2008-05-20

クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(8)

お礼状

私はグエン・ティ・ランと申します。クアンガイ省ソンティン郡ティン・ビン村に住んでいます。
私の子供は、体が変形していて歩けません。日本の三島市の愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)から一台の車椅子を頂きました。
子供を車椅子に乗せて、外で遊ばせています。子供が楽しそうです。不自由な子どもを楽にするように助けて下さり、本当にありがとうございました。

クアンガイ省にて 2007年10月29日  ラン
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お礼状

私はグエン・ティ・フィ・コンといいます。1950年に生まれました。
現在、クアンガイ省ソンハ郡ジラン市に住んでいます。
私は両足が不自由です。車椅子を頂戴してから、あちこちに行ったり、友達や近所の人のところに遊びに行ったりしています。生活が美しくなり、健康も改善されました。
この車椅子は、枯れ葉剤被害者に日本の三島市の愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)からの贈呈というお話を聞きました。
私たちのような不自由な者に関心を持って下さり、本当にありがとうございました。

クアンガイ省にて 2007年11月20日   グエン・ティ・フィ・コン
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お礼状
私はグエン・ティ・トゥー申しまして、1926年生まれです。現在、クアンガイ省トゥー・ギア郡在住です。
私は30年間、耳が聞こえませんでした。
クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のカイ会長から、日本の三島市の愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)が私に一台の補聴器を贈呈して下さるというお話を聞きました。
私は大変喜びました。補聴器のおかげで、家族と会話ができるようになりましたし、気分も快適です。
愛のベトナムさわやか支援隊の皆様のご家族が、いつまでもご健康でご多幸であられるようお祈りしています。
そして、慈善活動が順調に運ばれますように、祈っております。
この手紙は私の思いを孫に伝えて代筆してもらいました。

クアンガイ省にて 2007年11月17日  グエン・ティ・トゥー
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お礼状

私はグエン・ヴァン・フンと言い、息子はグエン・スアン・フンと申します。現在、クアンガイ省ソンティン郡に住んでおります。
息子は、1987年に生まれました。息子の体は変形を伴っているために、ずっと寝たきりです。
クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のカイ会長から車椅子を一台頂きました。これは、三島市のボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊(大釜会長)から贈られたものを知りました。
息子を車椅子に乗せて、遊びに連れていきました。息子がとても喜んでいました。
息子と家族に代わって、皆様に「ありがとうございます」と御礼を申し上げます。

クアンガイ省にて 2007年11月2日   フン
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お礼状

私はファム・クアン・ヴィンと申します。私の母はファム・ティ・サン(写真)です。81歳になります。現在クアンガイ省ドゥック・フォー郡フォー・ホアに住んでいます

クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のカイ会長から一台の車椅子を頂きました。カイ会長の話によりますと、この車椅子は、愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)から、私の母に贈呈されたものだ、というお話でした。
私たち家族は、とても喜んでいます。母も、大喜びしました。うれしかったようです。元気も出てきました。
この手紙を通して、私たち家族は、愛のベトナムさわやか支援隊の皆さまに、お礼を申し上げます。皆様、いつまでも、どうぞご健康で幸福でいらっしゃいますように。

クアンガイ省にて 2007年10月28日   ファム・クアン・ヴィン
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お礼状

日本の三島市『愛のベトナムさわやか支援隊』さまへ

私はファム・タイ・ガーと申します。1937年生まれです。クアンガイ省ビンソン郡に住んでいます。
このほど、一台の補聴器を頂戴しました。
この補聴器のおかげで、他の人の声が聞こえるようになり、周りの人とも楽しく会話ができるようになりました。
そして、この補聴器を頂戴してからは、よく外出するようになりました。気分も楽しくなりました。

本当にありがとうございました。愛のベトナムさわやか支援隊の皆様とご家族へ、厚くお礼を申し上げます。

クアンガイ省にて 2007年10月8日   ガー
《支援隊より:外出が増えると友人も増えますね。交通に気を付けて、外出楽しんでください。 なお、今回にて、昨年贈呈した車椅子と補聴器に対するクアンガイ省からのお礼状のご紹介を終わります。これだけのお礼状をまとめてくださったクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会(VAVA)カイ会長さま皆様に、感謝を申し上げます。そして、この支援にご協力下さった日本の方々に厚く御礼を申し上げます。》Posted by Picasa

2008-05-19

クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(7)

お礼状

私はディン・ヴァン・コイと申します。1935年生まれです。クアンガイ省ソンハ郡ジラン町に住んでいます。
省枯れ葉剤被害者協会のホ・クイ・カイ会長から一台の車椅子をいただきました。この車椅子を頂戴してから、動くのが便利になり、楽しくなりました。
ありがとうございました。

クアンガイ省にて 2007年11月15日   コイ
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                             お礼状
私はファム・ヴァン・ブオウと申します。1939年に生まれました。

クアンガイ省ドゥック・フォー郡フォークアン村在住です。三島市ボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊から一台の車いすをいただきました。

この車いすのおかげで、家の中から庭に移動することが出来るようになり、外の景色を眺めることが出来るようになりました。気分も爽快です。

私のような者を助けて下さり、本当に感謝に堪えません。有難うございました。

愛のベトナムさわやか支援隊の皆様のご家族が、いつまでもお元気でいるようにお祈りしておおります。

ファム・ヴァン・ブオウ 拝

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礼状

私はフュイン・ドアンといいます。1932年に生まれ、クアンガイ省ミンロン郡ロンソン村に住んでいます。

私は両足が不自由で、歩けなくなりました。愛のベトナムさわやか支援隊(大釜会長)から一台の車椅子をいただきました。

この車椅子のおかげで、近所の人と会うことができるようになったり、自分の庭の盆栽を見ることができて、生活が楽しくなりました。本当にありがとうございました。

どうか、いつまでも皆様がお元気でいらっしゃるように。そしてもっともっとたくさんの不自由な人に幸せを与えて下さるように祈っています。

クアンガイ省にて 2007年11月05日   フイン・ドアン

                           お礼状

             日本の三島市愛のベトナムさわやか支援隊 さまへ


私はグエン・ゴック・アインと申します。1926年に生まれました。クアンガイ省ドゥック・フォー郡フォー・トゥアン村に住んでいます。抗米戦争に従軍して、枯れ葉剤被害者になりました。皆様から補聴器を頂き、家族や友達と会話できるようになりました。

大変にありがとうございました。

クアンガイ省 2007年11月10日  グエン・ゴック・アイン

お礼状

日本の三島市 愛のベトナムさわyか支援隊さまへ

私はグエン・ティ・バと申します。最初に、愛のベトナムさわやか支援隊の皆様とご家族に、厚くお礼を申し上げます。
私は、長い間両足が不自由でした。枯れ葉剤被害者協会ドゥック・フォー支部のホンさんが一台の車椅子を持ってきてくださり、「愛のベトナムさわやか支援隊からのプレゼントです」と話してくれました。
この車椅子はとてもきれいで、スムーズに動けます。おかげさまで、友達や親戚などの家を訪問することができました。周りの人が私を励ましてくれ、私は今まで以上に自分の人生が好きになりました。
心の底から「ありがとうございました」と、本当に御礼を申し上げます。
愛のベトナムさわやか支援隊の皆様とご家族が、いつまでも幸福とお幸せでありますように。

クアンガイ省にて 2007年11月15日   グエン・ティ・バ
《支援隊より:これからも数多くの出会いを楽しんでください》Posted by Picasa

2008-05-18

クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(6)

                            お礼状

私はチャン・ドゥック・クンと申します。1925年生まれです。今、ミンロン郡ロンマイ村、マイライン・フュー在住です。

この度、一台の補聴器を頂きました。日本の三島ボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)とクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会にお礼を申し上げます。

この補聴器のおかげで家族と会話が出来るようになり、普通に生活ができるようになりました。
もう一度お礼を申し上げます。ありがとうございました。

クアンガイ省にて 20007年11月15日  チャン・ドゥック・クン 拝

お礼状

愛のベトナムさわやか支援隊 さま
クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会さま

私は、1970年生まれのファム・ホン・ティエンと申します。
1970年生まれで、クアンガイ省モー・ドゥック郡ドゥック・チャイン村に住んでいます。

一台の補聴器をいただきました。
愛のベトナム支援隊の皆さんと、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会に、お礼を申し上げます。
私にとって、大変貴重なものです。これからは日常生活がし易くなり、自分も新しい事がドンドン分かるようになりました。社会や家族の役に立てるようになると思うようになりました。

愛のベトナム支援隊の皆様、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会の皆様 本当に有難うございました。

モー・ドゥックにて 2007年10月15日   ティエン
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お礼状

私はカオ・タン・クオンです。
クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会から1台の車椅子をいただきました。
この車椅子は、日本の三島市のボランティアグループ『愛のベトナムさわやか支援隊』からのご支援と聞きました。本当にありがとうございました。

この車椅子を頂いてから、私はいろいろなところに連れて行ってもらいました。健康的にもよくなり、とても楽しい日々を過ごしています。
被害者の私たちの関心を持って下さり、本当にありがとうございました。

クアンガイ省にて 2007年11月12日   クオン
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お礼状

私はカオ・ティ・ドゥオンといいます。今年87歳です。
トゥ・ギア郡ギア・ハ村に住んでいます。

孫に頼んで、この手紙を書いてもらっています。
三島市の愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)から一台の車椅子をいただきました。ありがとうございました。
私は20年間不自由で、子供たちに面倒を見てもらっていました。この車椅子のおかげで、外に出られて、いろいろな景色を眺めを見て、元気になりました。
本当にありがとうございました。
皆様もいつまでお元気でいらしてください。

クアンガイ省 2007年10月29日  ドゥオン(ホア代筆)
《支援隊より:87歳。ますますご健康で、長生きしてください》
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お礼状

愛のベトナムさわやか支援隊

私はダオ・ティ・ジエウと申します。1917年生まれです。
住所はクアンガイ省ドゥック・フォー郡フォー・クアン村です。
枯れ葉剤被害者協会から一台の車椅子を頂きました。この車椅子は、愛のベトナムさわやか支援隊が贈って下さったものと知り、感謝申し上げます。        
私は字が書けませんの、今孫に頼んで書いてもらっています。この車椅子に乗って、家族が遊びに連れて行ってくれました。本当にとても気持ちがよかったです。      
私に喜びを取り戻してくれ、本当にありがとうございました。
皆様、どうかいつまでもご健康とご幸運を祈っています。

ジエウさんのサイン。
《支援隊より:ジエウさん、91歳ですね。車椅子で外の空気を一杯吸ってください。上のドゥオンさんもジエウさんも、女性は長生きですね。どうぞご健康で》Posted by Picasa

2008-05-17

クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(5)

        お礼状:日本のボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊 さまへ

私はグエン・タイ・ホックと申します。1948年生まれです。現在、クアンガイ省ドゥック・フォー市に住んでいます。

戦争中に、枯れ葉剤を浴びた食材を食べ、病気になりました。いつも体中が痛く、また耳も聞こえなくなりました。

日本の三島市のボランティアグループ、愛ベトナムさわやか支援隊のおかげで、補聴器一台を、クアンガイ省枯れ葉剤協会から直接いただきました。

皆さんに関心をもって頂いたおかげで、私の耳は聞こえるようになりました。残りの人生が楽しくなりました。

この手紙を通して、皆さんに有難うございますと、感謝の気持ちを伝えたいと思います。

ドックフォー市にて 2007年11月  グエン・タイ・ホック

              お礼状:愛のベトナムさわやか支援隊(大釜会長)さまへ、

私はチャン・スアン・ジエムと申します(右の方)。1946年生まれです。クアンガイ省ドゥック・フォー郡に住んでいます。

戦争の影響で耳が聞こえなくなりました。

今、三島市の愛のさわやか支援隊の皆様から、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会を通じて、一台の補聴器をいただきました。

補聴器がなかったので、人と話す時、とても聞き取りにくかったです。今、聞き取りやすくなり、生活がとても楽しくなりました。

クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会、そして日本の愛のベトナムさわやか支援隊の皆様にお礼を申し上げます。

皆様のご健康とご多幸を祈ります。

2007年11月16日  チャン・スアン・ヂエム

お 礼状

日本のボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長) さま

私はファム・ゴック・チンと申します(写真左の方)。1941年生まれで、クアンガイ省ドゥック・フォー郡フォータイン村ラヴァンに住んでいます。

戦争の影響で耳が聞こえなくなりました。今、三島市の愛のベトナムさわやか支援隊からということで、私に一台の補聴器を、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会から直接いただきました。

補聴器を頂いてからは自分の生活が楽になり、楽しくなりました。

クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会と、愛のベトナムさわやか支援隊に厚くお礼を申し上げます。

とうか、皆様いつまでもお元気でお過ごしになりますようにお祈りしています。

2007年11月26日 チャン・ゴック・チン

                            お礼状

クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のホー・クイ・カイ会長を通じて、三島市のボランティアグループの愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)から一台の補聴器をいただきました。

以前前には耳がほんとうに聞こえませんでしたが、今新しい耳が生まれたように、良く聞こえるようになりました。ほんとうに有難うございます。

クアンガイ省にて、2007年12月31日  グエン・ゴック・クエ

(支援隊より:2007年の大晦日に受け取って下さったのですね。2008年から大いに活用してください)

お礼状

私はチャン・カオ・ギエップと申します。1929年生まれです。
クアンガイ省ギア・ハイン郡に住んでいます。

クアンガイ省VAVAのカイ会長から、愛のベトナムさわやか支援隊の贈呈で一台の補聴器をいただけるという話を聞きました。補聴器を頂戴してから、よく聞こえるようになりました。
本当に有難うございます。

2007年12月31日  チャン・カオ・ギエップPosted by Picasa

2008-05-16

クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(4)

                           お礼状

私は、クアンガイ省ソンティン郡に住んでいますグエン・ゴック・チンと申します。
1987年生まれの息子、グエン・スアン・フンの父親です。

息子は生まれてから不自由で動けませんので、私たちが息子の日常生活の面倒を見ています。

このほど、日本の三島市のボランティアグループ、愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)から1台の車椅子を頂きました。

私は遊びに連れて行く時、私の子供がとても喜んでいました。

被害者である私の子供を助けて下さり、本当に有難うございました。

日本の皆様のご家族が、いつまでもご健康とご多幸でありますようにお祈りいたします。

クアンガイ省にて 2007年12月15日  フンの父 グエン・ゴック・チン

《喜んでくださって、こちらも嬉しいです。フン君の笑顔が良いですね。外出する時に、事故や怪我のないように、注意をお願いしますね。支援隊より》

                      ベトナム社会主義共和国
                     独立・自由・幸福
                        お礼状

           日本の三島市愛のベトナムさわやか支援隊さまへ

私はグエン・カイン・フンと申します。1940年生まれです。
今、クアンガイ省ビンソン郡(註:省最北部です)に住んでいます。

私は抗米戦争の時、枯葉剤の影響で両耳が聞こえなくなりました。
愛のベトナムさわやか支援隊のおかげで、一台の補聴器を頂き、周りの人の話が聞こえるようになりました。

心から感謝いたしております。

2007年11月25日   グエン・カイン・フン 拝

《今までお話が出来にくかった分 たくさんの方と話をなさって下さい。支援隊より

ベトナム社会主義共和国
独立・自由・幸福
お礼状

三島市愛のベトナムさわやか支援隊さまへ

私はファム・タイ・ガーです。1936年に生まれました。
クアンガイ省ビンソン郡で暮らしています。
私は枯れ葉剤の被害を受け、耳に影響が出ました。今、皆様の暖かいお志で、一台の補聴器を頂き、日常生活が大変楽になりました。
本当に有難うございました。

2007年12月16日   ファム・タイ・ガー
お礼状

私は、1942年生まれの、レ・タイン・アンです。
現在、クアンガイ省ミンロン郡タインアン村に住んでいます。

補聴器を頂戴し、私はすごく嬉しくなりました。今やっと、他の人と会話が出来るようになりました。以前は耳が聞こえないので、余り人と話をすることはありませんでした。

日本の三島ボランティアグループ、愛のベトナムさわやか支援隊と、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会にお礼を申し上げます。

皆様のご健康とご多幸をお祈りし、今後とも枯れ葉剤被害者のためにお力添えを頂けるようにお願い申しあげます。

クアンガイ省にて 2007年11月12日   レ・タイン・アンPosted by Picasa

2008-05-15

クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(3)

お礼状

日本の愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)さまへ
私はフイン・ティ・キム・フエと申します。1945年生まれです。
住所はクアンガ省ドゥック・フォー市です。
私は両足不自由です。日本国三島市の愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんから一台の車椅子を頂きました。
この車いすは、私にとって夢でした。言葉が出ないぐらい本当に喜んでいます。クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会、そして、愛のベトナムさわやか支援隊の皆さまに、心からお礼を申し上げます。
最後、支援隊及び協会の皆様のご家族のご健康とご多幸をお祈りいたします。

ドゥック・フォー市にて
2007年9月26日
フイン・ティ・キム・フエ

                          

                           お礼状

私はディン・ズアと申します。1994年に生まれました。
クアンガイ省ミンロン、タインアンに住んでいます。

私の両足は不自由です。 車いすを頂いてから、あちこち動けるようになりました。

日本の三島市の愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長) そしてダイオキシン協会にお礼を申し上げます。有難うございました。

クアンガイ省にて 2007年12月20日   ディン・ズア

                            お礼状

私はフイン・ドアンと言います。1932年生まれです。クアンガイ省中部のミンロン郡ロンソンに住んでいます。

足が不自由で、いつも横になって生活していました。生活はとても退屈で、大変でした。

このほど、日本の三島市のボランティアグループ、愛のベトナムさわやか支援隊から援助して頂いた一台の車椅子を、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会から受け取りました。

この車いすのおかげで、自分で外に出ることが出来るようになり、この車いすのおかげで私の退屈だった生活を変えてくれました。国内の協会そして、日本の愛のベトナムさわやか支援隊の皆さまにお礼を申し上げます。

2007年11月18日 フイン・ドアン

                    

 ベトナム社会主義共和国
独立・自由・幸福
お礼状

三島市『愛のベトナムさわやか支援隊』の皆様 レ・ドゥック・タイン(ベトナム外務省)様

私ファム・ディン・ロンです。1944年生まれです。

現在、クアンガイ省ビンソン、ビンフーに住んでいます。
私は、枯れ葉剤被害者として耳が聞こえません。

皆様から一台の補聴器を頂き、日常生活がほんとうに便利になりました。
私はとても喜んでいます。

有難うございました。

2007年11月20日  ファム・ディン・ロン
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クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(2)

                          お礼状
クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会様、三島市愛のベトナムさわやか支援隊様へ

私はレ・ヴァン・ドンと申します。1968年に生まれました。現在、クアンガイ省ドゥック・フォーに住んでいます。
小さい頃から足が不自由になり、動けなくなりました。

三島市のボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんから一台の車いすを頂きました。皆さんに感謝いたします。いつまでもお元気でいらっしゃいますように、お祈りしています。

レ・ヴァン・ドン  クアンガイ省にて 2007年11月10日

《ありがとうございました。両腕にくらべて、足の細さが気になりますね。行動範囲が広がったのは大変うれしいですが、車椅子に頼りすぎると、筋肉がつきません。何か運動の手はないものか、考えてみたいです。 北村》

                            お礼状
                    枯れ葉剤被害者協会さまへ

私は母親のヴォ・ティ・トゥ・ハインです。1962年生まれました。
クアンガイ、ドゥック・フォーに住んでいます。

私の息子はフイン・タン・ズイと申します。病状は、全身麻痺です。

三島市ボランティア団体・愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんが、私の子供に、一台の車いすを援助して下さり、私はとても喜んでいます。

有難うございました。
2007年11月26日   ヴォ・ティ・トゥ・ハイン

                            お礼状
        日本のボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊さまへ

私はグエン・ヴァン・タップと申します。1930年生まれです。クアンガイ省ドゥック・フォー市41組に住んでいます。

両足が不自由です。日本の三島ボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊からクアンガイダイ省枯れ葉剤被害者協会を通して、夢のいすを頂き、私はとても感動しております。何と申し上げていいのか分かりません。

心からクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会と、愛のベトナムさわやか支援隊(大釜一男会長)に厚くお礼を申し上げます。

皆様のご家族がいつまでもご健康で過ごせるように祈り申しあげます。

2007年9月26日 グエン・ヴァン・タップ

お礼状

私はカオ・ヴァン・タムと申します。1932年生まれです。
クアンガイ省ドゥックフォー市フォニン、アンチュオンに住んでいます。
両足が不自由となっておりましたところ、このほど、私は日本の三島ボランティアグループ・愛のベトナムさわやか支援隊さまからクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会を通じて、一台の車椅子を頂戴しました。

ほんとうに有難うございました。

いつまでも、皆様がご健康であるように祈っております。

ドゥックフォーにて 2007年11月24日    カオ・ヴァン・タムPosted by Picasa

2008-05-13

クアンガイ省被害者の皆さんからのお礼状(1)

ベトナム中部のクアンガイ省。そうです。1968年3月16日に4時間で504人の村人がアメリカ軍に殺されるという虐殺のあったソン・ミーという村のある省です。
皆さんからの真心の支援金で購入した車椅子や補聴器を、昨年、クアンガイ省の枯れ葉剤被害者に贈呈しましたが、このほど、受け取った方々からのお礼状が届きました。
お礼状が遅くなったのは、一部地域で、昨年、洪水に見舞われたからです。お礼状を届けてくださったクアンガイ省の枯れ葉剤被害者協会のホー・クイ・カイ会長他の皆さんに、厚く御礼を申し上げます。
そこで、今回から何回かに分けて、戴いたお礼状をすべてブログに掲載し、支援して下さった方々への御報告に代えます。

                        お礼状   

私はヴォ・ドンと申します。1988年にドゥック・フォーで生まれました。私の両足は不自由になりました。
静岡県三島市愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんから一台の車いすを頂き、クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会の方が届けてくれました。

車いすを頂く前は、移動するのがとても困難でした。今、外に出られて色々な人と会うことが出来、私はとても嬉しいです。

愛のベトナムさわやか支援隊(大釜会長)とクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会にお礼を申し上げます。
いつもまでも、ご健康でいらっしゃいますように。

ヴォ・ドン  クアンガイにて 2007年10月30日

                         お礼状

日本の三島市 愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんとクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会の皆様へ、

私はグエン・ランとう申します。ドゥック・フォー5組に住んでいます。1917年生まれです。

戦争が終わってから色々な病気が出てきました。ダイオキシンのせいで、全身が不自由になったと思っています。

移動することが出来なくなりました。車いすがあったらいいなと、長い間思っていました。

そして、日本の三島市の愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんから車いす一台を頂きました。

私は皆さんの美しい心に感動しました。本当に心から感謝いたします。

グエン・ラン  クアンガイ省にて 2007年10月10日

                        お礼状

日本の愛のベトナムさわやか支援隊の皆さん クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会へ

私はフイン・シーです。住所はクアンガイ省ドゥック・フォー郡フォー・ニョン村ビン・チエウです。

枯葉剤のせいで、両足が不自由になりました。移動がとても難しくなっていました。
車いすが本当に欲しかったです。

日本の愛のベトナムさわやか支援隊から一台の車いすをもらい、私はとても喜んでいます。ほんとうに有難うございました。

フイン・シー  2007年12月10日

お礼状

私はホー・ティ・リと申します。1926年生まれです。
住所はクアンガイ、ドゥック・フォー3組です。
病状は、両足が不自由なことです。

クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会から一台の車いすを頂きましたが、この車いすは日本のボランティアの三島市の愛のベトナムさわやか支援隊の皆さんからのプレゼントと知りました。

この車いすがない時は動くのにとても手間がかかりました。今、車いすがあって、移動することが出来るようになり、外に出て、生活も楽しくなりました。

クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会、そして愛のベトナムさわやか支援隊(大釜会長)に有難うございましたと、御礼を申し上げます。

いつまでもご健康でいらっしゃるように祈ります。

ホー・ティ・リー    クアンガイ省にて 2007年12月10日Posted by Picasa

2008-05-06

ソンミの虐殺から40年(上)

この3月16日、私はクアンガイ省ソンティン郡ソンミ村を訪ねました。
ご記憶の方もあると思います。40年前の1968年の同じ日、ベトナム戦争のさなか、アメリカ軍が、この小さな村にやってきて、村人の虐殺を行いました。4時間に504人の婦女子、老人、子ども殺す愚行でした。全員が民間人でした。これが、いわゆる”ソンミ虐殺”事件です。
私は、改めて平和を考えるために、虐殺現場に立ってみようと思いました。
504本の花を手向けた元アメリカ兵など、内外から7000人が参加した追悼慰霊式。
その翌日、現在は虐殺の愚行を伝えるソンミ博物館の館長をされているファム・タイン・コンさんを訪問しました。
以下は、コン館長のお話の一部です。

私の母親がアメリカ軍に殺されたのは、私が11歳の時です。

午前6時半頃、アメリカ軍の飛行機が飛来して、爆弾を落としました。爆弾投下が終わると、、アメリカ兵が地上からやってきて、市場や学校で人々を捕まえました。
覚えているのは、銃の音、周りの家が燃えていたことです。

9時半頃、アメリカ兵3人が私の家にやってきました。私の家には地下壕があります。家の人は地上に出ていました。私は、隣の叔父さんの家に走って逃げました。ところが、叔父さんたち2人は、すでに死体となっていました。また自分の家に戻りました。「叔父さんたちは死んでいたよ」というと、母は泣き出しました。母は、「お前だけでも先に隠れなさい」と言いました。

アメリカ兵がわが家に火をつけました。母は泣きました。母が泣き始めた途端、アメリカ兵は皆を撃ちました。母と3人の姉妹は、走って地下に向かいました。母は、私の2歳の妹を抱いて、最後に地下壕に入ったと思います。当時、父は別の所で働いていましたが、この分では父もやられたのはないかと思っていた時に、アメリカ兵は母や姉妹3人を撃ちました。母と妹が最後に地下壕に入ったところを、アメリカ兵に見つけられたからだと思います。

地下壕の一番奥にいた私が、助かりました。母や姉の体がバラバラになったのをみて、私は逆の出口からさらに走って逃げました。その銃撃で、我が家の地下壕は壊れました。夕方4時頃になって、他の人が来て、私を助けてくれました。助けられた時に、私はだっこされたのを覚えています。

村中どこでも、死体だらけ、年寄り、女の人がやられていました。私の家族の死体は、地上に並べられていました。街全体は、焼かれた家の煙に包まれていました。父は、1970年に畑で殺されました。

ここまでの道のりは大変だったでしょう?
とにかく、村人はここからいなくなりました。
私は、少し南部にいって、クアンガイの中学、高校で勉強しました。

今まで生きてこられたのは、政府、人民のおかげです。また、学校もよく面倒をみてくれました。お金も貰いましたが、精神的には助かりました。

畑の仕事をし、勉強をした後は、いろいろの仕事をしました。
結婚する時には、家もありませんでした。人の家に居候させて貰いました。夫婦で頑張って、なんとか小さい家を建てました。

妻は農業をしていますが、二人の苦労は今も続いています。まだまだ頑張らないといけません。現在、こどもは3人で、上2人は、ホーチミン大学で勉強中です。

アメリカ軍を許す気持ちは?

戦争中はアメリカ軍を許す気持ちはありませんでした。アメリカ軍を人間として考えていませんでした。化け物としての存在でした。同じ人間を拷問したり、虐待したり、殺したりするのは、すでに人間ではありません。化け物です。

コンさんの10代のときの写真
世界に一番訴えたいことは?
ここで働くということは、何回も自分の家族の痛みを話すということです。こういうことは本当はやりたくありません。しかし、村人と若者がこういう愚かな事件で苦悩し続けているという事実や、ベトナム人の苦しい生活の現実を直接見てもらいたいのと、アメリカ軍の蛮行を知って貰うために話しています。
世界の人は、現実に起きたこういう現場での話を聞かないと、戦争の事実、戦争の愚かさ、アメリカ軍の蛮行を分からないでしょう。分からないということは、蛮行が繰り返される恐れがあります。
鋭い指摘だった。蛮行を語り継いでいかなくてならないのだ。人類が、いつでも賢明とは限らないのだ。この事件のカリー中尉率いるアメリカ軍だ。
アインシュタインは言う。
「ごくふつうの人のうちに、特別な動機がなくても、無限の悪を為す能力がある」 「悲しいことに、善を為すとも悪を為すとも決めることのできない人間が、最大の悪を為すのです」(了)
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