2007-07-05

エージェント・オレンジは死なず

 ベトナム戦争が終わって30年以上が経つ。
 最近の科学的研究によれば、アメリカ軍の旧ダナン基地では、健康に有害な異常な高レベルの汚染があることがわかった。エージェント・オレンジの有毒遺産が、再び生き返ってきたのだ。いや、実は全く死んでいなかったのだ。


 最近調査を行ったトーマス・ボイヴィン氏は、「自分がいままで見てきたなかでも最高度のレベルだった」と語る。

「もし、これがアメリカやカナダだったら、大がかりな研究をし、洗浄を必要とするだろう」

 彼の会社、カナダのハットフィールド社による土壌検査では、エージェント・オレンジに含まれる高度の有毒化学物質は、国際許容基準の300倍から400倍の多いことが分かった。
 

 このレポートはまだ発表されていないが、ボイヴィン氏とベトナム側関係者は、中央集計をまとめている。
 

 ハットフィールド社は、1994年からベトナムで汚染調査を行ってきているが、これより以前の数々の調査では、ダイオキシン数値は、ベトナム全土で安全基準になったことを示していた。
 
 しかし、ダナンの旧アメリカ軍基地(空港)での調査が行われるまでは、同社は、6箇所の重度汚染地区に一度も調査の手を入れられなかった。その重度汚染地区では、エージェント・オレンジが備蓄され、ジャングルの木を枯らす目的で枯れ葉剤として調合されて、飛行機に積み込まれた場所である。

 この調査は、何年も合意が出来なかったベトナムとアメリカの間の、戦争の遺産の解決に向けた新たな精神に基づいた協力の産物である。
 

 昨年のブッシュ大統領のベトナム訪問で、ベトナムのグエン・ミン・チエット大統領とブッシュ大統領は、エージェント・オレンジの備蓄庫でのダイオキシン汚染にふれて、共同作業をすることで合意した。

 チエット大統領の訪米の際に、さらに詰めた話し合いが行われる予定だ。 ダナンの最高度の汚染地域は、エージェントオレンジ調合場所として850ヘクタールという非常に狭い場所に限定されている。


 ここのダイオキシンが、ダナン市のほとんどの地区の100万の住民やダナン国際空港に直接の脅威を与えているものではない。


 しかし、血中濃度の検査では、数十人にダイオキシン量の増加が認められている。これらの人々は、汚染地区にある池で魚をとったり、蓮の花を収穫したりしている。


 検査の結果では、雨が、ダイオキシンを、市の下水に押し流したり、10万以上の住民が住む近隣の地域に押し流していることも分かった。そのダイオキシン量はわずかに高いだけだが、もしダイオキシンが適正に封印されなければ、ダイオキシン量は増加する可能性がある。

 ハットフィールドの調査研究に財政的援助をしているフォード財団ベトナム代表のチャールズ・ベイリー氏は、「ダイオキシン量は、旧基地の外では劇的に減った。にもかかわらず、それは住民の健康の脅威になっており、危険である」と言う。

 アメリカは、汚染箇所の洗浄方法の技術研究に40万米ドルを拠出している。
 ニューヨークに本部を置くフォード財団も、ダイオキシンの臨時封じ込め対策に資金援助をしており、この対策は雨季の始まりを控えて北部の夏に開始されることになる。
 しかしながら、この対策は遅きに失した。

 グエン・ヴァン・ズンさん(38歳)と彼の家族は、1990年から旧基地の外側に居を構えた。

 ズンさんは、蓮湖で捕まえた魚を自宅に持ち帰っていた。彼の娘の脚は、2歳の時に、見るもあわれな変化を見せ始めたのだ。


 いま、彼女は7歳。名前をグエン・ティ・キエウちゃんという。彼女は、先天性の奇形をもって生まれた。脚、頭の形、飛び出しそうな眼球。右目は飛び出さんばかりに膨れあがっている。顔はただれたように赤くなっている。

 さらに、彼女の肩の骨は不自然に突き出して肌が突っ張っている。彼女には歯が2本しかない。

 彼女の向こうずねは、鋭角的に曲がってしまった。そして、何カ所かで折れているようにもみえる。まるで、トンカチで潰したように膝下はふくらみがなくなってしまった。
 
 脚がこのような状態だから、歩くことは出来ない。仰向けになって移動するのみだ。

 ベトナム人民軍は、ダイオキシンの封じ込めにいくつかの対策をとってきた。しかし、ベトナム資源環境省のレ・ケ・ソン部長は、「ダナンを初め、他の重度汚染地区を洗浄するだけで、4千万米ドルの費用がかかるとみられる。とても、発展途上国ベトナムが払える金額ではない」という。

 「われわれは、アメリカ側にもっと積極的に援助して欲しいとお願いしている。エージェント・オレンジの結果を調査するだけではなく、その結果を克服することもして頂きたい。この問題が解決するまでは、真の国交正常化がなったとは言い切れません」と。

 戦争中、アメリカ軍は、旧基地の積み込みステーションで、180リットル入りのドラム缶にエージェント・オレンジを貯蔵していた。そして、飛行機に積み込む前に水で希釈していた。
 その過程で、エージェント・オレンジはしばしば地上にこぼれた。土壌にしみ込み、沈殿物となった。そして、半減期は17から18年と言われていたが、数世代もそこに堆積し、触れた人に脅威となる。

 元アメリカ海兵隊員で、ベトナム・ベテラン・メモリアル財団チュック・シアシー氏は、「ダナン事業は、エージェント・オレンジに対するアメリカ政府の重要な変化だ。長期にわたって、アメリカ政府は、基本的にエージェント・オレンジの結果を否定してきたからだ」と言うのだが。

 右の写真。ダナンの自宅で車椅子に座っているのは、チャン・ティ・レ・フエンさん。

 近所の子が、硝子のない窓から覗く。 何歳? 8歳? 10歳。とんでもない。23歳だ。

 彼女の家族は、旧ダナン基地のすぐそばに住んでいた。枯れ葉剤認定患者としてベトナム政府からわずかな給付金と車椅子をもらった。

 すべてが、遅きに失した。”何で今ごろになって、アメリカは変化したんだ。無言でカネをだすのか。この行為が、無言のお詫びなのか。謝罪はないのか?”と問いかけたい。 Posted by Picasa

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