2006-04-17

四季の詩

ただ今 愛のベトナム支援隊ツアー募集中
(詳しくは4月12日号をご覧下さい)

 東アジアには、すばらしい四季の歌があります。
ベトナムにおいても、それは然りです。自然に溶け込んだ人びとの気持ちを謳ったものです。私は詳しくはありませんが、ベトナムの古典の詩にも、うつろう季節の人の動きを描いたものが多いようです。
 

 これらの中で、15世紀の女性学者ゴ・チ・ランが謳った四季の詩、16世紀のホアン・シ・カイ(Hoang Si Khai)が謳った四季の詩(トゥ・トイ・クック)は、格別有名なものです。が、現代の人の多くは知りません。マイさんによれば、ホアン・シ・カイさんはマック王朝の大臣だったために、ホーチミン市の通りにその名が残されているそうです。



太陽の下で暖かい空気が満ちている
宮殿も遺跡も黄金の光の中にかすんでみえる
柳の木々のカーテンのなかでウグイスが囀る
花の格子の上を蝶が舞う
家の戸口の影が長引く
緑の服から、少しの湿気と粉の香りが漂った
春とともにやってくる憂鬱さに気づかず、子どもは
象牙色した手すりによりかかり微笑む


風がザクロの紅い花を散らす
木陰で若き女性が何気なく揺らしているハンモックの上に
春を待ちこがれていたウグイスが翼を広げた
過ぎ去りし風景を思い出すかのようにツバメが囀る
針仕事をやめて、そっと彼女はあたりを見回す
絹のカーテンに彼女はぼんやりとして頭を寄せた
彼女の夢は遮られた:誰かが近づき、カーテンを動かした
まあ! もうリオ・タイ(1)まであの人に会いにいかなくてもよかったのだ


秋の気配があちこちに漂い、空は澄み渡り、空気は清浄なり
遠くからきた寂しげな野生のガンが、霧の到来を告げる
蓮の花は長い茎の上で枯れ果て、香りも翡翠の花瓶の中で消え失せた
三番目にみると、かんばの葉が冷たいゴ川の水に落ちた
蛍が青い欄干の上を飛ぶ
薄手のコートでは寒さをしのげない
笛の音が止まり、私は物思いにふけった
どこからやってきたのかフェニックス 私を不死の地へつれていくのだろうか?


香料の台に火を入れた 小さな銀製の箱だ
一杯の酒が朝の空気を暖める
雪の冷たさが明るいカーテンから染み込む
霜が水の表面を粗くする
その若き女性は、金襴の織物の中で隠遁の生活をおくる
窓の向こうで、光は紙で遮られた
しかし、春をそっと連れ戻すために
山の杏の木に、芳しいつぼみが開いた

中世ヨーロッパでラテン語が使われていたように、この詩は漢詩で書かれています。中国文化には、多くの暗示が含まれています。リオ・タイの守備隊にいる夫を想う妻。ベトナムのほとんどの大地には降らない雪など。
古代東洋の詩では、常套句を使うことを恥としませんでした。新しい作品の模範としてすらいたようです。
ゴ・チ・ランの詩には、女性の感覚を裏切るものがあります。
ゴ・チ・ランは、学者フ・トゥック・ホアインの妻でした。ハノイの郊外キム・ホア(現ソク・ソン=ハノイの北30キロほどのところ)に住んでいました。彼女の文学的才能を高く評価したのは、碩学の皇帝レ・タイン・トン(黎聖宗)でした。レ・タイン・トン皇帝は、彼女を王室の女性たちの教育責任者に任じたのです。
(註:リウ・タイは中国東北部のこと。夫が守備隊勤務についているリウ・タイにいくことを夢見て居る妻について、Tang の詩を暗示させている)

0 件のコメント: