2007-04-30

元女性兵士の悲話 その1

「結婚は諦めました・・・」
ホアン・ティ・イーさん(ヴィンフック省)

1952年10月15日に生まれて、20年後の1972年7月に青年ボランティア隊として入隊し、ラオスのシンホアに派遣された。除隊は、除隊は3年後の1975年7月29日だった。それは、終戦から3ヶ月後のことだった。

ハノイを出て、ヴィン・フック省まで車でたどってみた。

「私たちの任務は、攻撃を受けた道路の補修工事でした。この時一緒に行ったのは120人。それで生き残りは100人でした。若い時青少年の活動を担当していたこともあって、国に貢献したかったので志願しました。地元のヴィン・イエン郡 からは2人参加しました。生きて帰れるなんて思ってもいませんでした。そういう覚悟でした」

話はよどみなく進む。

「ラオスでは、ジャングルの中に竹の家を作って、そこに寝泊まりしました。竹で作った家は、ほんとうに汚かったです。毎日朝6時頃起床します。いつも朝霧が残っていて遠くがみえません。共産党思想について勉強しなくてはなりませんでしたので、ジャングルでは自由な時間は過ごせませんでした。」

「ラオスでは、ジャングルの中に竹の家を作って、そこに寝泊まりしました。竹で作った家は、ほんとうに汚かったです。毎日朝6時頃起床します。いつも朝霧が残っていて遠くがみえません。共産党思想について勉強しなくてはなりませんでしたので、ジャングルでは自由な時間は過ごせませんでした」

「アメリカが爆撃した後、道路を調べてすぐ修理に入ります。雨が日中降る時は、蛭(ひる)がいっぱいいて大変でした。洗濯物も乾かないので困りました。修理がない時は、ジャングルの中で、山を破壊して砂利を取り、新しい道路を作りました。1973年の時は、1975年のホーチミン作戦という(南への)最終攻撃に備えて道路を作る必要があったのですが、実はそれすらも何のために道路を作るのかわかっていませんでした。北ベトナムが勝つという自信のようなものはありました」

「それにしても、物資がなくて困りました。野菜や食べ物がいつも底をついていました。食事を作る時薪が必要ですが、ジャングルの中はすべて薪状態でしたから、とっても楽でした。薪だけは豊富でした・・・。食べていたのは、トバイという野菜と竹の子ですが、竹の子もあまりありませんでした。それとごはんです。缶詰肉や魚はほんの時々しか出ませんでした。食べ物はなく、薪は有り余っていました。痩せました」

「マラリアにもかかりました。悪寒がするのでふとんをかけて寝るのですが、それでも足りなくて友達のを借りて2枚かけて寝たこともあります。若いから、何かが起きても何の知識ももっていませんでした」

イーさんは、飛行機からの枯れ葉剤の散布は見たことがなかった。
「空にいつも霧がかかっていましたから、撒かれたのをみたことはありません」

「14人の女性が1グル-プになって、年齢的には18歳から20歳までの女性でした。ジャングルの中にいて、私たちは戦争が終わったのも知りませんでした。ほんとですよ。ですから、1975年4月30日のサイゴン陥落、ベトナム解放も知りませんでした。変だなとは思っていたのですが・・・」

イ-は恥ずかしそうに笑った。

1975年7月、待ちに待った除隊。

「うれしかったです。故郷に帰られて、両親に会えて、こんなにうれしいことはありませんでした。長い間家族と離れ離れになっていたので、2度と家族と離れたくはありませんでした。出来るだけ早く戦争に勝利し、故郷に帰りたい・・それだけが念願でした」


イ-は、50歳になった今も未婚だ。
なぜ?

「今国から8万8千ドンを受給しています。枯れ葉剤患者に認定されています。病気が出ています。すべて戦争の影響です。頭痛、目まいの他、甲状腺肥大腫がありますし、胃の病気ももっています。そのうえ、背骨の劣化、リュ-マチと、頭の先から足の先まで病気だらけなんです・・・・戦争に行かなければ結婚できたかもしれませんね・・・・元気なって働きたいという夢はもっています。」と言う彼女の表情は寂しそうだった。

こんな体では、結婚できないというのだ。159センチ、54キロのすらっとした女性だ。相手の男性に迷惑がかかる・・これが、ベトナム女性のいつわらざる心情だ。

「今は平和です。昔とくらべると、ずっといい生活をしています。着るものもありますし、ちゃんとした家にも住て、防空壕に入らなくてもすむし・・・銃も持たないですみますからね」

父親は1992年に他界した。

母親のグエン・ティ・ソーさんは、今年77歳になった。耳がすっかり遠くなった。

でも、イ-が「76歳です」と私に紹介してくれた時には、「違う、77歳だよ」と訂正が入った。しっかりした母親だった。

「娘が帰ってきた時は、それはうれしかったですよ。喜びましたよ」
老いた母と娘と犬に2匹の生活が続いている。
 
ヴィン・フック省の自宅の壁には、抗米戦争での功労に対して、軍の功績証が額に入れられて飾ってあった。そんなものが、結婚を諦めた女性に、何の役に立つというのか? 女性の夢を断ちきったアメリカとの戦争。あまりにも大きな代価ではないだろうか?

(2002年8月27日、Vinh Phuc省の自宅で取材) Posted by Picasa

2007-04-17

アイザックソンさんの記事から

ベトナムの枯れ葉剤被害者協会、ニャン副会長から、最近ベトナムを訪問したアイザックソンさんの記事が送られてきた。

書き出しが面白いので、書き出しだけご紹介しておこう。

「後始末をしなさい。私たちが若い時に学んだルールである。いま、アメリカがベトナムから撤退して30年以上が経過した。このルールを実行する時が来たのだ。

ベトナムでは、他の多くの所と違って、最近、国民も指導者も一般的にアメリカに対して友好的である。ベトナムは、WTOに加盟した。アメリカは、最大の輸出市場であり、外国投資源でもある。インテルは、ホーチミン市近郊で年間10億ドルのチップ生産工場を建設中だ。」

以上が、アイザックソンさんの記事(3月1日に上梓)の冒頭である。
その通りである。戦争の後始末をするべきである。
30年以上経ったからではなく、汚したものはきれいにすべきだ。
ましてや、人の命をたわめる物質が残っているなら、世界の先進国として当然考えるべきである。そして、その物質が、次の世代、その次の世代に影響を及ぼしているなら、一層不可欠の後始末である。

今朝(5月16日)起きたバージニア工科大学の史上最悪の銃乱射事件をみても、戦争を起こしてきたアメリカが、社会のどこかに病人を生んできたこととむえんではないだろう。人の命を、銃で消し去ることは、最悪のダイオキシンを撒いたまま救いの手を伸ばさないのと変わりはないのである。ダイオキシンが、銃に代わっただけだ。

アイザックソン氏は、記事の中程で、こう書いている。
「実用的で思慮分別のある解決は可能である。アメリカは、即時、汚染地域の封鎖と洗浄に援助すべきだ。結局、われわれは、めちゃめちゃにしたのだ。帰任するマイケル・マリン大使(註:駐ハノイ米大使)が、このプロセスを始めるために、ほんの少しワシントンから援助を勝ち取ることが出来た。それは、フォード財団が財政的に追加したものだが」

焦眉の急は、汚染された土壌の洗浄と、被害者救済の援助だ。枯れ葉剤との因果関係の追求は、これが伴っていなければ意味がない。

出来れば、次の記事で、アイザックソン氏も触れているクリストファー・ヒッチェンス氏の記事の翻訳を載せてみたい。(記事:北村 元 在シドニー)

英文記事をお読みになりたい方は、下記にアクセスを。
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1595236,00.html

2007-04-13

ベトナムツアー2007 大募集中

枯れ葉剤被害者と友好を深めるツアー

この道17年 枯れ葉剤ツアーを今年も募集しています。

▼このツアーは、観光ツアーではありません。
▽物見遊山ではありません。
★戦争を憎み、平和を考える旅です。
☆戦争被害者の苦しみをともに分かち合う旅です。

◎予定は急に先方の都合などで変更することがあります。

ツアーの費用は、18万9000円です。
【この中に含まれるもの】
航空運賃、ホテル代、現地でのバス代、食事(現地についてからの朝食を除く14食分)、通訳料、 外務省コーディネーション費、観光費用、患者への謝礼。


【含まれないもの】

自宅から成田までの交通費、成田から自宅までの交通費、現地滞在中の電話代、洗濯代、 旅行障害保険など。

旅行の日程
8月19日 成田→ハノイ ハノイ泊

8月20日 友好村 平和村 音楽療法訪問
下の子は、友好村の子どもです。胸をご覧下さい。骨格異常で、陥没しています。先天性です

8月21日 海の桂林 ハロン湾観光 一日 タイビン省タイビン市泊

8月22日 タイビン省 
枯れ葉剤被害者在宅訪問1日目 タイビン市泊


8月23日 タイビン省枯れ葉剤被害者在宅訪問 2日目
タイビン泊


8月24日 タイビン→タインホア省孤児院→ニンビン泊

今年から、タインホア省孤児院は、老人も受け入れることになりました。4番目の写真は、タインホア省孤児院で、昨年、カレーライスを作って振る舞ったところです。今年も、また、私たちはカレーライスを作ります。



8月25日 ニンビン省559部隊元女性兵士と交流 ニャンちゃん支援→ハノイ泊

8月26日 バッチャン陶器村見学 午後:枯れ葉剤被害者協会訪問 フィフィ先生宅訪問 又はホテルで会談

8月27日 買い物:夕方まで自由行動 夕方ホテル発 空港へ

8月28日 早朝成田着

左の写真は、友好村で行っている音楽療法です。


申し込み先:
愛のベトナム支援隊事務局1
大釜 一男:0559-71-0881
愛のベトナム支援隊事務局2
宮尾 和宏:0559-76-8822
ふるってのご応募をお待ちしています。