1996年当時の話だから、今から10年ほど遡る。
家畜の屠殺が不衛生な状態で行われていて、ハノイ市民はいくら苦情を言おうが問題の解決は為されなかった。
家畜の屠殺は、実に早朝に行われるのだ。私は、ハノイに赴任した最初の数ヶ月は驚いたものだ。毎朝切り裂くような悲鳴を聞いて、こんなに人が殺されたり障害事件が起きているのか、と真剣に思ったくらいだ。ハノイは、危険な所だと錯覚したのだ。早朝のあの悲壮感いっぱいの豚の鳴き声は、命乞いをしているように、私には聞こえる。
間違いなく、あの声は心の平安を破る。少なくとも、その日をスタートする朝に聞く声ではない。この断末魔の声が途絶えるのが、わずかテットの数日だけなのだ。
豚は、夜10時から11時ごろまでにタインホア、ハイフン、ナムハーの各省から屠殺場に送られてくるのだが、時として夜中の1時とか2時までかかることもある。その時間になると、人々は深い眠りに入っているが、どうしても豚の鳴き声で目が覚めるのである。
チュオン・ディン人民委員会のファム・スアン・トゥオン(Pham Xuan Thuong)委員長は、「私の家は2、3箇所の屠殺場に近いので、毎朝早朝から眠られなくなる。その他に、豚の毛、汚水などで、近所が汚染している」と話す。
ハノイ獣医局によると、ハノイ地区には営業許可証をもつ屠殺場は120箇所にのぼるという。このうち90箇所はハノイ市内にあり、ハイバーチュン区にはそのうちの50%が集中していた。私のすんでいたのも、ハイバーチュン区。その鳴き声の大きさを想像して頂きたい。
どうやら、多くの屠殺場で、税を逃れるための違法活動がおこなわれているのが実態らしい。やがて、なぜか屠殺場は、全体で50に減った。これらの屠殺場は、給水や廃物処理の点で一応ハノイ獣医局の規定を満たしているという。信じるに足る話ではない。
ある時、私は、大きな屠殺場があるチュオン・ディン通り、カウ・チェ通り、ヴォン交差点、バックマイ通りなどを夜中に回ってみた。夜10時過ぎ、豚を載せたトラックが国道1号線から市内に入ってくる。各トラックには20頭ほどの豚が乗っている。
そして、早朝3時頃から、ホアン・マイ通り、ダイ・ラ、カウ・キーという橋の近くで屠殺活動が一斉に始まる。ある屠殺場では、一晩というか早朝に、約30頭の豚が処理される。
シクロが、ハノイの各所に豚肉を運んでいっては、また戻ってくる。ファン・フー・ティエン通りやヴォン交差点の近くにある屠殺場などは、歩道や車道に廃物を捨てる。キム・グー(KimNguu)通りにある屠殺場は、キム・グー川に捨てる。大体が、近くの池や下水道に直接捨てるので、環境汚染は酷くなる一方だ。さばいた後、屠殺場が水で洗浄されるのだが、本当にきれいになるものなのか。
獣医局の規定は一体どう生かされているのか?
そして空気汚染はないのか?そういうことはないと誰が言えるのか?
各通りとハノイ市役所は、どうしてこの問題を解決できないのか?
ハノイの屠殺は盛んで、首都の胃袋の85%を満足させていると聞く。
だが、まか不思議なのは、屠殺税の90%は、毎年徴収漏れになったままだという。ほんとうなら、なぜそんなことがお目こぼしになっているのか?ハノイ人民委員会は法令を作って、夜11時から早朝4時まで、家畜を運んで屠殺する行為を禁止したが、全く実効がない。
ハノイ獣医局のホアン・ティ・タン(HoanThiThang)副局長は、「100%の屠殺場が獣医法に違反している。ハノイの官庁は、この問題にあまり関心がない・・。当局もただ罰するだけだ・・」と、腰を抜かすような途方もないお返事。
各屠殺場の環境汚染の実態、並びに騒音はひどいものだったが、管理が強化されたり、処分が発動されなかったのは、なぜなのだろうか?
住んでいてもよくわからなかった。果たして今は、どうなっているのだろうか?と、しきりに思うのだ。願わくば、防音装置付きの清潔な建物で・・やってもらいたいと、当時ひたすらに思ったものだ。(おわり)
今年のブログは、これで終了させて頂きます。
この1年間の支援隊へのご協力、まことにありがとうございました。
また、来年、ブログを再開したいと思います。(北村 元)
2006-12-30
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