いす贈呈でご家族に連絡を取って頂きましたら、その方は「もう余命いくばくもないため、車いすを頂いても無駄になってしまいます。他の必要としている方にお渡しして下さい」という痛哭のお話を頂いたからです。

 フー・ト省旧女性兵士連絡会のトー幹事は、正確な病状、病名を把握していません。脳に関係する病気ではないか、とトーさんは記憶しています。トーさんが4年前に、自宅まで見舞いに行かれたようです。その時すでに、その方はもう移動が困難でになっていたそうです。先週その方のご家族と話したところでは、キエムさんは容態も重く(しかし、どのくらい重いかは不明です・・とトーさん)、闘病の体力も無くなり、いつ向こうの世界に行ってもおかしくないと判断していているそうです。

 トーさんの話では、以前、「枯葉剤の被害者に認定してもらうために検査を受けさせてくる、とご家族から聞いていましたが、その結果はどうだったかはわかりません。もし認定されれば、毎月枯葉剤被害者の手当てをもらうことができますが。キエムさんの他の家族にも長い間患っている難病の人がいて、その人を養わなくてはならず大変らしい、と聞いています」とのことです。

 患者さんご家族のあまりにも素直なお気持ちだけに、一層胸が痛みます。正直なベトナム人のお気持ちを痛いほど感じます。少しでもご長命であられますように、私ども愛のベトナムさわやか支援隊は祈っています。次回訪問時に、お目にかかれるといいなと思います。

 因みに、ヴィエ・チ市のもとは、1954年にフランス軍を破って、北ベトナムに最初に作られた工業都市です。1962年にベトナム政府は、ヴィエ・チ市を創立したのです。

 来週その方の妹さんの所に電話して詳しく聞いてからまたご報告します。なお、この件では、ハノイのマイ(日本に長く留学していた)さんに、大変お世話になっています。感謝します。

 以上、フー・ト省関係の3台の贈呈に関するご報告でした。(文責:北村 元 アップデイト2006・3・13)

2006-02-14

すべての被害者に正義を

今年は、さらなる正義の闘いを
前進させよう!!!

グエン・チョン・ニャン枯れ葉剤被害者協会副会長(元保健相、前ベトナム赤十字社総裁、博士)から、本日お手紙を頂きました。

ベトナムでは、3月28日ー29日の二日間、枯れ葉剤被害者の正義を求めて、国際会議が開かれるそうです。
参加国は、地元ベトナムはもちろんのこと、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、そして、カナダも参加の予定とのこと。 これから、準備です。

と書かれていました。

そして、昨日(2月13日)、大阪からきた代表団とお会いになったそうです。小生の本を、代表団に見せてくださったそうです。「貴兄のことを知っている人もいました」と、書いてありました。代表団は協会に10万円の寄付をされたそうです。

ニャン博士 お手紙ありがとうございました。
国際会議のご成功を心よりお祈り申し上げます。

とにかく、今年も、少しでも被害者の生活環境向上のために、共同闘争をしたいと思います。そして、博士初め、被害者協会の方々の尊い闘争を、私たちは支援していきたいと存じます。


上の写真は、昨年ハイフォン市で亡くなられた、グエン・ティ・カインさんという被害者です。昨年10月、我ら支援隊は、ご自宅までお線香をあげさせて頂くため
に伺いました。
カインさんのように、何の救済も受けずに亡くなっていく方が多いです。生前、「私は、父より先に逝くかもしれません」と、私に話していました。被害者には、研ぎ澄まされたように、先がみえるのでしょうか? 現実となってしまいました。

北村 元
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2006-02-09

中学生三人 支援隊訪問

2006年2月7日 沼津市立沼津高等学校
中等部(渡邉 勉校長)の三人の生徒さんが、わが支援隊(三島市谷田夏梅木)を訪問されました。訪問して下さったのは、江川朋美さん、小川明華さん、福田悠さんのかわいい生徒さん三人です。

わが支援隊とベトナムの現状に関心をもって下さり、ほんとうにありがとうございました。

私どもの方からは、会長の大釜一男(会長)
、大釜芙美子(副会長)、櫻井恵美子(同)、宮尾和宏(事務局長)の4名が、お話をさせて頂きました。
江川さんたち3名は、学校のテーマである「世界の現状と、それについて私たちに出来るボランティア」を柱にして、事前に寄せられた質問などをされました。

江川さん、小川さん、福田さんが提出してくださった質問は、次の6項目です。
1)主にどのような活動をしていますか?
2)どうしてこのような活動を始めたのですか?
3)どうしてベトナムを支援しているのですか?
4)この活動には、どのような人が参加していますか?
5)今のベトナムの様子を教えてください。
6)私たちのような子どもにでも出来るボランティアはありますか?

私たちからもいろいろとお話をさせて頂きました。


 山口県出身の詩人、鈴木みすずさんの詩に「夢売り」があります。その中の一節でこう謳っています。
そしてやさしい 夢売りは、
夢の買えない うら町の、
さびしい子等の ところへも、
だまって夢を おいてゆく。


 自分だけではない、皆が幸せになれることが大事だと思います。まず、相手の人を思うところから、ボランティアは始まります。「何かをしてもらう」から、自分は他人と社会に「何が出来るか」への発想の転換。その気持ちが、質問の(6)に出ていると思います。そういうやさしい心が、苦しんでいる人を含めて共同体社会を光り輝かせていく大きな秘訣ではないでしょうか。
 平和と非暴力の真髄は、「相手の立場に立って、物事を見る、点にある」(アメリカの宗教学者ニコラス・ガイヤ博士)。自分が相手だったらどう思うか? どうしてほしいか? その視点が落ちると、暴力や紛争が起きるようになります。「相手の立場に立つ」 平和や非暴力は、こんなところから始まると思います。

上記生徒さん3名は、「福祉体験活動を終えて」と題して、感想文を送ってきて下さいました。

小川 明華さん

「先日は、私たちのために時間を割いていただき、ありがとうございました。おかげで、いろいろな学習をすることができました。

前までのベトナムと違い、町が発達しているということを聞き、私もとてもうれしく思います。でも、初めて聞くようなことばかりでした。枯れ葉剤被害者が440万人もいるというのも、初めて知る事実でした。こんなにも被害者を受けているのに、アメリカに勝ったというのはとても驚きました。それにベトナムでは、3000円(30万ドン)で、1ヶ月くらいは生活できたり、日本の1/10の値段で薬を買うことが出来たり、10円で何かが買えたりと、私たちには考えがたいことでした。このような国の人のためにも、私たちが協力してあげなければならないと、思い始めました。そして、少しずつでも、ベトナムが豊かになっていくことを願いながら、”小さなことからコツコツと”を目標にして、私たちの国だけでなく、他の貧しい国のことも考えながら、生活していきたいと思います。

江川 明美

「今回の福祉学の勉強の時、私たちのためにお時間を頂きありがとうございました。私がこの課題でお話を窺ったのは、ある本がきっかけなのですが、本の中では分からない本当のことや、今のベトナムの現状、私がするべきことがよくわかりました。そのベトナムの現状を知って、私は今の自分自身を見直すことができました。私たちはほとんど不自由なく生きていて、ベトナムの方々の気持ちが分からなくなっているのだと思いました。私たちにできることは、まずそういう国に行って現状を知るということだと教えて頂いたので、ベトナムに行きたいと思いました。そして、もっとベトナムのことを知って、それから支援という活動をしようと思いました。日本は不自由がなさ過ぎるので、少し不自由を味わった方がいいのかも知れません。世界は平等で、世界平和というのが、夢から現実になるようにしたいと、私はも居ます。「生きる」という気持ちが、ベトナム全体から感じられた気がしました。今回のお話を聞いて、ベトナムと日本の違いなどがよく分かりました。本当に、有難うございました」

福田 悠さん

「2月7日は、わたしたちに話をして頂き、ありがとうございました。支援内容を聞いたとき、私はかっこいいと思いました。本当に困っている人に、直接支援しているなんて、なかなかできないからです。でも、写真を見た時、とても怖くなりました。日本でもほとんど見られない「奇形」のあかちゃん。もしかしたら、にほんでも起きたかもしれないと知り、背筋がゾクッとしました。おカネの寄付だけでは治すことの出来ないベトナムの現状は、私たちにも関係のあることだと、改めて認識しました。

『現地に行って実際に学ぶこと』が私たちに出来るボランティアだと教えてくれました。そこには、自分では想像できない現実が待っているかもしれないけれど、私もいつか、会の皆さんと、誰かのために何かをするために、ベトナムに行ってみたいです」

今回のご訪問、そして、感想文をほんとうにありがとうございました。
ますます勉強に、スポーツに活躍してください。
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2006-01-29

河内点描2 テットの思い出

旧正月(テット) チュック・ムン・ナン・ムイ 

  私はベトナム・ハノイで旧正月を2回過ごしました。私がハノイに駐在した1995年からは爆竹が禁止されることになり、静かな正月で肩すかしをくらったような気がしました。しかしです・・・そこはベトナム人。人の目をかすめて爆竹をならして、捕まらないように足早に逃げる人が散見されました。ないと思っていた爆竹が近くで鳴ると、やはり驚くものです。今年から中国の春節でも、「民衆」の強い要望で爆竹が解禁になりましたので、早晩ベトナム全土で爆竹が復活するのではないかと予想しています。
 
  「ね」「うし」「とら」「う」・・・とくる十二支。ベトナムの十二支はひと味違います。「うし」は「水牛」になります。「ひつじ」は「山羊」に。「イノシシ」は「豚」になります。決定的なのは「兎」。ベトナムにくると、なぜか「猫」となります。
  私がハノイに赴任する時に、日本のきれいなカレンダーをもって行きました。当時まだ印刷技術のともなわないハノイでは、日本のきれいなカレンダーは人気でした。ある人にペットの犬のカレンダーをあげました。家内が早速、私に知らせにきました。カレンダーをもらった女性たちが、ワイワイ言って盛り上がっていたのというのです。普通、カレンダーをもらうと、どの月がわかいい、どれがほしいと言うものですが、彼女たちは、「どの月の犬がおいしそう、どれがまずそう」と話していたというのです。犬肉をベトナム語で「ティッ・チョー」といいます。それから、ベトナム人に犬のカレンダーのプレゼントするのは、止めました。今年は、戌年。戌年の旧正月、あれから12年。私にはこういう思い出がありました。

  テットを祝う花は、ベトナム北部では桃の花、南部ではホアマイ(梅)というきれいな黄色い花ですが、これは梅ではなく熱帯の花です。ハノイのみならず各地では、テットの時期に合わせて花市が開かれます。グラジオラスも売られます。真剣に品定めして、かつしっかりと値引き交渉をして、交渉が成立するとにんまり。値引きの交渉は、大まじめ。時として、売り手と買い手で口喧嘩が始まります。こんな真剣な表情とやりとりは、普段では滅多にみられません。そして、みていても飽きません。ベトナム人の真剣な顔をみるなら、是非テットの花市へと。申し上げたいのです。そして、自転車やバイクに乗せたり、シクロに乗せて帰る姿は、風物詩としてはなかなか趣にあるものです。ああ、この人も、いろいろ値引きをしたんだろうな・・羽子板市のように、最後に「お手を拝借!」というのが無いだけです。 ベトナム外務省が私たちマスコミに贈ってくれる桃の生木は、とても贅沢な気分にさせてくれました。亡き母も、ベトナム外務省贈呈の桃の木をうれしそうに愛でていました。


 そして、テットが終わって、桃の木の花が終わると、この木をゴミの回収が来る日に捨てるのです。いつももったいないと思っていました。しかし、後できいてみると、この木は、すぐ植えると、そのまま伸びてくるのだそうです。そして、桃の木を拾って歩いて、それを植物を育てる人に売る人がいるのだそうです。すると、また次のテットの時には、見事に商品に生まれ変わるのだそうです。梅の木の生命力の強さと、ベトナム人の知識の豊富さには、驚きました。

  テトの前には、花の他、テト用の装飾品や赤いお年玉袋を売る屋台も出る。私の知りあいで、お年玉袋をしこたま売って、かなり収入をあげているご婦人がいました。むかしから、ベトナムでは、一見小規模と思える商売で財産を築いた人が、結構いるものです。

  テトが近づくと、ベトナム人家族は大変です。私の住んでいた町でも、正月料理の準備で休みの無い日々が続いていました。南北を通じて、正月料理に欠かせないのが鶏肉です。日本のおせちに匹敵する正月伝統料理は、豚の脂身を青豆の粉と餅米で包み、それをバナナの葉で包んで長時間蒸しあげた保存食「バインチュン Banh Chung」。日本のちまき(粽)に似てはいますが、違う物です。何日も前から仕込みをし、そして大晦日の前々日などは夜を徹して煮込みます。その働く姿は、とても感じ入るものでしあ。テトの間中、これを食べ続けるそうです。最近は、そういう伝統も薄れつつあり、バインチュンを作る家も少なくなってはきましたが、それでも、出来合いのを買ってでも家におく人もいます。 近年、おせち料理を日本人が買うのと同じです。

  私は、ハノイで初めての旧正月。新年の挨拶にまわりました。いや、驚いたのは、どこへ行ってもバインチュンが出てくるのです。餅米ですから、胃に重いのです。三軒目から、断るのに苦労します。そうすると、包んでくれて、持って帰れというのです。4ー5軒回る頃には、売るほどバインチュンが手元に集まり・・・どうしたもんかと思案したものです。確かに、食べてみると、、家毎に味がちがいます。それぞれの家庭の味が出ているようです。しかし・・・・・これを食べ尽くすのは辛いです。バインチュンのハシゴは、胃の負担を増します。

  通常、正月の一日目。きれいな服を着て親戚筋を訪問したりします。村によってはお祭りもあります。歌のコンテスト。闘鶏。人間将棋。これにも、ギャンブル好きなベトナム人は賭けます。寺は大にぎわい。当然、経済的な幸運を祈ります。二日目。親しい友人を訪ねたりします。恋人募集中の人は、近所の湖に出かけたりします。三日目。教師、教員、友人、会社の仲間を相互訪問します。「商売繁盛、あるいは仕事が順調にいきますように、そしてあなたの家にお金が水のごとく流れ込みますように」と祈って訪問した家を去るのです。すべては、カネ。カネが大事な社会です。

  「テット」は、「節」からきています。テットとは、ベトナムではテットの半月以上前から完全に仕事は浮き足立ち、テット後も1ヶ月は回転しにくい状態をいいます。ベトナム全土が完全思考停止状態になります。口の悪い連中は、テット後3ヶ月は動かないといいました。旧暦によるために、毎年、テットの日は変わります。2月半ばのこともあります。勤め人はテト前の1日とテトの3日間乃至4日間、合計で4?5日間が休みとなる場合が多いですが、我が社では、同じ動かないならもっと・・と、早めにスタッフに休みをあげていたことを思い出します。(北村 元 在シドニー)