櫻井 智子
ベトナムツアーへの参加は、今回で3回目となりましたが、参加する事が出来て本当に良かったと思ってています。
参加する度に色々な想いがこみ上げます。
今回、1番印象的だったことは、いまだにアメリカ政府は、ベトナムに対して、枯れ葉剤をまいた事を謝っていないこと。ベトナムの被害者に対して何の補償もしていないこと、でした。
しかしアメリカの枯葉剤被害者に対しては、ちゃんとした補償をしているということ・・・アメリカ政府の卑劣さがとても感じられました。
1日も早くベトナムの地に、平安がおとずれますようにと、願っています。 (了)
音楽と介助の二天一流
新谷文子
今年でベトナム訪問は5回目になりました。昨日の事の様であり、お会いする方々とはずっと昔から知り合いだった様な・・・訪問回数を重ねるごとに親密感を感じ、常に新鮮で私自身の心が豊かになる「旅」でした。
私は、音楽療法士と介護士としての二つの顔でベトナムとおつきあいしています。
まず、音楽療法士として、ハノイ市内の施設「平和村」と「友好村」で音楽療法をやらせて頂いています。初年(2002年)は、ベトナムの音楽も枯れ葉剤障害児者の状況もわからないまま、前に立ってリードをしました。何が出来て、何が出来ないのか???ただ夢中で楽しむ事だけを第一に実践しました。
指示する動作にも無理があったり、せっかくの手作り楽器も参加者の身体レベルでは使えなかったりで、失敗かな?と落ち込みましたが、声を出して笑う皆の姿に「ああ、これで良かったんだ」と安堵しました。
あれから5年。音楽療法士という殻から抜け出して、「音楽と笑いとコミュニケーション」という命題に挑戦してきました。
今年のセッションは最高に満喫できました。同行メンバーによる楽しい歌のプレゼントや腹話術が披露されました。
いよいよ音楽療法の番です。先ずは、身体をほぐすボディーパーカッション・・・音楽にのって全身運動から始め、「♪チェッチェッコリ」という曲の言葉の面白さを発声してもらいながら、腰振り体操という単純な動作を繰り返しますが、これは大人気です。心も体もほぐれ、参加者個々のリズム表現が出始めて、もはやお祭りモードです。
次はタイコの出番。といっても叩くのは私。全員で大きな円になり、前の人の肩や腰に手を組み前進し、タイコが鳴ったら反対周りをするゲームや、打ったタイコの数と同じ人数の友達と手を繋いで座るゲーム。タイコの音と同時に、歓声が会場いっぱいに広がり益々元気に。
最後は、三島市の有志が作って下さった「手作りシェーカー」を両手に持ち、音楽に合わせて振りながら自由に動き、思い思いのパフォーマンスをするリズムトレーニングでした。
全員が汗ダクダクで熱気ムンムン!参加者も職員もノリノリで、曲が止まりません。このままだとエンドレス?と思い、慌てて職員に「この曲で終わりにして下さい」とお願いしました。
8月20日午後の「友好村」では、高校生の伊藤啓太君と上崎理会子ちゃんが若い世代のパフォーマンスと、習い立てのベトナム語と流暢な英語でコミュニケーション能力を発揮してくれた事や、「ワールドビジョン」カナダの団体と各国の若者が参加した「インタナショナル・ワーク・キャンプ」の人たちも加わり、国際色豊かで、エネルギッシュな、“国際音楽療法”となり大成功に終りました。
「音楽に国境はない」――音楽は人の心を動かす偉大な力があることを実感しました。また歓声を挙げて楽しむ光景の中で出会えた笑顔。紛れもなく自然の笑顔です。その美しい笑顔に、私も元気を戴きました。来年も、またもう一人でも多くの笑顔を増やしてみせようと、誓いました。
また、車椅子の介護指導をする介護士としても、大きな感動をうけました。
私の尊敬する先生の言葉に「人生に一つとして無駄はない」とあります。
介護職員として2年間の経験。静岡県立東部養護学校での音楽療法(社会人講師)の経験。触る角度によって骨折し易い学童の身体介助の方法を、専門の先生の指導の下に会得したことです。この二つの貴重な経験は、ベトナム支援のためであったのだと、認識を新にしました。
国内での介助と違い、ベトナムの枯れ葉剤の被害者には、体の変形だけではなく、骨自体の変形と脆さがあるのではと、恐る恐る体に触れてきました。
ベッドから車椅子へ移乗。車椅子に座位を保つ。そしてデコボコ道を安全に走行する実演の後、家族(介助者)に実地練習をして頂きます。これは車椅子による事故を絶対起こさないためのものです。ご両親に押されて家の周りを走行した時の障害の子どもや成人の嬉しそうな笑顔。甥子さんの介助で自宅から表の大通りまで、車椅子で“散歩”された退役軍人。久々の外出でゆっくり辺りを見回しては時折頷いて見せてくれた優しい笑顔。何度も何度も手で最敬礼して感謝の意を。ご高齢も体調不良も感じさせないすばらしき表情をみて、最高に素晴らしいひと時を共に過ごせたと実感しました。
今年も沢山のかけがえのない出会いが。苦境の中でも見失わない弱者への思いやりや家族愛などなど、在宅訪問で学んだことは数多くあります。この全てが私の活力です。辛い時枯れ葉剤障害児者の現状を思い出しては、自分を励ましています。
帰国後は、理解の輪を広げようと現地で撮ったビデを活用して、「ベトナム枯れ葉剤被害者の支援活動&脳さわやかセミナー」と題し、沼津市を中心に8箇所で講演を致しました。
今後も地域での活動を糧に、私の持てる力の全てをベトナムの地に捧げようと、決意も新たに、来年も自身に挑んで行きたいと思っています。(了)
2007-10-31
2007-10-19
枯れ葉剤訴訟 因果関係(3)
3回連載の枯れ葉剤訴訟 因果関係の最終回です。 この記事は、ベトナム枯れ葉剤被害者協会常務理事レ・ドゥック・ティエット弁護士の執筆です。
というのは、裁判所は法理論の基礎があるかどうかを判定するからだ。この期間は証拠をまだ見ていない。
従って、ダイオキシンと被害者の因果関係は裁判所が受理してから判定する。
現在、ダイオキシンの研究は、昔の80年代の研究と比べて遙かに進歩してきた。しかし、ダイオキシンに関する科学者の知識についていえば、現在でも乏しいと言える。
現在、ダイオキシンの研究は、昔の80年代の研究と比べて遙かに進歩してきた。しかし、ダイオキシンに関する科学者の知識についていえば、現在でも乏しいと言える。
ダイオキシンは毒物だと分かっている。たとえ何十年経ても、ダイオキシンは土壌の中、血中に、脂肪の中に、人間の乳房の中に見つけることが出来る。
しかし、科学者は人の体にダイオキシンがどういう影響あるかを十分研究し尽くしていない。ダイオキシンは、環境の中で人間にいつまで影響を与えるのか?
科学者は因果関係を発見するために、ダイオキシンをウサギやねずみの体内に入れることは出来るが、人体にいれることは出来ない。
科学者はどの病気がダイオキシンによる病気なのかの結論はまだ出せない。ダイオキシンの被害者と認定出来るように、自分の病気や自分の子供の病気と撒かれた枯れ葉剤との因果関係を証明しなくてはならない。
従って、因果関係の証明は、提訴にあたってとても重要なことになる。被害者一人ひとりにも重要なものになる。これはマンパワー、時間と資金が相当かかる。そして、広い分野の専門家の協力が必要になってくるのだ。(終わり)
翻訳:レ・タイン・トゥン(静岡県富士市在住) 補訳:北村 元
2007-10-18
枯れ葉剤訴訟 因果関係(2)
第2回も、ベトナム枯葉剤被害者協会常務理事、レ・ドゥック・ティエット弁護士の記事です。
ベトナム枯れ葉剤被害者の訴訟では、被告弁護士は次のような結論を出した。
原因について:
-オレンジ剤は毒ではない。草取りに使うためだ。農業によく使用していて、普通に販売されている。
-オレンジ剤は毒があっても、わずかの量しかない。
-ダイオキシンは農薬、木材を保護する薬剤、製紙の工程でも、虫除け薬剤、ごみの燃焼、森林の火事などからも、ダイオキシンは出る。
そういう理由で、被告弁護士は枯れ葉剤はアメリカの化学会社を告する原因にはならない。ベトナムの環境や人間の中にダイオキシンがあるのは、別の原因からだとした。
結果について:
-今まで科学は、まだはっきりとダイオキシンが原因で疾病になるのことは証明されていない。ガンや奇形児出産などは、どの時代でも、どこの国でもある。
-ガンの患者や奇形出産の患者などがベトナム人に多いのは、この国の貧困状態が原因だからだ。
上記の結論で、被告側弁護士は、ベトナム被害者はオレンジ剤の原因で病気になったということを拒否した。
被告の結論を否定するためには、原告は次の3つのことを満たされなければならない。
-科学の色々な分野の証明がなさければならない:疾病証明、毒学、遺伝学、遺伝子学、血液型、科学、環境...10部門以上の証明が必要となる。
-国際法理論基礎、国際習慣基礎とアメリカの法律基礎(アメリカで行うので)がなければならない。
-客観的な証拠:枯れ葉剤を撒いた証拠、病気の診断書、被害者の血液診断、母乳の診断結果は国内や国外の権威ある病院からだされたもの。
被告の結論を否定する時、原告側は相手が拒否できない納得出来る結論を出すことが出来た。
-1960年から、被告側はダイオキシンがとても人間の健康に悪い、環境に悪いとうことを知っていた。
1億分の5グラムという微量でも、出産したばかりのほ乳類の動物を殺すことが出来る、と。
動物実験から、ダイオキシンは、ガンの原因であり、遺伝子関連の病気や生後異形病気(後天的奇形生の病気)の原因となった。薬剤を作る時、ダイオキシンを安全基準以下にすることもしなかった。営利のために皆を騙し、分かっていること、していることを隠した。
-ダイオキシンが色々のところから生まれても、調査によって、診断した被害者から採取したダイオキシンの結果と食べ物からとったダイオキシンの結果は、60年代にアメリカが撒いた枯れ葉剤からの原因だと判定できた。
-全米科学アカデミー医学研究所もダイオキシン関連の病気を認めている。(つづく)
ベトナム枯れ葉剤被害者の訴訟では、被告弁護士は次のような結論を出した。
原因について:
-オレンジ剤は毒ではない。草取りに使うためだ。農業によく使用していて、普通に販売されている。
-オレンジ剤は毒があっても、わずかの量しかない。
-ダイオキシンは農薬、木材を保護する薬剤、製紙の工程でも、虫除け薬剤、ごみの燃焼、森林の火事などからも、ダイオキシンは出る。
そういう理由で、被告弁護士は枯れ葉剤はアメリカの化学会社を告する原因にはならない。ベトナムの環境や人間の中にダイオキシンがあるのは、別の原因からだとした。
結果について:
-今まで科学は、まだはっきりとダイオキシンが原因で疾病になるのことは証明されていない。ガンや奇形児出産などは、どの時代でも、どこの国でもある。
-ガンの患者や奇形出産の患者などがベトナム人に多いのは、この国の貧困状態が原因だからだ。
上記の結論で、被告側弁護士は、ベトナム被害者はオレンジ剤の原因で病気になったということを拒否した。
被告の結論を否定するためには、原告は次の3つのことを満たされなければならない。
-科学の色々な分野の証明がなさければならない:疾病証明、毒学、遺伝学、遺伝子学、血液型、科学、環境...10部門以上の証明が必要となる。
-国際法理論基礎、国際習慣基礎とアメリカの法律基礎(アメリカで行うので)がなければならない。
-客観的な証拠:枯れ葉剤を撒いた証拠、病気の診断書、被害者の血液診断、母乳の診断結果は国内や国外の権威ある病院からだされたもの。
被告の結論を否定する時、原告側は相手が拒否できない納得出来る結論を出すことが出来た。
-1960年から、被告側はダイオキシンがとても人間の健康に悪い、環境に悪いとうことを知っていた。
1億分の5グラムという微量でも、出産したばかりのほ乳類の動物を殺すことが出来る、と。
動物実験から、ダイオキシンは、ガンの原因であり、遺伝子関連の病気や生後異形病気(後天的奇形生の病気)の原因となった。薬剤を作る時、ダイオキシンを安全基準以下にすることもしなかった。営利のために皆を騙し、分かっていること、していることを隠した。
-ダイオキシンが色々のところから生まれても、調査によって、診断した被害者から採取したダイオキシンの結果と食べ物からとったダイオキシンの結果は、60年代にアメリカが撒いた枯れ葉剤からの原因だと判定できた。
-全米科学アカデミー医学研究所もダイオキシン関連の病気を認めている。(つづく)
2007-10-17
枯れ葉剤訴訟 因果関係(1)
この記事は、ベトナム33委員会の機関誌『毒学』に掲載された、ベトナム枯れ葉剤被害者協会常務理事、レ・ドゥック・ティエット弁護士の主張を転載したものです。
因果関係
レ・ドゥック・ティエット
ベトナム・ダイオキシン/オレンジ剤被害者協会
常務理事
アメリカの化学会社の弁護士は一つの結論を出して、ダイオキシンが原因であうことを拒否した。それは、枯れ葉剤被害者と化学物質との関係は未だに証明されていないという結論だった。
因果関係は難しい概念で、色々な科学者が討論してきた。事件や民事事件の捜査、判定の時、因果関係は裁判官と弁護士、弁護士と原告側の間でよく議論されている。
それでは、因果関係とは何か?どうして証明するのは難しいのか? このことを一つの文章の中で全部説明するのはとても困難だ。
因果関係とは一つの熟語である。原因と結果の影響、従属関係を指す言葉だ。かなり昔から、人間は原因と結果の区別は出来。矢の先を動物に刺す時、矢の先は原因であり、動物の肉に刺さったのは結果ということだ。もう少し時代を経ると、どういう原因を与えれば、それなりの結果を得るのを知った。それを知った時に、人間は道具を作った。人間の進歩は低いレベルからどんどん進化してきた。進歩すればするほど、人間は因果の関係を証明するために色々な研究をした。
原因の中でも、何の原因が主因であり、どれが主因ではないのか?同じ原因なら同じ結果を生むのか?偶然の結果もあるのか、それとも必然的な結果しかないのか?どんなものでも関連性がある。原因は結果を生む、結果は原因になる。因果、果因は進歩とともに存在する。色々な因果の疑問は日常生活の中に生まれてきている。色々な分野で因果関係の問題は研究され、討論されてきたが、果てることはない。
ある人たちは、人間差別主義者だ。その人達は、進歩した人間と進歩していない人間を分け、進歩した人間と進歩しない人間同士は結婚してはいけない!とした。その他、別の人達の研究もした。有名人の夫婦(原因)が子供を生むと、その子供(結果)は頭がいいかなどという研究だった。実際は原因なりの結果を得ることはなかった!夫婦の頭はさほど良くなくても、子供の頭がいい場合も沢山ある。
他の分野と違って、因果関係を事件の捜査、判定に使うのはとても複雑で、きちんとルールが守らなければならない。それは公平さを期すためだからだ。罰を与えるか与えないかのための原因は一つしかない。その原因があって必然的な結果が生まれるということだ。これは一つの事件の中で、主因を指すことができず、その主因がその結果につながったことを証明できなければ被告を処罰できないのである。(つづく)
因果関係
レ・ドゥック・ティエット
ベトナム・ダイオキシン/オレンジ剤被害者協会
常務理事
アメリカの化学会社の弁護士は一つの結論を出して、ダイオキシンが原因であうことを拒否した。それは、枯れ葉剤被害者と化学物質との関係は未だに証明されていないという結論だった。
因果関係は難しい概念で、色々な科学者が討論してきた。事件や民事事件の捜査、判定の時、因果関係は裁判官と弁護士、弁護士と原告側の間でよく議論されている。
それでは、因果関係とは何か?どうして証明するのは難しいのか? このことを一つの文章の中で全部説明するのはとても困難だ。
因果関係とは一つの熟語である。原因と結果の影響、従属関係を指す言葉だ。かなり昔から、人間は原因と結果の区別は出来。矢の先を動物に刺す時、矢の先は原因であり、動物の肉に刺さったのは結果ということだ。もう少し時代を経ると、どういう原因を与えれば、それなりの結果を得るのを知った。それを知った時に、人間は道具を作った。人間の進歩は低いレベルからどんどん進化してきた。進歩すればするほど、人間は因果の関係を証明するために色々な研究をした。
原因の中でも、何の原因が主因であり、どれが主因ではないのか?同じ原因なら同じ結果を生むのか?偶然の結果もあるのか、それとも必然的な結果しかないのか?どんなものでも関連性がある。原因は結果を生む、結果は原因になる。因果、果因は進歩とともに存在する。色々な因果の疑問は日常生活の中に生まれてきている。色々な分野で因果関係の問題は研究され、討論されてきたが、果てることはない。
ある人たちは、人間差別主義者だ。その人達は、進歩した人間と進歩していない人間を分け、進歩した人間と進歩しない人間同士は結婚してはいけない!とした。その他、別の人達の研究もした。有名人の夫婦(原因)が子供を生むと、その子供(結果)は頭がいいかなどという研究だった。実際は原因なりの結果を得ることはなかった!夫婦の頭はさほど良くなくても、子供の頭がいい場合も沢山ある。
他の分野と違って、因果関係を事件の捜査、判定に使うのはとても複雑で、きちんとルールが守らなければならない。それは公平さを期すためだからだ。罰を与えるか与えないかのための原因は一つしかない。その原因があって必然的な結果が生まれるということだ。これは一つの事件の中で、主因を指すことができず、その主因がその結果につながったことを証明できなければ被告を処罰できないのである。(つづく)
2007-10-12
旅の感想(5)
若い人たちに学んだツアー 大釜 一男
私がヴェトナムツアーに参加させて頂くようになってから、早や10年が過ぎようとしています。アッと言う間の出来事のような気がします。ヴェトナム支援と言うより、日本にはもうとっくに失われた気のする人々の温かさ、相手を察する思いやり等、ヴェトナムから心の支援を頂いてきた年月の様な気がします。
毎回の事ですが、涙があふれ、心が洗われる、ツアーばかりでした。過去10年余の間で、今回ほど多彩なメンバーの参加はなかったように感じたのは私だけではないと思います。
ヴェトナムツアーでは、毎回の事ながらトラブルは付き物です。今回の参加メンバーは、ボランティア精神を発揮された方々で、どんなトラブルが起きても、文句は一切でないばかりか、いい経験が出来たと、笑い飛ばしてくださった心の大きい方々ばかり、総勢20名のツアーでした。感謝、感謝の日々でした。お1人お1人をご紹介したい位にユニークな方々ばかりでした。
その中で私の心を揺さぶったのはこの若い二人でした。高校3年生の伊藤啓太君と上崎理会子ちゃんです。
啓太君はとても積極的でした。通訳の人にヴェトナム語をあれこれ英語で聞いては自分で発音を確かめてもらい、OKが出るまで、何回も、何回も練習していました。
そして最後には我々の会を代表して、ヴェトナム語で挨拶をしてくれるまでになっていました。ひょっとして、挨拶をする気だったのかもと、私は思いました。
それほど彼のベトナム語は流暢?でした。18歳とは思えない堂々たる挨拶に、私は舌を巻きました。こんな青年に、最近私はお目にかかったことが無かったからです。未来、楽しかるべしです。
もう1人は理会子ちゃん。
小柄でいかにもひ弱そうに見えます。食事も細く、大丈夫かな?内心、心配してそっと見守っていました。そんな彼女が、何とかダンス競技で高校日本一と国際大会の栄冠を両方勝ち取ったと伺った時は、わが耳を疑いました。何処にそんな力を持っているのだろうか?と。
われわれが過去3~4回家庭訪問している所があります。今回も訪問してその家庭を支援する事になっていました。その家の状況を前知識としてどなたかに理会子ちゃんは聞いていたのです。
われわれは、お母さんと二人の姉妹に、毎年古着とかお金とかと、又元気で頑張るように激励など支援をさせていただいてきました。
今は親子三人暮らし。働き手は母親のみ、父親は枯れ葉剤の影響で死亡。その母親も、重い病気にかかっている下の子(ニヤンちゃん)を置いて働きにはいけない極貧の家庭です。
姉は高校生。ニャンちやんにはお兄ちゃんがいましたが、やはり昨年ニャンちゃんと同じ病気(枯れ葉剤の影響)で亡くなりました。ニャンちゃんも、もう長くは生きられない状態です、体も小さく黄胆症状が出て、お腹は病気の為コチコチです。話しかけてもあまり話はしません。殆んど黙って座っている方が多い子でした。笑った顔など、私は見たことがありませんでした。
そんな姉妹に「髪を結ってあげたいのですが、二人に聞いてください」との事で、二人に話をして、ニャンちゃんからさきに理会子ちゃんはかわいらしく三つあみに結っていきました。
じっと微笑みながらニャンちゃんを見ている姉、結い終わった髪を小さなカガミに写して見せてあげました。笑み一杯のニャンちゃん。こんな何でもない風景、、、、私の胸にこみ上げるものがありました。涙がこみ上げてきました。皆な笑顔で拍手、拍手、、、、、。
今度はお姉さんの番です。ニャンちゃんは理会子ちゃんの手さきと姉の髪の毛を食い入るように見ていました。
お姉さんの髪型が段々出来上がっていきます。ニャンちゃんの顔が、ニコニコし、とても嬉しそうな表情になり、顔は赤みさえ射したように感じました。
今までこんな笑顔を、われわれに見せてくれたことは一度もありませんでした。すばらしい笑顔に会えたことに感激しました。
理会子ちゃんが二人にプレゼントしたのは、小さな造花のついた四個の輪ゴム。買えば2~30円くらいだと思います。私にはとても嬉しさがこみあげてきました。又同時に、この子たちの心の内を判ってあげていなかったことに対し凄くシヨックを受けました。
私は65年近く生きてきました。しかし1人の子供の心さえ読み取ってあげることさえ出来なかった自分・・・・・。
〔心こそ大切なれ〕との哲人の言葉が、私の脳を突き刺しました。自分の押し付けではなく、何事においても相手の目線、心に立っていくことがいかに大切なことか、身に染みたヴェトナムツアーでした。
また、若い人に大いに学ぶことの多きことかと思い知らされた旅でもありました。啓太君、理会子ちゃんほんとうに有難う。
今回くらいハプニング連続の旅も珍しかったと思います。車は故障するは、あるホテルの予約は不完全、バスに荷物は十分に積めないは等。
[何も無い人生なんてない。何も無ければ人生つまらない]
そう思いながら、来年のツアーを楽しみにしている私です。
(筆者:左の写真の中央の男性)
私がヴェトナムツアーに参加させて頂くようになってから、早や10年が過ぎようとしています。アッと言う間の出来事のような気がします。ヴェトナム支援と言うより、日本にはもうとっくに失われた気のする人々の温かさ、相手を察する思いやり等、ヴェトナムから心の支援を頂いてきた年月の様な気がします。
毎回の事ですが、涙があふれ、心が洗われる、ツアーばかりでした。過去10年余の間で、今回ほど多彩なメンバーの参加はなかったように感じたのは私だけではないと思います。
ヴェトナムツアーでは、毎回の事ながらトラブルは付き物です。今回の参加メンバーは、ボランティア精神を発揮された方々で、どんなトラブルが起きても、文句は一切でないばかりか、いい経験が出来たと、笑い飛ばしてくださった心の大きい方々ばかり、総勢20名のツアーでした。感謝、感謝の日々でした。お1人お1人をご紹介したい位にユニークな方々ばかりでした。
その中で私の心を揺さぶったのはこの若い二人でした。高校3年生の伊藤啓太君と上崎理会子ちゃんです。
啓太君はとても積極的でした。通訳の人にヴェトナム語をあれこれ英語で聞いては自分で発音を確かめてもらい、OKが出るまで、何回も、何回も練習していました。
そして最後には我々の会を代表して、ヴェトナム語で挨拶をしてくれるまでになっていました。ひょっとして、挨拶をする気だったのかもと、私は思いました。
それほど彼のベトナム語は流暢?でした。18歳とは思えない堂々たる挨拶に、私は舌を巻きました。こんな青年に、最近私はお目にかかったことが無かったからです。未来、楽しかるべしです。
もう1人は理会子ちゃん。
小柄でいかにもひ弱そうに見えます。食事も細く、大丈夫かな?内心、心配してそっと見守っていました。そんな彼女が、何とかダンス競技で高校日本一と国際大会の栄冠を両方勝ち取ったと伺った時は、わが耳を疑いました。何処にそんな力を持っているのだろうか?と。
われわれが過去3~4回家庭訪問している所があります。今回も訪問してその家庭を支援する事になっていました。その家の状況を前知識としてどなたかに理会子ちゃんは聞いていたのです。
われわれは、お母さんと二人の姉妹に、毎年古着とかお金とかと、又元気で頑張るように激励など支援をさせていただいてきました。
今は親子三人暮らし。働き手は母親のみ、父親は枯れ葉剤の影響で死亡。その母親も、重い病気にかかっている下の子(ニヤンちゃん)を置いて働きにはいけない極貧の家庭です。
姉は高校生。ニャンちやんにはお兄ちゃんがいましたが、やはり昨年ニャンちゃんと同じ病気(枯れ葉剤の影響)で亡くなりました。ニャンちゃんも、もう長くは生きられない状態です、体も小さく黄胆症状が出て、お腹は病気の為コチコチです。話しかけてもあまり話はしません。殆んど黙って座っている方が多い子でした。笑った顔など、私は見たことがありませんでした。
そんな姉妹に「髪を結ってあげたいのですが、二人に聞いてください」との事で、二人に話をして、ニャンちゃんからさきに理会子ちゃんはかわいらしく三つあみに結っていきました。
じっと微笑みながらニャンちゃんを見ている姉、結い終わった髪を小さなカガミに写して見せてあげました。笑み一杯のニャンちゃん。こんな何でもない風景、、、、私の胸にこみ上げるものがありました。涙がこみ上げてきました。皆な笑顔で拍手、拍手、、、、、。
今度はお姉さんの番です。ニャンちゃんは理会子ちゃんの手さきと姉の髪の毛を食い入るように見ていました。
お姉さんの髪型が段々出来上がっていきます。ニャンちゃんの顔が、ニコニコし、とても嬉しそうな表情になり、顔は赤みさえ射したように感じました。
今までこんな笑顔を、われわれに見せてくれたことは一度もありませんでした。すばらしい笑顔に会えたことに感激しました。
理会子ちゃんが二人にプレゼントしたのは、小さな造花のついた四個の輪ゴム。買えば2~30円くらいだと思います。私にはとても嬉しさがこみあげてきました。又同時に、この子たちの心の内を判ってあげていなかったことに対し凄くシヨックを受けました。
私は65年近く生きてきました。しかし1人の子供の心さえ読み取ってあげることさえ出来なかった自分・・・・・。
〔心こそ大切なれ〕との哲人の言葉が、私の脳を突き刺しました。自分の押し付けではなく、何事においても相手の目線、心に立っていくことがいかに大切なことか、身に染みたヴェトナムツアーでした。
また、若い人に大いに学ぶことの多きことかと思い知らされた旅でもありました。啓太君、理会子ちゃんほんとうに有難う。
今回くらいハプニング連続の旅も珍しかったと思います。車は故障するは、あるホテルの予約は不完全、バスに荷物は十分に積めないは等。
[何も無い人生なんてない。何も無ければ人生つまらない]
そう思いながら、来年のツアーを楽しみにしている私です。
(筆者:左の写真の中央の男性)
旅の感想(4)
感想文
北村 静子(上の写真2列右から2人目の方)
先日はお世話様でした。最後まで同行出来ず失礼致しました。
ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した枯葉剤の被害が現在も尚続き発病(発生)していることは、
新聞、雑誌でよく知っては居りましたが現実の事として対面したのは初めてです。
ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した枯葉剤の被害が現在も尚続き発病(発生)していることは、
新聞、雑誌でよく知っては居りましたが現実の事として対面したのは初めてです。
「ベトナム戦争反対」 「アメリカは日本の基地からベトナムへ行くな!!」 「アメリカはベトナムから日本から出てゆけ!!」と ずーと活動して参りました。「一円玉募金」にも何年も取り組みベトナムへ「検診車」「レントゲン」「車イス」等など、送り続けても来ました。
もちろん、私個人やグループが中心ではありません。女性の全国組織として取り組んできたその中のひとりです。
ですが、宮尾さん達の活動も素晴らしいことと感動しました。
ただ事後処理的支援だけでなく原因を取り除く、戦争は絶対に起こしてはいけない、その為の行動を常に行っていく事が、とても大切だと思って居ります。
自らの足元でその行動して行く、その事が世界平和につながっていくと思います。
日本憲法・特に第九条は世界の多くの国から支持され、目標にされ「世界の宝」と評されている事も事実です。
2007-10-11
旅の感想(3)
『 お礼!(兼感想) 』
枯れ葉剤被害者支援者のひとりに加えていただき、ありがとうございました。
貴重な経験をすることが出来、またいろいろと学ばせていただき感謝しています。
北村さんのご案内だから被害者に深く入る(タイビン省、ニンビン省まで)事が出来た
のかと思います。
それに友人の元海兵隊員アレンに配布資料で会えたこと嬉しく思います。
本当にありがとうございました。
角倉 洋子(筆者は上の写真:袋を渡している方)
『愛のベトナムさわやか支援隊に参加して』
石井 紘子(写真上の左の方)
石井 紘子(写真上の左の方)
この世の中に、こんなにも奉仕の精神に富んだ人たちがいることにびっくりしました。
気候的にも決して快適ではないし、年齢的にもなかなか大変な方が多いのに、新参加の私たちに細やかな心遣いを10日間継続して変わりなくして頂き、ありがたいことでした。なかなかあそこまで面倒みきれないのではないでしょうか。いくら継続して行っているとはいえ、外国の地ですから。
ボランティアと観光が適当に配置されていてよかったです。
北村さんからエピソードを交えた話を随所でして頂きとてもよかったです。印象に残りました。
知識や意義がゼロの私たちだったので、旅の早い時期に、ボランティアの歴史と今回のツアーのレクチャー、自己紹介などがあるとよかったなと思いました。
北村さんの深い知識とベトナムの思いに圧倒されました。
ベトナムは貧乏で50年もタイムスリップしたような国でしたが、何だか人間の暮らしの根本にかなった生き方や考え方では、むしろベトナムの方が人間本来のあるべき姿であるような気がしました。
2007-10-10
旅の感想(2)
『2007年度愛のベトナムさわやか支援隊ツアーに参加して』
中村 洋子
ようやく吹く風もさわやかな秋となりました。
このたびは、思いがけずベトナム枯れ葉剤被害者支援のツアーに参加させて頂き、ありがとうございました。いつかは行ってみたいと思っていたベトナムは、貧しいが健全で元気な国でした。
ずっと戦争をしてきたこの国の人々は、もつ婦人部隊の人たちとの交流などで、アメリカに勝利した不屈な精神を垣間見ました。
3代はつづくと言われる枯れ葉剤の影響を受けた障害者に身近で逢った時、やはり戦争はダメ、「平和を守り抜く事」を日本人として自覚しなければならないと強く感じました。
2007-10-09
旅の感想(1)
今年のツアー参加者から、旅の感想が寄せられていますので、ご紹介します。
なお、川崎市の泉先生からいち早く頂戴しましたので、ブログの中に既に掲載させて頂いたので、ここではご紹介を省かせて頂きます。
「平和村や友好村での愛ちゃん」
おき かずこ
愛ちゃん得意の目隠しゲームは平和村と友好村で演じましたが、子どもたちはどこの国の子どもの感性も同じだな~と思いました。初めて見るお人形が口を開けてしゃべったり、目や首を動かしたりしての動きにとってもビックリしたらしく、終わってから子ども達のそばに寄って愛ちゃんは一人ひとりに挨拶をして回りました。
愛ちゃんが出す手に握手したり、子どもたちの頬にチュッをしたりしての挨拶はとても身近に感じたらしく親近感をもったようでした。
中には恥ずかしがって身を引いたりする子もおりましたが、どの子も握手の時には自ら手を出して握手を求めてきたり、中にはお人形がしゃべるのが不思議とみえて、愛ちゃんの口の中に手を何回も突っ込んだり、口を思い切り開けようとしたり、手を引っ張ったりして壊れてしまうのではと思う場面がシバシバありました。
車椅子に乗ったままのお子さんには愛ちゃんを抱かせてあげると、不自由な手でシッカリ抱いてとても嬉しそうにしておりました。
とにかくどの子どもたちも大変に興味を持ってくれた事は確かでした。事前に通訳の方には内容をお知らせしてあったので、スムースに内容も通じたようで大いに楽しんでくれたようです。
ほんのひと時でも喜びが共有できたことは愛ちゃん共々嬉しい限りです。ベトナムの子どもたちや世界の子どもたちに本当の平和が訪れるよう、愛ちゃんもガンバリたいと思います」
写真:上は平和村で。下は友好村で。
なお、川崎市の泉先生からいち早く頂戴しましたので、ブログの中に既に掲載させて頂いたので、ここではご紹介を省かせて頂きます。
「平和村や友好村での愛ちゃん」
おき かずこ
愛ちゃん得意の目隠しゲームは平和村と友好村で演じましたが、子どもたちはどこの国の子どもの感性も同じだな~と思いました。初めて見るお人形が口を開けてしゃべったり、目や首を動かしたりしての動きにとってもビックリしたらしく、終わってから子ども達のそばに寄って愛ちゃんは一人ひとりに挨拶をして回りました。
愛ちゃんが出す手に握手したり、子どもたちの頬にチュッをしたりしての挨拶はとても身近に感じたらしく親近感をもったようでした。
中には恥ずかしがって身を引いたりする子もおりましたが、どの子も握手の時には自ら手を出して握手を求めてきたり、中にはお人形がしゃべるのが不思議とみえて、愛ちゃんの口の中に手を何回も突っ込んだり、口を思い切り開けようとしたり、手を引っ張ったりして壊れてしまうのではと思う場面がシバシバありました。
車椅子に乗ったままのお子さんには愛ちゃんを抱かせてあげると、不自由な手でシッカリ抱いてとても嬉しそうにしておりました。
とにかくどの子どもたちも大変に興味を持ってくれた事は確かでした。事前に通訳の方には内容をお知らせしてあったので、スムースに内容も通じたようで大いに楽しんでくれたようです。
ほんのひと時でも喜びが共有できたことは愛ちゃん共々嬉しい限りです。ベトナムの子どもたちや世界の子どもたちに本当の平和が訪れるよう、愛ちゃんもガンバリたいと思います」
写真:上は平和村で。下は友好村で。
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