2010-12-30

今年最後のご挨拶です。

2010年も、残り二日を切りました。時の経つのは早いものです。光陰矢のごとし・・真空中における光速の値は実に秒速30万キロメートルだそうです。俗に「1秒間に地球を7回半回る速さ」ともいわれています。

このブログは、今年146回目となります。2.5日に1回の割合でアップしてきました。もちろん月によってばらつきがありますが、2009年の145回を1回上回りました。

今年最後のブログに、ベトナムのニンビン省に住む蓮の花奨学金を受けた女子奨学生からのお手紙をご紹介して締めくくることにしましょう。このお手紙ノご紹介を「2010年度奨学生からの便り(1)」とさせていただきます。
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2010年10月24日、ニンビン市

 優しい皆様へ

 まず、お手紙が遅くなり、申し訳ございませんでした。

 皆様にお会いした時にあまり元気がなかったのと、その後色々な事があり、また勉強が忙しかったので、直ぐにお手紙を出せませんでした。一年生の終了試験などの時期でした。ご理解をください。今、時間を取る事が出来ましたのでこの手紙を書きました。 

 先ず初めに 皆様のご健康を祈ります。

 ここからは、私のことを書かせてください。

 私たちは枯れ葉剤の被害にあって生活をしていますが、日本の優しい皆様にお会い出来てとても幸運だったと思います。皆様は、遠い所からベトナムへ苦しんでいる人々を助けるための支援に来て下さいました。精神的、経済的にとても助かりました。

 私は、皆様の愛情と活動に対して、とても感動し感謝の気持ちで一杯になりました。皆様のおかげで、私たちは安心して勉強し、前に向かって進みたいと思います。私たちはベトナム戦争の被害に遭いとても苦しい生活をしている人間ですが、毎日元気で勉強を頑張っています。私はベトナムの田舎に生まれ、アメリカとの戦争の時に枯れ葉剤が撒かれた所に参戦した父がいて、母が農民です。私の家族は毎日楽しく暮らしていますが、苦しいこともあります。

 皆様から奨学金を頂いたことがきっかけで、勉強にも集中し、もっと自信を持って努力することも出来る様になりました。その奨学金は本や資料などに使い、一年生の試験を終了することができました。二年生になってまた頑張ってゆきたいと思います。


 将来に向かって無事に卒業して、働けるようになるために、もっと頑張らなくてはいけないと心を引き締めています。そして、家族の経済を支えるようにしたいと思います。

 今回はここで終わらせて頂きます。

 最後に皆様とご家族の皆さんに毎日幸せと元気で生活するようにお祈りいたします。また、日本とベトナムの親善が、これからももっとしっかり発展していくように願っています。


 最後に、いつも感謝の気持ちで満ちていることをお伝えして終わります。

LE THI THANH XUAN(ホアルー大学‐C16クラス)  
・・・・と、書かれていました。タイン・スアンとは『青春』という意味です。その名の通り、さわやかなお手紙でしたね。

タイン・スアンさんへの奨学金は、ある奇特な方が出してくださいました。「名前は出さないように」と、厳しく言われております。このお手紙を読んで、喜んでくださると思います。

お手紙の最後にホアルー大学とありました。ホアルーについて、私から、少し説明します。

ハノイの120Km南にあるホアルーは、968年から980年まで首都が置かれた場所。いくつかの遺跡は戦争の被害に遭うことなく保存され、ベトナムの重要文化財に指定されています。

古都ホアルーはハノイに首都が置かれる前に当時のベトナムで勢力が強かった王朝の首都として栄えていたところです。

1010年に首都ハノイの前の名前であるタンロンに遷都して繁栄する事になりますが、それより45年前の964年にハノイから約120キロ南に位置しているホアルー(Hoa Lu、現ニンビン省)に当時のディン(丁)王朝がこの国家の首都として建築したのが始まりです。

この頃は中国の唐の滅亡(907年)をきっかけに次々と一大勢力が生まれた時代でもあります。

特に938年に呉権が白藤江(バクダン川)で南漢軍を破って中国からの独立を果たしてからは、1010年に李朝がタンロンに首都を置き「大越」と国名を定めるまで、呉朝、丁朝、前黎朝と民族王朝が次々と繁栄しました。

古都ホアルーはこの丁朝の時代968年に時の王、ディンティエンホアン(Dinh Tien Hoang、丁先皇)がこの王朝の首都として建築したところです。

980年には丁皇帝の事業を受け継いだ黎朝の黎大行(レーダイハイン)がより大きな美しい都市を建築したそうです。

968年にホアルーが出来、1010年にタンロンに都市が遷都するまでの間にホアルーには蓬莱宮殿、柱に金銀の装飾を施されていた百宝千歳宮殿、さらにその北側にはさらに優雅な宮殿があったそうです。

現在はその当時の面影を残すいくつかの宮殿跡などが現存しています。

ちなみに、  938年に白藤江で南漢軍を破った呉権の出身地は、ドゥオンラム(Duong Lam)村で、2005年に国家文化財に指定されました。伝統的家並みを残す歴史ある農村です。2010年9月20日(月)&21日(火)の両日、この村では文化財指定5周年を記念したさまざまなイベントが行なわれたそうです。さらに9月21日(火)には、呉権(ゴー・クエン)王の命日祭も開催されました。

タイン・スアンさんは、故郷の名門校で学んでいます。
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もう少し、ゴ・クエンについて話をしましょう。

呉権(Ngô Quyền、ゴ・クエン、897312- 944118日)は、ベトナム呉朝の建国者で、前呉王と称されました。父親は唐林の州牧だった呉旻といいます。楊廷芸の南漢に抗する戦争で勇敢に戦い、信頼を得て娘を娶ったそうです。南漢軍を撃退した後に楊廷芸より刺史の位を授かり、愛州(タインホア省)を治めました。楊廷芸が矯公羨のために殺されると、呉権は93712月に愛州で挙兵して、矯公羨を討ったのです。

矯公羨は南漢に救援を求めました。南漢は万王、劉洪操を静海節度使に任じて、兵を発し、矯公羨を救援させました。劉洪操は水軍を率いてベトナムに侵攻しましたが、このときすでに矯公羨は呉権に殺されていたのです。呉権は劉洪操の侵攻を聞いて白藤江で迎撃し、これに大勝しました。その後、呉権は王を称した。944年、世を去った。最後の場所は、現在のハノイ市の北、ドンアイン郡です。
この赤い鳥は、キング・パロットといいます。つい先日、初めて、我が家に飛んできました。しかも、2メートル以内のところにある鉢植えまできました。今年最後に来てくれた支援の鳥です。

今年もご支援下さったたくさんの方々がいらっしゃいます。厚くお礼を申し上げます。良いお年をお迎えください。来年もまた、少しでも、ベトナムの子どもたちに、激励のお気持ちを分けていただければ、うれしいです。

なお、来年は、このブログが無断転用されていることがわかりました。それを防ぐために、二つに分けることにしました。

また、愛のベトナムさわやか支援隊の英語名は、ベトナム外務省のプレス・オフィサー、タインさんの提案で、Love Vietnamを頂き、Love VietnamーSupport Vietnamで、行くことにしました。

下の写真は、12月26日にシドニー発で行われたヨットレースです。タスマン海に出たところです。87艇が参加しましたが、途中悪天候で、19艇が途中、棄権を余儀なくされました。

来年も、挑戦の心を忘れず、枯れ葉剤の被害者と肩を組んでいきたいと思います。

どうか、良いお年をお迎えくださいませ。この一年、ありがとうございました。
一路タスマニアに向かうヨット群
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2010-12-22

12月21日の月食です。

シドニー・ハーバーで
12月21日の月食は、アイスランドの噴火で大気に残留する灰のために、赤くなると言われていましたが、この写真よりは赤く見えましたが、思ったほどではありませんでした。でも、見事な月食でしたよ。

先日、3人の方から、お手紙とご連絡を頂きました。

お二人はご夫婦、もう一人はご老人。いずれも静岡ご在住の方です。

愛のベトナムさわやか支援隊に似たようなグループができたようです・・と。

真偽の程は知りませんが、「コピー商品が出回るようになったか・・」なんて、喜び方はしません。オリジナリティというか、俺ジナリティがないなあとつくづく思いますね。

類似品が出まわる背景には、最初にできた名前の余録をいただこうという魂胆があるほか、命名など苦労して考えない安易なご都合主義があるものです。世に、「類似品にご注意」というお触れが後を絶たないのですが、大体は、最初に付けた名前より上には行かないものなのです。

似た名前を命名することに恥じも外聞も感じない文化が育っていますので、こういうことが起きるのでしょうね。ブレーキをかける人が、まるでいなかったのでしょうね。淋しい話ですね。

似て非なるものを笑った遊び言葉があります。

 世の中は澄むと濁るのちがいにて 福(フク)は徳(トク)なり フグは毒(ドク)なり

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 鈴木(スズキ)は首相で ススキは植物

  世の中は澄むと濁るのちがいにて ハハは美容院(ビヨウイン) パパは病院(ビョウイン)

  世の中は澄むと濁るのちがいにて トキは金なり ドキは器なり

  世の中は澄むと濁るのちがいにて タイヤは黒いが ダイヤは固い

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 逃げるはハンニン 追うはバンニン

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 四四(シシ)は十六 爺(ジジ)は六十

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 獅子(シシ)は鋭敏 爺(ジジ)はもうろく

  世の中は澄むと濁るのちがいにて、菓子は食えるが、餓死は食えない

 世の中は澄むと濁るのちがいにて、旗はヒラヒラ、肌はチラチラ

 世の中は澄むと濁るのちがいにて、ためになる人、だめになる人

 世の中は澄むと濁るのちがいにて、墓は静寂、馬鹿は騒音

 世の中は澄むと濁るのちがいにて ハカにお参り バカはお帰り

世の中はは澄むと濁るちがいにて ハケに毛があり ハゲに毛がなし

 なぜ笑えるかというと、似て非なるものだからです。これが、方向性も同じで、オリジナルをいじくって似せた命名なら、コピー商品として笑われるのは、コピーを命名した方です。

 まあ、同じ場所で、同じ人を対象に支援活動をする愚を犯さないという最低限の常識を兼ね備えていることを期待しましょう。
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 一人旅も結構ですね、いい人も一杯いるのですが、道中に、そっくりさんの追いはぎがいたり、盗人がいたり、悪い駕篭かきがいたりするものです。当時江戸から京へ上るのも、結構大変だったと思います。類似品には、いつの時代もどこでも、要注意です。

 大体、ベトナム戦争の壮絶な中を生き抜いた人を支援するわけですから、苦しみ、悲しみを味わった人間でなければ、悩んでいる人の真の味方にはなれません。世間体や下心があったのでは、方向性は完全におかしくなります。

 創発性という言葉があります。「創発」とは、あるシステムの内部で、末端的・個別的・部分的な性質・要素からは、決して現れることがなさそうな性質や要素・変化が、全体として発生・結果することを意味します。

ボランティア活動はそれが楽しいんですね。 「三人寄れば文殊の知恵」という諺も、創発性の一例でしょうか。

 創発性の重要性も楽しさも分からず、安易な俺ジナリティ欠如の行動をとるのは、自分たちの目指す意味がまるで分かっていないからだと思います。

 まあ、とにかく、一人旅。常に「今から」「これから」「いよいよ」・・・これが大事です。そして、未来へ勝ち上がっていくことが大事だと思っています。道中、類似商品 賞味期限に気をつけましょう。
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では、次回また。(つづく)

2010-12-20

一人旅が始まりました!

世はあげて、クリスマス。先日、「クリスマスの灯りがみたい」というお年寄りをお連れして、近所といっても10キロは離れていますが、クリスマス照戦を見せに行ってきました。一つの通りにある家々が、照明合戦しているように見えました。そうですね、来年こそ、平和に大きく近づいてほしいです。

一人旅が始まりました。

先日、ある医師と話すことがありました。

「庶民の側に立つ医者に」の心意気が気持よく伝わってきました。

弱者の側に立つ・・・この精神はいつの時にも求められていると確信しますが、逆にいまほどこの精神が必要な時代はないのではないでしょうか。金のために患者を診る、製薬会社の側にたった治療をする医者・・・などなど。

そして、ある日の新聞記事で。

「患者への奉仕の精神 治したいという強い意志と祈りを忘れた医師にはなりたくない、と心に明記してきました」とあり、「名医の条件」として、①慢心しない②常に向上心を保つ③患者の視点に立つを上げていました。「そのために常に『自身のイノベーション(革新)』をしていかなければ、医学者としての使命を果たすことはできない」と話していました。

私は、残念ながら、医術を備えた者ではありませんが、ベトナムでの奉仕において、心あるボランティア万般に通じる大事な精神が書かれていると思いました。

「医者は奉仕者です」という現役の若い医者のひたむきな姿勢が伝わって、とても良い記事でした。
 
ボランティア活動に、下心や名誉欲があってはなりません。地域での箔をつけるため、自分をよく見せるため、そんな気持ちがある人はボランティア活動などからレッドカードです。退場してほしいと思います。

これからも、その若い医者のように、光輝ある高貴な心で、一人旅をしていこうと思います。(つづく)Posted by Picasa

2010-12-18

ご挨拶

さて、とても忙しくしなくてはならないことがあって、しばらくブログを休んでいました。


今年のツアーのブログご報告の一番最後に、会計のことですが、会計担当の方が閉めて下さった結果、今季ツアーは、若干の黒字になったそうです。


素晴らしいことです。


それを人数分で割った金額を、ツアー参加者8名のうち、名古良輔医師と新谷文子さんには、ご返金したそうです。


また、富田英司さま 佐々木あかねさま 松島梨沙さまを含めて残り6名は寄付ということで、お預りさせていただきました。


ありがとうございました。


以上をもって、2010年のツアーに関するご報告は全て終了しました。

そして、私は、個人的な事情から、三島・沼津の皆様から抜けさせていただきました。そして・・・

皆様からは、『愛のベトナムさわやか支援隊』という名前を返して頂きました。ありがとうございました。


12月01日から、私は、『愛のベトナムさわやか支援隊』一人旅を始めました。来年のことを考えるゆとりはありませんが、すでに某大学の正課にベトナム支援がとりいれられることにな り、今そのお手伝いをさせて頂いています。


テレビ朝日時代、ハノイ支局長をしていた時にも、某大学のゼミの学生さんがきてくれて、急変するベトナム経済の勉強や、現地の平和村での活動をアレンジするなど、現地交流のお手伝いをしたことがありますが、今回は、学生さんはもっと中にはいった支援になりそうな気がします。


一人旅とは言っても、お陰さまで、この数日で、何人かの方々のご協力を申し出て下さいました。


一人旅ではなくなりそうな気配です。でも、基本はあくまで一人旅。付いて来たい方がいれば、旅は道連れでご一緒するか・・また、一緒にはいかないが支援はするよ・・というのであればそれもまた嬉し・・・そんな支援を考えています。世間体のためにやる支援とか、弱者の立場に立たない支援など、どちらも意味がありませんものね。


昨年、クアンガイの虐殺博物館の前で、私と家内がばったり淡路島のN先生にお会いしたように、どこかでまた、偶然のすばらしい出会いがあればいいなと思っています。あの時は、5分違っていればお会いできませんでした。お互い旅の無事を祈って別れたものです。

愛のベトナムさわやか支援隊・・・スロー・ライフでしっかりと火を灯していきます。


ご挨拶に代え、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

北村

平和を願って屋根にピースの文字を飾った民家(我が家の近くです)。今話題のウィキリークスを見ると、世の中の政治家っていい加減ですね。言いたい放題を発言し、中には裏では手のひらを返したように違ったことをいって・・・これでは平和を呼びこむことはできにくいのではないでしょうか。腹黒い政治家、心と口が違う政治家が多いことがよくわかりましたね。もっとも、口先だけ・・・というのは、政治家にかぎったことではありませんよね。

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