(上)よりお読み下さい。
延々と続く影響
エージェント・オレンジの犠牲者について話す時、白髪混じりののチ博士は涙なしでは語れない。
「ビン・ディン省は、エージェント・オレンジの影響を最も酷く受けた省の一つです。どのくらい多くの障害児がうまれ、どのくらい多くの障害児が今後生まれるか、誰にもわかりません」
フイン・タイ・ビン君は、クイ・ニョンで生まれたが、先天性の心臓疾患だった。14歳で、同年齢の子どもより遙かに虚弱だった。母親のフイン・ティ・フオンさんには、治療に必要な6千万ドン(約3750米ドル)を出せる当てなど、まるでなかった。
「ビンには手術しかないと分かっていました。でも、わが家は貧しすぎて・・・チ博士の努力と親切心がなかったなら、今日まで生きていなかったでしょう。博士に会えたことが、私たちにとって最上のことでした。生きていけるという希望を息子にくれた日を、決して忘れることはありません」と、フオンさんは感謝する。
チ博士は、ビン君を真心協会会長のフイン・タン・マム博士に紹介した。2006年に、マムと真心協会は、心臓病をもったビンの手術費用を捻出するための慈善音楽会を開催した。真心協会とその支援者らが、ホーチミン市のチョー・ライ病院で受けるビンの手術のスポンサーになった。
「私を含めてチ先生のおかげで直った子どもの母親らは、先生を、チお父さんと呼んでいます」と、フオンさんは明かした。
チ博士は、「心臓病をもった新生児を探知することが、全国的に所定の作業にならなければなりません。心臓欠陥を持って生まれた子供の大半は、異常がみつかって初めて医者にいくのですが、その時には、既に手遅れになっていることが多いです」と、言う。
長期の治療を受けて、ビン君の状態は安定してきた。他の10代の子どもと同じようにあそび、勉強もできるようになった。
将来の夢を、ビン君はこう語る。「マム先生とチ先生の援助に感激しました。大きくなったら、心臓病をもった貧しい子どもたちを治療できるようにお医者さんになりたいです」
チ博士は、患者を病気を治しただけではない。患者に、明るい未来と、困難な状況に立ち向かう自信を与えたのだ。
ビン・ディン省のダオ・ドゥック・ドンは、両親の受けたエージェント・オレンジの影響が出た。腫瘍が尻に出来て、彼は学校に通うことができなかった。チ博士は、ドンを助けるための資金作りの運動を起こした。そして、ホーチミン市のリ・トゥ・リンと他の人のスポンサーの援助で、ドンは手術を受けて、腫瘍を切除した。
チ博士は、何年もかけて、エージェント・オレンジの被害者の写真を撮りづけてきた。エージェント・オレンジ日本支部の西村よういち(漢字不詳)さんによって、世に出されることになった。
西村さんと奥さんのくるみさんは、ベトナムで多くの慈善行事に参加し、チ博士と親しくなった。
「彼らは、心の底からベトナムの犠牲者を心配してくれる日本人です。彼らは、私と一緒にダイオキシンの患者を訪問してくれました。世界に真実を知らしめるために、ダイオキシンの被害者の写真集を出版してくれることになりました」と、チ博士は喜ぶ。
チ博士は、年を重ねているにもかかわらず、今も遠くに、広範に旅をして、患者を助けている。「エージェントオレンジの被害者にとって、誰かが助けてあげない限り、奇形や苦痛は決して和らぐ物ではありません」
0 件のコメント:
コメントを投稿