2011-01-31

アメリカ・コロラド州の話(下)

アメリカ・コロラド州の話(上)に報道されると、いろいろな書き込みがされていました。一部をご紹介します。保険会社への不信感をのぞき見が覗えます。

①心配するな。保険会社というのは、盗人のように、保険の改革でうまくやっていくんだよ。結局、彼らは手形を切ったわけでしょ。

 ②国民保険が必要なのは一体、誰なんだろうか? 保険業界は、リストのトップにわれわれ顧客を置いているようにみえるがね。

 ③なるほど、それ以上は、うまくは言えないね!

④健康保険加入者って、一体なんってこった!

⑤これが、保険会社を違法処分するべき理由だよ。健康保険なんて、われわれからできるだけ多くのものを搾取し、われわれが死ぬのを待つ以外の何ものでもない。このいい加減な会社のどれも、業界から永久追放すべきだ。そこで働いている奴らも、二度と保険の分野で働かせるべきではない。我が国は、かつて、会社を死刑にすることが出来た。それを復活させ、復讐するときが来た。奴らは人間のくずだ。いい加減な保険会社などそのままにしておくべくではない。


⑥彼らが保険を再有効にしたという事実は、また別の話だ。それが、我々がマスメディアをいかに必要とするかという話だ。


⑦更新などする必要はないよ。本当だよ。奴らが自分の義務を怠っただけなのだ。

⑧メディアで恥をかいた...な。

⑨彼らが最初に(失効を)決めたという事実が変ったわけではない。

⑩だから、2セント不足で復員軍人の資格をはずし、それから、別の支払いを受け取り、彼を外したことは、一義的には、格好つけた形だよ。馬鹿な人間だね。

⑪遅すぎたね...彼らは、ことが公けになる前に、正しいことをすべきだったね。...


⑫そうだ。彼らは自ら泥を塗ったね。汚い仕事をしたな、実際!


⑬彼らの態度の豹變は明白だ。


⑭見出しを書きなおせ。保険業者は、態度を翻したんだ、と


⑮はい、本当に。その保険会社は、サラー・ペイリンが有名にしたところの『死の審議委員』を動かしているうという積極的な証拠ではないかね。


⑯いや、それは違うよ。- 健康保険は富裕層のためのものであって、他の人はそれで疲弊するんだよ。


⑰はい、我々がその部類だ。社会保障、メディケア、トライ・ケア、SSI、Medicade・・・まだまだあるけど、ここに書くには長すぎる・・


⑱保険に入っていない自由放任主義のアメリカ人ほど良いアメリカ人はいないね。!


⑲しかし、少なくとも、我々は社会主義国ではないんだ!!!!!


⑳少しでも相手にしてくれれば、十分幸運だよ。十分にでなく、または、それ以外はでなく.........


㉑これは、誰でもこういう風にやられてるんだね。


㉒うんざりするね。これが復員兵を扱うやり方かね。


㉓しかし、それが彼らのすべてじゃないね。製薬会社は処置するだけのビジネスだから、病気が治ってしまえば儲けがでなくなるんだ。


㉔これは政府が保険産業の規制作りをすべきてないと考えている人にはもってこいの話だ。なぜ、保険会社が健康保険の分野に進出しているか? 問題があるんだ。保険会社は、健康管理などどうでもいいんだ。健康を無視するビジネスなんだ。だから、どうやって儲けようとしるかってことだよ。


㉕我々は、去年国民皆保険の闘いをしていた時、この特定の詐欺について聞いたことはなかった。我々が耳にしたのは、15歳の時に現れた出来物ついて医者に相談しに行ったことがあるという話しをするのを忘れたために、患者が病気になったあと、保険が失効になったという人の話とか、医者が消し忘れたカルテのメモ書きの上に謎の線を引いてあったとか。しかし、2セントもの大金を間違って請求より少なく払ったからといって、保険を失効された人のことなんか、聞いたことがないね。無作法な奴が保険で新たな戦いを仕掛け始めているので、我々はこの一件を覚えおく必要がある。

㉖「2セントの価値もない」という格言がどこから来たのか、これまでずっと不思議に思っていたんだ。


㉗「コロラド・スプリングスのラ・ローザ・キャリントンさんは、失効通知の手紙には、1ペンス不足については触れていなかったと言った。彼女は、メディアに出すというと、保険業者が折れたと言っているが、それって、保険会社の実態を余すところ無く伝えているよ。

㉘これだよ、あの会社の代表が治療費をカットしようとしている実態は。


㉙それは、あいつの生き写しだな。

㉚エージェント・オレンジや、rBGH成長ホルモン、サーモンを注入した遺伝子組み替えトマトなどすばらしい製品を作っているモンサントは、再び記録的利益をあげているよ、皆さん!!


㉛泥棒が経営しているのか、それとも、泥棒のために経営しているのか。


㉜なんと偉大な国だ!


㉝セリディアン・コブラ・サービスという社名を忘れないでおこう。コブラは、餌食を捜して、殺して、食い尽くすタイプの毒蛇じゃないのか?了)
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2011-01-29

アメリカ コロラド州の話(上)

エージェント・オレンジの被害者が、保険料2セントの不足で保険が失効したという話をします。

アメリカ。コロラド州での話です。「コロラド」とは「赤い色(カラー・レッド」に由来します。
コロラド州の自動車のプレート
エージェント・オレンジ曝露による骨癌を患うベトナム退役軍人に、保険料の支払いに2セントの不足があったとして、保険が失効したという事例がおきました。そして、話が表に出ると、保険会社は、失効を覆し、有効にしました。
コロラド州ソーントンに住むロナルド・フラナガン氏は、保険会社のセリディアン・コブラ・サービス社からは保険が失効しているという何の警告も受け取っていないと言い、生検を取るために病院にいって初めてわかったということです。
「看護婦が生検をとる準備が出来たところで、家内が病院事務所に行き、話した ― 『中止してください。保険が失効してるんです』」と、フラナガン氏がデンバーのABCテレビに話しました。
フランセス夫人は、11月に保険料の払い込み不足をしたために、保険が取り消されたことを知りました。夫人は、328ドル69セント払うところを、328ドル67セントの小切手を保険会社に送りました。
フラナガン夫妻は、保険会社は、保険がキャンセルされかかっているというのに、何にも連絡してこなかったと言った。保険が無効になったという警告もしなかった。彼らの最初の連絡は、11月の不完全な支払いリストにあげたとしたが、12月の保険料支払いは受けつけられたということです。
「彼らは、払い込み不足を知らせる証明郵便も送ってこなかった。電話もよこさなかった。私に関する限り、彼らは人を落とす方法を探っていたと思う」と、ロナルド・フラナガン氏は憤懣一杯です。
保険会社がこの1月25日にフラナガン氏を失格とする決定は妥当だと、デンバーのABCテレビに反論の手紙を送ったが、同社は翌26日に急遽決定を覆した。フロリダ州に本社を置く保険会社は、フラナガン氏宛に個人的に電話をかけ、保険は元通り有効になった旨を通告したといいます。
フラナガン氏の医者は、彼の骨ガンは、べtなむ戦争中にアメリカ軍が使用したエージェント・オレンジへの曝露が主原因だとして言っています。
フラナガン氏は、保険が失効したことで精神的にショックを受け、保険会社が保険を有効にするまでは1,400マイル離れた 在郷軍人病院に変更することを考えていたと、メディアに話しました。
コロラド州はロッキーの山中にあり、全米で最も平均標高が高い所です。アメリカの標高3000m以上の高地のうち、約3/4がコロラド州に集中しています。
「保険会社は、私が払い込んだ以上に支出していることは知っています。しかし、それは保険業務です」と、彼は主張しています。
高くつく患者を外す保険業者の措置に関する規制は、昨年可決された健康保険改革法にもられている。
フラナガン氏ケースは、初めてではないようです。白血病を患っているコロラド州の女性は、昨年、1セント不足で健康保険が失効したそうです。それは、ディスカバリー・ベネフィットという別の保険会社でした。

コロラド・スプリングスのラ・ローザ・キャリントンさんは、失効を通知する手紙には、1ペンス不足について触れていなかったと言いました。彼女は、メディアに出すというと、保険業者が折れたと言います。
こういう保険会社の不親切且つ官僚的な業務には困ったものです。(下につづく)
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2011-01-27

ハノイ基金 発足

枯れ葉剤被害者支援のためのハノイ基金が設立されましたので、簡単にご報告します。
エージェント・オレンジ被害者のためのハノイ基金が、1月14日に設立されました。

この基金は、ハノイ市枯れ葉剤被害者協会によって確立されたもので、国の内外からの資金を集めることを目標にしています。ハノイ市内の枯れ葉剤被害者を面倒をみ、生活条件の改善や社会との一体化を目指しています。

発足式で、同基金に、寄付提供者から8億1510万ドン(41,565米ドル相当)が贈られました。

同基金は、今年の旧正月に地元の枯れ葉剤被害者に1,000の贈り物をするために、最低10億ベトナムドン(51,000USドル相当)の資金を集めたい」と、同基金のチャン・ティ・フオン・ズンさんが言っています。

ハノイ市内にはおよそ3万5千人の枯れ葉剤被害者がいますが、国からの手当を受けているのは、そのうちのわずか半数以下の16,000人です。

上の写真も下の写真も、施設に子どもを預けられない家庭です。子どもが何も出来ない、しかし、必要なときに、子どもは親の言うことを理解出来ない・・・・・・となると、親が面倒をみるしか方法はない・・・という人に少しでもこの基金が役にたてばいいと思います。
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2011-01-22

訃報

悲しいニュースが入ってきました。
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クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のホー・クイ・カイ会長が、お亡くなりになったそうです。

カイ会長の業績を湛え、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

また、ご遺族には、謹んでお悔やみを申し上げます。
2010年08月
あの笑顔 あの温厚なお人柄に接することが出来なくなると思うと、ほんとうに深い淋しさに襲われます。祖国を愛し、故郷クアンガイに人一倍誇りを持ち続けあカイさんのお姿はみられません。

私たち、ほんとうにお世話になりました。
ありがとうございました。
ご生前のご交誼に、厚く厚くお礼を申し上げます。
思えば、昨年の8月、病院を抜け出すようにして、奨学金授与式の会場に馳せ参じてくださいました。それだけではありません。海苔巻き講習会にも、率先して参加してくださいました。

いや、もっと。枯れ葉剤被害者協会のオフィスが無い時に、カイ会長のご自宅を提供されていました。そういう方でした。
生老病死が私たちの人生の常とはいえ、枯れ葉剤被害者の方々には、常に一期一会の思いをしなくてはならないのが大変辛いことです。もしかして、昨年8月が、今生のお別れに・・・という思いが私の頭をかすめ、私は、私たち全員の署名を添えて、さらに”早期のご快癒を ご病気に勝利を・・”と一筆私が添えさせていただいて、色紙をお渡ししました。
力強い握手でしたが、11月に、カイさんが動けなくなったという知らせを聞いて、気が重い毎日が続いていました。
これからは、ロン副会長が後を継がれることでしょう。お約束は、精一杯実行してまいりたいと思っています。

カイさん、愛のベトナムさわやか支援隊を見守ってください。お世話になりました。 
北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊since1990
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心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2011-01-18

明けましておめでとうございます

2011年が明けました。昨年中はいろいろとご協力をありがとうございました。今年は、一人旅+何人かの旅になります。本年もよろしくお願い申し上げます。

本年初のブログのコラムですが、いろいろと抱負を述べたほうがいいのかもしれませんが、違う話題から始めたいと思います。

「カレンダーガールになった枯れ葉剤被害三世」の話です。
「私は、呼吸する時に何の痛みも感じない私の友だちのようになりたいな」と、ベトナム中部ダナン市の3年生グエン・ティ・リーちゃんは言いました。
グエン・ティ・リーちゃんは9才。彼女の胸骨には先天性奇形があって、呼吸をすると、骨が心臓と肺を圧迫するために痛みで呼吸が苦しくなるのです。リーちゃんの顔にも奇形性があります。ベトナム戦争中にエージェント・オレンジに曝露した家庭に生まれた人々の共通の特徴です。 何故エージェント・オレンジという色の名前がつけられたかというと、アメリカ軍が保存管理していたドラム缶に付けた1本のオレンジ色の帯からでした。それを知らない人は、ただのオレンジ色であり、知っている人は、口に出せない内容だったから色で隠したのです。だから、このオレンジは、知る人ぞ知るには暗号だったわけです。

1961~1971年の間に、アメリカ軍は、南ヴェトナムの3万平方マイル(約5万平方キロ)の領土に、約8000万リットルのエージェント・オレンジを含む枯れ葉剤を撒布しました。
この致命的な化学剤に何故エージェント・オレンジという色の名前がつけられたかといいますと、アメリカ軍が保存管理していたドラム缶に付けた1本のオレンジ色の帯からでした。それを知らない人は、ただのオレンジ色であり、知っている人は、口に出せない内容だったのです。だから、このオレンジは、知る人ぞ知る人々の間では「最強の毒物」の暗号でした。
1975年のベトナム戦争終結までに、ほぼ480万人のベトナム人がエージェント・オレンジに曝露したそうで、その結果は40万人の直接的な死亡に帰したのです。
リーちゃんは、致死的な枯れ葉剤の影響を受けた第三世代の子です。祖父レ・ズイ・ティン(Le Duy Tinh)さんは、戦争中数多くの戦闘の最前線であったクアンチ省で従軍した兵士で、枯れ葉剤撒布の初期に曝露した兵士でした。
リーちゃんは、ダナン市南部の海岸地帯のグ・ハイン・ソン地区に、両親と弟と住んでいます。
こんな景色の見られるところです。
リーちゃんを撮ったアメリカのカメラマン、エド・カシさんの写真がユニセフの「2010年最優秀写真」コンテストに優勝して以来、ベトナムの人々はこの悲劇の家族の話をよく知るようになりました。
リーちゃんの両親は、ベトナムの新聞社の記者が、最近訪問した時に、彼女の写真が世界の写真コンテストに優勝したと教えられて喜びました。
しかし、新聞に載ったリーちゃんの生活と毎日の苦闘の話を知ると、人々の喜びは束の間になりました。
リーちゃんの母、レ・ティ・トゥーさん(LeThiThu)は、「私の父親はベトナム戦争中にクアンチ戦場でダイオキシンに曝露しました」と明かしました。
「弟と私は、父の曝露によって先天性奇形で苦しんでいます。私の弟は、生まれて数年後に死にました。私は、生まれてこのかた、痛みと恥に耐えてきました。夫のズオンが私の身体的な欠陥に目をつぶってくれて喜んで結婚してくれたので運がよかったのです」と、トゥーさんは言いました。
リーちゃんは早産で生まれました。リーちゃんが生まれた時は、わずか1.7キログラムだったそうです。そして、リーちゃんもまた同じような奇形性に苦しんでいます。「リーが生き残ったことは奇跡でした」と、トゥーさんは言います。
5歳になっても、リーちゃんは歩くことができなくて、片言しか話せなかったそうです。幸運なことに、トゥーさんの第2子は健康な息子でした。二人は、今、ハイチャウ区ファムホンタイ小学校の3年生として勉強している。
戦争の遺産
ユニセフ写真コンテストに勝ったリーちゃんの写真には、ヴェトナム:戦争の遺産 という名前が付けられています。
カシ・カメラマンは、写真シリーズで、『ヴェトナムの子供たち』という組織から援助を受けるダナンのもうひと家族とリーちゃんの日常生活を写しています。
「私は、人類と我々の世界情勢で私の情熱をかきたてる問題を扱います。私は、人々の心を変えゆく静止画像の力を、深く信じています」と、カシは写真コンテストのウェブサイトでライフワークの焦点を述べています。

カシ・カメラマンは、特に幼き『復員軍人』に焦点を当てています。「カシ・カメラマンの写真は、戦争は一世代に留まらず、終焉無き苦しみを引き起こすことを伝える ものです」–これが、とユニセフの声明です。
「ユニセフ写真コンテストは、我々に世界中の子供たちの運命を大事にするように求めています。2010年最優秀作品は、子供たちの苦しみを忘れないで・・という訴えです。それは、戦争が終わった何年たっても、戦争は子どもたちに猛烈な影響を与えるということを思い出させる立派な作品です」
ユニセフ女性スポンサー、ベッティナ・ウルフさんは、昨年12月17日のベルリンでの授賞式で挨拶しました。
公式推計では、ヴェトナム全国には120万人の障害児がいます。ダイオキシンの重度汚染地の汚染除去作業がいくつか行われていますが、長年にわたって曝露してきた何百万ものベトナム人家族にとって、エージェント・オレンジの影響がいつ止まるのかは、誰にもわかっていません。

尊敬する恩師の一言をここに書きます。

顧(かえり)みれば、大量破壊兵器である化学兵器や生物兵器については、使用はおろか、保有自体が国際的な不名誉であるとの認識から、全面的に禁止する条約が締結されております』と。

なのに、自分が撒いたことへの責任を果たさず、ベトナム被害者には目をつぶる行為は不可解です。

励ましの力を使いながら、ベトナム被害者と共に歩くことを今年も重ねてまいりたいと思います。

北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊since 1990
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