2010-12-22

12月21日の月食です。

シドニー・ハーバーで
12月21日の月食は、アイスランドの噴火で大気に残留する灰のために、赤くなると言われていましたが、この写真よりは赤く見えましたが、思ったほどではありませんでした。でも、見事な月食でしたよ。

先日、3人の方から、お手紙とご連絡を頂きました。

お二人はご夫婦、もう一人はご老人。いずれも静岡ご在住の方です。

愛のベトナムさわやか支援隊に似たようなグループができたようです・・と。

真偽の程は知りませんが、「コピー商品が出回るようになったか・・」なんて、喜び方はしません。オリジナリティというか、俺ジナリティがないなあとつくづく思いますね。

類似品が出まわる背景には、最初にできた名前の余録をいただこうという魂胆があるほか、命名など苦労して考えない安易なご都合主義があるものです。世に、「類似品にご注意」というお触れが後を絶たないのですが、大体は、最初に付けた名前より上には行かないものなのです。

似た名前を命名することに恥じも外聞も感じない文化が育っていますので、こういうことが起きるのでしょうね。ブレーキをかける人が、まるでいなかったのでしょうね。淋しい話ですね。

似て非なるものを笑った遊び言葉があります。

 世の中は澄むと濁るのちがいにて 福(フク)は徳(トク)なり フグは毒(ドク)なり

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 鈴木(スズキ)は首相で ススキは植物

  世の中は澄むと濁るのちがいにて ハハは美容院(ビヨウイン) パパは病院(ビョウイン)

  世の中は澄むと濁るのちがいにて トキは金なり ドキは器なり

  世の中は澄むと濁るのちがいにて タイヤは黒いが ダイヤは固い

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 逃げるはハンニン 追うはバンニン

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 四四(シシ)は十六 爺(ジジ)は六十

  世の中は澄むと濁るのちがいにて 獅子(シシ)は鋭敏 爺(ジジ)はもうろく

  世の中は澄むと濁るのちがいにて、菓子は食えるが、餓死は食えない

 世の中は澄むと濁るのちがいにて、旗はヒラヒラ、肌はチラチラ

 世の中は澄むと濁るのちがいにて、ためになる人、だめになる人

 世の中は澄むと濁るのちがいにて、墓は静寂、馬鹿は騒音

 世の中は澄むと濁るのちがいにて ハカにお参り バカはお帰り

世の中はは澄むと濁るちがいにて ハケに毛があり ハゲに毛がなし

 なぜ笑えるかというと、似て非なるものだからです。これが、方向性も同じで、オリジナルをいじくって似せた命名なら、コピー商品として笑われるのは、コピーを命名した方です。

 まあ、同じ場所で、同じ人を対象に支援活動をする愚を犯さないという最低限の常識を兼ね備えていることを期待しましょう。
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 一人旅も結構ですね、いい人も一杯いるのですが、道中に、そっくりさんの追いはぎがいたり、盗人がいたり、悪い駕篭かきがいたりするものです。当時江戸から京へ上るのも、結構大変だったと思います。類似品には、いつの時代もどこでも、要注意です。

 大体、ベトナム戦争の壮絶な中を生き抜いた人を支援するわけですから、苦しみ、悲しみを味わった人間でなければ、悩んでいる人の真の味方にはなれません。世間体や下心があったのでは、方向性は完全におかしくなります。

 創発性という言葉があります。「創発」とは、あるシステムの内部で、末端的・個別的・部分的な性質・要素からは、決して現れることがなさそうな性質や要素・変化が、全体として発生・結果することを意味します。

ボランティア活動はそれが楽しいんですね。 「三人寄れば文殊の知恵」という諺も、創発性の一例でしょうか。

 創発性の重要性も楽しさも分からず、安易な俺ジナリティ欠如の行動をとるのは、自分たちの目指す意味がまるで分かっていないからだと思います。

 まあ、とにかく、一人旅。常に「今から」「これから」「いよいよ」・・・これが大事です。そして、未来へ勝ち上がっていくことが大事だと思っています。道中、類似商品 賞味期限に気をつけましょう。
  Posted by Picasa
では、次回また。(つづく)

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