2006-07-08

蓮 蓮華 れんげ

Posted by Picasa 開いた開いた
なんの花が開いた
れんげの花が開いた
開いたと思ったら
いつのまにかつぼんだ

つぼんだつぼんだ
なんの花がつぼんだ
れんげの花がつぼんだ
つぼんだと思ったら
いつのまにか開いた

幼いころ口ずさんだ童(わらべ)歌。 まさに、この「蓮華」が蓮です。

ベトナムに行き、朝早くホテルを出て、枯れ葉剤の被害者のお宅に伺い、沈痛な話しをきかせて頂き、こんな人生もあるのかと打ちのめされながらその家を辞して、ふと見ると、しぼみかけた蓮の花に出会う。そんな光景を、私は何回みてきたことでしょうか。往きに蓮の花に気づいていながら、帰りに撮ろうと思って、出てみると、もうしぼんでしまった花がそこにある・・そんなことも実に多かったのです。足が釘付けにされるほど、きれいな色ですね。この写真は、忘れもしないハナム省キムバン郡で撮ったものです。

インド原産。蓮は「蜂巣(はちす)」の略と言われています。実の入った中央の黄色い花床にたくさんの穴があいていて蜂の巣に似ていることから、そういわれたようです。漢字の「蓮」は漢名から、種子が連なってつくことと聞きました。

古代ハスの研究者、東京大学農学部教授大賀一郎さんが、千葉市の東大厚生農場 (現、東大検見川総合運動場)で、1951年に、弥生時代の地層から2000年も前のこの蓮の実を発見した話は、感動ものでした。

しかも、それにとどまらず、発芽、開花に成功したのですから、古代の夢が現代に咲いたわけです。発掘スケジュールの最終日の最後の瞬間に蓮の実を発見し、それが弥生時代のものだったのですから、その根気と執念のエネルギーに敬服するのみです。地元検見川では、毎年の「ハス祭り」には毎年多くの人が訪れるそうですが、一度見てみたいと・・・。でも私は、ベトナムの蓮でしばらくは我慢するしかない・・と思っています。千葉は、「千葉(せんよう)の蓮華」に由来するといわれていますが、ほんとうにそうだったのだと思います。

朝5時過ぎから開き初めて、朝早く開き午後3時頃には閉じてしまう。店じまいは早いのです。 蓮華はこの開閉を2-3回繰り返し、大体4日目には花びらが散ってしまうほんとうに不思議な植物です。

しかも花が咲いた時に実が生じるという不思議な花です。仏法でいわれる因果倶時の比喩に引用され、花(華=因華)と実(菓=菓台)、因華と菓台を同時に生ずるので、不思議の法たる「妙法蓮華」に似ています。

従って、ハスも「蓮華」と名づけられております。 「妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華・人間には櫻の花・此等にはめでたき花なれども・此れ等の花をば法華経の譬えには佛取り給う事なし、一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり<中略>蓮華と申す花は菓(み)と花と同時なり」とあります。

日本で最古のハスの出現は、河内国(かわちのくに=大阪)です。『古事記』には、「日下江の 入江の蓮(はちす) 花蓮 身の盛り人 ともしきろかも」とあります。大昔は、いっぱい咲いていたのです。中国の『詩経』ではハスを尊び、「君子の花」としてされています。

古代エジプトのピラミッドや王家のミイラからハスの種子がでたり、王家の紋章にハスを使用されていましたが、エジプトの蓮は睡蓮だそうです。

インドになるとハスの歴史は更に古くなり、約五千年前のものと思われるハスの女神像が発見されています。インドの釈尊は、人間生命の哲学的な表現をハス(蓮華)に譬えました。

バラモンの根本聖典『ウパニシャッド』の中にも「浄化せる者たりとも、未だ浄化せざる者たりとも、聖典を恒に念誦する者は、罪悪に染まらざること、しかも蓮華の汚れにおけるが如し」と説かれています。法華経の『涌出品』に、「不染世間法 如蓮華在水」ということが説かれております。「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し」と読みますが、蓮の花は、濁った池や泥沼に生息しながらも、本当に清らかな花を咲かせるのです。

ベトナム外務省のレ・ドゥック・タインさんが、いつも「あそこのお茶じゃなくちゃだめだ」と知りあいのところから買ってきてくれる蓮の実が入った「ロータス・ティー」の妙なる味を賞味しながら、枯れ葉剤の被害者全員が、泥沼にあっても蓮のようにすくっと立ち上がってほしいといつも思うのです。でも、ダイオキシン2378-TCDDは、自分の足で立ち上がれないほどのダメージを多くの人に与えてしまったのです。だから、蓮の花を見ると、私の心境は複雑です。(文責:在シドニー、フリーランス・ジャーナリスト 北村 元)

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