2006-01-01

私の会いたい人 グエン・ティ・ゴック・トアン博士

私の会いたいベトナム人

 グエン・ティ・ゴック・トアンさん・・・準教授であり、医学博士であり、今は亡きカオ・ヴァン・カイン中将の妻である。

 フランス語、英語が流暢なティ・ゴック・トアンさんは、エージェント・オレンジの犠牲者への支持と援助を求めて、外国を旅してきた。2002年にアメリカへ行った後、2004年の後半にフランスに行き、国際セミナーに参加した。そこで、学生と知識層とともにその運動を繰り広げるとともに、未だに何百万というベトナム人が苦しんでいるエージェント・オレンジの衝撃と苦痛について講演した。

 彼女は声を大にして言った。「いまここで寡黙になることは歴史に対する犯罪になります」と。全くその通りである。何も言わないことは、アメリカの犯した化学戦争犯罪に組みすることを意味するのだ。彼女の夫は、枯れ葉剤関連の肝臓ガンで死亡した。それ故に、正義との戦いは、一層彼女の心にぐさりと刺さっているのだ。

 もともと、彼女は自費で旅をしていた。しかし、最近は、彼女のコンピューターが、世界とティ・ゴック・トアンさんをつなぐ郵便配達人の
役目を果たしている。彼女は、ベトナムの貧困の枯れ葉剤被害者への援助を求めて、パソコンのキーボードを叩き続けている。

 彼女は、自分の来し方を上品なフエ・アクセントで話し始めた。
 「フエの王族出身でしたが、15歳の少女の時、革命活動への参加の衝動に駆られました。自分の考えを家族に言うと、家族は私のような若い女性がそのような厳しい人生を送ることを信じられないという感じでした。それから、すべての自負心をかなぐりすてて、とにかく革命活動に参加しました」

 「私が逮捕されて刑務所に入れられた時に、“あなたはいつも国に誇りを持ち、家族に忠実でなくてはならない”という母の言葉を思い出しました。ですから、勇気をもって拷問にも耐えてきました。叔父は自宅で心配していました。私は勝利して戻りました。やがて、抵抗運動が全国的に広がりました。私は、革命軍に従いました。私が、なぜ、ぜひともホーおじさんに会いたいと思っていたのか思い出せません。グエン・チ・タイン(Nguyen Chi Thanh)将軍が、私に、ホーチミン主席に会うならば、共産党員でなくてはならないよ・・と言いました。そこで、仮に会合に出席することが嫌いであっても、最大の努力をして、1949年にベトナム共産党に入りました。おそらく、それがわが人生で一番輝かしい時代でした」

 「当時、私の義弟ダン・ヴァン・グー(Dan Van Ngu)博士が卒業して日本から戻ってきました。そして、彼はホーチミン主席自身から直接、抵抗地帯に入って新共和国の医療制度を発展させるようにと命令を受けました。義弟は、私に付いてきなさいと言い、私はトゥエン・クエン(Tuyen Quang)省チエム・ホア郡で彼と共に研究所で他の二人と働くことになりました。そこで、私のファム・ソン(Pham Song)教授、グエン・タイ・トゥ(Nguyen Thai Thu)教授などの有名な人物と一緒に医学の勉強を始めたのです。しかし、その時は、私たちは、大学の課程を卒業できませんでした。それは、後に有名になったディエン・ビエン・フーの戦いに動員令が出されたからです」

 「この大きな戦闘の準備中に、フエにいたかつての恋人カオ・ヴァン・カイン(Cao Van Khanh)に出会ったのです。ロマンチックではありませんか? 戦場での出会いは、われわれの昔の愛に灯をともしたようでした。私たちは、この戦争が終わったら結婚しようねと約束しました。しかし、勝利の雰囲気といや増す革命の志気が強かったために、大作戦の前に結婚したくなりました。そこで、後に南ベトナム解放戦線の国防相になったチャン・ナム・チュン(Trang Nam Trung)氏の司会で、すぐ結婚式をあげました。それから、カインは中将に任命されました。私の結婚式の写真は、いま民族博物館に展示されていて、多くの人にみて頂いています」
 
 「戦後、私は108軍中央病院に入りました。そして、そこで、定年退職まで働きました。私の長い経歴の中でのハイライトは、ホーおじさんとお会いしたことでした。全部で4回です。ある時、私たちはソ連の革命記念にいきました。私たちは、我が国の愛する指導者の下に走り寄り、彼にキスをしました。そこには、多くの各国のゲストがいたことしか記憶にありません」
(拙訳:北村 2005年10月16日付けベトナム・ニュース紙から)

 トアン博士は、何回も海外に足を伸ばした。そして、医者として特にエージェント・オレンジの被害者の苦痛をわが痛みとして感じてきた。そして、彼女の時間とエネルギーの多くを、被害者の正義を訴えるために割いてきた。トン・タット・トゥン教授、ホ・ドック・ディ(Ho Dac Di)、ダン・ヴァン・グ(Dan Van Ngu)と言った著名教授の教え子として人間主義に徹した人生を貫いてきた。そして、お金と物欲主義とは無縁の質素な生活を心がけるようにしてきた。
 定年退職した今は、多くの慈善活動に時間を割いている。その筆頭がベトナム枯れ葉剤被害者協会科学部長としても大きく活躍している。

 今年は、なんとしても、トアン博士とハノイでたっぷりとお話を窺える日を実現させようと、私は密かに決意している。私は、これまで枯れ葉剤支援に立ち上がっている方々と数多く会ってきたが、まだまだ知らない人がいることに気づいた。 また、このブログ上でご報告出来ればと・・・これもまた楽しみにしている。
 北村 元(在:シドニー)


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