他のアジア諸国と同じように、ベトナム人は蓮に高い尊敬の念を払います。この熱帯の国ベトナムで、蓮は竹と同じほど親しみのあるものです。
北部では、蓮の開花は夏を告げます。南部の平原地帯では、蓮は一年中咲いています。濃い緑の葉にピンクの点を織り交ぜたような蓮のカーペットがびっしり敷き詰められた池の中でボートを漕ぐのは至難の技です。
蓮の花は、それはそれは絶妙な美しさを見せますが、その美しさだけでなく、極めて有益な花です。ベトナムでは、種は鎮静剤としても使われ、塊茎や茎は生でサラダの材料となり、あるいはお粥に入れたりします。葉は物を包むのによく使われ、特に総菜やケーキを包むと、その芳香がみごとに移ります。
蓮の花が豊富で有名なのは、中部ゲアン省です。その省都ヴィンから西へ30キロほどいったところに、キム・リエン村があります。つまり、金の蓮という意味です。キム・リエンと言う言葉は、ベトナム人にとって特別な名前です。それは、1890年5月19日に、この名の村でホーチミンさんが生まれたからです。
キム・リエン村は、ホーチミンさんの生地としてだけではなくて、蓮村として有名です。村の小川や池には、一杯の蓮が咲きます。
ホーチミンさんは、自分自身のこと、自分のルーツ、家族のことを話したことはほとんどありません。しかし、キム・リエン博物館にいけば詳しいことがわかります。
藁葺きの屋根、竹で出来た壁・・・そこにホーチミンさんは生まれ、11歳まで住みました。ホーチミンさんの父親は、儒教や文学の中に登場した愛国心の強い学者といわれ、中国漢字で息子に読み書きを教えました。その後、ホーチミンさんは、キム・リエン村から数キロ離れた母親の出身の村であるホアン・チュ村に移り、祖父からしっかりと教育を受けたのです。
ホーチミンさんが生まれた家は東向きに作られ、さわやかな海風が入ってきたそうです。この海風は、一日2食にしても十分な米がとれない内陸の過酷さに安らぎを与えたに違いありません。厳しいゲアンの経済状態。暑い夏の夜、グエン・シン・クン(ホーチミンの幼名)が、ハンモックに揺られ、夜風に乗ってくる蓮の香りをかぎながら寝たことが想像できます。蓮の価値は、実用的な面と象徴的な面があります。ベトナム人の目には、蓮は、魂の純粋さ、高貴な心、忠実さを示し、そして先祖との強い絆で結ばれています。親や祖父・祖母の命日には、必ずといっていいほど蓮の花束が仏壇に供えられます。
実用的な使用という点では、蓮は、見事なお茶を作り出します。蓮の雌しべから出る芳香は、お茶通を唸らすような風味を添えます。
蓮の花の香りを添える技術は、決して簡単ではありません。夜遅く、お茶の葉を細かくして、柔らかい紙に包んで蓮の花の中に置いておきます。次の朝早く、朝露や雨の雫で湿ったお茶の葉を回収します。そして最後、露や雨水でお茶の葉を茹でて、それを急須に入れます。
恐らく、ホーチミンさんも、そうやって準備されたお茶の入れ方を小さい時から見ていたに違いありませんし、そういう香りを十分楽しんだと思います。
やがて、ホーチミンさんは、フエに家族で引っ越しました。そこで、彼は、流れを見下ろす小さな家に住んだ。毎朝毎朝、フエの学校までの土手の道を歩きましたが、その道沿いには蓮池がたくさんあったといいます。
蓮の花びらの色には、ピンク、白が中心ですが、すみれ色もあるという。私はまだ見たことがありません。フエでは、ある池でしか咲かない蓮の種類もあると言われます。
今日、フエの故宮を取り巻く堀にはぎっしりと蓮の絨毯が敷き詰められ、トゥー・ドゥック帝が死ぬ前に建てた自分の墓の近くにもぎっしりと蓮絨毯が浮かんでいます。トゥー・ドゥック帝も、夏の日々、のどかな庭で香りを楽しみながら過ごしているのかもしれません。
リーズ高原で最も美しい花 それは蓮
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