それでは、前回のニャンザン紙の記事の続きですが、いくらかつけたしたりしています。
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その後、法廷では、エージェント・オレンジに苦しむヴェトナム被害者3人が証言した。ハイフォン市アン・ハイ郡アン・ズオン町のファム・テ・ミン(1975年12月16日に生まれ)さんの話を聞いた。ミンさんは、両親がDMZ(非武装地帯)の南側で、枯れ葉剤の撒布が最も強烈だったクアンチ省の戦場で従軍している時に、どのようにして枯れ葉剤を浴びたかを話した。
枯れ葉剤の被害者 「私の妹と私は、戦後に生まれました。私は、先天性の下肢の奇形と病弱で生まれました。私の妹は外見は普通にみえます。しかし、彼女は早産で生まれました。先天性の心臓疾患と肺疾患を持っています。
私の奇形の原因であるダイオキシンに私が曝露していることについては、事実、両親がエージェント・オレンジに直接曝露したことを両親から聞き、またあちこちの病院で私の病気をみてもらって検査の結果知りました。私の家族のケースは、しっかりと認知されたために、ベトナム政府から毎月の手当を受けています。
エージェント・オレンジの影響で、私の妹、母、父、私たち一家は、他の人ほど快適に暮らすことは出来ません。私たちは一生懸命に働くことができないうえに、絶えず病気の治療費としてお金が出来ていきます。父は、従って2005年に亡くなりました。私は、短い時間の中では、私の家族と私自身が受けたすべての苦しみや、ヴェトナムにいるエージェント・オレンジの他の被害者の悲劇のありさまも詳しく話すことはできません」
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ホー・ゴック・チューさん(1937年に生まれ。現在クアンガイ市在住)は、かつて南ベトナム解放軍に入隊した。そして、クアンガイ、クアンナム両省の広大な山岳地帯で活動した。そこは、アメリカ軍の撒布が恒常的にまつ強烈に行われた所である。
彼は思い出しながら、次のように話した。
アメリカ軍による枯れ葉剤の撒布 「アメリカの飛行機が撒布のために飛来した時、他の人もそうだが、私は撒布が単なる除草剤であると聞いていました。だから、私には十分な科学的な知識はありませんでした。撒布が人間に有毒だったと分からなかったのです。その私でさえ、あの薬剤には毒性があると知っていました。私も他の兵士も、この汚染から逃れることはできませんでした。
なぜなら、私たちは戦わなければならなりませんでしたし、単に生き残るためだけでも、サツマイモ、トウモロコシ、米、野菜やどんな食べ物でも作らなければならなかったからです。我々は、小川の流れや爆弾のクレーターからでも水をとって飲まなければなりませんでした。
私は、私が最低4~5回直接浴びたのを思い出します。ほとんどの場合は、私はテントの中にいました。しかし、一度は、私が米を取って戻っている時に、飛行機が来て撒布しました。私の全身は化学剤で完全にびっしょり濡れました。私が持ち運んでいた米の袋も湿っていました。
私の観察の記憶から、通常撒布された数日後には、樹液の豊富な、例えばカッサヴァ、パパイヤ、ジャックフルーツなどがまず死にました。また、ジャングルの中の大きい木も、すぐに落葉しました。私たちの常食であるカッサヴァも、やられました。後になって、私たちは、これはエージェント・オレンジによるものだということが分かりました。しかし、私たちは汚染された流れからでも水を飲むことが止められなかったように、植物の根っこを食べざるをえなかったのです。
私にはすぐにいろいろな問題が起きてきました。視力が落ちてきました。歯も、通常より早く抜けました。前立腺、大腸、前庭疾患など体内の疾病と皮膚関連の疾患が出てきました。特に背中の皮膚と両足にはかゆみを伴った発疹、にきびとアクネに悩まされている。背骨と首の骨は、35才の時に変質しました。これらの病気は、ハノイとホーチミン市の病院で医学治療をうけましたが、効果はありませんでした。
クアンガイ市内 私の体内の問題に加えて、私の一人息子も、枯れ葉剤の被害者になりました。私の結婚式は1977年3月でした。11月の中ごろに、彼は早産でうまれました。とても弱かったので、当分の間ガラスの箱の中で面倒をみてもらいました。4才になっても2~3歩しか歩けず、言葉は二言三言しか話せませんでした。手足が成長しましたが、すべての機能が正常というわけではありませんでした。息子の出来ることには限度がありました。
そして、医者は彼には精神障害にかかっていると言いました。
さらに、時々、彼にひどい痙攣が襲ってきます。現在、彼は37才ですが、単純な労働ですら、自分でまだできません。最初は、私たちは息子のどこがおかしいのかわかりませんでした。
何回も病院に連れていきましたが、その中で家内が流産していたという事実を知りました、医者は、私がエージェント・オレンジに曝露したと結論づけました。これが、私の息子の悲しい運命の理由でもあります。
クアンガイ省の枯れ葉剤被害者 私の国では、エージェント・オレンジによって、同じような、いやもっと恐ろしい病気や奇形の子どもたちの姿が、エージェント・オレンジにさらされた人々が暮らしている多くの場所にいけばすぐわかります」(続く)