トリビューン紙調査のパート5(最終回)では、アメリカ軍とヴェトナムで使用された枯れ葉剤を製造した化学会社による決定によって、撒布が予想を超える危険を伴った事を示す文書を掘り起こしています。
なかなか素晴らしい記事と思います。最終回の記事を、上下2回にわたって、ご報告したいと思います。
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アメリカ軍が1965年に南ベトナムへのエージェント・オレンジの噴霧を積極的に徐々に増やしていくにつれ、アメリカ政府と枯れ葉剤を製造した化学会社は、曝露した兵士や他の人への健康障害をもたらすということを知っていた。
その年、ダウケミカル社のメモは、エージェント・オレンジの中の汚染物質を、「皮膚障害だけでなく、肝障害も引き起こすと知られている最も有毒物質の1つ」と指摘していたのだ。
その化学物質が健康障害になるという証拠が募っているにもかかわらず、曝露の危険性は軽視された、と法廷文書と国立公文書館の記録を調査したトリビューン紙は書いた。
そして、撒布作戦は、さらに6年間続いた。
この俯瞰図は、戦争中にヴェトナムで散布された枯れ葉剤の持つ影響をしめるものだ。使用前使用後の状態が明確にわかる。左は、撒布される前のマングローブ林(撮影日不明)。そして、右は、1970年の同じ地域の上空からの撮影だ。この地域は1965年に散布されたもの。
種々の記録も、枯れ葉剤の製造企業がダイオキシン汚染を減らすために利用できる技術を駆使し、アメリカ軍が化合物の中の毒素の濃度をより監視していれば、枯れ葉剤を囲む論争の多くが避けられた可能性があることを示している。退役兵士側の弁護士が掘り出した文書によると、ダウケミカル社は、製造プロセスを遅延させることによって、枯れ葉剤のダイオキシンの除去を可能ならしめる技術を、1957年という早い時点で知っていたのだ。
ベトナム戦争以来、ダイオキシンは、パーキンソン病、先天性欠損症など何十という他の健康障害に関連する発癌物質であると分かった。ベトナムの一般市民と同様に、何千もの復員軍人は、アメリカ軍が使用した除草剤に、直接曝露したのだ。
旧南ベトナムで使用された枯れ葉剤関連の衰弱性疾患対策では、今や、毎年連邦政府は何10億ドルもの出費を余儀なくされており、2003年以降、復員軍人への障害手当として劇的な増大を見せている。
複数の文書は、枯れ葉剤計画が1961年に始まる前に、国防総省は予算も人員も削減し、非致死性を目的として枯れ葉剤を開発したことを示している。その代わりに、国防総省は化学会社の技術指導にたっぷりと依存した。化学企業はアメリカ軍の要求に応えるために増産の必要に迫られたのだ。
枯れ葉剤の使用は、化学会社を訴える退役軍人とベトナム市民による大型集団訴訟につながった。最初の訴訟で、1984年に、化学企業は1億8000万ドルの支払いで、アメリカ退役軍人と合意に達した。
それ以来、化学会社は、政府契約企業を保護する法律のもとで、法的措置を免れると巧みに主張してきた。法廷も、また、アメリカ軍はダイオキシン汚染に気づいていたが、化学物質がアメリカ兵の保護に役立ったので、いずれにしろ枯れ葉剤を使用したと判断した。
米復員軍人省に対する1990年の報告書では、アメリカ軍は、エージェント・オレンジは兵士には有害だが、曝露を制限するのでほとんど予防措置をとらないとしたことが明らかになった。その報告書は、空軍武器開発研究局化学兵器部の元科学者、ジェームズ・クラリー氏から、除草剤関連の疾病をもつ退役軍人を援助する法制化を進めていた当時のトム・ダシュル上院議員に宛てた1988年の手紙を引用している。
「我々が1960年代に枯れ葉剤計画を始めたとき、我々は除草剤のダイオキシン汚染により健康を損なう潜在性があることを認識していた。我々は、『軍』仕様の枯れ葉剤は、安価と製造過程の短時間化で、『一般市販』仕様よりダイオキシン濃度が高いことすら気づいていた。しかし、この化学剤は『敵』に使用されることになっていたので、誰もあまりに心配していなかった」と、クラリー氏が書いている。
軍部科学者は、1940年代から除草剤の実験をしていた。しかし、1958年に予算がカットされ、ヴェトナムでの使用のための化学物質を完全に評価できるほどの人材はほとんど残らなかった。
「私は、上記の仕事と関連してベトナムでの”調査”を行うために、およそ10日間の事前通知を与えられた」と、米国の化学部隊調査開発司令部のジェームズ・ブラウン大佐は、枯れ葉剤計画が始まったばかりの1961年10月に、上司に宛てた報告書の中で書いている。そして、「このように、非常に支持の少ない研究努力の中で、大口の注文が行われた」と。
アメリカ軍は、1962年に、47回の撒布活動を含む限定的な枯れ葉剤作戦を始めた。当時、ダイオキシンの健康障害については、相対的にはほとんど何も分かっていなかった。部分的には、ガンと他の疾病が発症するには数十年かかり、枯れ葉剤が広く使用され始めたのは1947年以降からだったからだ。
しかし、退役兵士側の弁護士が明らかにした文書は、化学会社がエージェント・オレンジと他の枯れ葉剤の中の成分が有害でありうるということを知っていたことを示している。
種々の記録によれば、1955年という早い時期に、 ドイツの化学会社ベーリンガー(Boehringer)は、2,4,5-T(ダイオキシンに汚染されたエージェント・オレンジと他の枯れ葉剤に含まれる成分)を作ったベーリンガー工場での塩素ざ瘡と肝臓障害について、ダウ社に連絡をとり始めていたのだ。
アメリカの化学会社とは異なり、ベーリンガー社は従業員が病気になっていることに気づいた後、生産を停止させて、その工場の一部を解体したのだ。同社は、2,4,5-Tの生産再開までに、ほぼ3年間費やして問題の調査をした。
その際に、同社は、元凶はダイオキシンであり、会社が低温で化学製品を処理すれば(そのことにより、生産は遅れるわけだが)汚染を制限できることを発見した。
なかなか素晴らしい記事と思います。最終回の記事を、上下2回にわたって、ご報告したいと思います。
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アメリカ軍が1965年に南ベトナムへのエージェント・オレンジの噴霧を積極的に徐々に増やしていくにつれ、アメリカ政府と枯れ葉剤を製造した化学会社は、曝露した兵士や他の人への健康障害をもたらすということを知っていた。
その年、ダウケミカル社のメモは、エージェント・オレンジの中の汚染物質を、「皮膚障害だけでなく、肝障害も引き起こすと知られている最も有毒物質の1つ」と指摘していたのだ。
その化学物質が健康障害になるという証拠が募っているにもかかわらず、曝露の危険性は軽視された、と法廷文書と国立公文書館の記録を調査したトリビューン紙は書いた。
そして、撒布作戦は、さらに6年間続いた。
この俯瞰図は、戦争中にヴェトナムで散布された枯れ葉剤の持つ影響をしめるものだ。使用前使用後の状態が明確にわかる。左は、撒布される前のマングローブ林(撮影日不明)。そして、右は、1970年の同じ地域の上空からの撮影だ。この地域は1965年に散布されたもの。
種々の記録も、枯れ葉剤の製造企業がダイオキシン汚染を減らすために利用できる技術を駆使し、アメリカ軍が化合物の中の毒素の濃度をより監視していれば、枯れ葉剤を囲む論争の多くが避けられた可能性があることを示している。退役兵士側の弁護士が掘り出した文書によると、ダウケミカル社は、製造プロセスを遅延させることによって、枯れ葉剤のダイオキシンの除去を可能ならしめる技術を、1957年という早い時点で知っていたのだ。
ベトナム戦争以来、ダイオキシンは、パーキンソン病、先天性欠損症など何十という他の健康障害に関連する発癌物質であると分かった。ベトナムの一般市民と同様に、何千もの復員軍人は、アメリカ軍が使用した除草剤に、直接曝露したのだ。
旧南ベトナムで使用された枯れ葉剤関連の衰弱性疾患対策では、今や、毎年連邦政府は何10億ドルもの出費を余儀なくされており、2003年以降、復員軍人への障害手当として劇的な増大を見せている。
複数の文書は、枯れ葉剤計画が1961年に始まる前に、国防総省は予算も人員も削減し、非致死性を目的として枯れ葉剤を開発したことを示している。その代わりに、国防総省は化学会社の技術指導にたっぷりと依存した。化学企業はアメリカ軍の要求に応えるために増産の必要に迫られたのだ。
枯れ葉剤の使用は、化学会社を訴える退役軍人とベトナム市民による大型集団訴訟につながった。最初の訴訟で、1984年に、化学企業は1億8000万ドルの支払いで、アメリカ退役軍人と合意に達した。
それ以来、化学会社は、政府契約企業を保護する法律のもとで、法的措置を免れると巧みに主張してきた。法廷も、また、アメリカ軍はダイオキシン汚染に気づいていたが、化学物質がアメリカ兵の保護に役立ったので、いずれにしろ枯れ葉剤を使用したと判断した。
米復員軍人省に対する1990年の報告書では、アメリカ軍は、エージェント・オレンジは兵士には有害だが、曝露を制限するのでほとんど予防措置をとらないとしたことが明らかになった。その報告書は、空軍武器開発研究局化学兵器部の元科学者、ジェームズ・クラリー氏から、除草剤関連の疾病をもつ退役軍人を援助する法制化を進めていた当時のトム・ダシュル上院議員に宛てた1988年の手紙を引用している。
「我々が1960年代に枯れ葉剤計画を始めたとき、我々は除草剤のダイオキシン汚染により健康を損なう潜在性があることを認識していた。我々は、『軍』仕様の枯れ葉剤は、安価と製造過程の短時間化で、『一般市販』仕様よりダイオキシン濃度が高いことすら気づいていた。しかし、この化学剤は『敵』に使用されることになっていたので、誰もあまりに心配していなかった」と、クラリー氏が書いている。
軍部科学者は、1940年代から除草剤の実験をしていた。しかし、1958年に予算がカットされ、ヴェトナムでの使用のための化学物質を完全に評価できるほどの人材はほとんど残らなかった。
「私は、上記の仕事と関連してベトナムでの”調査”を行うために、およそ10日間の事前通知を与えられた」と、米国の化学部隊調査開発司令部のジェームズ・ブラウン大佐は、枯れ葉剤計画が始まったばかりの1961年10月に、上司に宛てた報告書の中で書いている。そして、「このように、非常に支持の少ない研究努力の中で、大口の注文が行われた」と。
アメリカ軍は、1962年に、47回の撒布活動を含む限定的な枯れ葉剤作戦を始めた。当時、ダイオキシンの健康障害については、相対的にはほとんど何も分かっていなかった。部分的には、ガンと他の疾病が発症するには数十年かかり、枯れ葉剤が広く使用され始めたのは1947年以降からだったからだ。
しかし、退役兵士側の弁護士が明らかにした文書は、化学会社がエージェント・オレンジと他の枯れ葉剤の中の成分が有害でありうるということを知っていたことを示している。
種々の記録によれば、1955年という早い時期に、 ドイツの化学会社ベーリンガー(Boehringer)は、2,4,5-T(ダイオキシンに汚染されたエージェント・オレンジと他の枯れ葉剤に含まれる成分)を作ったベーリンガー工場での塩素ざ瘡と肝臓障害について、ダウ社に連絡をとり始めていたのだ。
アメリカの化学会社とは異なり、ベーリンガー社は従業員が病気になっていることに気づいた後、生産を停止させて、その工場の一部を解体したのだ。同社は、2,4,5-Tの生産再開までに、ほぼ3年間費やして問題の調査をした。
その際に、同社は、元凶はダイオキシンであり、会社が低温で化学製品を処理すれば(そのことにより、生産は遅れるわけだが)汚染を制限できることを発見した。
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