2008-02-13

またまたの「蓮」

蓮の花の白とピンクの花びらの美しさが、やはり民話の中に登場することも前回書きました。次の詩もその例です。

蓮は、
その色合いを、いかに保つかを知っている
蓮は、
太陽の光に褪せることはない
雨に色が解けることもない

蓮は、時に若い女性そのものとして謳われます。

あなたは何をなさっていますか?
蓮の花は成長しました
あなたは蓮をみに一度も池に来てくれません。
通りすがりに蓮の花をみると、
摘みたくなってしまう。
でも、その家の方とはなじみがありません

また、時には、相手を女性の心境を謳います。

蓮の花が、池一面に香りを漂わす
花を摘もうと思って手を伸ばすが
寺の坊さんが気になる
お坊さんを一人にしておいて、出来るだけ長く
手を伸ばしているから
そうすれば、手で花が摘める
蓮に傷をつけるかもしれないけど、
私はあなたに持っていってあげる

無名の詩人が、若い女性の屈託のない笑顔を蓮に例えました。

あなたの笑う唇を一目見て
蓮の蕾が開く
燦然たる朝日が昇る

女性の頭に巻いたターバンに蓮の花を重ねる詩人もいます。

あなたの笑顔の口はガウの花(註)に似ている。
あなたの頭に巻くターバンは蓮の花に似る

上の詩に出てきたガウの花(ホア・ガウ)は、下の写真です。黄色い小さな花です。7月、8月に咲きます。お茶にも使われる他、薬にも使われています。高血圧、酒酔いに効果があるといいます。

ホーチミン市在住の高橋和泉さんが、早速教えてくれました。「日本名はおそらく樹蘭(じゅらん)です。センダン科の低木で、アグライアという通称もあります。学名のAglaia Odorataは、香りが良いことを意味 するもので、原産の中国では、この木の花を集めてお茶の葉に混ぜ、香りを楽しむそうです。ベトナムの花の辞典にも“花の香りをお茶に入れて楽しむ”と説明があります」と。

蓮は、当然愛のテーマにもなります。

昨日、公民館で水をくみ出しているとき
私は、チョッキを蓮の花の上にかけておいた
恋人よ、それを返しておくれ
私のチョッキは前がすり切れている
私にはまだ妻がいない
それを繕ってくれる人は誰もいない
年老いた母以外には。
だから、私のチョッキは長い間すりきれたままなのだ。

若い男性が自分のチョッキを繕ってくれれば何か御礼をしたいと申し出て、この詩は、まだ続いていきます。彼は、繕ってくれた女性の結婚式には、「餅米とあんこをバスケットに入れて、太った豚、ポット一杯の地酒、休む時のマット、あなたを包む毛布、そしてお金をお祝いに差し上げます・・」といいます。

このような思いを込めた寛大の愛を、誰が拒むことができるだろうか? もちろん、蓮の花には枝はありません。この若い男性は、自分のチョッキを忘れていません。蓮の茎にぶら下げたチョッキは、恋人に近づくための口実に過ぎません。でも、ちょっと遠慮がちな、それでいて必死なひたむきさとシャイがそこにあります。

蓮の花を男性に、女性を水に例えた詩人もいます。

これまでは、縁もゆかりもありませんでした。
ああ、池よ、あなたには蓮の花がありますか?
池には、満面にきれいな水をたたえて、
ずっと、蓮の花が咲くのを待ちこがれています。

ロマンティックな愛に謳いこまれる以外に、蓮の花は人類愛の象徴としても謳われます。

蓮の花ほど美しいものはない。
緑の葉、白い花、黄色い雌しべ
黄色い花びら、白い花、緑の葉
泥水に浸かって一緒になって、
それでも泥水の臭いをつけることはない。                
                          
3回に渡ってお送りしたベトナムと「蓮」の話は、これでひとまず終わりにします。(北村記)Posted by Picasa

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