スプランデル氏はほぼ41年前に、サイゴンの20マイル南の、タン・アン軍用飛行場の戦闘従軍医として1年の”ツアー”を生き抜き、安堵して、南ベトナムを去った。今日、64歳になったスプランデル氏は、糖尿病と脚力がなくなる神経障害のため、車椅子を使用している。復員軍人省に障害請求を認めてもらうのに14ヵ月かかった。
彼には戦地を再訪したいという願望はほとんど湧かないが、はっきりと思い出すのは空軍基地周辺の川と小川の水は何もおかしくなかったと、スプランデル氏には自信があるということだ。「入浴のための巨大なタンクがあった。われわれはそれに浸ったり、タンクの水を飲んだ。彼らは、それが携帯用の水であると我々に話った」と、スプランデル氏は言った。
兵士たちはバーベキュー用の台として、トイレの汚水層として、シャワー用水保存タンクとして、普通にへージェント・オレンジのドラム缶を再利用した。しかし、健康リスクがあることは、一度も知らされていなかった。調査によれば、55ガロン入りのドラム缶には、5ガロンものエージェント・オレンジが残留していたことがわかった。
戦後まもなく、政府は、復員軍人がダイオキシン曝露による健康不安に直面しているという新たな認識に対応するように見えた。エージェント・オレンジの危険性について学ぶと、議会は即座に、枯れ葉剤曝露の健康影響を決定して、監視することを意図して、1979年に全面的疫学調査を命じた。
しかし、政府はその命令にたじろいだまま、まだそれを実行していないのだ。
ヴェトナムで従軍した女性兵士の初期の研究は、生殖の問題と第2世代の先天性欠損症だけでなく、数種類のガン発症のより高い危険性を仄めかしている。しかし、男性の帰還兵と同様、広範な研究はまだ完成していなかった。
一方、復員軍人は、ヴェトナムで使用された除草剤を生産したダウケミカル社、モンサントや他の化学会社に対して大型の集団訴訟を起こした。この訴訟は、1億8000万ドル支払うことで、1984年に和解となった。1988年から1997年までの間支給された最も一般の支払いは、精神障害のためであったが、それは、皮肉にも、研究ではエージェント・オレンジに関連していなかった。
法廷外の決着である和解は、しばしば論争の終了を暗に示す。しかし、この論争はこの25年で決着どころか大きくなる一方であった。合意の時点で、科学者は、ダイオキシンの長期の影響、特にガンや徐々に小さな研究で文書化されていく遅く発症する病気との関連性を完全には理解していなかった。
1998年に、弁護士は、何千もの復員軍人が枯れ葉剤と関連する病気を発症する頃には、和解金が完全に底をついたと主張して、枯葉剤を製造した化学会社を相手に新たな訴訟を起こした。そして、第2回巡回控訴裁判では、その主張を却下した。そして、最高裁判所は3月にこの裁判の審理を拒否した。
枯れ葉作戦のために名づけられたランチ・ハンド作戦の研究は、化学製品の影響を過小評価していると長い間く批判を受けてきた。もっと最近では、戦争中に使用された一部の枯れ葉剤は、かつて思われていた以上にダイオキシンに汚染されていたことを示す新情報が出てきた。
一昨年、アメリカ議会は復員軍人省に対して、その作業のために資金提供をするよう指示した。しかし、今までに、資金が利用できるようにはなっていない。(下に続く)
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