2011-09-13

蓮の花奨学生からの便り(45)

ヴィンフック省からの手紙です。
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拝啓 愛のベトナムさわやか支援隊の皆様へ

私はグエン・ティ・フオン・リンです。皆さんに「ご健康、ご幸福とご成功をお祈りしている」ことをお伝えします。
2010年撮影
皆様は、私がこの前に書いたお手紙を読んで下さいましたか。愛のベトナムさわやか支援隊の皆様、お元気ですか。
日本の東北大震災や津波のニュースなどを見て、心が痛みます。この災害のせいで、何千人もの命を奪われたり、日本の財産などの損失を受け、大きな苦しみだと思います。
しかし、日本はこの災害を絶対に乗り越えると信じています。この災害の中でも、皆さまは私たちにずっと応援を続けてくださっているので、すごく感謝しています。
私は戦争のせいで枯れ葉剤の被害を受けましたが、日本の皆様から色々な面倒を見て頂いて、自分の病気の苦しみはなんとか減らすことができます。
皆様のおかげで、私たち被害者全員は、ご支援を頂いて、勉強と生活面でとても助かっています。そして前に向かって勉強や生活をすることができますので、本当に何よりも大きな贈り物です。

最後に、愛のベトナムさわやか支援隊の皆様がお元気でいられるように祈っています。また、皆様にベトナムでお会いできたらうれしいです。

「日本国民の皆さん 頑張ってください」とずっと応援をします。 敬具

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【北村 元】リンさん、お手紙ありがとうございました。お手紙は皆で回し読みしました。また、東北への力強いメッセージをありがとうございました。本日中に、仙台と福島の友人にお伝えします。
災害も、戦争被害も、「公助」「自助」の他に、どうしても「互助」が必要になってきます。その部分を、私たちがほんとうにささやかですが、受け持っています。焼け石に水程度ですが、激励も含めて、絆を太くしようとしています。
今年も、ヴィンフックで楽しく過ごさせて頂きました。暖かい歓迎に心が癒されました。ヴィンフックは、皆さんが明るいです。
リンさんも、去年より成長されました。そういう姿を見る時が、一番嬉しいです。そして、あなたの笑顔・・・すばらしいです。2011-12年度も全力で勉学に取り組んでください。もう一度、お便りありがとうと申し上げます。
愛のベトナム支援隊
Love & Support Vietnam Since 1990
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2011-09-12

9・12は満月

ベトナムの蓮の花奨学生の皆さん
今日は満月です。満月・・見てますか? ベトナム語で満月を、チャン・チョンといいましたっけ? うろ覚え・・自信ありません。
ハノイは雨か曇り、ニンビンは小雨、ヴィンフックは曇、ダナンは雨、クアンガイも雨・・ということで、今日は、私たちの奨学生の皆さん、満月は見られないかもしれませんね。
この月は、シドニーで今日撮った満月です。
月餅のような月ですね。最近は、月餅を売る店がどこでも増えましたね。ベトナムだって全国的に増えていますよ。
 
ハノイは雨か曇り、ニンビンは小雨、ヴィンフックは曇、ダナンは雨、クアンガイも雨・・ということで、今日は、私たちの奨学生の皆さん。満月は見られないかもしれませんね。
この満月は、シドニーで今日撮ったものです。

月餅のような月ですね。最近は、月餅を売る店がでこでも増えましたね。昔から、日本では「花よりだんご」 曇や雨なら、月餅でお月見としましょう。
では、お元気で。

愛のベトナム支援隊
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蓮の花奨学生からの便り(44)

44回目の便りは、ヴィンフックのファム・タイン・コン君からです。6月に一日置きに連続してきましたので、2回分を掲載します。
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ベトナム社会主義共和国

独立ー自由ー幸福
 成績結果報告書

学年:2010~2011


拝啓 愛のベトナムさわやか支援隊の皆様へ


私は戦争により枯葉剤に感染したファム・タイン・コンです。2010年8月に愛のベトナムさわやか支援隊から奨学金を頂き、とても光栄に思いました。皆さんの期待の通りに、一生懸命に勉強しています。
今年、困難を越えて、精一杯勉強し、それに自分自身の理想的な人生の目的を達成す為に、ずっと努力してまいります。学校では真面目な学生になり、友人に対しては親しい友好関係を作り、常にお互いを助けるという精神を身に着けています。社会にあっては悪い事には絶対に関わらないという規則を守ります。家庭にあっては親孝行です。
 
最後に皆さまの「ご健康とご幸福」をお祈りいたします。私のように、他の学生たちが愛のベトナムさわやか支援隊から奨学金が贈られれば・・と願います。    敬具
 ĐẠI ĐÌNH 2011年05月12日 
ファム・タイン・コンPHẠM THÀNH CÔNG
2010年撮影・ヴィンフックにて

拝啓、宮尾和宏様・愛のベトナムさわやか支援隊の皆様へ

私は愛のベトナムさわやか支援隊の皆様からとても大切な奨学金を頂いたファム・タイン・コンです。本当に心から感謝の気持ちがいっぱいで、誠にありがとうございました。
 
大切な奨学金を頂いてから、学費を払いました。残りは教科書やノートややカバン等を買いました。皆様の熱意とご支援のおかげで、私の勉学は凄く助かっています。
 
愛のベトナムさわやか支援隊の皆様は温かい心で私たちをいつも応援してくださり、感謝の気持ちがいっぱいです。皆様が励まして下さるからこそ、今年の成績はご期待に沿えたように良い成績を取ることができました。
 
私はうっかり、支援隊から頂いた封筒を紛失くしてしまいましたので、住所など分からなくなりましたが、枯れ葉剤被害者協会が、支援隊の新しい封筒を送ってくださったので、本当に助かりました。ありがとうございます。手紙を書くのが遅くなって、申し訳ありませんでした。
 
現在でも、とても困難な生活している人々が沢山おります。もし皆さまが、私にして下さったように支援して下さるなら、きっと喜んでくれると思います。
 
最後になりますが、宮尾和宏様と愛のベトナムさわやか支援隊の皆様、いつまでもお元気で。そして、慈善活動の一層のご成をお祈りしています。
 
お体にご大切になさってください!   敬具

ファム・タイン・コンPHAM THANH CONGより

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【北村 元から】お便り、ありがとうございました。
成績がよかったそうで、おめでとうございました。今年より来年と・・少しでも上へ上へと進んで下さい。得意科目は何ですか? 苦手の科目は何ですか? 何点取ると「優」ですか? 
これからは、一気に手紙を出さないで、半年に一度のペースで出してください。生活のことが書かれていないので、どういう生活を送っているか知りたいです。学校のこと、友達のこと、コン君の悩みなども知りたいです。
コン君が立派に成長して、困っている人を私たちと一緒に応援できるように・・・そうなる日が来ることを願っています。
今年も頑張ってください。
先日ヴィンフックでお会いした時に、昨年より成長されたなと感じました。ヴィンフック5人の奨学生のうち、男性はコン君一人です。期待していますよ。
北村 元 愛のベトナム支援隊
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2011-09-11

蓮の花奨学生からの便り(43)

今回も、蓮の花奨学生からのお便りです。
フート省からです。
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フート省ヴィエッチ市 2011年6月2日

拝啓 愛のベトナムさわやか支援隊の皆様と会長さまへ

まず、会長さまはいつもお元気でいられるように、そして愛のベトナムさわやか支援隊の皆様のご健康と、今まで続けられている活動がいつまでも効果的に成功されるようにお祈りしています。
2010年撮影
東北日本大震災や津波が起きてから、もう数カ月経ちましたが、日本国民の皆様がこの災害を乗り越えて、早い復興が実現できることをお祈りしています。

私は卒業試験の為に、毎日頑張って勉強していますので、手紙を書くのが遅くなって、申し訳ありません。会長さまと愛のベトナムさわやか支援隊の皆様が色々面倒を見て下さったことが、私にとって何よりも大きな贈り物です。皆様をガッカリさせないように、最後の試験で良い成績を獲得するように、努力して頑張ります。

皆様のお陰で、学習も生活も順調に進んでいるので、本当に感謝の気持ちがいっぱいです。将来の事を考えると、やはり精一杯勉強して、自分に役に立つことはもちろん、ベトナム国にも貢献したいと思っています。

最後に、会長と愛のベトナムさわやか支援隊の皆様とご家族の皆様がお元気で、そして日本の国がますます栄えますように願っています。日本は絶対に早いうちに復興できると信じています。

グエン・ティ・ホン・ハインNGUYEN THI HONG HANHより

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【北村 元から】ホン・ハインさま お手紙ありがとうございました。無事にご卒業できたと確信しています。めでたく蓮の花奨学生のOGになられたでしょう。 じつは、今年は、フート省の事情で、奨学金を辞退されました。また近い将来復帰してくれると思います。今年フート省に行ければ、お会いできたと思うのですが、とっても残念に思っています。

地震災害のお見舞いもありがとうございました。私も、復興は必ず成し遂げられると確信しています。それまでは、血の出るような塗炭の苦しみがあっても、多くの被災者が近未来に向かって歩んでいます。私たちも、微力ですが応援しています。

また、いずれ必ずお会いできる日が来ると思います。まずは健康に気をつけて、立派に成長してください。そのお姿をお待ちしています。蓮の花奨学金ご卒業 おめでとうございました。

北村 元 愛のベトナム支援隊
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2011-09-10

蓮の花奨学生からの便り(42)

今日は、ヴィンフックの奨学生・グエン・ティ・ヴィンさんです。今年も元気でヴィンフックでお会いしましたが、昨年度分のお手紙を頂きましたので、ご紹介します
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LAP THACH, 2011年5月16日
拝啓、愛のベトナムさわやか支援隊の皆様

お元気ですか?

今日、2011年5月16日で、今年の学期は終わりです。いま、愛のベトナムさわやか支援隊の皆様のことを思い出しながら手紙を書いています。私にとって、皆様は親のように私たちを指導してくださり、面倒を見て下さって、本当に感謝します。
2010年撮影
今年の学習成績は、前回のお手紙で知らせましたが、先生達や愛のベトナムさわやか支援隊の皆様は色々私達に良いことや意義あることを教えてくださっているので、皆様をガッカリさせないように、自分が精一杯で努力して将来の為に勉強を頑張りたいと思います。
今年の学年は早く終わって、時間も早く経ったような気がして、自分がだんだん成長しているような気がします。前期では地理科目の得意な人に向く試験があり、私は成績優秀者に選ばれました。でも、残念ながら3位入賞に留まりました。最優秀ではなく3位だったので、とても残念に思いました。その時、先生達や友達などは、私を心から慰めて下さったので、来年こそ良い結果が得られるように、これからもっともっと勉強したいと思います。

3か月の休みでは、先生や友達に会えなくなるので、ちょっと寂しいです。今の夢は、一度でも日本に行って皆様にお会いできたら良いなと思います。日本とベトナムは同じですかな?違いますかな?日本の文化や伝統や特産等を色々知りたいなと思います。この夢が現実したらうれしいなと思います。
手紙を一生懸命遅くまで書いているので、もう寝る時間が分からなくなります。手紙はここまでです。
最後に、愛のベトナムさわやか支援隊の皆様とご家族は、お元気で、幸せ、楽しく生活を送るようにお祈りしています。
皆様に差し上げる詩です。
“ 皆様がいないと凄く寂しい~


 時間を数え、いつか会えればいいな~

 皆様の名前を呼ぶと、聞こえるかな~

 温かい心の皆様のことをいつも思い出す。

 皆様のご恩をいつまでも忘れられない”


皆様、お休みなさい!
NGUYEN THI VINH 敬具
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【北村 元から】ヴィンさん、詩をありがとう。心洗われる詩を、読ませてもらいました。
今年、お会いする前に読めていれば・・また会話が広がったのに・・と残念でした。でも、うれしいです。2011-2012年度の奨学金を出して下さった山本邦子さんに、早速連絡します。
日本に来て頂戴・・・良いところも悪いところも学んだ帰って下さい。日本にいきたいと思ってくれるだけでも、うれしいです。

昔、御朱印船が日本からベトナムに行きました。ホアインという港町です。そういう交流をもっと増やしたいです。ヴィンさん、現代の朱印船たれ! いつか、必ず来て下さい。
日本とベトナム・・・同じではありません。似ているところ・・・アジアの国・・箸を使います。白いお米を食べます。髪の毛は黒いです。最近は、なぜか茶髪の青年も増えました。
いつか、皆さんが立派になって、蓮の花奨学金同窓会が日本で開けたら大きな喜びです。
まずは、一所懸命勉強しましょう。来年も2回きちんとお手紙を下さい。
そうそう、12月に多分ヴィンフックに行きますので、お会いしましょう。
北村 元 愛のベトナム支援隊
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2011-09-09

蓮の花奨学生からの便り(41)

今日の便りは、ヴィンフック省のティちゃんです。中学生です。
昨年は、奨学金で、文房具と本と自転車を買ったそうです。自転車は通学用でしょうか。成長して、顔もお姉さんぽくなりました。短い便りですが、嬉しいニュースが入っています。

ベトナム社会主義共和国

独立ー自由ー幸福

成績結果報告書

学年:2010~2011

名前:PHÙNG THỊ TÝ(フン・ティ・ティ)

生年月日:1999年9月29日

YÊN DƯƠNG中学校TAM ĐẢO区 VĨNH PHÚC省の6年生。

愛のベトナムさわやか支援隊の皆様のご支援、学校の先生たちが熱心に教えて下さったお陰と、自分自身も一生懸命に勉強したので、各科目で良い成績を獲得できました。特に、数学と英語の結果は優です。

道徳について、私は正直良い学生で、礼儀正しく常にいろいろなことで友だち等を助けるので、皆から好かれています。そして、総合成績は「良」です。

最後に「皆さまが、健康、幸福でありますように」とお伝えします。体に大切をしてください。

2011年5月12日
 報告者  PHÙNG THỊ TÝ
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【北村 元から】 成績結果のご報告ありがとう。きちんと報告してくれたこと、とってもうれしいです。そして、「優」も二つとったこと、他人を助けるためにお友だちから信頼されていること・・・これがもっとうれしいです。社会は、自分一人で生きて行くことはできません。困っている人がいたら助ける、相談に乗ってあげる・・・人の「行く道」として大事なことです。

先日(8月20日)、お会いしたときには、去年よりはるかにしっかりしたお姉さんになったと感じました。ティちゃんの手紙の文章が忘れられません。「タインさんにも、宮尾さんにもっともっと会いたい」「18か20歳になったら日本に行って宮尾さんに会いたい」・・二人が「うん、いいよ」と言ってくれたので、目標の中にぜひ入れて、その夢をずっと持ち続けてください。日本にきたら、日本のいいところ、悪いところ、いっぱい見て帰って下さい。
ティちゃんは、日本風にいえば9月のお誕生日で12歳。ベトナムでは13歳ですね。今学年も頑張って下さい。

北村 元 愛のベトナム支援隊
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2011-09-08

蓮の花奨学生からの便り(40)

蓮の花奨学生から頂いたお手紙の掲載が、ツアーの下見やその後の翻訳作業などで遅れておりました。ベトナムの年度は7月ー6月という、日本の4月-3月とは違います。昨年度内のものを急いでご紹介するために、ツアーの報告を後に回します。
では、40回目は、クアンガイ省のホープ、グエン・タン・ニャット君のお便りです。
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2011年6月6日
拝啓  愛のベトナムさわやか支援隊の皆様へ
手紙を書くのが遅くなって、すみません。皆様、お元気ですか。日本東北大震災や津波のニュース等を見て、心が痛みです。この災害は日本人が悲劇、損失等を抱えるだけでなく、世界にもパニックを引き起こしました。皆さんと宮尾さんの生活などに影響を受けますか。日本の国民と皆さんはこの災害を乗り越えると、心から信じています。

タン・ニャット君(右) 軍隊の飯で少し太ったかな?
ところで、私は後期の試験が終わったばかりで、良い結果を貰えると思っています。今回、私はビンズオン省(北村註:ホーチミン市北隣の省)の国防教育センターで、1ヶ月軍事教育を受けました。初めて銃器や爆発物に触って、自分自身は軍隊の一員になったつもりで活動するという事で結構疲れました。
しかし、夜になったら、私のクラスは皆が集まって、話をしたりすることが楽しかったです。そして、軍隊の中で厳格な規制で、夜の10時には就寝、朝の5時30分には起床です。朝、起きたら体操をし、朝ご飯を食べ、それから軍事教育の講義です。
1ヶ月軍事教育が終わったら、実家に半月だけ帰りました。毎日、畑で仕事をしているお父さんと屋台で物を売っているお母さんの姿を見ると、すごく寂しいですが、私と妹が手伝って家族皆で一緒に仕事をする事が楽しかったです。

ところで、私の妹は卒業の試験が終わったばかりですので、結果がまだ分かりませんが、結構自信があるらしいです。これから妹は大学の試験を受けます。妹にとって、人生の中に一番大事な時期です。私は妹に大学の試験の教科などをいろいろ教えてあげたいと思いますが、時間が無かったので、すごく心配しています。

書きたいことが沢山有りますが、今度にします。

宮尾さんの住所を書き直し、早く手紙を送ると約束します。

最後に、宮尾さんと日本の皆様に、私が楽しい夏を過ごしている事をお伝えします。

私は皆さんのご期待に添えるように、良い成績をとる為に、一生懸命勉強を頑張ります。

NGUYỄN TẤN NHẤT

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【北村 元から】
お手紙ありがとうございました。昨年封筒を配った時は、まだ1万三千ドンの切手が貼ってあれば日本に届いたのですが、いまは、郵便料金値上げで、5千ドン分余計に貼ってくれてありました。申し訳ありませんでした。

1ヶ月の軍隊生活は如何でしたか? こんど、話を聞かせて下さい。送ってくれた写真をブログに使わせてもらいましたが、ピンクのポロシャツにKAPPA の刺繍が入っています。意味を知っていますか?
河童(かっぱ)は、日本の伝説上の動物です。体格は子どものようで、全身は緑色または赤色。大体は、頭にお皿があります。絵にはよく書かれますが、具体的には具体的に何をしたという特徴もありません。相撲が大好きでよく子供を相撲に誘うそうです。相撲をとる前にお辞儀をすると河童もお辞儀を返し、それで頭の皿の水がこぼれてしまうため、力が出せなくなるそうです。
好物はキュウリ、魚、果物。これにちなみ、キュウリを巻いた寿司のことを「カッパ巻き」といいます。


8月22日に、クアンガイに行ってきました。お兄さんですか? 弟さんですか? 奨学金を受け取りに来てくれました。その時に、皆と一緒に習字も練習してくれました。もしかして災難にあったかもしれませんが、日本の文化の香りをほんのちょっと味わってくれました。感謝します。
その時の模様は、別にブログで掲載させてもらいます。
元気で、新学年を過ごして下さい。
北村 元 愛のベトナム支援隊
Love & Support Vietnam since 1990
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2011-09-07

愛のベトナム支援隊ツアー2011(02)

今年は、何回も書くが、枯れ葉剤のベトナムでの初使用から50年という節目の年だ。半世紀である。この50年間、ベトナムのみならず、多くの人が苦しみのうちに鬼籍に入られ、また多くの次の世代が生まれてきた。被害者をもった家族は、地獄の50年であったと言える。この50年間、社会的に何が進歩したのか、何が改善されたのか? ベトナム社会も含めて、国際社会がどんな夢を被害者にあたえたのか? 社会的無視が平然と行われてきた。政治的無視も行われてきたのは、原爆の惨禍、公害や薬害禍と何ら変わることはない。

今年の8月10日前後に、ハノイで第2回枯れ葉剤被害国際会議が開かれた。招待を受けたにもかかわらず、支援の準備のために参加できなかったのは、小生にとって痛恨の極みであった。しかし、支援ツアーが疎かになっては、一層の禍根を残すことになり、あえて我慢した。日本人も数人この会議に参加したようである。愛のベトナム支援隊が2名出席をキャンセルしたことで、2名の日本人も出られることになった。ならば、色々と情報を発信をしてほしいのだ。 参加したことに意義があるのではない。参加して行動することに意義があるのである。情報を閉じるな・・しまいこむな!と言いたい。ハノイでの第2回国際会議に出たあなた・・・あなた方・・・おじさま、おばさま! なぜ情報を開示しないのですか。仲間に伝えないのですか? 出席したことが、何かの勲章になると思っているのですか?

今年の会議は、実は、第4世代の被害者出現という衝撃的なものとなった。時間の問題と、私は講演会などあちこちで言ってきたが、予想よりも早かった。私たちのツアーも、きちっと、目の前で報告を受けたが、それは、いずれツアー報告の中で必ず触れておきたい。
そういう新たな事実を踏まえて、ツアー報告第2回は、国際会議のアピールを翻訳した。これを伝えているのは、日本共産党の『赤旗』くらいだ。そんな事でいいのだろうか? ベトナム枯れ葉剤被害者協会が届けてくれたアピール全文を掲載した。
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下の写真は、今年の8月22日にクアンガイ省クアンガイ市内で撮った写真です。店を持っていても、寝たきりの子をもっていては、母親は、心の休まる時がない・・・のです。
第2回枯れ葉剤被害者国際会議 アピール

Hanoi, Socialist Republic of Vietnam, 9th August, 2011

2011年8月8日から9日までハノイで開かれた第二回エージェント・オレンジの被害者国際会議は、エージェント・オレンジの被害者はもちろん、他の有毒化学物質の被害者や科学者、弁護士、社会活動家を含めて世界中から参加者が参集した。 会議は、ベトナムとインドシナ駐留のアメリカ軍に有毒化学物質エージェント・オレンジに最初の撒布から50周年を画する(1961-1971)非常に重要で且つ歴史的行事となった。

会議の代表団は、以下の点で同意した。

1961年から1971年までのベトナム戦争中に、アメリカ軍は、ランチハンド作戦を通して、ほぼ8000万リットルの除草剤を南ベトナムに撒布した。そのうちの61%が、科学の分野で最も有害の物質であるダイオキシンを少なくとも366kgを含むエージェント・オレンジであった。

2006年に開かれたエージェント・オレンジ被害者第一回国際会議以来、人体と環境へのエージェント・オレンジ/ダイオキシンの危険性について、より多くの人々が理解し認識を示してきた。 より多くの病気は、エージェント・オレンジへの曝露によるものと公式に認められた疾病も増えた。ベトナム人と共に、世界中の多くの人々が、この有毒大量破壊兵器の犠牲者になった。米国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、の兵士も、ベトナムでの戦闘中に曝露した。現在では、彼らの第二世代、第三世代の子供たちもまた苦しんでいる。アメリカ、カナダ、韓国、プエルトリコ、オーストラリア、ニュージーランドなどの地域の人々も曝露した。それは、それらの人々が、アメリカ軍が貯蔵し、埋め、製造し、試験をし、あるいはベトナム戦争一部としてエージェント・オレンジを実験した場所の近くで住んでいたか、労働をしたからである。

被害者の内分泌、免疫、生殖系へのダイオキシン関連の障害のため、エージェント・オレンジの被害者は複数の健康障害に苦しむ。その一部は即効性の致死症であり、またその他は、人々を惨めなの生活へとおいやってく疾病である。これらの疾病により、多くの人々は最も基本的な人権―特に生きる権利―と、幸福の追求を否定されてきた。労働ができないことと、治療の費用を負担しなければならない故に、エージェント・オレンジの被害者のほとんどが、至る所で貧困に喘いでいる。

しかしながら、エージェント・オレンジが意図してベトナム人に向けられたが故に、彼らは最も面倒な状況にさらされている。 長期間にわたり繰り返し直接撒布された480万のベトナム人は、複数の源から曝露した。特にダイオキシンに影響されやすい 高齢者、女性、子供の割合は、特にベトナムにおいて特に高い。ベトナムでは、エージェント・オレンジ剤関連の先天性欠損症をもった膨大な数の子供たち生まれ続けている。 現在、第4世代のエージェント・オレンジの被害者が生まれつつある。この危険性のために、実際、多くの女性が子供を産むための人権を否定されてきた。

エージェント・オレンジは、戦争中に人間を傷つけ、環境を損なっただけではなく、戦後も引き続きその荒廃を継続しているのだ。土壌に投棄されたダイオキシンは、環境に打撃を与え続け、数カ所の重度汚染地域とその周辺では、人々をも病気に追いやり続けている。戦争中、特に沿岸地域では、ほぼ300万ヘクタールの面積の森林をなくしており、エージェント・オレンジは、ベトナム、ラオス。カンボジアのみならず、地域の環境にも害を与えてきた。エージェント・オレンジは、世界のあちこちの人々に深刻な結果を与え続けている。

ベトナムにおける戦争でのエージェント・オレンジの使用は、戦争犯罪であり人類に対する犯罪である。 その結果は、世代から世代へと引き継がれていく。我々は、こんにち、いずこにおいても、これを限りに、化学兵器といかなる大量破壊兵器の使用中止を実現するように試されている。

化学戦争の影響、化学製品製造工場の事故の脅威、迫る生体医用工学 による環境災害への人類の危惧は増している。エージェント・オレンジに曝露した人々の苦しみは、この意識の中心にあるものであり、正義を求めるエージェント・オレンジ被害者の闘争との国際的な連帯は拡大している。


行動への呼びかけ
それ故に、会議へ参加者は、ここに次のことを呼びかける。

1) 連帯
 エージェント・オレンジの全被害者、たとえ彼らの国籍や曝露状況がどうであれ、我々の共通の利益に向かって行動するために、より密接により熱心に団結しなければならない。さらには、原爆や劣化ウラン弾のような他の大量破壊兵器の犠牲者との連帯を示すために、全被害者と支援者は団結して作業し、行動を調整しなければならない。団結して、初めて正義達成のために、我々は効果的な力が発揮できるし、成功することができる。


2) 組織化
 我々は、社会的な地位、政治的な地位がなんであれ、全人類、全政府、組織、個々人に対し、ベトナムの被害者を特に強調して、エージェント・オレンジの全被害者を支持するために、緊急な行動を起こすことを求める。あらゆる国、あらゆる地域で、我々は、どんな形であれ、具体的な資源を動員できる特別計画と、起動させる組織を立ち上げ、正義を求めるベトナムのエージェント・オレンジの被害者の闘争を支援して、すべてのフォーラムで我々の声が聞かれるようにするための特別計画を開発すべきだ。

3)研究と改善
 研究と改善特にアメリカの科学者、公衆衛生と環境専門家は、エージェント・オレンジ/ダイオキシンの特定の健康及び環境的危険性と改善の種々の可能性を研究することに集中すべきである。時間が尽きつつある被害者を助けるためにも、そして、将来の世代の類似した災禍を避けるためも、これは非常に喫緊の作業だ。

4)兵器と戦争犯罪の国連による禁止
国際社会一般、特に国連と各国政府は、戦争犯罪と人類に対する犯罪を禁止している国際法に違反するすべての行為をより効果的に防ぐ新たな対策を早急に普及しなければならない。

5)アメリカ政府と化学メーカーは責任を認めよ
 アメリカ政府とエージェント・オレンジの化学品メーカー、特にモンサントとダウ・ケミカルは責任を受け入れ、現存する汚染地域の浄化と、ベトナムにおけるエージェント・オレンジの被害者とその家族に総合的且つ意味のある援助を、より実際的で効果的な方法で与えるために、ベトナム国民と政府を共同歩調をとるため、大きくてより完全な努力をすべきである。アメリカ議会によって割り当てられる金額は、ほとんど被害者に届かないために、被害者のために設けられた基金は、VAVA(枯れ葉剤被害者全国組織)のようなベトナムのNGO団体に送られるべきである。そうすれば、資金は、最も援助を必要としている被害者に送られるのである。病院、クリニックた、被害者とその両親・家族のための一時的保養ホームは、圧倒的に必要とされている。 – 犠牲者の多くは24時間の世話を必要としており、面倒をみる年老いた両親も、援助を必要としているからだ。

6)エージェント・オレンジの場所を開示せよ
 ベトナム戦争期間中に、いかなる目的でも、エージェント・オレンジの使用を認めた米国政府及びすべての政府は、 エージェント・オレンジを使用、埋蔵、投棄したすべての場所を公に開示すべきだ。

7)VAVAとの協力
ベトナム枯れ葉剤被害者協会は、ベトナムのエージェント・オレンジの被害者を法的、精神的に代表し、ベトナム全国の被害者の利益を代表する非政府組織として行動している。 被害者の声を聞き、ベトナム人被害者を効果的に、特別に支援するために、善意と慈悲の心をもつ人々は、VAVAと共同歩調をとり、支援を計画的に物質的に援助すべきだ。VAVAとの連絡は、ウェブサイトを通じて行うことができる。www.vava.org.vn

今日(こんにち)、ベトナムにおけるエージェント・オレンジの初使用から50年。 国際会議の代表団は、再び宣言する。被害者の必要としているものは緊急を要する。そして、即時の行動を必要としている! 半世紀は、正義を待つにはあまりにも長すぎる!

我々はともに作業することを誓い、正義は遅れているが、正義が否定されているわけではないことを確認する!
+++
以上が、第2回国際会議のアピールです。
 
北村 元 愛のベトナム支援隊
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2011-09-05

愛のベトナム支援隊ツアー2011(01)

愛のベトナム支援隊(通称をさらに簡略化しました)今年のツアーは、ベトナム・ハノイを中心にご活躍を続けられる眼科医の服部匡志(ただし)先生との会食から始めました。この会合には、服部先生の活動を支えていらっしゃるエネルギーの塊の栗原先生も同席されました。また、服部先生と数年来の付き合いになるベトナム外務省プレス・オフィサーのレ・ドゥック・タインさんにも参加してもらいました。

私どもと服部先生とは、2009年に聖マリアンナ医科大学での講演会以来、「ハノイで会いましょう」を合言葉に、個人的に接触を続けていました。
写真:左手前 栗原先生と服部先生(左から2人目) 
ハノイ・チュクバック湖畔 「Wa]にて
服部先生は、その前週の週末に、北部の田舎で106人の出張眼科手術をされています。私たちと会った翌日からの週末で、前週と併せて合計200人の手術をして視力を回復されました。

服部先生と不肖北村には、共通点がありました。
 まず大阪生まれ。一人っ子。父親を早くなくしていること。ベトナムで支援を続けていること。そのたびに握手・・・。

服部先生は、2002年からベトナム国立眼科研究所で網膜硝子体手術指導を始められ、2004年から、同研究所客員教授に就任されています。

服部先生のベトナムとの出会いは、母校・京都府立医科大学が主催する日本臨床眼科に出席した際、偶然ハノイ国立眼科病院のベトナム人女性医師に出会い、「ベトナムでは網膜硝子体の治療技術は遅れている。是非その技術をベトナムの医師に教えて欲しい。ベトナムはまだまだ発展途上で日本の様に豊かではない。多くの貧しい患者が手術を受けられず失明している。何とか助けて欲しい」との言葉に心を揺さぶられ、2002年よりベトナム国立眼科病院で最先端の内視鏡を駆使した網膜剥離や糖尿病網膜症などの治療の指導を始めたそうです。37歳の時でした。

一ヵ月の半分は依頼が有った日本全国の病院で手術を行い、残りの半分はハノイと地方で無料の医療活動を行っています。ベトナムでは一切報酬は受け取らず渡航費、滞在費、医療品代の全
てを日本で得た収入で賄っているそうです。

現在活動は、ベトナムを中心にラオス、タイ、インドネシア、キューバ、ミヤンマーに活動地を広げ、無償の治療、技術指導、講演などを行っていらっしゃいます。また、ベトナムの医師達の熱い意欲に応えるため日本の病院での研修にも取り組み始めています。

ご専門は網膜硝子体手術で、日本のトップレベルの技術を持っていらっしゃいます。

先生の信条は、「患者さんは家族」です。が、ここからが大事なところです。

ベトナムへ行ったが必要なものは何もなかった。医師のスキルも大した事はなかった。これを何とかしたかった。帰国して医療機器関係の会社や眼科関係病院の協力・支援を仰いだがダメだった。

ベトナムへ出かけた時は既に病院を退職して自分の所属する医療関係はまったく無く肩書きも無かった。日本社会はフリーの人間に対しては物凄く冷たい。日本人とベトナム人の考えの違いでかなり苦労した。例えば手術などの準備を手術開始前にしておかなければならないのにそれが出来ない。勤務時間は4時に終わってしまう。自分達の休憩時間は守る。

現在日本政府から内視鏡手術機器一台の支援を得ている。しかしながらもう二、三台欲しいと思っている。自分が日本全国手術をして歩いている病院で使用済み(捨てる)の機器類で再使用できるものをもらってベトナムで再使用している。貧困者で手術代がない患者には自分が手術代を肩代わりしても手術を受けてもらっている。・・・・その人の人生がそれによって救える

規模は違いますが、私たちと悩みが通底して重なる部分が多いです。

そして、こうも言っていらっしゃいます。

感じたらアクションを起こして欲しい。技術が先か、ハートが先か? ハートが先だと思う。使命感で行うのではなく遊び心を持ちながらやらないとダメ!長続きはしない

これが、とどめです。ボランティアの精神をずばりと言い表しています。

技術をもち、ハートをもった先生が入ってくると、いろいろな波紋が起きることを話していました。面白くないと感ずる現地の先生もいるわけです。かつて、小生が、タイから、軽量な義足を考えついた先生をカンボジアにお連れしたときに、重い義足を作っている人たちから、あからさまに邪見にされたことを思い出します。問題は、患者によりよい物は何か?・・ということです。

今年2月14日の日本の某大新聞に、服部先生のことがこう書かれていました。

苦しむ人を放ってはおけない――誰にも、そういう「気持ち」はある。問題は「行動」に移す勇気を持てるかどうかだ。眼科医の服部匡志氏は行動した。1カ月のうち半月をベトナムで過ごし、8年間で1万人以上を失明から救ってきた。活動を続けられた理由をこう語る。「自分のためだけでは続かない。人のために生きることで自分の中から新たな力が湧いてくる」(『人間は、人を助けるようにできている』あさ出版)。困難にあうと「なぜ自分だけが」と思いがちだ。自分のことしか見えなくなり、心が小さく縮こまってしまう。その時、「自分以外の誰かのために」と行動することで、心は大きく広がり、自分自身の命も蘇生していく

自信 誇り 思いやり パワー そんなキーワードを頭に浮かべながら、服部、栗原両先生のお話をうかがっていました。

我々のツアーのキックオフ・ミーティングにぴったりのお話で、心のあり方を自らに問い直す機会になりました。そして、ハノイでの再会を約して、お別れしました。

服部先生、栗原先生 貴重なお話をありがとうございました。
いっそうのご活躍を祈っています。

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ツアーのご報告を順を追って行いたいと思いますが、途中で、2010年度の蓮の花奨学金の奨学生からの手紙のご紹介も入りますので、ご了承下さい。
今年のツアーは、日本の状況に鑑み、一切募集をしませんでした。7人集まりましたが、一人ご家族のご病気で辞退され、6人での挙行となりました。
愛のベトナム支援隊 北村 元
Love & Support Vietnam since 1990
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