2010-11-02

支援の旅(91)参加者の声3・完

到着順の最後は、宮尾和宏会長です。
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2010年 ツアーを振り返って 10月31日受信

今年のツアーは8月15日~8月22日の6泊8日で実施しました。

例年の日程を2日間短縮した計画はかなりハードにならざるを得ませんでした。

本年のツアーの支援内容は6省34名の高校生、大学生に奨学金の贈呈、2施設での音楽療法、2小学校での視力検査及び目の検診、枯被害者家庭訪問 6軒。クアンガイ省、ニンビン省の二箇所での海苔巻き講習会を行う事が出来ました。それと水害に遭った小学校と以前から生活支援と行っているニャンちゃんの小学校の児童にノートを贈呈しました。
(これらは全てブログで報告済みですので、参照して下さい。) 
筆者:クアンガイ省で
以下反省点など

* 今年のツアー参加者は過去二番目に少なかったのですが、少数人にメリットもデメリットも有ります。特にデメリットは予算上の問題が生ずる事です。

成田発から約5,000円安い名古屋国際空港に変更するなど工夫を行い募集時の旅費で実施でき、多少の黒字を計上できました。これは参加者のご協力とベトナム外務省のタインさんの全面的なご協力の賜物で有り深く感謝申し上げたいです。

* 目の検診
ダナン省、クアンガイ省の二箇所で実施。

既にブログで報告済みでお気付きと思いますが、視力検査で片目に封筒を当てています。何年か前に孤児院でカレーパーティーを実施した時は全員に日本からスプーン、ハノイでカレー用皿の用意をしましたが、シャモジの1つ2つを用意すればよかったと、自分自身反省しております。

目の検診で学校が休み中に集まってくれた全小学生にはノート三冊~五冊を上げることができた事はとてもよかったと思っています。

* 奨学金の贈呈

昨年までに14名に贈呈していましたが今年は20名増員して34名の高校生、大学生に増やす事が出来ました。6月事前調査(下見)の時に現地のVAVAの方にもう少し額を増やした方が良いかどうか伺いましたが、額は昨年と同じで結構ですが一人でも多くの学生に奨学金を支給して欲しいとの要望を頂いての結果です。

贈呈する証書の表には日本語、裏にはベトナム語で、文章は全て違った奨学金証書を作成して奨学金と供に贈呈しました。その他に奨学生全員に夢を与えるような写真7枚セットでお上げする事が出来、とてもよかったと思っています。

贈呈された学生諸君はこの証書を胸にこの一年を運動に勉強に励んでくれる事でしょう。

証書の文章は、今年3月静岡大学大学院を卒業したクエさんの訳して頂きました。仕上げにはかなりの時間と苦労を伴う作業でしたが、贈呈時の彼らの嬉しそうな顔をみて苦労は喜びにかわりました。
筆者:眼科検診の立会い(クアンガイ省で)
*家庭訪問

今年の家庭訪問は6軒、ダナン省、フート省各3軒。

ダナン3軒は訪問時に米等の生活物資の支援でした。
フート省は豚などの生活支援を行いましたが、訪問時の時間不足など被害者の精神的な支援が十分に行えたかどうか?
 次回はもっと時間的な余裕を持った支援活動に出来たら、と思っています。

* 海苔巻き講習会

オーストラリアから参加の佐々木さん、松島さんの講師で海苔巻き講習会を実施する事が出来、クアンガイ省VAVAの皆様、奨学生の皆様、ニンビン省の元女性兵士の皆様とこの上も無い交流ができた事はとても喜ばしい事です。

これは、レストラン「WA」のオーナーの奥井さん、講師を勤めてくれた佐々木さん、松島さんの素晴らしい連携プレーの賜物です。心から感謝いたします。ボランテアは遊び心が無いと長続きしません。海苔巻き講習会で心の交流ができた事は今年のツアーの最大の収穫です。

最後になりますが、2010年ツアーが無事終わる事が出来たのは参加して下さった方々の絶大なるご協力、ベトナム外務省タイン氏の全面的なご協力の賜物で、感謝申し上げます。心からお礼を申し上げます。 有難うございました。

                  2010年10月吉日 
                  愛のベトナムさわやか支援隊
                   宮尾 和宏 
  筆者:ハノイ友好村で
【宮尾和宏さまへ】今次のツアーもお疲れ様でした。34枚の奨学金証書の作成がやはり一番のハイライトですね。34回の印刷で終わるはずがなく、私の文章の間違いなどをよく我慢して下さいました。一晩一晩、宿泊先のホテルの床に座って奨学金を詰める内職も、楽しかったです。”がんばれよ”の気持ちを込めて札を入れる・・・あの瞬間は、貴重な経験になりました。人が優しくなれる瞬間です。ありがとうございました。北村
(つづく)Posted by Picasa

支援の旅(90)参加者の声2

2回目は佐々木 あかねさんです。今年初参加。ハノイのブンヴォーが気に入ってしまいましたね。いつか。フーリーのブンヴォーをご馳走しますね。
筆者;ニンビン省海苔巻き講習会で
支援の旅を終えて 10月25日拝受

私の“ベトナムさわやか支援隊”の旅の始まりは、「来年参加してみたら?」という、2009年この旅に参加された奥井さんの一言からでした。

支援隊の活動内容を聞いていた私は、何らかの形で自分も参加したいと思い募金を申し出たところ、「現地に行って現状を直接見て知ることも大切なことだから」と勧められ、
“それじゃぁよし!来年参加するぞ!”と決めたのでした。

しかし、実際その時の私は、ベトナム戦争のことは過去のことと思っており枯れ葉剤被害の現状については、ほとんど何も知識がありませんでした。

そしてこの活動の中で一体自分に何ができるのかまったく分からず現地で日本からの参加者のみなさんにお会いするまで不安だったのを覚えています。

8月14日冬のシドニーからベトナム入りした私は、その湿気と暑さに一日で疲れてしまいました。
 そして8月15日ハノイ空港で日本からの参加者のみなさんと合流、挨拶もそこそこに翌日行われる風船アートの練習や眼科検診の説明などを受けました。

しかし風船アートがなかなかうまく作れず、検診の行い方も初めてのことなので頭では理解しているものの実際できるのかとても不安でしたが、旅が始まったらもうあとはノンストップ!毎日があっという間に過ぎていきました。

支援の旅の中で最も印象に残っているのは枯れ葉剤の影響を受け脳性麻痺になったお嬢さんを持つグエン・ティ・タインさんとの出会いです。
薄暗く決して広いとは言えない部屋のベッドにタインさんのお嬢さんレ・フエンさんが横たわっていました。

その横で北村 元さんがタインさんと面談をされていました。

北村さんがいくつかレ・フエンさんやご家族に関する質問をした後「お母さんご自身痛いところや悪いところはないですか?」

と伺ったところそれまで質問に淡々と答えていたタインさんが、突然泣き出され、しばらく話ができない状態でした。

この時お母さんタインさんが抱えるたくさんの不安が伝わってきた気がします。

そしてこの不安はタインさんだけではなく、枯れ葉剤被害を受けた方やそのご家族みなさんが抱えている不安だと思います。

経済的にも楽ではない生活の中、ご家族の介護をされ、さらにご自身が介護できなくなった時のお子さんの行く末に不安を感じています。

そしてどこまでこの被害が続いていくのか分からない不安もあると思います。

私達にこの現状を急激に変えられる力はないと思います。

でも私達が今できることのひとつが、話を聞き、現状を知り、共感するということではないでしょうか?

支援の旅を終えた今、少しでも多くのひとにベトナム枯れ葉剤被害の現状を知ってもらえるよう旅で見てきたことを知人に話したり、また“愛のベトナムさわやか支援隊”のブログを紹介したりしています。

そうやってベトナム枯れ葉剤被害の現状を知る機会が、自分の周りの人にも少しづつでも増えていくといいなと思っています。

佐々木 あかね
筆者:ハノイ友好村で
【佐々木あかねさんへ】たくさんのご協力ありがとうございました。夜中の奨学金の袋詰め、写真の封筒詰め・・舞台裏の仕事を引き受けて下さり、助かりました。そしてなにより、海苔巻き教室は大成功でした。人の笑顔がいっぱい作れました。とても良い思い出でした。お礼を申し上げます。来年も豆絞り・・法被も用意しましょうか?頼みます。北村
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支援の旅(89)参加者の声1

支援の旅を閉じるに当たり、原稿をお願いしました。到着順に掲載させて頂きます。名古良輔医師からです。200字ほどでとお願いしました通りに書いてくださいました。
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筆者:ダナン市の小学校で
2010年ベトナム支援の旅に参加して 名古良輔 10月17日拝受

 今年の支援の旅では視力検査を始めて実施し、患者さん

から寄付してもらった眼鏡を生徒さんに処方しました。沼津

で行われている三才児検診の方式にしたがいました。

皆様のご協力でスクリーニングから精密検査、そして

処方と円滑に終えることができました。ダナン市

タイホー小学校とクアンガイ省トゥー・ギア郡ギア・タン村

診療所では子ども達の様子が全然違うことに

驚きました。前者では近眼の眼鏡を装用している

子ども達が10名以上いましたが、後者では一人

だけでした。 今年は奨学金の授与に力を入れた

旅でした。それぞれの地方でそれぞれの子ども

達が、ぜひとも自分自身の道を切り拓いて生き

抜いてほしい、と心から願いました。
筆者:クアンガイ省で
【名古良輔さまへ】たくさんの奨学金 医療活動ありがとうございました。たくさんの子供に会えた今年、一昨年の在宅訪問での眼科診断の様子も網膜から消えません。さまざまな場面をご提供下さり感謝します。ますますのご活躍をお祈りします。北村
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支援の旅(88)女子大生への奨学金2

ニャンちゃんのお姉さん、クエンさんに北村が贈呈しました。
蓮の花奨学金証書

  Pham Thi Khuyenさん

クエンさんが法律の勉学に励めるように、

愛のベトナムさわやか支援隊(小林健人・

登和子)は、心を込めて、1年分の奨学金

180万VNDを贈呈します。

アイルランドの大詩人、ノーベル文学賞受賞

のヒーニー氏の一節を贈ります。

 「何かを始める。そして、やり続ける。そして、

また新たに始める ── 。私が思うに、これが、

芸術においても、人生においても、不可欠な

リズムである。それは、成功へのリズムである

ばかりでなく、生き抜くためのリズムである。

それはまた、信念の行動の基盤、自尊心の土台、

人生における信頼 ── すなわち、自己と他者の存在

への信頼 ── を保障するものでもある」

クエンさん、あなたは、何かを始めることも、

やり続けることもできる人です。

2010年8月10日
     
愛のベトナムさわやか支援隊会長 宮尾 和宏
立 会 人  北 村  元  H.Kitamura
この奨学金を支援してくださった方について少し書かせて頂きます。この方は、私の大の親友であり、私の学兄です。ある時不慮の事故から、一命を取り留めただけという災難に遭遇されました。首から下が麻痺となる・・大障害を抱えることになりました。にもかかわらず、すばらしき奥さまの頼れるサポートをうけながら、御本人の必死の努力で自己の来し方を綴った本を上梓されました。そんな障害を抱えながら、英語を教え、歌にも挑戦されています。私は尊敬しています。私たちの会にもずいぶんと応援をして下さっているご夫妻です。クエンさんには、そういう先輩の分も勉強してもらいたいと願っています。クエンさんへのお金は、普通と違うんだよと密かに思っています。
クエンさんには、前日のニンビンでの海苔巻き教室で、お母さんとニャンちゃんが海苔巻きを作ったことが、もう伝わっていました。
子を想う母の心ですね。「母から電話が来ました。とても楽しかったと言っていました」 その話を聞いて、私たちも喜びました。
皆で記念写真に収まりました。
これが↑、最終の集合写真です。
お世話になったタインさん、通訳のザンさん・・・ありがとうございました。タインさんの表情↑が特徴的ですし、下はザンさんの表情がいいので、同じ組み合わせで2枚載せました。お陰さまでいい思い出ができました。本当にありがとうございました。
 そして、安全運転のロンさん↓・・・ありがとうございました。いつも無事で帰れることに感謝しています。また、お世話になります。フォー・フエのロンさんの家にいつか遊びに行こうと思っています。来年は、東北の学生さんの面倒もみてもらうことになりそうです。
ご参加の皆さん、最後までありがとうございました。
ご無事で日本へ・・・
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支援の旅(87)女子大生への奨学金1

故郷ニンビン省を出て、ハノイの大学で勉強している二人に、私たちの宿舎まで来てもらいました。
ニンビン省では、二人のお母さんはお会っているのですが、その娘さん同士は初めて会ったとのことです。左がグエン・ティ・ホアさん、右がファム・ティ・クエンさん、ニャンちゃんのお姉さんです。
ホテルのロビーで、早速奨学金贈呈をしました。ホテルチェックアウトの15分前です。宮尾会長からホアさんへ。
蓮の花奨学金証書

Nguyen Thị Hoaさん
 
愛のベトナムさわやか支援隊(籠宮達二郎)は、
 
により、真心をこめてホアさんに、1年分の奨学
 
金180万VNDを贈呈し、学生生活を応援します。
 
  ペルー文学の父リカルド・パルマは叫びました。

 「苦労なしに手に入れることのできるものなど、

何もない。まして、忍耐なしには、何事も成就しない。

ゆえに君よ、 断じて、へこたれるな! 

迷わずに書を読め! そして学ぶのだ!」と。
 
    日本の文豪・吉川英治さんは、「自分以外は皆先生。
 
三十なお一学生、四十なお人生の一学生、

五十まだ学んで足らない」と、言いました。
 
  アメリカの人権の母ローザ・パークスは、
 
   「本当に学びたいと思ったら、あなたを止めるものは
 
何もありません」と、青年に話ました。
 
  ホアさん、汗を流して卒業を勝ち取って下さい。
 
2010年8月10日
 
愛のベトナムさわやか支援隊会長   宮尾 和宏
 
立会人  宮 尾 和 宏  Kazuhiro Miyao
グエン・ティ・ホアさん・・というお名前は、典型的なベトナム女性のお名前にみえます。ホアは花ですから・・・日本でいってみれば、かつての山田花子さん・・といったところでしょうか?
自分の希望の職業に就けるように、刻苦勉励していただきたい・・・です。
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2010-11-01

支援の旅(86)枯れ葉剤被害者協会・下

ここで、ニャン副会長は、質問を受けてくれました。
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「質問があれば・・・お受けしますよ」

(北村)10年間の行動計画に費やす金額が3億ドルです。その金額で一体何ができるのか・・と思いますが。

「(世界の)人びとが声を上げ、団結していくならば、指導者も従うことになる」と思います。早くそういう時代にしなくてはいけません。アメリカが動かないのもその現実があるからです。

アスペン研究所のアイザックソン所長は、私個人の考えですが、かなり大きな気持をもって対応してくれたと思います。彼は、タイムズ誌の編集長でした。彼は、座った所を発つ時にはきれいにする・・・というアメリカの諺を使いました。そういう習慣があります。なぜそういうことを言い出すかというと、ベトナムで自分のいたところを汚してしまった・・・そこを綺麗にしなくてはいけない・・という意味でその諺を使って文章を書いたと思います。
3億ドルの金額については、比較したらすぐ分かると思います。アメリカ参戦兵士が復員すると枯れ葉剤被害者になります。アメリカ政府が彼ら退役兵の枯れ葉剤被害者に出す助成金は15億ドルです。それは、アメリカ国内だけの金額です。一見3億ドルは大きいように見えますが、実際は大した金額ではありません。
私もアメリカの新聞記者や研究者に接した時に、説明しました。3億ドルを300万人で割ると一人10ドルにしかならない・・・と。その時に初めて記者や研究者も額が大したことないと分かってくれました。個人として思えば大きいようにみえますが、大した金額じゃありません。全く意味のない金額です。
あるアメリカ人が、ベトナム戦争で勝ったのに、なんで賠償金をもとめるのかと言いました。問題は勝ったか負けたかというよりも、アメリカ人がベトナムに来て、戦争を起こしていろいろな影響を与えたので、それを解決しないといけません。
我々はすぐ訴えたかったのですが、枯れ葉剤が撒かれた61年から撒布を中止した71年まで・・・それから何十年も待ちました。アメリカ人はきちんと考えてくれたのか・・・そういうことをアメリカ人はきちんと考えてくれず、責任放棄をしようとしているので、2004年に訴訟を起こすことを決めたんです。
ベトナム人は、忍耐強い国民です。ずっと待っていました。
その忍耐力で、ベトナム戦争に勝ちました。
長い戦争の間には、いろいろな戦いがあります。フランスには、一つの戦いに勝利をえていなくても、全体では勝利をしているという
意味の諺があります。」
(北村)ベトナムが最終的に正義の勝利を掴むことを願っています。正義は勝って初めて正義になると思いますので、ぜひ勝って頂きたいと思います。

「少し見方が違います。勝てない時でも、正義は正義です。」
[北村註※ もう少し一度反論しておけばよかったと反省しています。同席した人の中にも副会長にうなづいた人がいました。勝てない時でも、正義は正義・・・これは間違ってはいません。しかし、現実問題として、悪に破れるような正義だからこそ、不幸が続いているのではないでしょうか。そこがポイントです。勝てればいいけど、勝てなくても正義・・・それでは勝てませんし、正義は通らないと思います。だからこそ、 正義を正義たらしめる支援と連帯が必要だと痛感します]
(富田さん)アメリカの裁判で支援をしてくれる団体は,どういう団体ですか?

いくつかの団体があります。退役軍人の会が動いてくれています。多くの軍人がベトナム戦争に参加しましたが、退役ベトナム兵が大体応援してくれています。 

ベトナム参戦兵が帰還して言う最初の言葉は、『申し訳ない、ベトナムに行ってしまった』ということです。なぜベトナムに行ったかというと、政府は、ベトナム人は植民地で生活に苦労しているので、解放させてあげるために送るのだと兵士に言っていたようです。
ベトナム戦争に参加したマッケイン上院議員やジョン・ケリー氏等が我々の活動を応援していくれていて、これから枯れ葉剤被害補償の法律作りにとりかかりそうです。
アメリカ上院議会では、捨てられた責任という命題で何回も討論されています」
(富田さん)カムーン(ありがとうございました)。(笑い)
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支援の旅(85)枯れ葉剤被害者協会・上

昼食を少し送らせて、枯れ葉剤被害者協会に、 VAVA副会長グエン・チョン・ニャン博士をBENH VIEN MAT TRUNG UONG
に訪ねました。お元気そうなお姿で私たちを迎えて下さいました。

挨拶を交わした後、「早速、毎年続けているアメリカでの裁判闘争・世界での正義の闘争の一助にと、金一封を贈呈したいと思います。これで5年目になりました。宮尾会長からお送りします」と、申し上げました。
「ありがとうございました。領収書をちゃんといれておきましたよ。ア・リ・ガ・ト」と、日本語で答えるニャン副会長。
「握手しましょう。お気持ちがすごくうれしいです」と。
「そして、もう一つ」と、宮尾会長から、当ブログの1年間分のコピーが贈られました。特に今年のアスペン研究所発表の米越対話は、日本ではほとんど報道されておらず、何かの時に役立てば・・と思っています。
ここで、N・T・ニャン副会長のお話をほぼ全文掲載します。
ちょっと長いですが、お付き合いください。
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北村さんも含めて、何回もお会いした方が今日もいらっしゃいますね。皆さん、今年もいらっしゃって、枯れ葉剤被害者に関心を持って下さりありがとうございます。
 
ベトナムの枯れ葉剤の被害者は、アメリカ軍は、化学剤を南部に撒きました。

アメリカ兵には、葉を枯らすものと説明していたものですが、実際は人体に危険なものでした。具体的には、北村さんの著書に書いてあると思いますが、人体に悪影響を及ぼす薬剤を使ったアメリカの責任ある対応を待っているところです。

今のアメリカ政府の対応は、責任を放棄しています。アメリカが枯れ葉剤を撒いたのは、1961年から1971年までです。来年は、アメリカが枯れ葉剤を散布して50周年になります。2004年に、ベトナムの枯れ葉剤被害者は、アメリカの責任放棄に対して、アメリカ企業を訴えました。ベトナムの被害者が、なぜアメリカの化学企業を訴えたのか、なぜアメリカ政府を訴えなかったのか?

彼ら化学企業は、枯れ葉剤が人体に悪影響を及ぼすということを知っているわけです。わかっているにもかかわらず、彼らはアメリカ政府から受注したのです。彼らは、会社の利益のために、できるだけたくさんの注文を受けました。納期に間に合わせるために、枯れ葉剤の濃度を規定より上げたのです。だから、より人体に危険が高まりました。

なぜ、民間会社を訴えたか。私たちは、アメリカの民事訴訟法に則って手続をしました。この場合は、ベトナム人の人体に影響を与えたアメリカの枯れ葉剤メーカーを訴えなくてはなりません。

アメリカ政府を訴えないということではありません。まだ手続きを行っていないだけです。

アメリカ政府をなぜ訴えないかというと、現在両国政府で問題解決に向けて行動を起こしているので、いまここでアメリカ政府を相手に訴訟を起こすと両国の友好関係が悪くなるので、今はまだその時期ではないと思っています。

しかし、アメリカ政府は、ベトナムが起こした裁判を却下するするように直接裁判官に指示するというみっともない行動を起こしました。そういうわけで、地方裁判所以降の上級裁判まで、ベトナムが起こした裁判は、全部却下されました。

却下した理由は、実際は枯れ葉剤被害の現状を全部無視した合理性の無い反論でした。

我々は裁判で勝利していませんが、アメリカ社会の世論も起きてきて、中国も後押しをしてくれ、他の外国も力になってくれるようになりました。

国際世論も高まりつつあり、アメリカはまたみっともない行動をおこしました。

ベトナム人の何人かを対象に対話活動をして、この対話を通じて問題を解決してみせるという行動を起こしました。

そして、アメリカは枯れ葉剤を撒いた汚染地域に住む人たちに、300万ドルの助成金を出すと言いました。皆さんもご理解くださると思いますが、300万ドルというのは冗談の金額です。何も解決できません。我が国はまだきちっと統計をとっていませんが、現在、約300万人の被害者がいます。実際枯れ葉剤を撒いた地域に薬品を使って汚染を無くす努力をするようですが、そのことを別に置いて考えても、300万ドルという助成金を被害者の数で割ると、一人1ドルにしかなりません。

1ドルという金額では、皆さんも分かってくださると思いますが、朝ごはんのフォーを一杯も食べられません。これでは、アメリカが誠心誠意対応しているとは言えません。

アメリカ政府が被害者に対してそういうアクションを起こしたのですが、なぜそういうアクションを起こしたか・・・見れば分かるのです。ベトナム人被害者は、アメリ政府ではなく、アメリカの民間企業を訴えたのです。なぜ,アメリカ政府が自らそういうことをしたか・・・それは自分が悪かったと認めているからです。そういうことも、この行動で分かってしまいます。

子供たちがかくれんぼする時に、皆隠れますが、僕はここにいるよというのが見えてくるのです。つまり、我々はアメリカ政府を枯れ葉剤で訴えていないのに、アメリカ政府がそういう行動を起こしたこと自体が、アメリカ政府が悪かったと認めていることがわかってしまうのです。
 
この前にアメリカのフォード財団が、米越の対話を行ないました。その時の募金活動で、総額は3億ドルになりました。十年計画ですので、1年3000万ドルです。だから、被害者一人当たり10ドルですね。これでは10日間生活できません。そして、被害者は10年も待てません。これは、世論を欺くものです。
ですから、私たちは被害者のために世に訴え続けることを決心しました。

アメリカ側を訴える時には、向こうが反応してくる手を予想しながら、いろいろな対策を考えます。戦争は長かったので、たくさんの問題があり、いろいろ訴え続けてきたアメリカとの話合いの経験は豊富です。ですから、アメリカの裁判で却下されても、別に驚きませんでした。そして、それは、私たちをがっかりさせることもありませんでした。

これからも色々と対策を考えて、アメリカの世論を揺さぶっていきます。2005年、私自身、アメリカ10箇所を訪問しました。いろいろなアメリカ人と会って、話しをました。写真などを見せて、ベトナムの枯れ葉剤被害の真の実情を話しました。誰も異論を唱えませんでした。白人、黒人、原住民、学生・・・いろいろな人が応援をしてくれました。

これから、私たちは新しい闘いの時代に入ります。アメリカとの闘いは神経を使いますので、残念ながら、皆さんに手の内を明かすことはできません。しばらくは秘密です。今は、全世界でロビー活動をしている最中です。日本の皆さんには色々と支援をいただき、厚く感謝の気持ちを表します。2008年8月に私自身も広島と長崎に行ってきました。広島と長崎の原爆被害者とも友好関係を結びました。

先日のアセアン外相会議でアメリカのヒラリー・クリントン国務長官が来ましたが、アメリカ政府としてこれからももっと枯れ葉剤被害者を支援するように考えると言ってくれました。クリントン国務長官が約束してくれたことはとても嬉しいですが、われわれとしては、やはり闘い続けなくてはならないと覚悟しています。

これは経験則ですが、アメリカ人は、約束しても実行はしない国民です。空約束の国です。
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支援の旅(84)友好村9また来る日まで

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つまり、これが新谷さんの音楽療法の第2部のような形になりました。
昨年三島・沼津の方々で作った「ジャパニーズ・マラカス」を使って、音楽に合わせます。
ランさんも、少し元気が出てきました。うれしい。
音が出るものを、子どもたちは特に好みます。
スポーツの前にするウォームアップ。スポーツで活動的になった体を元の状態に戻すことをのがクールダウンです。クールダウンとは「冷やす」という意味です。運動中の体は全身の筋肉に十分な酸素を送ろうと心臓が激しく動き、太くなった血管の中を多量の血液が勢いよく流れている状態です。

急に運動を止めと体調を崩す原因となるため、コンディションを維持するうえでもクールダウンは欠かせない最後の運動です。
皆で手をつないで、ゆっくり動いて呼吸を整えます。
再会を約しながら、思い出にひたるのにもいいかもしれません。
まだまだ元気な子もいます。なかなかクールダウンにはならない子・・・平和村の子どもたちも、年月と共に入れ替わりました。年齢規制の上限にひかかるので、ここを出ていかなくてはなりません。でも、自宅に戻って、どうやって過ごしているのでしょうか?
ここで知り合った二人が結婚したこともあります。いつか、新居を訪問してみようと思います。
また、会う日まで元気でいてください。
     風船は良い思い出を作れたでしょうか?
人懐っこい子どもたち。ふれあいを求める子どもたち。障害を持ちながら一生懸命音楽に合わせようとする子どもたちの幸せを祈らずにはいられません。どうか、幸せに。どうか、楽しい毎日を。
いつも笑顔をありがとう。子どもたちの笑顔にいつも救われた私たち。
いつも触れ合いをありがとう。子どもたちの触れ合いに、どれほど和んだことか。
人は人としか磨き合うことはできません。
いつか新谷さんが言っていた「障害の子の方が、素直に音楽に乗れる」・・・素晴らしい才能です。名残惜しい子どもたちとの別れ。元気で・・また来年。
今年も最後まで頑張ってくれたあなた。↓
疲れ知らずのあなた。いつまでも元気でいるんだよ。↓
なんで、君はコサージュをつけてるの? 君が一番元気だったな。マーシャル・アーツが好きなんですよね。また、会おうね、来年。↓
 11時過ぎ、友好村のかわいい子どもたちと別れました。今年も一杯汗かいて楽しんでくれた皆さん、ありがとう。そして、ヅン理事長さま ありがとうございました。
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支援の旅(83)友好村8何が起きた?

その場にいながら、何が起きたか分からないことがあります。どういう呼びかけがあったのか・・・子どもたちが風船をもって皆外に出ました。えっ? 音楽療法、もう終わったの? と一瞬疑問が走りました。子どもたちが外にでて、写真に収まろうとしています。そうか、終わったのだと自分も思いました。新谷さんに聞くと、「いやあ、まだですよ」と。
人の心理とはおかしなもの。誰かに、何の脈絡も無く追随する時があります。時として、それは怖いことですが。

かつて、どこだかの都会で、皆が集まって、空を見上げている・・・だんだん人が集まる・・・「ところで、何をご覧になっているんですか?」と聞くと、「それが何かみえるらしいのですよ」・・・・その間にも、人の輪は広がっていく・・・ついには、誰も何をみているか分からなかったという話です。
で、実は、これを記念撮影にしてしまいました。暑い中で、よくまた、子どもたちも我慢しました。最初は、何がきっかけで外に出たのか未だにわかりません。
全員が期せずして、小休止を求めたのですかねぇ? 「音楽療法 5分休憩」って、誰かが決めてしまったのでしょうか? それはそれですごいことですが・・・。
最近は、全員のカメラで撮るので、結構暑い日差しの中、大変です。シャッターがおりないカメラもあって・・・
「はい、全員、家の中に入って・・・まだ終わりじゃないよ」 理事長が言いました。
(つづき)Posted by Picasa