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原告に入っていない被害者をご紹介しよう。
女性ボランティア兵士として、ホーチミン・ルート作りのため山岳地帯に入ったマイ・ティ・トーさん(フー・ト省在住=写真左)は、健康な子供がほしいという主人と別れて、歯を食いしばって、女手一人で障害児を育ててきた。
可愛い盛りの長女を4歳の時白血病で失った。いままた、手術不可能、余命幾ばくもなしと病院から宣告された4男を肝臓ガンで失おうとしている。(息子さんは、2004年3月に亡くなった)
一人の女性が一生のうちに生んだ子供が3人であれ、5人であれ、すべて障害児、奇形児、虚弱者であれば、一生つきっきりで介護しなくてはならない。それが、どのくらい両親、家族、地域に苦しみを与えるか想像がつくであろう。ましてや、夫と別れて女手一つで育ててきた子どもとの別れが母親に与える苦痛は、筆では表せない。
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枯れ葉剤が多量に撒かれた中部のクアン・チ省などで歩兵として従軍し、身体にイボイボが全身に多量に発生して除隊した。神経繊維腫だった。イボの一つ一つが腫瘍である。幸いなことに良性腫瘍だ。だが、イボが痛む。深い眠りについたことがない。
さらに、娘二人に異常が出た。下の娘はグエンさんと同じイボイボの症状。最近増えつつある。「伝染する」と言って、友人はすべて遠ざかっていった。野菜を売りに行っても買ってくれない。
上の娘は視力が極端に弱い。私が同行を頼んだ医者の初期診断によると、イボが身体の中に出来て、視神経を邪魔している可能性があるという。
被害者救済の援助も、ベトナム政府はかなり積極的に行っているが、手当を受けている被害者は、被害者全体からみればほんのわずかである。ベトナム政府は、30万人に毎月平均10万ドン(1米ドル=1万5千ドン)の手当を支給している。つまり、ベトナム政府は毎月300億ドンを支給しており、これを米ドルに換算すると、毎月200万ドルとなる。(註:この手当は、2005年に改定された)
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最初の子供が障害児・奇形児とわかったのに、なぜ2番目を作らないようにしなかったのか、と農民に質問したアメリカ人ジャーナリストがいた。
枯れ葉剤の知識に詳しい農民になら、その質問は適切である。農民は、「自分の家系の過去の罪を背負って生まれてきたので、恐らく神が罰を与えたのだと思いました。神に元気な子を授けてくださいと祈りました」と答えた。彼ら農民は、自分たちがダイオキシンに曝露したという事実すら知らなかった。出産しても、障害児や奇形児が生まれる可能性が高いという知識もなかったのである。
化学戦争の責任に半減期は無い
世界の大義の声集める意義も
訴訟に備えて、枯れ葉剤被害者協会が昨年(2003年)暮れに設立された。会長に就任したのは、ダン・ブー・ヒエップさんという人だ。日本では無名に等しい。とりあげたマスコミも102冊を除いて皆無に等しい。
1965年11月に、初めてアメリカと北ベトナムの正規軍同士が地上で戦った”イア・ドラングの戦い”があったが、この時指揮をとった人が、ダン・ブー・ヒエップさんで、後の中部方面軍司令官になった人だ。 ベトちゃん、ドクちゃんが生まれたコントゥム省サタイに陣を構えて10年。中西部を解放しながら10数年ぶりにニャチャンの海をみて涙を流した。
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無関心のままの問題放置は許されず
ベトナムの中興の祖と言われるレ・タイン・トン王が採択したホン・ドゥックという法典第2条で、人に毒を盛った行為を道義的犯罪と明記している。この種の犯罪は10大犯罪の5番目に列挙されており、断頭の刑に処された。命をたわめる者、かけがえのない命を奪う者は厳罰を受けなくてはならない。われわれは地上最強のダイオキシンを長期にわたって撒いたアメリカの行為はとうてい容認出来るものではない。
この集団訴訟を通じて、われわれは全人類的視野から、今なお苦しむ第1世代から第3世代(第3世代で終わるという意味ではない)までのベトナムの被害者はもちろんのこと、枯れ葉剤禍にあった各国の復員軍人とその子供たちと連帯し、さらに世界の正義と共戦のスクラムを組むことを呼びかけようではないか。最新の情報では、第3世代の被害者の数は、20万にも達している。
ベトナムでは、南北で300万もの被害者が苦しんでいる。無関心であってはならない。他人事であってはならない。ベトナムには、「一人の風を加えると嵐になる」という諺がある。集団訴訟の反響はスローではあるが広がっている。イギリスの国会議員32名も連帯の支援を表明した。人命を奪い環境破壊を行ったアメリカの蛮行と、ダイオキシンの脅威を一人でも多くの人が知ること自体が、必ず人類益・人類の平和につながっていく。
裁判は長期化するだろう。こういう直近の過去の戦争の後遺症に苦しむ人々の問題を未解決のまま、われわれがのほほんと21世紀を過ごすことは許されない。化学戦争を行ったアメリカの責任に半減期はないと考える。(おわり)
**フリー・ランス・ジャーナリスト 北村 元
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