2007-02-16

交渉の裏方さん グエン・チョン・ニャン副会長

私の尊敬する、ベトナム・エージェントオレンジ被害者協会グエン・チョン・ニャン副会長から、小生宛に送られてきた元アメリカ・クリントン大統領宛の手紙を、ブログに掲載させてもらいます。なぜ、こういうことをするかと申しますと、対米交渉の裏舞台で、ねばり強く一人でも味方を作ろうとするチョン・ニャン副会長(下の写真で左の方。右は小生です。すいません)の厳窟王的心意気と正義を求める闘争心を感じるからです。老後をのほほんと過ごさない生き方にも深い感銘を受けます。偉大な現役です。実は、こういう働きかけが、とても大事なことなのです。それをご理解のうえ、ご一読ください。

発信の日付は、12月4日になっていますが、小生が多忙でなかなか掲載出来なかったことをお許し下さい。なお、これは公式のほんやくではありません。お断りしておきます。

ハノイ 12月4日 2006年

発信人:グエン・チョン・ニャン
副会長
ベトナム・エージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者協会
ハノイ ベトナム社会主義共和国

ビル・クリントン閣下
アメリカ合衆国元大統領

ヒラリー・クリントン閣下
アメリカ合衆国上院議員


ベトナム国民と小生個人は、貴殿お二人がベトナムを再訪されることを喜ぶものであります。このことは、お二人のベトナムに対する特別の感情を表すものと信じて疑いません。

2000年11月のご訪問の際に、小生はハノイのデウー・ホテルで大統領閣下に拝謁できたことは、大きな喜びとするところです。当時、ご多忙な日程にもかかわらず、小生が貴大統領の御返事を拝受したことは、大きな栄誉でありました。


閣下のメッセージは、ベトナムのことを学びにきたアメリカの科学者、ジャーナリスト、学生そして若い人たちのグループを含めて多くの人々に紹介させて頂きました。閣下のメッセージを読んだ者は、戦争の犠牲者、特に、有毒ダイオキシンを含んだ化学物質の犠牲者に対して表された閣下の同情心を示す理解に大いに注目を致しました。

小生は、今でも、次の文章に感銘を深くしています。つまり、「彼らが直面している医学的、心理的困難に関する貴殿のご心配を分かち合うものです。そして、私は米越両国が科学的研究と、共同で人道的努力をする必要性があるという点で同意するものです・・・」


従って、小生は、致命的な疾病、深刻な貧困、短命に対して、エージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者に対して援助を与える点と、故に有毒ダイオキシンを含んだ化学物質が引き起こした多くの世代に引き継いでいくであろう人体と生活環境に対する重い後遺症にうち勝つためのより効果的な対策に関するさらなる知識に到達するために、両国が相互に協力することで同意していらっしゃるものと考えます。小生は、閣下の同情的なご理解に真に感動した者です。

2005年の11月と12月、エージェント・オレンジの被害者二人が、ベトナム人民に戦争中に使用された有毒ダイオキシンを含有した化学物質の結果について、貴国の人々と会い、話し合いをしました。小生もそこに行きました。そのうちの一人は、女性で、コンダオの虎の檻に長年収容されていた経験を持つ方です。

1ヶ月の訪米期間中、私たちは、多くの都市を訪問しました。ワシントンDC,ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア、ラレー/ダーラム、シカゴ、サンタ・フェ、シアトル、オレゴン州ポートランド、サンフランシスコです。

有名大学であれ、宗教クラブであれ、教会であれ、インド系、アフリカ系アメリカ人の社会であれ、どこに立ち寄っても、われわれは、貴国の方々のエージェント・オレンジの犠牲者に同情的な同苦する人々に巡り会えました。また、良心、正当性、正義の要求に従って犠牲者は援助されなければならないと主張する善意の人々に会うことが出来ました。この機会に、私どもがお会いしたアメリカ人の元ベトナム従軍兵は、慚愧の念を示し、われわれが実りある旅ができるようにとあらゆるお手伝いをしてくれました。

大統領閣下 大統領夫人閣下

閣下が人道分野でご活動を始められたと知って、小生は、ビル・クリントン財団と連絡を取ろうと務めてきました。時々、閣下がされたサインのついた情報やお手紙を頂戴しました。小生の願いは、エイズ/HIVの問題に注意を払いながら、1996年5月28日にホワイト・ハウスで閣下が述べられた声明の精神に従って、アメリカ合衆国のベトナム戦争復員兵と同じように、ベトナムにおけるエージェント・オレンジに被害者にもそれ相当のご配慮をお願いできませんでしょうか。

閣下は、この問題に関するツムウォルト提督による情報提供と、ツムウォルト提督の家族が、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国の復員兵と同じように偶然であってもエージェント・オレンジで酷い障害を受けたことを閣下が認識されて、ツムウォルト提督に最大の敬意を表されました。

なぜなら、閣下は、他国と同様、ベトナムにおけるエイズ/HIVの被害者への支援に力を入れていらっしゃるからです。そしたまた、HIVもダイオキシンもまた、人体の免疫組織を破壊し、すべての種類の病気に抵抗力をなくすからです。ですから、多くの科学者がエージェント・オレンジの被害者をダイオキシンによって引き起こされたエイズ患者と考えようとしてきたという事実を述べさせて頂くことをお許し下さい。(色は訳者である小生がつけたものです)


Posted by Picasa かつては医者として、その後ほぼ16年間ベトナム赤十字社の会長として、そして今はエージェント・オレンジの被害者の援助で奉仕活動をしながら、小生は、いま、閣下と夫人ヒラリーさんに衷心よりご挨拶をお送りし、両国に関係し、世界中の人々が心配している大きな人道問題に付属するお手紙を差し上げる大きな光栄に本当に浴しています。

私は、“過去の歴史の悲劇的な頁を閉じ、より明るい将来を望見しながら安堵を感じられるように”、お二人が可能なあらゆる事をして頂けるように心より切望するものです。(色は小生が付けたものです)

3月(北村註:2006年)にハノイで開催されたエージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者国際会議の議事録を、ここに同封させて頂きます。

閣下、同ご夫人のご多幸をお祈りし、かつご訪問中の諸活動がすべて成功裏におわりますようにお祈り申し上げる次第です。


ベトナム・エージェント・オレンジ/ダイオキシン被害者協会を代表して
 
                                            敬具

グエン・チョン・ニャン(教授・博士)


文責:北村 元

副会長

2007-02-15

第1回『べとなむ枯れ葉剤被害者の写真展』(2)

開催初日の1月21日。
この日一日で、32名の来場者がありました。嬉しかったですね。初日は、まあまあのスタートでした。



22日、約束通り、静岡朝日テレビが二度目の取材に来てくださいました。運良くというか、取材撮影中は、来場者がなく、思うとおりの取材協力をさせて頂きました。この取材の放映は翌日の23日の同局「とびっきり静岡」と伺い、これこそまさに口コミで放映場面の視聴方の宣伝に務めました。

幸運は続くもので、22日の午後には、毎日新聞の浜中記者が訪れてくださり、写真展の主旨などについて質問したり、たくさんの写真を撮って帰られました。

嬉しいことに、23日の毎日新聞朝刊の静岡地方版に掲載して頂きました(記事は別掲)。
この日は、朝刊は毎日新聞で、夕方は静岡朝日テレビと報道が続き、私たちには、大きな追い風になりました。ありがとうございました。

「テレビを見たよ」と、何人もの友人から連絡を頂きました。
「毎日新聞に載っていましたね」とも、多くの方からの反響を頂戴しました。

宣伝効果は? かなりあったと考えます。

大釜会長は、準備と写真説明の勉強で連日多忙を極めたようで、大釜コンピューターは、初日から喉を潰して、声が出ない状況の中で、来場者一人ひとりに懇切丁寧に説明をしていました。

「ベトナム戦争では枯れ葉剤が化学兵器として使用されましたが、この化学兵器は研究の途上の第2次世界大戦中に、日本にも撒かれる計画がありました。

第2次世界大戦の末期の1945年、東京、横浜、大阪、名古屋、神戸周辺の稲作地帯に撒布し、穀物に被害を与えようとした作戦だったようですが、広島、長崎への原爆投下で終戦を迎えたのが日本です。

化学兵器として使用されたベトナムでは、終戦後32年たった今、自然界においては今なお南部の重撒布地帯では大木が育たず、人間界では枯れ葉剤を浴びた人々は、展示写真にあるように塗炭の苦しみを味わい続けています。子孫にあっては、生まれながらの奇形であったり、誕生時は正常であっても成長とともに異常が出て日常生活ですら人手を借りないと生活が出来ない状態になっている人が、多く見られます。まさに、生まれながらにして地獄の生活です。

北ベトナムであれ、南ベトナムであれ、従軍した人に加えて、だい2世代、第3世代までもが被害に苦しんでいます。この写真をご覧になって、平和を願い、苦しみに耐えて生活している被害者に暖かいご支援をお願いしたい」などと、一生懸命の説明をしてもらった。

Posted by Picasa 忘れられないのは、写真展会場に入るなり、「見るに耐えない」と言って帰られた方です。これも現実です。

「見るに耐えない方々」が、ベトナムの国土に住んでいるのです。私たちは、彼らがどんな姿をしていようと、忌避する積もりはありません。そういう人たちが、社会の片隅で必死に生きている時に、援助の手をさしのべない手はありません。

他のすべての方は、目を凝らして最後まで見てくださいました。
「こんな悲惨なことを二度と起こしてはなりません」「絶対戦争をしてはいけません」「被害者をなんとか助けてあげたいです」会場で聞こえてきた多くの訪問者の声です。


写真を見終わると、コーヒー・コーナーで、ベトナムが世界に誇るベトナム・コーヒーを味わって頂きながら、支援隊のベトナム・ツアーへの参加を呼びかけたり、愛のベトナムさわやか支援隊の支援状況を説明しました。

「日本にもたくさんの支援グループがありますが、私たちの支援は、どこからみても見放された貧困に喘いでいる被害者宅を訪問し、援助、激励を行うことです。こんな支援を行っているグループは他にはありません」と、力説。

そういう会長の話を聞いた多くの方が、「わずかですが、支援に使ってください」と、募金箱に寄付金を入れてくださいました。

8日間を通して、合計180人。1日平均22.5人。お客さまからの寄付金と洋服の売上げを合わせると、12万8,281円でした。地味かと思われるでしょうが、望外の成果であり、望外の喜びでした。

お客様のお声を聞いて、本当によかった、と思いました。
写真展を開催した甲斐があった、と思いました。
写真展の会場だけでなく、自宅や、職場、学校に戻って、家族や知人、友人などに話して頂ける・・・・そう確信したからです。

たっぷり準備不足だった初回としては、大成功であったと誇りに思いました。
反省点も多々あります。でも、元気が出てきました。次も、どこかで開催したいと思えるようになりました。そんな希望につなぎながら、8日間を無事に終了することが出来ました。


会場を無料提供してくださった藤代町の露木友和さんに、まず大感謝を申し上げます。私たちの写真展に関心を示してくださった静岡朝日テレビ、コンテンツ局報道部の浜田雅人さん、同じく報道部カメラマンの廣田 亮さん、毎日新聞沼津支局の浜中慎哉さん、ありがとうございました。


そして、なによりもお忙しい中を会場に運んでくださった市民の皆様に、こころより感謝を申しあげて、第1回写真展の報告とさせて頂きます。
(文責:愛のベトナムさわやか支援隊 事務局長 宮尾 和宏)

毎日新聞 静岡東部版(27面)掲載記事 転載(原文のまま)

☆三島市・枯れ葉剤被害者の写真展 ベトナム戦争時の枯れ葉剤散布で、身体障害を負って生まれた子の写真などの展示が、藤代町の露木酒店で開かれている=写真。入場無料。28日まで。募金活動をする市民団体「ベトナム枯葉剤被害者支援の会」(大釜一男代表)が主催。会場では3人分の手足を持って生まれた赤ちゃんや、顔が膨らむ病気に苦しむ子などの写真約70点が展示されている。
 同会によると、ベトナムでは今でも、当時直接被害を受けた人に加え、その子、孫、ひ孫の世代まで300万人以上が被害に苦しんでいる。大釜代表は、「こんな悲惨な現状があることを知ってほしい」と話した。問い合わせは同会(055・971・0881)。

2007-02-14

第1回『ベトナム枯れ葉剤被害者の写真展』(1)

私たち愛のベトナムさわやか支援隊は『第1回ベトナム枯れ葉剤被害者の写真展』を開催しました。

開催:2007年1月21日(日)-28日(日)
この写真展を通して、枯れ葉剤被害の実態を広く皆さんに知って頂き、私たちが行ってきた支援の輪を広げ、アジアの平和、世界の平和に貢献することが狙いでした。

新生なった「愛のベトナムさわやか支援隊は」(正式名:ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会)の第1回写真展の開催が決まったのは、2007年の新年早々、まだ松がとれたかとれない頃でした。静岡朝日テレビさんの突然の取材を受けて、これまで考えていた写真展を急遽、開催することを決めたのでした。

われわれ小規模グループの支援隊には、事務所の借用とか写真展を開催するための場所を使用する経済的な余裕はありません。

ところが、昨年暮れに、それまで事務所だった空きスペースを無料でいいから使ってくださいと提供してくださった奇特な方が現れました。

私たちは、そのスペースの利用について、利用法を検討していた矢先に、静岡朝日テレビさんの訪問を受けたのです。


どんな写真展にして、どんな写真を展示するか? 一般入場者にアピールするとは、そういうことなのか? などをきっちり詰める間もなく、写真展実施だけが決まってしまいました。

幸い、静岡朝日テレビの方が、写真展を開催するなら再取材するとのことでしたので、会員全員で、「再取材を受け、マスコミを通して、地域の方々に私たちの活動の一端を知って頂き、枯れ葉剤被害に苦しんでいる人々の実態を分かって頂く好機にしよう」と決意しました。

戸惑いもありました。

写真だけの展示でいいのか? それではあまりにも殺風景ではないか? 全国から送られた支援物資を販売するガレージセールも合わせて行ってみようか?

世界第二の生産量を誇るベトナム・コーヒーを味わっても頂くのはどうか? などいろいろな案を合わせた形で実施することでようやく具体化しました。
Posted by Picasa
宣伝用のビラの作成についても、決まったのがなんと写真展開催の丁度1週間前でした。製作は、原案作成から仕上がりまで、たったの1日。配布の方法も、決まっていませんでした。

なにせ素人集団ですから、手探りの出発でした。

私たち会員の個々の人脈を通して、口コミで宣伝につとめ、夜の家庭訪問など突撃的、手当たり次第の宣伝を敢行しました。日頃、おつきあいを頂いている沼津と三島の倫理法人会にもご協力を依頼し、 早朝 セミナーの開始時にご出席の方を通して配布させて頂いたり、声かけをお願いしました。

それに加えて、会場周辺の250世帯に郵便受けにビラを配りました。まさに、ベトナムでアメリカが行った絨毯爆撃のような紙つぶて作戦を展開しました。

これでも、十分なPRが全く出来ていない。これでは、全くの準備不足で、お客さんは来てくれない! 困った。そんな不安だらけのスタートでした。

こういう状況のもとで、上の写真にありますように、21日予定通り、開催にこぎつけ、お客様をお迎えすることができました。(つづく)