2007-07-10

訃報 グエン・ヴァン・クイさん 逝去

悲しいお知らせです。

ニューヨークで支持者と一緒に行進をするクイさんの写真を見つけたのは、7月5日。早速7月6日に、このブログで、6月に行われた第2回巡回裁判の記事を書いた。7月6日のことだった。

昨日(7月9日)、クイさんご逝去の報が入ってきた。

7月6日の記事は、虫の知らせだったのか。
ガンを二つとも三つとも患わっていると聞いていた。医者の話だと、いつ亡くなっても不思議ではないと。原告第2号になった理由は、「はやくきちんと書類を整え、話を聞かないと亡くなられてしまう」というのが、ベトナム枯葉剤被害者協会の全員の見方だった。

クイさんは、常に、義理の母に感謝していた。「面倒をみてもらって・・・」と。
そして、アメリカの連邦地裁で裁判が棄却になった時は、「次は私が行って、正義を訴えたい」と、情熱をたぎらせていた。
今年、6月、いよいよクイさんに白羽の矢がたった。私も喜んでいた。
アメリカで窮状を訴えたクイさん。(写真はハイフォン市の自宅で)
代表団の中で、重要な役目を担った。体は痛んだはずなのに、一度も苦情を言わなかった、という。自分のことを要求するより、いろいろな人を元気で受けていたと、聞いた。

使命を果たし終えたのか、帰国して10日あまりの七夕の日に、旅立たれてしまった。
1955年12月13日生まれのクイさん。普通なら、これからまだまだ社会貢献が出来る年齢だ。われわれは、クイさんを連れて行ってしまった枯れ葉剤を憎み、ダイオキシンを憎み、その製造者と使用者を憎む。

友人を失った悲しみ、肉親を失ったような寂しさが、私たちを包んでいる。サッカーの大好きな息子さんのために、私は大スターの写真をそろえて、スーツケースのぞばにおいてある。いつでも、クイさんに会いにいけるようにしてあった。

戦争ではコントゥム省のポコに行き、その後クアンガイ省に移った。
いずれも、枯れ葉剤の多く撒かれた地域だった。

私たちは、クイさんのご遺志を継いで、枯れ葉剤被害者のために正義を勝ち取ることが使命であり、苦しんでいる方々の支援に全力をあげていくことに邁進したいと思う。

クイさんのご冥福を心よりお祈りし、ご遺族に心よりお悔やみを申し上げたい。合掌。
愛のベトナムさわやか支援隊 一同 Posted by Picasa

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