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今年(2005年)は、日本は太平洋戦争終結から60周年。ベトナムも、ベトナム戦争終結から、この4月30日で30周年を迎える。私は、海外特派員生活のなかでも、ベトナムの枯れ葉剤被害者とは長くかかわりあってきた。いまも、患者や医師との対話を続けている。
左の写真は、30年前の1975年4月30日、北ベトナム軍の戦車が南ベトナム大統領官邸の正門を突き破り、構内に入って来た瞬間である。 そして、この後、サイゴンの南ベトナム大統領官邸の屋上に北ベトナムの国旗を掲げた男がいた。
下の写真は、旧大統領官邸で、現在は統一会堂と呼ばれている。
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サイゴン(現ホーチミン市)陥落まで南ベトナム政権最後のズオン・ヴァン・ミン政権の情報相を務めたリ・クイ・チュン氏の貴重な証言である。
1975年4月30日、開戦の日無き戦争は終わり、あれから30年が経った。ベトナムは、過去フランス、日本、中国の植民地となり、侵略者の追放のために戦ってきた。
これらの戦争などで使われた武器は通常兵器であったが、アメリカとの戦争では、桁外れの破壊度の重火器、ナパーム弾、枯れ葉剤が使用され、穀物破壊から環境破壊まで幅広い被害を受けた。
歴史に残るこの強烈な爆撃作戦は、環境的にも、人類の健康にも永続性のある大きな問題を残してきた。人工物では史上最も猛毒のダイオキシンが入った枯れ葉剤が散布された。その量、約8000万リットル。しかも、軍事用に高濃度のものにされた。後に遺された人体・環境への被害は、とてつもなく大きなものだった。
その被害の大きさは、1975年4月30日という日には、誰にも想像のつかないものだった。ベトナム戦争は4月30日に終わったが、その日はまた、ベトナム人民にとって新たな闘争の始まりの日でもあった。この戦争は、ここオーストラリアにも、当然負の遺産を残してきた。戦争終結30年がすぎたにもかかわらず、化学戦争の被害者の健康は、何も回復されていないことが、何よりもそれを物語っている。