2010-06-29

ダナンのグエン・ティ・ヒエン会長

グエン・ティ・ヒエンさん。

どこかに書かれていたヒエンさんについての英語の文章を、私はノートに書き留めていた。それには、「ベトナムの枯れ葉剤被害者全国組織であるベトナム枯れ葉剤被害者協会の中央委員兼ダナン市枯れ葉剤被害者協会会長で、ダイナミックな女性」とあった。

もともとお会いしたかった方だが、下見の旅行でこの人に会いたいと条件をつけるといろいろ迷惑を掛けると思い、ただダナンの枯れ葉剤被害者協会を訪問したい旨希望を出した。

事務所を訪れると、副会長以下、若い実働部隊が待っていてくれた。

ひとしきり話が進んで、飛び込んできた方が、ヒエン会長だった。「ダイナミック」そのもののご婦人だった。

「具体的な支援の話を持ってこられたので、会議を抜けだしてきました。いろいろな人が来るけど、これほど具体的な話をもってこられたのは、珍しいです」と仰った。

「今日はご挨拶に伺ったので、明日話を進めましょう」と、私は言った。

しかし、話は切れない。

枯れ葉剤被害者のためのみならず、障害者全般の面倒をみているという。そこに境界線はつくらないという。そのお考えに、私は賛同した。

「明日は、これを着てきてください」と、協会のTシャツと帽子を下さった。

翌日、朝、Tシャツを来て、再度事務所に伺った。

「名誉会員になってくれませんか」というヒエンさんのお願いから始まった。

資料を拝見すると、日本人がすでに2~3人会員になっていた。いろいろな人の有形無形の支援がほしいというのだ。

宮尾会長も私も異論はなかった。

「入らせていただきますよ」と返答したら、私たちは気がつかなかったが、いつのまにか私たちの目の前に、書類が置かれていた。

私たちは書類にサインをした。

そして・・・今年の私たちの支援の話を進めた。僅かな支援だが、喜んで下さった。

●奨学金5名 ●施設での音楽療法 ●風船アート を提案し、そして、●8月は夏休み中であるために学校にアクセス出来ないので、一般児童の眼科検診を希望している眼科医師がいます、最高150名までの検診が実現できないかとお願いした。

「枯れ葉剤支援と直接関係ないんですが・・・」という私に、「やってみましょう」と、すべてを引き受けて下さった。

アメリカでの枯れ葉剤被害者の実情を訴え、支援を獲得するための旅から戻られたばかりだった。

行動の人である。
昨日、話合い中に携帯に電話が入った。

お嬢さんからだった。

子どもがほしかったけど、なかなか生まれなかった。

46歳になって初めて出産。それが双子だった。「とっても嬉しかった」と素直に喜びを表した。

そして・・・・

この活動に理解をしてくれなかった夫とは別れた・・というのだ。

その活動の勢いは止まらない。

副会長以下に4人の若い国家公務員を実働部隊として獲得した。

他の省には見られない動きだ。

ほんとうに、やる気なのだ。

施設も、今3番目の土地を市からもらい、整地中である。



ある日本のNGOの方がぼやいていた。

「ボランティア団体と言っても、口は動かすが、足を動かさない人がいっぱいいます」・・と。

もう一人のNGOの団体の責任者も言っていた。「うちも会員は多いですが、真の実働部隊は5人もいません」



同苦をする・・・相手の苦しみを自分の事と受け止める・・・実は、それはそれほど簡単なことではない。他人への話の中でカッコよさをだすために奉仕活動をする人もいる。どこか、人を見下した態度をとる人。意外と金持ちに多い。これらは、どこか世間的な飾りで動いている人でもある。これは日本の話しである。いや、もしかして、世界に共通する話かもしれない。

今回、ダナン市で、そしてクアンガイ省で、さらにフート省で、故郷のために人知れず動いている人たちと一層知りあい、とても好感が持て、清々しくすら感じた。

大学の教員を捨てて、故郷に恩返しする・・・そんな方もいらした。

世界に枯れ葉剤支援で動いている団体は、今は数多い。だが、「予算をもっていても、セミナーばかり開く団体もある」と、ヒエン会長はいう。「目の前の困っている人をどう助けるのか、そこにしか行動の原点はない」という。世間的な飾りを求めて動いているような事自体、枯れ葉剤被害より重い大病を患っている人ではないかと思う。

徹して一人の人のもとへ行くのは、そんな軽佻な動機では得られない猛烈なエネルギーを必要とする。全身の魂を揺り動かして、話をしなくてはならない。

今回も、時速4~5キロでしか走れない悪路で車を捨て、舗装されていない道を歩いて、我が蓮の花奨学生の女子高校生会いに行った。訪ねていった先は、渇水による停電だった。

前日深夜に働く先から帰ってきたというその女子高校生は、私の隣で内輪をあおいで、風を送ってくれている。

とても、素直に受けられる風ではなかったので、私は内輪をもらって、彼女にあおいであげた。でも、彼女の行為とは、いや同苦とは、遠路から汗ビッショリで来てくれた客に対して、出来れば自分で代わってあげたいとするそういう行為ではないのか。

「同苦」と教えられていなくても、その行為ができるというのは、素晴らしい。

わが蓮の花奨学生に誇りをもったのである。
こういう健気さとか誇りに接することが、奉仕活動では膨大なエネルギーを生み出すと私は考える。

奉仕活動でも20代なら、限界への挑戦もできる。

「私たちの年代になると限界からの挑戦ですよ」とある方が名言を吐いた。

限界からの挑戦が、なぜわれわれにできるのか・・・

可能性をもった子供たちに会えるからである。何とかしてあげたいと願うその一心・一念から、広大なエネルギーが沸き起こるのだ。自分のためだけなら、そういうエネルギーは無限に続かないであろう。

フランスの作家サン=テグジュペリは言った。
「みんながわたし(たち)を信頼している。歩かなければ、わたしは卑怯者だ」

私の師匠はこう書かれた。
「青年の情熱は尊い。しかしまた、四十歳、五十歳、六十歳、七十歳、さらに八十歳と年輪を刻みながら、なお消えることなき情熱こそ、本物である」

私も、そうありたいと強く願う。

今回、ダナンの「行動の人」ヒエン会長にお会いできたのは、私の喜びとするところである。

8月の再会のために、心身を鍛えてこうと考える。

今年8月の支援隊としてのツアーは、私にとって原点を見直す勉強のツアーになりそうだ。(文:北村 元)Posted by Picasa
 

2010-06-28

ニンビン省で6月13日に・・・

6月13日 久しぶりにニンビン省を訪問しました。国道1号線の路面は一層充実し、車の流れはよく、予定より30分も早くニンビンについてしまいました。

前日、急遽予定を半日繰り上げるお願いをしたにもかかわらず集まって下さったビンさんを筆頭とするニンビン省の旧女性兵士と再会。7人とニャンちゃんとお母さん(ルオン・ティ・ビン)の合計9人が集合して待っていてくれました。
                     写真上は、最前列がニャンちゃん、右端がニャンちゃんのお母さんルオン・ティ・ビンさん、ニャンちゃんの後ろは、旧女性兵士連絡会幹事のチャン・ティ・ビンさん
下見の予算は乏しいので、たくさん集まってくださるのはうれしいのですが、腹一杯の食事をご馳走するとまではいきませんで、ささやかな昼食会になりました。

ともかく、ニャンちゃんの笑顔をみることができたのは、最大の収穫でした。黄疸症状も若干緩和されたように思います。
学校では、自分と7~8歳くらい下の生徒と勉強しているわけです。

そこで、学業をしていけるのですから、クラス、いや学校の皆が年上のニャンちゃんを気持よく受け入れてくれているということなのです。ニャンちゃんは一番上級生より年上なのですから。

ベトナムには、いじめはありません・・と言ったある女学生の確信ある言葉が、現実味となって感じられました。

「学校は楽しいです。勉強も楽しいです。数学が好きです」

ニャンちゃんのはずむ言葉に、リズムと勢いが感じられました。
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だが、まだ心配が去ったわけではありません。

2ヶ月に1度の輸血をハノイまで出かけてしなくてはなりません。

地元で輸血が出来るような医療事情の好転は、当分望めそうもありません。

ともかく、長生きしてほしい・・この一言につきます。

そして、大学2年生になったお姉ちゃんのクエンさんに続いてほしい・・・と願うのは私だけではないでしょう。

これまで、たくさんの方々が応援してくれました。仙台のパイロット・クラブ。東京文京区の小学校の生徒さんを初めとして、多くの方々が浄財を寄付してくれました。
それらが、「栄養をつけてあげよう」というニャンちゃんのおかず一品買い上げ運動に役立ちました。
優等生の賞状を持つニャンちゃん
実は、ニャンちゃんは、09-10年度の学年で、成績優秀につき表彰する・・ということになり、受賞した優等生の賞状を大事そうにもってきてくれました。
涙が出るほど嬉しさを感じ、私はニャンちゃんをぎゅっと抱きしめました。パウチッコをした私の写真を3枚さし上げて、8月の再会を約束しました。

お母さんの表情もとても明るくなっているようにお見受けしました。

少しでも良い家庭環境が出来れば、それだけ母親としても安心材料になります。

夫と男の子を亡くした奥さんは、これまでどんなに不安だったか・・・

ようやく安定した生活に入りつつあるように思います。

いま、長女のクエンさんとこのニャンちゃんが、母親にとって、最高の希望の光なのだと確信します。かけがえのない二人の子供たち。

まさに、「子にすぎたる財(たから)なし」です。

未来を担う子供の成長は、一人母親のみならず、周囲の人にも大きな喜びです。ニャンちゃんの住む地域、ニャンちゃんを受け入れている学校を初めとして、私たち支援隊も含めて、皆で子どもを育んでいく社会にしていことが大事です。

「木を植える場合、大風が吹いたとしても。強い支えがあれば倒れない」という名言があります。
私たちは、大いに支えになりたいと思います。Posted by Picasa

2010-06-27

蓮の花奨学生便り(2-4完)

今回は、クアンガイ省で、金原さんから奨学金を授与されたグエン・タン・ニャット君からのお手紙を紹介しましょう。
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支援隊の皆様 及び宮尾会長さまへ

  私はTAN NHATと言います。ベトナムで皆様に奨学金を頂きました。

  まず、皆様のご健康をいつもお祈りしています。

  今は五月ですね。手紙をお出しするのが遅くなりました。真に申し訳ございませんでした。
このお手紙を通じて、私の勉強の成績についてのご報告をしたいと思います。この間、後期のテストを頑張って受けました。もらった結果では、今年の成績が前期より進歩していたことがわかりました。

  皆様の応援のおかげで、この前に話した大変なことを乗り越えました。
今、卒業試験(2010年6月2日)と大学の入学試験のために、一生懸命頑張って勉強しています。今年の卒業試験の各科目は難しいですが、頑張れると思います。一番心配するのは、やはり大変厳しい大学の入学試験です。また、私が選んだ大学はとても難しくとても大変です。その大学はホーチミンにある公立の経済大学です。合格するのは本当に難しいですから、とても心配です。そして、友達と離れてそれぞれ違う道に進みますので、会えなくなるのでとても寂しいです。

  でも、集中して勉強を頑張りますから、心配しないで下さい。
頑張れば、できますよね。いつも、応援してくれる家族や友達、そして何より皆様がいてくださいますので、とても幸せです。それが私の力になります。ありがとうございます。

  以上が、私の勉強のことです。
私の家族の皆は元気に仕事をしています。私は時々親の手伝いをしたり、家事をしたり、下の弟妹の面倒をみたりしています。

  最後にもう一度、皆様のより良いご健康をお祈り申し上げます。

  それでは、またお会いしましょう。


                2010年5月24日、ベトナム

                TAN NHATより Posted by Picasa

2010-06-26

蓮の花奨学生便り(2-3)

今回は、クアンガイ市で宮尾会長から証書を受け取ったファム・ティ・ニュンさんからの手紙です。女性らしく、きれいな便箋に書いてきてくれました。
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支援隊の皆様 宮尾和宏様へ

  前回に書いたお手紙から、何カ月経って、久しぶりにお手紙をまたお出しします。お元気ですか?

  今日は5月24日。ベトナムでの高校卒業試験の日まで、後一週間くらいあります。この試験は難しくはありませんが、人生の大切な時期の試験です。ここから大きなドアが開いて、自分の行きたい道を選ぶことによって、いろいろ迷うことになると思います。
ニュンさんと宮尾会長
私は小柄ですし、それに活発な性格ではありませんが、将来には先生になりたいと思います。なぜなら、自分が学んだことを生かして、次々の学生たちに知識を伝えていきたいと考えているからです。ベトナムの国の人材を育てるために、自分の力を入れたいと思っていますので、今勉強を頑張っています。
  日本は遠いです。日本と言ったら、富士山や桜や着物などをすぐに思い浮かべますが、特に、親切な日本人たちに出会うことができ、良かったと思います。
ニュンさんが使った便箋
 私の家族は全員元気ですが、最近、皆さまの生活に何か変わったことがありますか?仕事は順調に進んでいますか? 私は、皆さまのご健康や幸せを心からお祈りさせて頂きます。
この季節に入ると、私の故郷では、いっぱいハスの花が咲いています。風が良い香りを運んでくれます。すごく綺麗で素晴らしい季節です。ご都合が良ろしかったら、是非ベトナムへ遊びにいらしてくださいませ。

  和宏さま初め皆さまは、どうかお体を大切にしてください!

またお会いましょうね!!

2010年5月24日   PHAM THI NHUNGよりPosted by Picasa

2010-06-25

蓮の花奨学生便り(2-2)

今日は、その2回です。グエン・タイン・チ君です。
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ベトナム支援隊と宮尾和宏会長 様 へ

皆様、私はグエン・タイン・チと申します(北村註:昨年の奨学金授与式で一番最初に櫻井さんが渡した学生さんです)。1991年4月6日に、クアンガイ省モー・ドック郡ドゥックラン村(北村註:クアンガイ市を南化してモードゥックの町を左に入った村)に生まれました。現在、ホーチミン市にて学生生活を送っています。

 
まず、皆様はお元気でしょうか?お仕事の方も順調でしょうか?授与式でのチ君
皆様にお会いしてから一年ぐらい経ちましたね。その時の記憶がまだ昨日の事のように、私の頭に残っています。

皆様のなさっている仕事は私にとってとても感動です。皆様の愛情、親切、優しいお心にお応えするために、自分が一生懸命勉強を頑張らないといけません。社会に対して役に立つ人間になりたいです。

ホーチミン市へ来た最初頃、色々なびっくりしました。「ベトナムの田舎もの」と言われたぐらい、知らないものばかりでした。友達と一緒に願書を出しに行きましたが、友達は道を知らなかったので、迷子になりました。周辺の人々が学校までの道を親切にも案内してくれました。

学校では新しい友達を作ったり、お互いに協力したりして、勉強しています。私のクループには8人の男子学生がいます。全員は頭が良く、性格が面白いです。初めて会った時に、皆と気が合うことが分かりました。ある一人の女子学生は私たちのグループに入りたかったのですが、男性ばかりなので戸惑いを感じたようです。

住んでいるところと学校は遠いので、ずっと学校にいます。忙しくて休みがないくらいです。又学校の活動に沢山参加していたので、とても忙しかったです。
5頁にわたって書かれたチ君の手紙
ベトナムでは11月20日は先生の日です。その時、私のグループの皆で、花を売ることになりました。そのことを通して、沢山の経験や将来的に有益な経験を積めると思いました。大変でしたが、とても楽しかったです。その時の売り上げでは、あまり利益が出ませんでした。

その頃、沢山の活動に参加していましたので、途中で倒れて手を骨折してしまいました。そして、残念ながら、前期のテストを受ける事ができず、もう一年間伸びることになってしまいました。

それで、今経済大学を7月まで、とりあえず中止して英語を勉強していて、夜 喫茶店でアルバイトをしています。一年間勿体無いと思いましたガ、事故だから仕方がありません。7月になったらまた学校へ戻ります。

大学の友達と離れて寂しいですが、頑張るしかありません。

以上が私のことです。家族一同に代わり、皆様にいつもありがとうございますとお礼を申しあげます。また、お会いできれば、嬉しいです。

それでは、また。

 10年5月27日、ホーチミン市にて  PHAN THANH TRI よりPosted by Picasa

2010-06-24

蓮の花奨学生便り(2-1)

今日、オーストラリアは、27代目の首相が誕生しました。オーストラリア初の女性首相です。今朝まで首相だったラッド氏は、政治的暗殺で、追放されました。もちろん、彼にも政策上のミスは会ったのですが、今年の総選挙に勝てないと思う政権党の労働党員の中で、性急な動きが昨夜からありました。

それは、ともかく、ついに南半球にも女性首相の誕生です。統一後のベトナムには、女性副首相はいました。いずれ、ベトナムでも女性首相が実現する時はくるでしょう。

今日は、蓮の花奨学生から送られてきた手紙を、掲載します。

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宮尾 和宏会長様へ

  皆さん、お久しぶりですね。お元気ですか?

宮尾会長と皆さまに手紙を書いてからもう5カ月ちょっと過ぎています。長い間手紙を書きませんでしたが、お仕事はどうでしょうか?皆様はお元気で仕事をなさっていますか?

皆さまのご健康を知りたいだけでなく、自分のほうも、今年の学習の結果を支援隊の皆様にご報告したいと思って手紙を書きました。
キム・チュンさん

今年の後期には良い成績をもらいました。それで、「良」の学生と評価されました。そして、高校卒業試験がありますので、勉強しなければなりません。自分の将来のために、勉強を頑張って行きたいと思っています。何より高価なプレゼントとして良い結果をもらえば、親をはじめ宮尾会長や皆様にそれが「良い」プレゼントになると考えています。

宮尾会長、良輔さん、皆さまのことを思い出しては、お会いしたいと思っています。

  家族の経済が大変厳しいので、将来自分の力で家族を助けることができたら、嬉しいと思って頑張りたいです。そうすれば、親にも喜んで幸せになってもらえると思います。

ですから、次の大切な試験を前に、とても心配で1.5kgもやせました。今日は22日、それというのは、後9日すると、高校卒業試験に入ります。
  早く早く皆さまにお会いしたいです。皆さはお元気ですか?名古良輔さんによろしくお伝えくださいますか? 皆様のご健康を、いつも祈っています。
キム・チュンさんの手紙と封筒
私の家族は皆、いつもどおり元気です。宮尾会長のことを時々思い出します。

私は、高校を卒業したら、ホーチミン市にある公立大学の経済法律の学部に入りたいと思います。大変難しい夢ですが、頑張って受けてみます。昔、文学の先生を夢見ていましたが、ベトナムでは先生の給料があまり良くないから、自分の生活を支える事が出来ないのに 家族まで助けることは無理だと思って先生になる夢を諦めました。家族の世話ができるように、経済関係の弁護士になることを選びました。


  皆様にまたお会い出来ますか?皆様のことを思い出します。


  日本へ一度行ってみたいです。綺麗な日本、素晴らしい富士山へ行って実際に体験して見たい、遠い所から見るだけでも満足すると思います。


  私は勉強で忙しいので、皆さんに手紙をあまり出せません。今回は最後の手紙ですが、皆様に成績報告、挨拶したいと思って書きました。怒らないで下さいね。


  最後に、皆様のご健康とお仕事のご成功を祈ります。皆様と直接に話ができませんが、皆さんのご行為から愛情を感じることができます。いつも覚えていてくださり感謝しています。


  それではさようなら!!いつか、分かりませんが、またお会いましょうね!!


              レ・ティ・キム・チュンより
        2010年5月22日 クアンガイ市にて

2010-06-03

クアンガイ奨学生からの便り

支援しているクアンガイの奨学生から便りが届ききました。ご紹介します。
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宮尾和宏さまへ

支援隊の皆様、お元気ですか?

私はいつも皆様の健康と幸せをお祈りしています。昨年皆様と一緒に来てくれた私と同い年くらいの女性はお元気で勉強に励んでいらっしゃいますか?家族のために良い娘さんになって欲しいと思っています。


それと、支援隊がますます繁栄されるようお祈りいたします。
最初に皆様にお詫びを申し上げなければなりません。お正月にお手紙を出さなければならないと思いながら、なかなか出せませんでした。会の皆様は私の手紙を待っていてくれた事と思います。

今、皆様の暖かい心のお陰でとても幸せに思っています。


今朝はとっても嬉しいことが有りました。それは毎日通う学校へ行く途中のポストの中に、遠い日本からのお手紙と写真が入っていたからです。


皆様のお仕事は上手く行っていますか?生活に変化が有りますか?


私と私の家族は皆元気です。勉強の事ですが前期の成績はクラスの中の上から9番目でした。まずますの結果ですが、前期より今期はもっと頑張りたいと思っています。


日本にはhumming(昆虫類)がいますか?私の田舎では、昆虫が朝から晩までずーと鳴いています。


それは夏が来たと云う合図です。学校の一年はそろそろ終了の時期になり寂しい思いをしています。 でも今度の夏休みが終わったら私は高校生ではなく大学生になるので、とてもわくわくする気持ちも有る反面、次の試験の事などを思うととても心配で、ものすごい重圧を感じていた所に、皆様からの応援の手紙が届きとても勇気づけられました。


皆様の愛情と応援のお陰で、自信を持って前進して行きたいと思っています。


皆様のご期待に応えて夢を実現できるように、一生懸命頑張って勉強をしたいと思っています。


私は皆様から遠く離れたい所に居ますが、皆様の温かいお気持ちをとても強く感ずることが出来ます。

何時か美しい日本へ行き桜並木を歩いたり、素晴らしい富士山や緑いっぱいのお茶畑を見ることができたら素晴らしい事だと思います。


その夢を是非実現できたらとても嬉しいことです。


私はSの形をした故郷で、喜んで皆様をお迎えします。出来るだけ早くお会い出来る事を祈ります。


 2010年4月9日 ファム・ティ・ニュン(PHAM THI NHUNG)