2010-03-25

2010年支援隊ツアー 参加者募集開始

今年も 支援隊ツアーの募集を始めました。
ちょっと力を貸してあげようとお考えの方・・・お待ちしています。
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募集要領
期間:8月15日~8月22日(6泊8日 機内泊1泊)

訪問地:ダナン市 クアンガイ省 トゥアティエン・フエ省 クアンチ省(予定)ニンビン省 バクザン省 ハノイ市
支援先:枯れ葉剤被害者施設 小学校 枯れ葉剤被害者を抱えた一般家庭

主な支援内容:”名古医師の宅配眼科検診・ハイ目を見せて”小学校での眼科検診など 金原昇のアイディア交流     o(*⌒―⌒*)o新谷文子の音楽療法”輪になって” ―{}@{}@{}- やきとりどーぞー食の文化交流“あなたもシェフだよ”奥井悟の巻き寿司料理教室 奨学金贈呈など盛りだくさん。
さて、あなたはどんな力を貸してくださいますか? 


参加費用:17万9000円(10人以上参加の場合)


参加費に含まれるもの:航空券、宿泊費、各地移動用交通費、全食費(ハノイ到着後からハノイを離れるまでの1日3食全食事)1日1本のミネラルウォーター、支援で動くためのコーデイネーション費、通訳費、

参加費に含まれないもの:電話代などの通信費、宿泊先での洗濯代、個人で消費するアルコールなど。旅行傷害保険、自宅⇔成田空港間の交通費

申し込み先:

愛のベトナムさわやか支援隊 (ベトナム枯葉剤被害者支援の会)
会  長 宮尾 和宏 TEL 055-976-8822

事務局長 金原 昇 TEL 055-971-0848


わが愛のベトナムさわやか支援隊の誇る4大スターをご紹介しましょう。

道がなくてもどこへでも出かける金原昇事務局長兼芸能部長↑ ギターとハーモニカで ♪みかんの花が 咲いている~
眼科検診の宅配をする名古良輔医師↑ 2008年には、ニンビンでまとめて300の児童を検診しました。
音楽を通して心の健康を、体の健康をと・・・音楽療法士の新谷 文子さん↑ 「障害の子の笑顔って美しいですよ」
クアンガイ省の田舎町で、日本食を振る舞う支援隊ヘッド・シェフ奥井 悟さん↑。ヘッド・シェフといっても一人しかいないんですが。今年も、田舎の学校で「料理教室を」と大張り切り。
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去年は、カイロプラクティックの三田村さんも参加してくれました。あなたも、今年、支援隊のスターになってくれませんか?
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2010-03-23

トリビューン紙パート4(下)

今回は、前回の続きで(下)です。
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"子どもが心配だ"

ダナンの汚染が旧空軍基地にだけに限定されているわけではない。科学者も除草剤のダイオキシンが近くのセン湖にしみ込んだことも分かった。その湖では、何十年と、住民たちは魚を売り買いしてきた。

魚や沈殿物のダイオキシン濃度が非常に高いために、ベトナム政府は湖での釣りや水泳を禁止した他、湖周辺に住む家族を移動させた。ベトナム政府は、さらに、汚染地区をコンクリートで封鎖したほか、住民が立ち入らないように、湖周辺に壁を建設した。にもかかわらず、現場に取材に行った報道関係者が、湖で釣りをしている10代の若者に遭遇した。

10年以上もの間、ファム・ティ・クックさん(74)は、ダナン空港西の美しい湖で、蓮の花を栽培し、漁業を営んできた。ハットフィールド社の調査で湖の沈殿物のダイオキシン濃度が世界的な安全基準よりおよそ40倍高いことが示されると、彼女の仕事は2007年に禁止された。

クックさんから採血された血液は、WHO標準より50倍以上も高く、ヴェトナムでこれまでに計測された中では最高濃度のダイオキシンの部類に入る。彼女の子供たちは、母親と一緒に湖で仕事をし、汚染された魚をたくさん摂取しており、血液中のダイオキシン濃度は高い。

子ども達は一人も病気になってはいないが、クックさん血液検査以来10ポンドも痩せた。それは、ダイオキシンが子供たちや孫にどういう影響を及ぼすか、不安にさいなまれているからだ。

種々の調査は、ダイオキシン曝露がガンや他の疾病の危険性を高めることを示してきた。しかし、体にその影響が現れるまでに数十年かかることもある。また、曝露した人々の中には、疾病の影響が出てこない人もいる。科学者は、ダイオキシンが細胞の発達を崩壊させ、人のDNAすら変更することができると思っている。

2006年に、アメリカ環境保護庁は、空港とセン湖でのダイオキシンを除去するカネのかからない方法を見つけるために、ベトナム側とアメリカの個人的な慈善財団(特にはフォード財団だが)による努力に対する貢献方法として技術協力を提供し始めた。去年10月には、アメリカ国際開発庁は最も、汚染地区の最上の浄化方法を研究するとして、140万ドルの契約に調印した。同庁では、研究に3年かかると言っている。

しかし、そんなことで、すでに心の傷を負っているクックさんの恐怖を緩和することにはならない。
「私は、子供たちと孫についての健康問題を払拭できない。私はもう年をとっているので、自分の健康は心配しない。でも、子ども、孫の心配はするよ」と、クックさんは言った。

アメリカ議会が割り当てたお金は、南ヴェトナム中で点在する他の汚染地区は言うまでもなく、ダナン地区の浄化作業でもはるかに不足している。

昨年の6月に発表されたアメリカ議会調査局の報告書は、ダナン空港の浄化費用を約1700万ドルと見積もったが、ベトナム側の見積もりは、3箇所の重度汚染地区の浄化には、約6000万ドルかかると見積もった。

ヴェトナム総環境局のレ・ケ・ソン次長は言う。「我々双方は、考えていることを自由に発言するために門戸を開いた。アメリカ政府がすべてのことをすることができないということは知っている。しかし、彼らが起きてしまったことの対して、ヴェトナムに一種の同情を示すべきだと私は思う」と。



“汚染された魚やアヒル”

ダナンの汚染地区を封鎖したことは、そこでの状況を改善したようにみえる。しかし、旧サイゴンで、現在ホーチミン市ビエン・ホアの北20マイルにある産業都市ビエン・ホアで同じ事をすることは、はるかに困難だ。

戦争中、アメリカ軍は何百万ガロンという除草剤を、ヴェトナム最大の空軍基地ビエン・ホアに貯蔵した。1970年だけでも、7,500ガロン以上の除草剤が意図せずだが、こぼしている。

米越双方の科学者は、同基地の土壌や沈殿物には国際的許容基準の1,000倍以上高いダイオキシン濃度を測定した。それは、ベトナムで測定された過去最高のレベルである。

汚染された地域からのダイオキシンは、近くの川や、何千もの住人が利用する大きな公園内のビエン・ホア市中央に位置する湖にしみ込んでいった。
何十年も、漁師は、ビエン・フン湖から獲れる魚、カタツムリ、カエルとカモを、地元住民に売ってきた。ダイオキシンは脂肪細胞が好きだ。そして、科学者は、住民が脂肪分に高水準の毒が入っている魚やアヒルを食べれば、人体に影響がでると仮定している。

昨年、ドンナイ省政府は、湖周辺の2つの村で取れるカタツムリ、魚、チキン、カモ、エビとカエルなど特定食品を禁止した。

枯れ葉剤関連の健康問題支援のため、フォード財団はおよそ650万ドルの補助金を提供したが、そのお金で、ドンナイ省保健当局は、汚染地域周辺で食糧を消費する危険性を説明するため9,000部のパンフレットを印刷した。

しかし、ドンナイ市の人口はおよそ750,000人。そして、一部の家族にとっては、それはあまりにも小さな知らせであり、あまりにも遅きに失したものだ。

グエン・ティ・トンさん(56)は、ビエン・ホア空港からの汚染にさらされた小川のそばで、生涯を過ごしてきた。彼女の父は12年間肝がんと闘病している。そして、彼女の妹は30才になる前に直腸ガンで死んだ。トンさん自身も、肝臓の病気に苦しめられている、と言っている。

「この川の両側の多くの人たちが、30歳とか40歳才周辺で死んでいった。彼らの多くが肝臓癌のためだ-それが一番の理由だ」と、彼女は言った。

ドンナイ省保健当局によると、ビエン・ホアは、今日、人口100,000人当たりおよそ1,333人の癌患者がいて、ベトナム全国で最高の癌発生率をみせているという。当局はまた、ヴェトナムの保健医療制度が遅れているために、多くの癌患者は一度も診断されることなく死んていくと言っている。(パート4完 つづく) Posted by Picasa

2010-03-17

トリビューン紙パート4(上)

基地は枯れ葉剤に汚染されたまま。
解決可能な問題に早く手を打て

【ダナン発】トリビューン紙調査のパート4では空気がヴェトナムにおける旧アメリカ軍基地が、枯れ葉剤で高度に汚染されたままであるが、アメリカは戦争中に汚染した基地の清浄にほとんど何もしていなかったことを伝える。
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しかし、(アメリカが何もしなかった)結果は、発癌性有毒ダイオキシンの濃度は、米環境保護庁が住宅地に定めたガイドラインよりはるかに大きい数字を示したのだ。


それは、現在環境調査会社社長になっているボアヴァン氏が、「ユーレカモーメントを得た」と言った時だ。(北村註:ユーレカ・モーメントとは、何かを発見し、「やった」という瞬間のこと)


バンクーバーに本社を置くハットフィールド・コンサルタント社は、近隣の池の土壌と沈殿物から、カモや魚の脂肪、さらに汚染地域に住む村民の血液と母乳に至るまで、食物連鎖を通して毒素の追跡を始めた。


ある女性の母乳は、WHO(世界保健機構)が安全基準としているものより6倍も高いダイオキシン濃度だったことが、研究から分かった。その母親の2歳になる子は、米復員軍人省が米国の復員兵士の子供たちに補償する先天性欠損症のうちの1つであるスピナビフィダ(脊椎披裂)になっている。


それ以来、ハットフィールド社とベトナム科学者は、旧南ベトナムに点在するほぼ3,000の旧米軍基地からサンプルを採取してきた。ダナン、ビエンホアとフーカットの3大重度汚染地区を含む28の「汚染地区」を特定した。


彼らの調査結果は、解決可能な ― 且つ、緊急の ― 問題としてヴェトナムにおけるエージェント・オレンジの遺産を計算しなおす方法を提案した。未だに続く汚染を発見したことは、先天性欠損症や他の複雑な健康障害問題をめぐる醜い論争をやめて、計測可能な現代の問題に焦点をあてることになった。


2000年に最初のハットフィールド社調査が発表されて以来、汚染に関連した深刻な健康問題と枯れ葉剤に起因する重要な環境被害への取り組みとしてちょうど600万ドルを提供したが、アメリカ政府はベトナム戦争中にアメリカ軍が汚染した場所の浄化作業の協力については何もしなかった。


問題に取り組んだボアヴァン氏らグループは、最初の研究が始まった時から、より多くの協力が米越間で行われたと言う。ハットフィールド社はカナダ政府助成金の負担を希望して、ヴェトナムで無料奉仕で作業を始めた。しかし、同社は後に、この問題を専従で調査することになり、相当な時間と人材を提供した。


「特にここ数年、アメリカとベトナムの両国に大きな動きがあった。(現場を)見ることが、非常な励みになるということだ」と、ボアヴァン氏は言った。


それでも、ヴェトナム国内の汚染された旧アメリカ軍基地に対するにアメリカの全体的な行動のペースは、遅かった。ヴェトナムとアメリカの当局は正確なコスト予想で意見が合わなかった。しかし、ヴェトナム戦争時代の汚染地区の浄化作業の費用は、何千万ドルにも達することは確かだ。


「ヴェトナムに有害なダイオキシン濃度があるということは疑問の余地がない。そして、ベトナムで、それを貯蔵していたアメリカ軍と南ベトナム軍に原因と結果があるということも疑いない。アメリカがこの問題に対処しなければならないとするのは、比較的簡単な議論だ」と言うのは、2004年から2007年まで駐ヴェトナム大使を務めたマイケル・マリン氏だ。


エージェント・オレンジ衝撃という目に見えない脅威は、直接撒布された兵士や一般民間人だけが感じているわけではない。エージェント・オレンジが貯蔵されたり ―漏洩していた ―基地内や基地周辺では、この化学物質の衝撃に永続性があるのだ。

ダナンの汚染地区を警備するベトナム軍兵士(上)。戦争中、この空軍基地に何百万ガロンの除草剤が貯蔵された。30年以上経た今も、土壌は安全基準を超えるレベルのダイオキシンを含んでいる。汚染も近くの湖に広がり、食物連鎖を通して、人の血液と母乳に入っていく。

グエン・ヴァン・ズンが1996年にダナン空港で下水道の清掃を引き受けたとき、彼は米軍がベトナム戦争中に数十万ガロンの除草剤をそこに貯蔵していたことも、それらの除草剤が12以上の疾病と関連がある高度の有毒合成物を含有したということも知らなかった。彼は、毒素が土壌にしみこみ、危険な高いレベルでそこに残留していることも知らなかった。


ズンは、妻のトゥー、健康な幼い娘と一緒に、旧米軍基地(ダナンのこと)の隣に、シンダーブロック(セメントと石炭を混ぜて造った中空の建築用ブロック)で出来た一部屋の家に引っ越した。次の13年間、ズンとトゥーは空港で働いたが、2人の子供は、汚染に起因したと思う血液と骨の珍しい疾患を含む悲惨な病気に見舞われたが、二人は空港の汚染でそうなったと疑っている。


2番目の娘は、7歳で死んだ。そして、いま、10ヵ月の息子は同じ病気を患っており、毎月、生きていくためには、痛みを伴う輸血を必要としている。


「私は男だから、めったに泣くことは市内」と、41歳のズンは言ったが、妻のトゥが元気の無い乳児を膝に抱えると、彼は自宅の床に胡坐をかいて座りながら、目には涙があふれていた。「でも、息子が輸血を受けるたびに、私は泣けてくるんです」


過去3年間、ハットフィールド社とベトナムの科学者は、ダナン空港で労働者の血液と母乳に含まれるダイオキシン濃度を測定してきたが、WHO安全基準より100倍も高いものであった。


ダイオキシンは、知られている毒素の中で最も持続的な毒素と考えられている。環境中においては、その半減期は数十年と言うことがありうる。ということは、化学汚染が半分に減少することもそれだけの期間がかかるということだ。人体においては、ダイオキシンの半減期は、およそ7年半だ。


つまり、10年前でなくとも、ハットフィールド社が検査した一部の住人は、もっと高い濃度の毒素に曝露することが出来たのだ。(下につづく)Posted by Picasa

2010-01-15

トリビューン紙パート3(下)

パート3最終回の(下)は、枯れ葉剤被害者を抱える親の世代の重荷を訴えています。
ん~ 困ったヽ(*´□`)ノ困ったぁ~
両親の重荷
                          
チャム・ティ・シューには6才の息子、ホー・コン・ドゥックがいる。彼は、生後6ヵ月くらいにしかみえない。彼の青い静脈は、透き通るような皮膚の下で見える。その少年はやせ細り、顔色は青白い。呼吸は荒くて、苦しんでいた。シューは、娘の発作と同様に、息子の病気も、自分が枯れ葉剤に曝露したからだと信じている。
「私は、飛行機が私の頭の後ろの上空で飛行していたのを憶えている」と、シュー(43)が言った。彼女は、クアンナム省育ちだ。「飛行機が去った後、木々から全ての葉が落ちた。(枯れ葉剤を)撒布したので、私たちは濡れた。そういうことが何度行われたか、正確に覚えていない。しかし、母は少なくとも3回はあったと言っていた」
娘(右)と孫(中)を抱える母親(左):クアンナム省で

クアンナム省の撒布飛行データでは、エージェント・オレンジほぼ24,000ガロン、エージェント・ブルー21,000ガロン(ヒ素入り)が、シューの村の2マイル以内に撒布された。
「私は、息子のことが非常に心配だ」と、シューが言った。「私が息子より長生き出来れば、問題ありません。でも、私が死ねば、誰が息子の面倒を見てくれるのか」

ダオ・ティ・キエウ(写真下)。彼女は、夫だけでなく、5人の子供たちも失った。
夫、ラム・バー・チュンさんは、南ベトナム政府軍に入隊し、クアンチ省の17度線で従軍した。クアンチ省では、アメリカ軍と南ベトナム政府軍が、敵の穀物を破壊し、密生したジャングルを枯らすために70万ガロンを超える除草剤を撒布した。

彼は、7年の闘病後、医学研究所と米復員軍人省が戦争中に使用された枯れ葉剤関連の疾病とした肺ガンと喉頭ガンで2004年に60歳で亡くなった。

多くのベトナムの市民と同様に、キエウと夫は、子供たちの苦しみが自分たちのせいだと責めながら何年も過ごしてきた。

【写真上説明】 ビエン・ホア郊外で田仕事をするダオ・ティ・キュー(57)さん。彼女の田畑は、ベトナム戦争中にアメリカが除草剤を撒いた。彼女の8人の子供たちのうち、7人は先天性欠損症で生まれました、そして、5人は死んだ。南ベトナム政府軍兵士として戦ったキエウの夫も、エージェント・オレンジと他の枯れ葉剤への曝露と関連したガンで亡くなった。

「私たちは、恐らく、過去の世で何か悪いことをしたのだろうと思った。だから、私の夫は、菜食主義者になった」と、言いながら、彼女の声が変わり始めた。

ほとんど毎日、キエウは、午前3時起きだ。2人の障害をもった娘、ラム・キム・リエン(39)とラム・ゴック・フオン(35)の世話をするためだ。

生まれながらの盲目の少女:友好村で
物理療法のおかげなくして、二人とも歩いたり、話したり、スプーンを持つことすら出きない。彼らの奇形の、骨格の体と刈り込まれた髪が、彼女らをはるかに若く見えさせる。一方、彼らのやつれた、無表情な顔は、茣蓙を被せた小さな木のベッドの上で過ごした生活を映し出していた。

健康な子供は、ラム・ゴック・ニャン(20)さんだけ。キエウとチュンが10年待って生まれた子だった。ダイオキシン濃度はおよそ7年半で人間で半減すると考えた重要なことだった。母が授乳している時も、ダイオキシンは体外に出て行く。
                 
キエウは日没まで畑仕事をして家に戻り、それから、リエンとフオンを行水させ、ご飯を食べさせる。鉄の意思をもつ小柄な女性キエウは、生活苦の中でよく頑張っていると村人からも尊敬を集めている。それが、生活の痛みの中で彼女に誇りを与えている。
しかし、彼女が抱えている困難と将来に対する彼女の希望を話す時に、その強さは崩れ去るのだ。
                          
「私は、何と言っていいかわからない。正義はどこに?私は、5人の子供と夫を失った。2人の子供は身体障害者だ。毎日のように畑仕事から戻って来る日々。子供たちを持ち上げることができないほど疲れる」と、涙が彼女の黒い目からしたたり落ちた。(パート3完:パート4に続く)Posted by Picasa

2010-01-14

トリビューン紙パート3(中)

パート3の(中)は、初期に警戒信号が出ていたことと、枯れ葉剤被害で矛盾する主張が
報告されています。
.+:。ヨヨヨョョョ(´;ω;`)´-ω-`)´_ _`)ョョョヨヨヨ゚.+:。
初期の警戒信号があった
戦争中、若手の産婦人科医として、サイゴン(現ホーチミン市)で、ヴェトナム最大の産婦人科病院、ツーズー病院で、グエン・ティ・ゴック・フォン博士は、何百人もの健康な赤ちゃんを取り上げた。
その後、アメリカ軍が何百万ガロンも除草剤の使用を拡大した2年後の1968年に、ゴック・フォン博士は、自分が脳か脊髄なしで生まれた赤ちゃんを取り上げたと言った。
次の数月に、彼女は同じような重度の奇形児を週に3~4回、内臓器官が対外に出ている子ども、両手の無い子、足の無い子、無眼症の子を何十人と取り上げたと、彼女は言った。
「それは、私と私の同僚にとって、息が止まるようなことだった。最初のケースは、私の当直の日に起こった。私は母親がショック状態になるのではないかと思って、その母親にみせなかった。しかし、父親と他の家族は見たいと言った。そして、それは恐ろしい姿だった」と、彼女は涙を拭いながら、声がうわずった。
ついに、彼女は友人のところへ話をしにいった。その友人がサイゴンの新聞の1社に寄稿したのだ。ヴェトナムにおけるベトナム戦争に関連した先天性欠損症の話が、やがて出始め、今日も続く激しい論争に火をつけた。
ザーライ省プレイメの特殊部隊基地1965年

(上はプレイメの米軍特殊部隊基地。1965年10月19日、北ベトナム軍は同特殊部隊基地を攻撃。イアドラング渓谷の戦い口火となる。攻防戦では、1965年に沢田さんを含む数人のジャーナリストが 戦闘に参加。共産軍に機銃射撃した。正確な月日は不明。【小史】9月 北ベトナム正規軍の第32、33、66師団が、ホーチミン・ルートを使ってカンボジア国境から侵入。国境から東に向かって下るイアドラン渓谷に進出。国境から11Kmのプレイメに米特殊部隊が基地を構えていた。北ベトナム軍はプレイメ後方のフォーチュン山地に拠点を構築する。
10.19 イアドランの戦いが始まる。北ベトナム第33師団がプレイ・メの特殊部隊基地を攻撃。第32師団はプレイ・メ北方でプレイクへの道を遮断。戦闘は35日間にわたる。北ベトナム軍が撤退し、いったん終了。)

国立衛生研究所の研究で、一部の合成物に含まれる化学物質が実験動物で先天性欠損症を引き起こすことが明らかになった後の1971年、米軍はランチハンド作戦という枯れ葉剤撒布計画を中止した。その後まもなく、米国の軍医総監は、2,4,5-Tの国内使用を停止させた。その後、その2,4,5-Tは、高度に危険なダイオキシン、TCDDに汚染されていることが広くしられるようになった。

人間と動物の脂肪細胞に付く悪魔のような毒素、TCDDは、何十年も体内に残る。科学者は、ひとたび体内に入ると、それはAhレセプター(AhRとも書く。それは、それから、潜在的にガンと他の疾病に至る細胞成長に影響を及ぼす一連の分子現象を引き起こす)と言う名の受容体である細胞タンパク質と結合する、科学者は考えている。研究者もダイオキシンの衝撃がそのレセプターに与える影響は、遺伝子制御を変えることができ、人間のDNAの変化につながると仮定している。

遺伝子と環境の複数の要因は、人間のTCDDに対する反応に影響を及ぼす。そして、健康への影響は、遺伝子の性質、曝露の方法と量、及び研究者が完全に解明していない他の要因に依存している、科学者は言う。

先天性欠損症の場合、何十もの実験で、TCDDに曝露した実験動物が、危険に影響を及ぼす服用とタイミングで、より高い確立の先天性欠損症で生まれることを示している。科学者は、人体において、曝露と欠損症の間になんらかの相関関係を見つけたが、まだ因果関係を証明するまでには至っていない。動物の研究では、TCDDが精子を腐敗させて、胎児の成長を制御するホルモン類と干渉しあって生殖に影響を及ぼすことを示唆している。

2003年にアメリカ復員軍人省は、40年前にフォン博士が遭遇した最初の奇形、無脳症を含めて、先天性欠損症18例のいずれかに該当する場合、女性のベトナム退役軍人の子供たちに障害補償を与え始めた。

男性の退役軍人の子供に補償されているのは、脊椎披裂という1つの欠陥だけだ。これは、脊柱の若干の脊柱が完全に形成されていない状態で、麻痺、脳髄液や腸の管理問題と学習障害を含む多数の困難につながっていく。

いかにして、またなぜ先天性欠損症の子供が生まれてくるかを解明することは、痛々しいほど複雑怪奇のままだ。複数の要因がからんでいるが、その多くは分かっていない。不可能ではなくても、1人の罪人を孤立させる仕事が困難なのだ。

しかし、明らかになりつつあることは、曝露してTCDD(科学者はそれをpptという単位で計測するが)の量を追跡調査されている人々 ― 特に女性には、先天性欠損症の子供を産む高い危険性があるということだ。


矛盾する見解
                    
ヴェトナムのエージェント・オレンジの影響をめぐる論争は、両国で科学と政治、悪感情に満ちた感情問題と頑固なまでの仮定の十字路に立っている。

先天性欠損症は、相違する意見の中でも最も感情的な部分だ。一部のベトナム人は、奇形で産またほとんどすべての子供が、エージェント・オレンジの犠牲者であると主張する人もいる一方、どんな先天性欠損症に対して枯れ葉剤に責任があるというなっら、その決定的な証明をだせと、アメリカ政府当局は言い張る。

2004年から2007年までヴェトナム大使を勤めたマイケル・マリン氏は、こう言う。「ベトナム当局、中でも特に地方レベルでは、これらの先天性欠損症の全てを一緒くたにして、エージェント・オレンジに関係があると話す傾向がある。同時に、私はアメリカ側が十分な意欲でこれに取り組んでいるとは思っていない。それを扱うことは、政治的毒物なのだ」
ベトナム側は、枯れ葉剤の大規模な影響の証拠として、ネイチャー誌に掲載されたコロンビア大学ジーン・ステルマン名誉教授の研究を指摘する。その研究によると、ベトナム戦争中に、210万~480万人のベトナム一般市民が化学物質に曝露したと推定した。

未だに、一部の米政府当局者は、枯れ葉剤がヴェトナムで広範囲にわたる先天性欠損症を引き起こしたという告発を、乏しい科学的な証拠に基づいた中央統制の宣伝作戦として見ている。

「我々は、ベトナム政府が、どんな形であれ、は広範囲の深刻な健康問題 ― 特に先天性欠損症と精神遅滞に対する責任は、エージェント・オレンジ/ダイオキシンにあるという20年来の長い宣伝運動の信用を損なうような研究を決して許可しないと信じる」と、2003年のハノイのアメリカ大使館のメモにある。

米政府当局者は、栄養失調、妊婦のヨウ素の欠乏、アルコール中毒さえも、先天性奇形の高い率の可能な原因として指摘する。

議論のある政治的な悪口の多くは、トゥーヅー病院で聞かれる。そこには、最もすごい奇形をもった子どもたちの面倒をみている。れている。多くは出生時に捨てられ、障害を克服するために物理療法と他の治療を受けながら、勉強して、遊んで時を過ごしている。

病院とそこで治療を受けている子どもたちは、長引くエージェント・オレンジの影響の象徴になった。たとえ彼らの良心が曝露したのか、いかにして曝露したのか、多くの場合ほとんど知られていなくても、である。

1968年に、フォン博士と同僚は、生き残れなかった何十もの胎児と奇形児を集め始め、トゥーヅー病院内のホルムアルデヒドの入っている大きなジャーの中に保存した。ここでも、奇形を引き起こした確たる証拠が不足しているにもかかわらず、除草剤についての外国報道では、しばしばジャーの映像が特徴となった。

トリビューン紙が海外でインタビューを行った結果、露出の実証は困難である、あるいは、事実からは直接の曝露はありえないという時ですら、一部のベトナムの市民は、迅速に健康障害は枯葉剤のせいにすることは明白だった。(註1:この記事については、私見を最後に付記した)曝露したと言っている一部の人の中には、撒布活動が終わって相当経過した後まで、軍隊に入っていなかった人もいる。他野人は、ほとんど撒布が行われなかった地域で活動していた。

それでも、トリビューン紙は、トゥーヅー病院やベトナムの他の場所でも、科学がダイオキシン曝露に関連と決めた先天性欠損症や疾病に苦しむ多くの子供たちに会った。多くの場合、戦時中の飛行撒布任務に関するデータは、除草剤に曝露したという彼らの両親の話と符合していた。
                                  
(註1:この記事の状況に似た現場には、私は何回も遭遇した。枯れ葉剤の情報がほぼすみずみまで流布した結果、支援を受けたいという人の気持ちがストレートに出てきて、枯れ葉剤と結びつける。その人の話をようく聞いてみないと、矛盾点を見つられない危険性がある。だが、一方で、例えば、当時北ベトナムの最南端の省はクアンビンであり、南ベトナムの最北端の省は、クアンチ省だった。枯れ葉剤撒布飛行は、クアンチ省を越境して撒布していないことになっているが、クアンビン省で従軍していたある女性は、完全に枯れ葉剤が原因としてしか思えない症状を呈していた。越境撒布飛行は完全に無かったとは断定できない。人から話を聞いて軽々に判断することは、極めて難しいことであり、調査が必要になる。:北村)。
(パート3(下)に続く)Posted by Picasa