2010-01-14

トリビューン紙パート3(中)

パート3の(中)は、初期に警戒信号が出ていたことと、枯れ葉剤被害で矛盾する主張が
報告されています。
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初期の警戒信号があった
戦争中、若手の産婦人科医として、サイゴン(現ホーチミン市)で、ヴェトナム最大の産婦人科病院、ツーズー病院で、グエン・ティ・ゴック・フォン博士は、何百人もの健康な赤ちゃんを取り上げた。
その後、アメリカ軍が何百万ガロンも除草剤の使用を拡大した2年後の1968年に、ゴック・フォン博士は、自分が脳か脊髄なしで生まれた赤ちゃんを取り上げたと言った。
次の数月に、彼女は同じような重度の奇形児を週に3~4回、内臓器官が対外に出ている子ども、両手の無い子、足の無い子、無眼症の子を何十人と取り上げたと、彼女は言った。
「それは、私と私の同僚にとって、息が止まるようなことだった。最初のケースは、私の当直の日に起こった。私は母親がショック状態になるのではないかと思って、その母親にみせなかった。しかし、父親と他の家族は見たいと言った。そして、それは恐ろしい姿だった」と、彼女は涙を拭いながら、声がうわずった。
ついに、彼女は友人のところへ話をしにいった。その友人がサイゴンの新聞の1社に寄稿したのだ。ヴェトナムにおけるベトナム戦争に関連した先天性欠損症の話が、やがて出始め、今日も続く激しい論争に火をつけた。
ザーライ省プレイメの特殊部隊基地1965年

(上はプレイメの米軍特殊部隊基地。1965年10月19日、北ベトナム軍は同特殊部隊基地を攻撃。イアドラング渓谷の戦い口火となる。攻防戦では、1965年に沢田さんを含む数人のジャーナリストが 戦闘に参加。共産軍に機銃射撃した。正確な月日は不明。【小史】9月 北ベトナム正規軍の第32、33、66師団が、ホーチミン・ルートを使ってカンボジア国境から侵入。国境から東に向かって下るイアドラン渓谷に進出。国境から11Kmのプレイメに米特殊部隊が基地を構えていた。北ベトナム軍はプレイメ後方のフォーチュン山地に拠点を構築する。
10.19 イアドランの戦いが始まる。北ベトナム第33師団がプレイ・メの特殊部隊基地を攻撃。第32師団はプレイ・メ北方でプレイクへの道を遮断。戦闘は35日間にわたる。北ベトナム軍が撤退し、いったん終了。)

国立衛生研究所の研究で、一部の合成物に含まれる化学物質が実験動物で先天性欠損症を引き起こすことが明らかになった後の1971年、米軍はランチハンド作戦という枯れ葉剤撒布計画を中止した。その後まもなく、米国の軍医総監は、2,4,5-Tの国内使用を停止させた。その後、その2,4,5-Tは、高度に危険なダイオキシン、TCDDに汚染されていることが広くしられるようになった。

人間と動物の脂肪細胞に付く悪魔のような毒素、TCDDは、何十年も体内に残る。科学者は、ひとたび体内に入ると、それはAhレセプター(AhRとも書く。それは、それから、潜在的にガンと他の疾病に至る細胞成長に影響を及ぼす一連の分子現象を引き起こす)と言う名の受容体である細胞タンパク質と結合する、科学者は考えている。研究者もダイオキシンの衝撃がそのレセプターに与える影響は、遺伝子制御を変えることができ、人間のDNAの変化につながると仮定している。

遺伝子と環境の複数の要因は、人間のTCDDに対する反応に影響を及ぼす。そして、健康への影響は、遺伝子の性質、曝露の方法と量、及び研究者が完全に解明していない他の要因に依存している、科学者は言う。

先天性欠損症の場合、何十もの実験で、TCDDに曝露した実験動物が、危険に影響を及ぼす服用とタイミングで、より高い確立の先天性欠損症で生まれることを示している。科学者は、人体において、曝露と欠損症の間になんらかの相関関係を見つけたが、まだ因果関係を証明するまでには至っていない。動物の研究では、TCDDが精子を腐敗させて、胎児の成長を制御するホルモン類と干渉しあって生殖に影響を及ぼすことを示唆している。

2003年にアメリカ復員軍人省は、40年前にフォン博士が遭遇した最初の奇形、無脳症を含めて、先天性欠損症18例のいずれかに該当する場合、女性のベトナム退役軍人の子供たちに障害補償を与え始めた。

男性の退役軍人の子供に補償されているのは、脊椎披裂という1つの欠陥だけだ。これは、脊柱の若干の脊柱が完全に形成されていない状態で、麻痺、脳髄液や腸の管理問題と学習障害を含む多数の困難につながっていく。

いかにして、またなぜ先天性欠損症の子供が生まれてくるかを解明することは、痛々しいほど複雑怪奇のままだ。複数の要因がからんでいるが、その多くは分かっていない。不可能ではなくても、1人の罪人を孤立させる仕事が困難なのだ。

しかし、明らかになりつつあることは、曝露してTCDD(科学者はそれをpptという単位で計測するが)の量を追跡調査されている人々 ― 特に女性には、先天性欠損症の子供を産む高い危険性があるということだ。


矛盾する見解
                    
ヴェトナムのエージェント・オレンジの影響をめぐる論争は、両国で科学と政治、悪感情に満ちた感情問題と頑固なまでの仮定の十字路に立っている。

先天性欠損症は、相違する意見の中でも最も感情的な部分だ。一部のベトナム人は、奇形で産またほとんどすべての子供が、エージェント・オレンジの犠牲者であると主張する人もいる一方、どんな先天性欠損症に対して枯れ葉剤に責任があるというなっら、その決定的な証明をだせと、アメリカ政府当局は言い張る。

2004年から2007年までヴェトナム大使を勤めたマイケル・マリン氏は、こう言う。「ベトナム当局、中でも特に地方レベルでは、これらの先天性欠損症の全てを一緒くたにして、エージェント・オレンジに関係があると話す傾向がある。同時に、私はアメリカ側が十分な意欲でこれに取り組んでいるとは思っていない。それを扱うことは、政治的毒物なのだ」
ベトナム側は、枯れ葉剤の大規模な影響の証拠として、ネイチャー誌に掲載されたコロンビア大学ジーン・ステルマン名誉教授の研究を指摘する。その研究によると、ベトナム戦争中に、210万~480万人のベトナム一般市民が化学物質に曝露したと推定した。

未だに、一部の米政府当局者は、枯れ葉剤がヴェトナムで広範囲にわたる先天性欠損症を引き起こしたという告発を、乏しい科学的な証拠に基づいた中央統制の宣伝作戦として見ている。

「我々は、ベトナム政府が、どんな形であれ、は広範囲の深刻な健康問題 ― 特に先天性欠損症と精神遅滞に対する責任は、エージェント・オレンジ/ダイオキシンにあるという20年来の長い宣伝運動の信用を損なうような研究を決して許可しないと信じる」と、2003年のハノイのアメリカ大使館のメモにある。

米政府当局者は、栄養失調、妊婦のヨウ素の欠乏、アルコール中毒さえも、先天性奇形の高い率の可能な原因として指摘する。

議論のある政治的な悪口の多くは、トゥーヅー病院で聞かれる。そこには、最もすごい奇形をもった子どもたちの面倒をみている。れている。多くは出生時に捨てられ、障害を克服するために物理療法と他の治療を受けながら、勉強して、遊んで時を過ごしている。

病院とそこで治療を受けている子どもたちは、長引くエージェント・オレンジの影響の象徴になった。たとえ彼らの良心が曝露したのか、いかにして曝露したのか、多くの場合ほとんど知られていなくても、である。

1968年に、フォン博士と同僚は、生き残れなかった何十もの胎児と奇形児を集め始め、トゥーヅー病院内のホルムアルデヒドの入っている大きなジャーの中に保存した。ここでも、奇形を引き起こした確たる証拠が不足しているにもかかわらず、除草剤についての外国報道では、しばしばジャーの映像が特徴となった。

トリビューン紙が海外でインタビューを行った結果、露出の実証は困難である、あるいは、事実からは直接の曝露はありえないという時ですら、一部のベトナムの市民は、迅速に健康障害は枯葉剤のせいにすることは明白だった。(註1:この記事については、私見を最後に付記した)曝露したと言っている一部の人の中には、撒布活動が終わって相当経過した後まで、軍隊に入っていなかった人もいる。他野人は、ほとんど撒布が行われなかった地域で活動していた。

それでも、トリビューン紙は、トゥーヅー病院やベトナムの他の場所でも、科学がダイオキシン曝露に関連と決めた先天性欠損症や疾病に苦しむ多くの子供たちに会った。多くの場合、戦時中の飛行撒布任務に関するデータは、除草剤に曝露したという彼らの両親の話と符合していた。
                                  
(註1:この記事の状況に似た現場には、私は何回も遭遇した。枯れ葉剤の情報がほぼすみずみまで流布した結果、支援を受けたいという人の気持ちがストレートに出てきて、枯れ葉剤と結びつける。その人の話をようく聞いてみないと、矛盾点を見つられない危険性がある。だが、一方で、例えば、当時北ベトナムの最南端の省はクアンビンであり、南ベトナムの最北端の省は、クアンチ省だった。枯れ葉剤撒布飛行は、クアンチ省を越境して撒布していないことになっているが、クアンビン省で従軍していたある女性は、完全に枯れ葉剤が原因としてしか思えない症状を呈していた。越境撒布飛行は完全に無かったとは断定できない。人から話を聞いて軽々に判断することは、極めて難しいことであり、調査が必要になる。:北村)。
(パート3(下)に続く)Posted by Picasa

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