2006-04-21

ベトナムの動く市場

商品を一杯積んだベトナム・ハノイの『歩くスーパーマーケット』。ハノイのどこでも見られる風景である。『歩くスーパーマーケット』は、天秤棒で担いで移動する場合もあれば、自転車に乗せたり、商品を入れた籠を手に持ちノン(日本の菅笠)をかぶって移動する人、中には、商品を入れた籠を頭に乗せて売り歩く人もいる。

なぜ、あなたはお店に買いにゆくのですか? お店の方からやってきてあげるのに!!と言わんばかりだ。メール・オーダーやインターネット・ショッピングは、ここではまだまだ先の話だ。

人が激しく行き交うハノイの早朝の喧噪の中に、いつもながらのありふれた姿がある。パン、野菜、ミカン、リンゴ、婦人の下着、トイレット・ペーパー、ドアマット、お線香、神棚に捧げる紙の供え物。中には石炭、などを売り歩く。やがて、早朝の時間が過ぎると、物売りの姿は、プラスチック製品、陶器、布団、卵、花、ゴザ、すだれ・・等に変わっていく。選択には困らない。

多くの売り子が、一日何回も同じ道を歩く。巡回といった方がいい。縄張りがあるのかも知れない。もっと特別な物、例えば、鹿の枝角とか帽子の行商人は、買い手を求めてより広い範囲を売り歩くので、それほど頻繁には来ない。商品を積んだ自転車は、道路でよくひっくり返る。それは単純に、1回の出動で、たくさんの物をうるために積載荷重となるからだ。

買いたい物を売る行商人が来た時は、「エム・オーイ」と言えば止まってくれる。一番買いやすいのはパンだ。2千ドンとか3千ドンで買える。他の物を買う時は、値段の交渉をするのが普通だ。

パンの利益はほんのわずかだ。行商人の売上げ利益は、一日平均で2万5千ドンからそんなものだ。恐ろしく利幅の少ない仕事なのだ。それを値切るのは心苦しいものがあるが、売り子が外国人だと足下をみることもあり、ふっかけられてはいけないと、こっちも必至になってしまうこともある。

利幅が少ないうえに、行商人の多くはハノイの近郊から出かけてくる。多くの場合、自宅の農業の副収入として欠かすことの出来ない収入である。だから時として販売するものは、自宅の農家で出来たものであったり、自分の手作りの物であったり、ハノイ近郊の夜の市場で安く買ったものを転売するのである。

歩く市場の歴史は、1010年に誕生したハノイと同じくらい古いと言われる。ハノイ市は、都市を取り巻く村々の中で成長拡大していった。それらの村は、村毎に特徴を持ち、その特徴はいまも失っていない。やがて、それは住宅街と商業地区にわかれていくのだが、陶器、竹細工、衣類、薬草などを売る区域がハノイ城の中に出来上がっていく。

これらの特徴をもった区域は、いまでもフォー・フオン(Pho Phuongハノイの旧市街)に見られる。竹屋通り、紙屋通り、鍛冶屋通りなどである。さらには、チャン・カム(Chan Cam)という所は弦楽器を売り、ハン・バック(Hang Bac)は銀製品を売り、ハン・チウ(Hang Chieu)はゴザを売る、といった具合だ。炭を買おうとするならハン・タン(Hang Than)に行けばよいのだが、なんと時代の移り変わりで、ハン・タンではウエディング・ケーキを売るようになってしまった。黒い物から白い物に、商品が変わってしまった。

移動市場が未だに絶えないのは、人々が自分の店や仕事場を管理しなくてはならないからだ。ショッピングの時間が少ない事が挙げられる。そして、もう一つの理由は、ベトナムの伝統的な建物の構造と生活習慣による。ベトナムの建物では、三階建ては少ない。最近でこそ3階建ては多くなってきたが、多くは、細長く奥行きが深い。

居間と台所は、大抵のばあい道路に面した地上階にある。気候が暑いのと狭いスペースのため、生活はすべて横丁の通りか表通りに面した所で行われる。それが故に、移動市場の行商人が客と接触しやすかったのである。

しかし、残念なことに、行商という商売の形態に
は先がみえてきた。都市の人口が増えて、高層の建物が増えてくると、都市での歩く市場はそう長くは続かないだろう。だが、当面は、軒先で待っていれば、移動市場はどこかからか来て、どこかに去っていく。欲しい物が来るまで待てばいいのだ。あなたが急いでさえいなければ。

お急ぎの方は、スーパーに行けばよい。その代わり、袋やバッグ類は持って入れない。それがいやなら、市場に行けばよい。急ぎでなければ、「歩く市場」は、確かに便利なのだ。

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