2006-07-06

越枯れ葉剤被害者 集団訴訟に望み託す(中)

(この記事は、2004年8月17日付けの公明新聞に掲載したものを、修正加筆したものです)
  証拠能力高い資料作成が大きな負担に
では、いまなぜ集団訴訟なのか。アメリカの法律には、当然訴訟期限についての規定がある。
ベトナムの場合、戦争終了の1975年4月30日から10年以内となる。だが、特例が適用される。アメリカが、長い間ベトナムに対して課してきた経済制裁を解除したのが、1994年2月3日だった。制裁発動中は、訴訟できないので、訴訟期限は、そこから10年後の2004年2月3日までとなる。そして、期限切れぎりぎりの今年1月31日に訴状を提出したのである。


しかし、これを戦争犯罪として訴えるなら、期限はないんである。

なぜ、ベトナムはぎりぎりまで待ったのか? それは、ベトナム人の文化とも深く関係している。ベトナム人には、もともと訴訟ではなくて、話し合いでものごとを解決する国民性がある。アメリカ高官が訪問するたびに、人道的解決を訴えてきたのも、その故である。クリントン大統領が国内で認めた枯れ葉剤被害による責任も、ベトナムには言及しなかった。しかし、法律で規定する期限もあり、アメリカの誠意をこれ以上期待できなかったのだ。


訴訟の書類作成がどのくらい大変なのかを簡単に説明しておこう。
まず、本人が枯れ葉剤散布地域を通過したか、居住したかを証明しなくてはならない。その証明をした後、アメリカ軍が公表した枯れ葉剤散布の実行を示す文書と照合する。次は、本人が持っている疾病は、ダイオキシンによるものかどうかを確認しなくてはならない。3世代分を表す家系図も作らなくてはならない。


しかし、家系図ができても十分ではない。その夫婦の兄弟姉妹の子供が元気かどうかを調べる必要がある。もし、兄弟姉妹の子供に障害児・奇形児がいなければ、説得力は高くなる。逆に、障害児・奇形児がいれば証拠能力としては極端になくなったり低くなるので、その場合は原告からはずす可能性も出てくる。

ベトナムには、枯れ葉剤被害者の全体像を示す全国統計はない。証拠能力の高い書類を作らなくてはならないので、時間もかかるし、費用もかかる。ベトナム政府は財政的に大きな負担を強いられるのである。

枯れ葉剤の被害による奇形を見せる子どもの特徴は、身体の各部分に複数の奇形性をみせ、いずれもが深刻な状態であることだ。

一番上の写真をみて頂きたい。この子はハタイ省に住む子である。足はご覧の通り、膝下で直角に曲がっていて、完全に歩行不可能である。一見膝に見えるが、そうでなない。その上に、精神障害を抱えている。さらに、家庭環境を言うなら、一緒に写っている人は、父母ではない。祖父と祖母である。両親は、この子を祖父母の元に預けたまま、姿をくらましたのだ。今でも、祖父母は、娘夫婦の帰りを待っている。

さて、集団訴訟の原告の1組に、左の写真にみるグエン・ヴァン・クイさん親子がいる。

クイさんは、北部のハイ・ズオン省出身だ。1972年から、枯れ葉剤が散布されたクアン・ガイ省やクアン・ナム省の南部戦場で従軍し生活した。

Posted by Picasaクイさんは、コントゥム省で、アメリカ軍が落としていった枯れ葉剤のドラム缶を発見している。彼は、ナイフでドラム缶に穴をあけた。白い粉末だったという。

除隊後、クイさんは、1984年に結婚した。最初の子は、早産で、胎児は奇形だった。これが理由で、奥さんは別れた。

1987年、クイさんは再婚した。生まれた第1子グエン・クアン・チュン君は、脊椎、手足に奇形・障害をもって生まれた。そして、第2子、グエン・ティ・トゥイ・ガーちゃんが生まれた。先天的盲目と先天的聾唖であった。真ん中の写真で、父親の隣で立っている子だ。

二人とも自立は出来ない。加えて、父親のクイさんは、胃ガン、肝臓ガン、肺ガンと診断された。衰弱して仕事の出来ないクイさんと自立できない二人の子。この一家を、妻が市場に売りに出て家計を支えている状態だ。何回訪問しても、奥さんに会えたことはない。朝早くから夜まで、休み無しに働いて家計を支えている。だから、私はせめて額の中に入った奥さんをいれて写真を撮った。クイさんは、この働き者の妻に、いつも感謝の言葉を忘れない。

昼間だけでも、クイさんがなんとか子供の面倒をみることができる。

こういうケースを「それでもましな方だ」、とわれわれは言っていいのだろうか。(つづく)

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