2010-04-21

トリビューン紙パート5(下・完)

前回に続いて、パート5の(下)です。
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トリビューン紙からの質問に、ダウ社は、1964年までは財産権のある技術情報を購入したことはなく、1965年までそれを使っていなかったと答えた。種々の記録は、同社が、アメリカ軍が1967年に除草剤を作る軍独自の化学プラントの建設を計画し始めるまで、他の企業又は政府に、技術情報を知らせなかったことを示している。
その頃には、ダウ社も2,4,5-Tのダイオキシンレベルをテストするための手順を開発していた。同社は、「1965年に他社にその技術を提供したが、1967年まではアメリカ軍にその技術を提供していなかった」と述べた。

それより以前の1963年4月に、2,4-Dと2,4,5-Tの健康有害情報について、「一般情報」を出すために、20人以上の軍当局者と化学産業界の科学者が会合を開いた。会議の議事録によれば、ヴェトナムでの化学物質使用に関して懸念を表明した者はいなかった。

例えヴェトナムで使用される化学物質の仕様が高濃度に濃縮され、より多くのダイオキシンを含有していたとしても、証拠は主として、1947年以降3億ガロン以上の化合物が国内で使用されたという事実に基づいたのである。

「委員会は、これらの化学物質が、前述の演習で使用された量と方法で、人体や動物の健康に有害なものは含まれないか、含まれていなかったと結論づけた」と、議事録にはなっている。

それにもかかわらず、ダウ社は、アメリカ軍と健康問題に関する情報を共有していたとトリビューン紙に語った。「事実、ダウを初め化学会社は、1949年という早い時期から、1960年代に至るまで、生産労働者の塩素ざ瘡の潜在的危険に関して、アメリカ政府と対話を重ねていた」と、ダウ社広報担当のピーター・ポール・ファン・デ・ウィジス氏が書面で答えた。

1965年に、枯れ葉剤生産に関与していた一連の化学会社は、ミシガン州ミッドランドのダウ本社で会合し、消費者に対する汚染物質の脅威を議論している。

「この物質(ダイオキシン)は、別格の有毒物質だ;それには、塩素ざ瘡と全身性障害をもたらす相当の潜在性を有している」と、1965年6月24日に他社宛の書簡に書いたのは、ダウ社の首席毒物学者のV.K.ロー氏だった。

しかし、訴訟の宣誓証言によれば、いずれの会社も、1967年後半までは、安全懸念のある枯れ葉剤契約の監督責任のある軍当局者には知らせていなかった。

複数の会社の内部文書は、彼らは法規の厳格化という亡霊を恐れていたことを示している。

アメリカ国立衛生研究所の研究で、2,4,5-Tが動物実験で先天性欠損症を引き起すと分かった後になって初めて、1970年に、アメリカ軍は,エージェント・オレンジの使用を停止したのだ。
アメリカのヴェトナム退役軍人会でエージェント・オレンジ委員会議長を務めるアランオーツ氏は、「退役軍人には1984年の和解以来、補償を求める法的闘争にほとんど幸運はなかった」と言った。

退役軍人グループは、すべての和解金が底をつく前に疾病が発症しなかった何千という人々には、和解は早すぎたので、あの和解は不十分だったと法廷で主張したが、これは成功しなかった。

オーツ氏は言う。「未解決の問題が1つある。ベトナム退役軍人の子供たちの中に認められる先天性欠損症関連の保健医療費に対して、化学会社に責任ありとみなすことができるかどうかだ。そのことが、将来の世代に影響があるということを示し始めている今、それらの人々にとって、遡求権とは一体何なのか?と言いたい」(完)

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連載の翻訳を終えるにあたって、一言書きます。

ご一読戴いたように、アメリカの化学会社は、毒性を減らすために、データに基づいた行動はとっていなかったということです。国家、企業といっても、その基本は人間です。人間の行動を決めるのは、思想です。企業が,何を規範とし、何を求めて社会貢献していくのか。あるいは社会貢献しないのか。それによって、当然、企業の姿は大きく異なってきます。

ただ、がむしゃらに利潤をあげるだけなら、それほど難しいことではないでしょう。しかし、これでは、企業としての品格はありません。志を高く掲げ、遠くまで保っていくのか。 卓越したものを追求していく企業なのか。 真実を求めたら、それを実践する強い意志があるのか。

いかなる企業といえども、人の幸福に結びつくものでなくてはなりません。ドイツの化学会社が生産を一時中止したのも、ある規範が底で働いたからでしょう。自社の従業員だけでなく、他国の一般市民もないがしろにしたまま、利潤を上げ続けた企業に、社会的責任が無いはずがありません。まして、化学兵器禁止の中で戦争を遂行したなら、時の政府も。

この5回に及ぶシカゴ・トリビューン紙の連載は、かつてないほどの力作でした。訳しながら、感動を覚えたものです。隠れた真実を掘り起こす。まさにジャーナリストの使命を発揮したと言えます。その力作に応える訳ではありませんが、未知の事実に光を照射し、何がしかのアピールができたなら、幸甚この上ない気持ちです。(記:北村)Posted by Picasa

トリビューン紙パート5(上)

トリビューン紙調査のパート5(最終回)では、アメリカ軍とヴェトナムで使用された枯れ葉剤を製造した化学会社による決定によって、撒布が予想を超える危険を伴った事を示す文書を掘り起こしています。

なかなか素晴らしい記事と思います。最終回の記事を、上下2回にわたって、ご報告したいと思います。

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アメリカ軍が1965年に南ベトナムへのエージェント・オレンジの噴霧を積極的に徐々に増やしていくにつれ、アメリカ政府と枯れ葉剤を製造した化学会社は、曝露した兵士や他の人への健康障害をもたらすということを知っていた。

その年、ダウケミカル社のメモは、エージェント・オレンジの中の汚染物質を、「皮膚障害だけでなく、肝障害も引き起こすと知られている最も有毒物質の1つ」と指摘していたのだ。

その化学物質が健康障害になるという証拠が募っているにもかかわらず、曝露の危険性は軽視された、と法廷文書と国立公文書館の記録を調査したトリビューン紙は書いた。
 
そして、撒布作戦は、さらに6年間続いた。

この俯瞰図は、戦争中にヴェトナムで散布された枯れ葉剤の持つ影響をしめるものだ。使用前使用後の状態が明確にわかる。左は、撒布される前のマングローブ林(撮影日不明)。そして、右は、1970年の同じ地域の上空からの撮影だ。この地域は1965年に散布されたもの。

種々の記録も、枯れ葉剤の製造企業がダイオキシン汚染を減らすために利用できる技術を駆使し、アメリカ軍が化合物の中の毒素の濃度をより監視していれば、枯れ葉剤を囲む論争の多くが避けられた可能性があることを示している。退役兵士側の弁護士が掘り出した文書によると、ダウケミカル社は、製造プロセスを遅延させることによって、枯れ葉剤のダイオキシンの除去を可能ならしめる技術を、1957年という早い時点で知っていたのだ。

ベトナム戦争以来、ダイオキシンは、パーキンソン病、先天性欠損症など何十という他の健康障害に関連する発癌物質であると分かった。ベトナムの一般市民と同様に、何千もの復員軍人は、アメリカ軍が使用した除草剤に、直接曝露したのだ。

旧南ベトナムで使用された枯れ葉剤関連の衰弱性疾患対策では、今や、毎年連邦政府は何10億ドルもの出費を余儀なくされており、2003年以降、復員軍人への障害手当として劇的な増大を見せている。

複数の文書は、枯れ葉剤計画が1961年に始まる前に、国防総省は予算も人員も削減し、非致死性を目的として枯れ葉剤を開発したことを示している。その代わりに、国防総省は化学会社の技術指導にたっぷりと依存した。化学企業はアメリカ軍の要求に応えるために増産の必要に迫られたのだ。

枯れ葉剤の使用は、化学会社を訴える退役軍人とベトナム市民による大型集団訴訟につながった。最初の訴訟で、1984年に、化学企業は1億8000万ドルの支払いで、アメリカ退役軍人と合意に達した。

それ以来、化学会社は、政府契約企業を保護する法律のもとで、法的措置を免れると巧みに主張してきた。法廷も、また、アメリカ軍はダイオキシン汚染に気づいていたが、化学物質がアメリカ兵の保護に役立ったので、いずれにしろ枯れ葉剤を使用したと判断した。

米復員軍人省に対する1990年の報告書では、アメリカ軍は、エージェント・オレンジは兵士には有害だが、曝露を制限するのでほとんど予防措置をとらないとしたことが明らかになった。その報告書は、空軍武器開発研究局化学兵器部の元科学者、ジェームズ・クラリー氏から、除草剤関連の疾病をもつ退役軍人を援助する法制化を進めていた当時のトム・ダシュル上院議員に宛てた1988年の手紙を引用している。

「我々が1960年代に枯れ葉剤計画を始めたとき、我々は除草剤のダイオキシン汚染により健康を損なう潜在性があることを認識していた。我々は、『軍』仕様の枯れ葉剤は、安価と製造過程の短時間化で、『一般市販』仕様よりダイオキシン濃度が高いことすら気づいていた。しかし、この化学剤は『敵』に使用されることになっていたので、誰もあまりに心配していなかった」と、クラリー氏が書いている。

軍部科学者は、1940年代から除草剤の実験をしていた。しかし、1958年に予算がカットされ、ヴェトナムでの使用のための化学物質を完全に評価できるほどの人材はほとんど残らなかった。

「私は、上記の仕事と関連してベトナムでの”調査”を行うために、およそ10日間の事前通知を与えられた」と、米国の化学部隊調査開発司令部のジェームズ・ブラウン大佐は、枯れ葉剤計画が始まったばかりの1961年10月に、上司に宛てた報告書の中で書いている。そして、「このように、非常に支持の少ない研究努力の中で、大口の注文が行われた」と。

アメリカ軍は、1962年に、47回の撒布活動を含む限定的な枯れ葉剤作戦を始めた。当時、ダイオキシンの健康障害については、相対的にはほとんど何も分かっていなかった。部分的には、ガンと他の疾病が発症するには数十年かかり、枯れ葉剤が広く使用され始めたのは1947年以降からだったからだ。

しかし、退役兵士側の弁護士が明らかにした文書は、化学会社がエージェント・オレンジと他の枯れ葉剤の中の成分が有害でありうるということを知っていたことを示している。

種々の記録によれば、1955年という早い時期に、 ドイツの化学会社ベーリンガー(Boehringer)は、2,4,5-T(ダイオキシンに汚染されたエージェント・オレンジと他の枯れ葉剤に含まれる成分)を作ったベーリンガー工場での塩素ざ瘡と肝臓障害について、ダウ社に連絡をとり始めていたのだ。

アメリカの化学会社とは異なり、ベーリンガー社は従業員が病気になっていることに気づいた後、生産を停止させて、その工場の一部を解体したのだ。同社は、2,4,5-Tの生産再開までに、ほぼ3年間費やして問題の調査をした。

その際に、同社は、元凶はダイオキシンであり、会社が低温で化学製品を処理すれば(そのことにより、生産は遅れるわけだが)汚染を制限できることを発見した。

(【下】につづく)Posted by Picasa

2010-03-25

2010年支援隊ツアー 参加者募集開始

今年も 支援隊ツアーの募集を始めました。
ちょっと力を貸してあげようとお考えの方・・・お待ちしています。
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募集要領
期間:8月15日~8月22日(6泊8日 機内泊1泊)

訪問地:ダナン市 クアンガイ省 トゥアティエン・フエ省 クアンチ省(予定)ニンビン省 バクザン省 ハノイ市
支援先:枯れ葉剤被害者施設 小学校 枯れ葉剤被害者を抱えた一般家庭

主な支援内容:#”名古医師の宅配眼科検診・ハイ目を見せて”小学校での眼科検診など ♪金原昇のアイディア交流     o(*⌒―⌒*)o新谷文子の音楽療法”輪になって” ―{}@{}@{}- やきとりどーぞー食の文化交流“あなたもシェフだよ”奥井悟の巻き寿司料理教室 奨学金贈呈など盛りだくさん。
さて、あなたはどんな力を貸してくださいますか? 


参加費用:17万9000円(10人以上参加の場合)


参加費に含まれるもの:航空券、宿泊費、各地移動用交通費、全食費(ハノイ到着後からハノイを離れるまでの1日3食全食事)1日1本のミネラルウォーター、支援で動くためのコーデイネーション費、通訳費、

参加費に含まれないもの:電話代などの通信費、宿泊先での洗濯代、個人で消費するアルコールなど。旅行傷害保険、自宅⇔成田空港間の交通費

申し込み先:

愛のベトナムさわやか支援隊 (ベトナム枯葉剤被害者支援の会)
会  長 宮尾 和宏 TEL 055-976-8822

事務局長 金原 昇 TEL 055-971-0848


わが愛のベトナムさわやか支援隊の誇る4大スターをご紹介しましょう。

道がなくてもどこへでも出かける金原昇事務局長兼芸能部長↑ ギターとハーモニカで ♪みかんの花が 咲いている~
眼科検診の宅配をする名古良輔医師↑ 2008年には、ニンビンでまとめて300の児童を検診しました。
音楽を通して心の健康を、体の健康をと・・・音楽療法士の新谷 文子さん↑ 「障害の子の笑顔って美しいですよ」
クアンガイ省の田舎町で、日本食を振る舞う支援隊ヘッド・シェフ奥井 悟さん↑。ヘッド・シェフといっても一人しかいないんですが。今年も、田舎の学校で「料理教室を」と大張り切り。
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去年は、カイロプラクティックの三田村さんも参加してくれました。あなたも、今年、支援隊のスターになってくれませんか?
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2010-03-23

トリビューン紙パート4(下)

今回は、前回の続きで(下)です。
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"子どもが心配だ"

ダナンの汚染が旧空軍基地にだけに限定されているわけではない。科学者も除草剤のダイオキシンが近くのセン湖にしみ込んだことも分かった。その湖では、何十年と、住民たちは魚を売り買いしてきた。

魚や沈殿物のダイオキシン濃度が非常に高いために、ベトナム政府は湖での釣りや水泳を禁止した他、湖周辺に住む家族を移動させた。ベトナム政府は、さらに、汚染地区をコンクリートで封鎖したほか、住民が立ち入らないように、湖周辺に壁を建設した。にもかかわらず、現場に取材に行った報道関係者が、湖で釣りをしている10代の若者に遭遇した。

10年以上もの間、ファム・ティ・クックさん(74)は、ダナン空港西の美しい湖で、蓮の花を栽培し、漁業を営んできた。ハットフィールド社の調査で湖の沈殿物のダイオキシン濃度が世界的な安全基準よりおよそ40倍高いことが示されると、彼女の仕事は2007年に禁止された。

クックさんから採血された血液は、WHO標準より50倍以上も高く、ヴェトナムでこれまでに計測された中では最高濃度のダイオキシンの部類に入る。彼女の子供たちは、母親と一緒に湖で仕事をし、汚染された魚をたくさん摂取しており、血液中のダイオキシン濃度は高い。

子ども達は一人も病気になってはいないが、クックさん血液検査以来10ポンドも痩せた。それは、ダイオキシンが子供たちや孫にどういう影響を及ぼすか、不安にさいなまれているからだ。

種々の調査は、ダイオキシン曝露がガンや他の疾病の危険性を高めることを示してきた。しかし、体にその影響が現れるまでに数十年かかることもある。また、曝露した人々の中には、疾病の影響が出てこない人もいる。科学者は、ダイオキシンが細胞の発達を崩壊させ、人のDNAすら変更することができると思っている。

2006年に、アメリカ環境保護庁は、空港とセン湖でのダイオキシンを除去するカネのかからない方法を見つけるために、ベトナム側とアメリカの個人的な慈善財団(特にはフォード財団だが)による努力に対する貢献方法として技術協力を提供し始めた。去年10月には、アメリカ国際開発庁は最も、汚染地区の最上の浄化方法を研究するとして、140万ドルの契約に調印した。同庁では、研究に3年かかると言っている。

しかし、そんなことで、すでに心の傷を負っているクックさんの恐怖を緩和することにはならない。
「私は、子供たちと孫についての健康問題を払拭できない。私はもう年をとっているので、自分の健康は心配しない。でも、子ども、孫の心配はするよ」と、クックさんは言った。

アメリカ議会が割り当てたお金は、南ヴェトナム中で点在する他の汚染地区は言うまでもなく、ダナン地区の浄化作業でもはるかに不足している。

昨年の6月に発表されたアメリカ議会調査局の報告書は、ダナン空港の浄化費用を約1700万ドルと見積もったが、ベトナム側の見積もりは、3箇所の重度汚染地区の浄化には、約6000万ドルかかると見積もった。

ヴェトナム総環境局のレ・ケ・ソン次長は言う。「我々双方は、考えていることを自由に発言するために門戸を開いた。アメリカ政府がすべてのことをすることができないということは知っている。しかし、彼らが起きてしまったことの対して、ヴェトナムに一種の同情を示すべきだと私は思う」と。



“汚染された魚やアヒル”

ダナンの汚染地区を封鎖したことは、そこでの状況を改善したようにみえる。しかし、旧サイゴンで、現在ホーチミン市ビエン・ホアの北20マイルにある産業都市ビエン・ホアで同じ事をすることは、はるかに困難だ。

戦争中、アメリカ軍は何百万ガロンという除草剤を、ヴェトナム最大の空軍基地ビエン・ホアに貯蔵した。1970年だけでも、7,500ガロン以上の除草剤が意図せずだが、こぼしている。

米越双方の科学者は、同基地の土壌や沈殿物には国際的許容基準の1,000倍以上高いダイオキシン濃度を測定した。それは、ベトナムで測定された過去最高のレベルである。

汚染された地域からのダイオキシンは、近くの川や、何千もの住人が利用する大きな公園内のビエン・ホア市中央に位置する湖にしみ込んでいった。
何十年も、漁師は、ビエン・フン湖から獲れる魚、カタツムリ、カエルとカモを、地元住民に売ってきた。ダイオキシンは脂肪細胞が好きだ。そして、科学者は、住民が脂肪分に高水準の毒が入っている魚やアヒルを食べれば、人体に影響がでると仮定している。

昨年、ドンナイ省政府は、湖周辺の2つの村で取れるカタツムリ、魚、チキン、カモ、エビとカエルなど特定食品を禁止した。

枯れ葉剤関連の健康問題支援のため、フォード財団はおよそ650万ドルの補助金を提供したが、そのお金で、ドンナイ省保健当局は、汚染地域周辺で食糧を消費する危険性を説明するため9,000部のパンフレットを印刷した。

しかし、ドンナイ市の人口はおよそ750,000人。そして、一部の家族にとっては、それはあまりにも小さな知らせであり、あまりにも遅きに失したものだ。

グエン・ティ・トンさん(56)は、ビエン・ホア空港からの汚染にさらされた小川のそばで、生涯を過ごしてきた。彼女の父は12年間肝がんと闘病している。そして、彼女の妹は30才になる前に直腸ガンで死んだ。トンさん自身も、肝臓の病気に苦しめられている、と言っている。

「この川の両側の多くの人たちが、30歳とか40歳才周辺で死んでいった。彼らの多くが肝臓癌のためだ-それが一番の理由だ」と、彼女は言った。

ドンナイ省保健当局によると、ビエン・ホアは、今日、人口100,000人当たりおよそ1,333人の癌患者がいて、ベトナム全国で最高の癌発生率をみせているという。当局はまた、ヴェトナムの保健医療制度が遅れているために、多くの癌患者は一度も診断されることなく死んていくと言っている。(パート4完 つづく) Posted by Picasa

2010-03-17

トリビューン紙パート4(上)

基地は枯れ葉剤に汚染されたまま。
解決可能な問題に早く手を打て

【ダナン発】トリビューン紙調査のパート4では空気がヴェトナムにおける旧アメリカ軍基地が、枯れ葉剤で高度に汚染されたままであるが、アメリカは戦争中に汚染した基地の清浄にほとんど何もしていなかったことを伝える。
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しかし、(アメリカが何もしなかった)結果は、発癌性有毒ダイオキシンの濃度は、米環境保護庁が住宅地に定めたガイドラインよりはるかに大きい数字を示したのだ。


それは、現在環境調査会社社長になっているボアヴァン氏が、「ユーレカモーメントを得た」と言った時だ。(北村註:ユーレカ・モーメントとは、何かを発見し、「やった」という瞬間のこと)


バンクーバーに本社を置くハットフィールド・コンサルタント社は、近隣の池の土壌と沈殿物から、カモや魚の脂肪、さらに汚染地域に住む村民の血液と母乳に至るまで、食物連鎖を通して毒素の追跡を始めた。


ある女性の母乳は、WHO(世界保健機構)が安全基準としているものより6倍も高いダイオキシン濃度だったことが、研究から分かった。その母親の2歳になる子は、米復員軍人省が米国の復員兵士の子供たちに補償する先天性欠損症のうちの1つであるスピナビフィダ(脊椎披裂)になっている。


それ以来、ハットフィールド社とベトナム科学者は、旧南ベトナムに点在するほぼ3,000の旧米軍基地からサンプルを採取してきた。ダナン、ビエンホアとフーカットの3大重度汚染地区を含む28の「汚染地区」を特定した。


彼らの調査結果は、解決可能な ― 且つ、緊急の ― 問題としてヴェトナムにおけるエージェント・オレンジの遺産を計算しなおす方法を提案した。未だに続く汚染を発見したことは、先天性欠損症や他の複雑な健康障害問題をめぐる醜い論争をやめて、計測可能な現代の問題に焦点をあてることになった。


2000年に最初のハットフィールド社調査が発表されて以来、汚染に関連した深刻な健康問題と枯れ葉剤に起因する重要な環境被害への取り組みとしてちょうど600万ドルを提供したが、アメリカ政府はベトナム戦争中にアメリカ軍が汚染した場所の浄化作業の協力については何もしなかった。


問題に取り組んだボアヴァン氏らグループは、最初の研究が始まった時から、より多くの協力が米越間で行われたと言う。ハットフィールド社はカナダ政府助成金の負担を希望して、ヴェトナムで無料奉仕で作業を始めた。しかし、同社は後に、この問題を専従で調査することになり、相当な時間と人材を提供した。


「特にここ数年、アメリカとベトナムの両国に大きな動きがあった。(現場を)見ることが、非常な励みになるということだ」と、ボアヴァン氏は言った。


それでも、ヴェトナム国内の汚染された旧アメリカ軍基地に対するにアメリカの全体的な行動のペースは、遅かった。ヴェトナムとアメリカの当局は正確なコスト予想で意見が合わなかった。しかし、ヴェトナム戦争時代の汚染地区の浄化作業の費用は、何千万ドルにも達することは確かだ。


「ヴェトナムに有害なダイオキシン濃度があるということは疑問の余地がない。そして、ベトナムで、それを貯蔵していたアメリカ軍と南ベトナム軍に原因と結果があるということも疑いない。アメリカがこの問題に対処しなければならないとするのは、比較的簡単な議論だ」と言うのは、2004年から2007年まで駐ヴェトナム大使を務めたマイケル・マリン氏だ。


エージェント・オレンジ衝撃という目に見えない脅威は、直接撒布された兵士や一般民間人だけが感じているわけではない。エージェント・オレンジが貯蔵されたり ―漏洩していた ―基地内や基地周辺では、この化学物質の衝撃に永続性があるのだ。

ダナンの汚染地区を警備するベトナム軍兵士(上)。戦争中、この空軍基地に何百万ガロンの除草剤が貯蔵された。30年以上経た今も、土壌は安全基準を超えるレベルのダイオキシンを含んでいる。汚染も近くの湖に広がり、食物連鎖を通して、人の血液と母乳に入っていく。

グエン・ヴァン・ズンが1996年にダナン空港で下水道の清掃を引き受けたとき、彼は米軍がベトナム戦争中に数十万ガロンの除草剤をそこに貯蔵していたことも、それらの除草剤が12以上の疾病と関連がある高度の有毒合成物を含有したということも知らなかった。彼は、毒素が土壌にしみこみ、危険な高いレベルでそこに残留していることも知らなかった。


ズンは、妻のトゥー、健康な幼い娘と一緒に、旧米軍基地(ダナンのこと)の隣に、シンダーブロック(セメントと石炭を混ぜて造った中空の建築用ブロック)で出来た一部屋の家に引っ越した。次の13年間、ズンとトゥーは空港で働いたが、2人の子供は、汚染に起因したと思う血液と骨の珍しい疾患を含む悲惨な病気に見舞われたが、二人は空港の汚染でそうなったと疑っている。


2番目の娘は、7歳で死んだ。そして、いま、10ヵ月の息子は同じ病気を患っており、毎月、生きていくためには、痛みを伴う輸血を必要としている。


「私は男だから、めったに泣くことは市内」と、41歳のズンは言ったが、妻のトゥが元気の無い乳児を膝に抱えると、彼は自宅の床に胡坐をかいて座りながら、目には涙があふれていた。「でも、息子が輸血を受けるたびに、私は泣けてくるんです」


過去3年間、ハットフィールド社とベトナムの科学者は、ダナン空港で労働者の血液と母乳に含まれるダイオキシン濃度を測定してきたが、WHO安全基準より100倍も高いものであった。


ダイオキシンは、知られている毒素の中で最も持続的な毒素と考えられている。環境中においては、その半減期は数十年と言うことがありうる。ということは、化学汚染が半分に減少することもそれだけの期間がかかるということだ。人体においては、ダイオキシンの半減期は、およそ7年半だ。


つまり、10年前でなくとも、ハットフィールド社が検査した一部の住人は、もっと高い濃度の毒素に曝露することが出来たのだ。(下につづく)Posted by Picasa