2009-06-30

パリで開かれた良心の裁判(3)

ニャンザン紙の記事3回目は、3人目の証言者、元南ベトナム政府軍のマイ・ザン・ヴーさんの証言からです。
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マイ・ザン・ヴー(1937年生まれ)さんは、1974年と1975年に産まれた2人の息子は、健康で、普通に学校に通っていたと言った。
しかし、1980年に、長男が、異常な徴候を見せ始めました。
その後、子どもたちは、長男に続いて、10歳になると、次々と同じ症状を見せ始めました。最初は、彼らは歩けなくなり、そして普通のことも出来なくなって学校をやめました。そして、彼らの四肢は衰えて、徐々に曲がっていきました。最後に、子ども達全員は這ってしか動けなくなり、18歳で寝たきりになりました。
マイ・ザン・ヴーさん(撮影:北村)

息子たちは、すべて23歳か25歳で亡くなりました

長い間、ヴーさんは、この最悪の状態になった理由をしらなかった。ある時医者が診断をして初めて、本当の理由が分かった

南ベトナム政府軍時代のヴーさん
ヴーさんは、ヴェトナムには、これまでにも類似した悲劇で苦しむ家族がいくつかあり、財政援助も含めてあらゆる可能な機関・団体からの援助を必要としている、と参加者に訴えた。
体が曲がり始めたヴーサンの息子さん
ベトナムの被害者は、アメリカ政府と化学企業に対して、参戦と撒布に参加した責任を認め、ヴェトナムと共に、汚染された人々の治療、汚染地域の蘇生、重度のケースの手当、輸送や多の基本的な必需品の提供などを要求して、声を挙げている。
ヴーさんの3人の息子と母親
このほか、アメリカ、大韓民国とフランスの証人が、ヴェトナムの被害者がエージェント・オレンジの恐怖の結果からどのような苦しみを味わっているかを、映像を交えて紹介した。証人全員は、エージェント・オレンジ剤の恐ろしい結果は、痛みを目で感じるだけでは計り知れないと異口同音に話した。

エージェント・オレンジのベトナム被害者を支持する国際人による良心の裁判は、世論と国際良心の名において、民主弁護士国際協会(IADL)のイニシアティブで開かれている。この法廷は、国内や世界中の国々で正義を支持するすべての人々にその記録を提供する。

ニャンザン紙フランス特派員(カイ・ホアン記者 フイ・タン記者)
                          
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ニャンザン紙の記事はこれで終わるが、次回からは良心の裁判(4)として、引き続きお送りする。(続く)Posted by Picasa

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