2008-12-28

バクザン省からカードが

2008年のブログを閉じたら、ヴェトナム・バクザン省の障害子ども村の新井智子隊員から、連絡を頂きました。

こう書いてありました。

「昨年に引き続きの企画で
子ども達全員がそれぞれの力を出し合っての作業活動でした。

ぜひとも支援隊の皆様にお送りしたかったのですが
バタバタしていて郵便局に行くことができず
やっと行けたと思ったら
親切な(?)局員さんに「...高いし間に合わないからやめておきなさい」と。
本当に残念でなりません。
ということで、
クリスマスは過ぎてしまいましたが、
少しでも子ども達が楽しく作った雰囲気が皆様にお伝えできればと思い
写真をお送りします」と。


嬉しいです。写真で頂いても。子ども達が制作に時間がかかったのでしょう。でも、子ども達の気持ちは、十分に伝わってきます。
「有難う。綺麗なカードに仕上がりました。みんなでよく頑張ったんですね」と伝えてください。

この気持ちを、今年ベトナム支援隊ツアーに参加された方と、今年支援をして下さった方にブログ上で御報告させてもらいます。
ポップアップ式のカード。立派ですね。
頑張ったのはリエンちゃんだけではないでしょうが、不自由な体で作ってくれたリエンちゃんの星は、特別綺麗ですよ。 リエンちゃんの、そしてみんなの真心を、満天下に知らせてあげたいです・・大きな努力賞  です。

バクザン省障害子ども村の皆さん どうもありがとう。一生懸命 オリガミで折ってくれたんですね。
楽しかった? 大変だった? 
ヴェトナムのTetまでにはちょっと時間がありますが、2009年を幸せの年にしてください。
応援します。
また、会いましょうね。ガップ・ライ・ニャー!!!!

そして、お手紙の最後に新井さんは、こう書いてくれてあります。

「クリスマスイブ、歌もツリーもケーキもありませんでしたが、わたしがサンタクロースをやりました!
日本のある施設の利用者の皆様からのカードとお菓子、そして
子ども達が作ったカードの売上金の一部で購入したプレゼントを贈呈しました。

サンタクロースの衣装が無かったので。赤いニット帽をかぶった新井サンタでしたが、
大人は苦笑、子ども達は大興奮でした。
予想以上に大騒ぎになってしまったので、急遽3部構成に。

~1部(イブ夕方)~子ども達全員に、日本のお友だちからのカードとお菓子を贈呈。

~2部(イブ夜)~チビたちが寝静まってから、大きな子たちにプレゼント贈呈。
一人ひとりに「ありがとう!」と手渡し。
子ども達の「ああ!」と驚き、喜んだ顔は忘れられません。

~3部(クリスマス朝)~残りのチビたちにプレゼント贈呈。再び大騒ぎ

正直、サンタクロースは大変でしたが、翌日もプレゼントやカードを握り締めている子ども達の様子にとっても癒されました。

ここに来て1年8ヶ月、子ども達は日々成長をし、パワーアップしています。
うまく表現できませんが、 「自信」とか「意欲」とか、そういったものが身について
キラキラしています。

これも皆様からいただいた素敵な経験が
彼らの中に宝物のように輝いているからなのだと思います。
本当にありがとうございました。

年内も余日少なくなり、ご多忙とは存じますが
どうぞご自愛の上、良いお年をお迎えください。

  新井智子」

新井さん!有難うございました。
支援隊一同 感激しております。

どうか、良いお年をお迎えください。

ベトナムのあちこちで、喝采のない使命の舞台上で、生命を守り、生命を開花させる、新井さんのような方々に賞賛を贈りたいと思うのですが、皆様はいかがお考えですか?(北村 記) Posted by Picasa

2008-12-27

2008年最後のお話・・・

旅行に出たりしていまして、長らくブログから遠ざかっていました。
皆様 本年も相変わりませず、大変にお世話になりましたことに対して、暑く御礼を申し上げます。
                                              
12月の三島市での写真展も、大成功に終わったと、報告をもらいました。
これもひとえにご支援下さっている皆様のおかげです。特に、地元の中学生の皆さんが来場してくださったことで、役員一同大変に喜んでおります。

今年のブログの終わりは何にしようかと考えましたが、戦争は語り継ぐもの・・・との気持ちから、ベトナムの新聞から、翻訳した話で今年の最後をしめることにしました。
ここにご紹介するのは、16人の子どもを作ったある男性の話です。トゥオイ・チェ紙の記事の訳です。拙訳ですが、お読み下さい。

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ある日の夕方、砂地の丘の麓で、男が小さな墓碑の前で線香を燃やし、いくつもの墓石をなでて回った。

彼は一つの墓石を指さし、これが私の最初の子どものです・・と言った。線香が燃え尽きると、男は頭を墓石にすりつけ、泣き始めた。
男は、ドー・ドゥック・ジウという。彼は、涙に苦しめられてきた。「9人目の子どもを埋葬した後何年にも渡って泣き続けたので、涙が涸れてしまった」と言った。

失ったもの

ジウは、クアンニン省ヴォー・ニン社に住んでいる。彼は、1972年に北ベトナム人民軍に入隊した。戦争中、彼はトゥア・ティエン・フエ省アー・ルオイ郡のモー・タウ地区でエージェント・オレンジの撒布を受けた。

あの時人々は、敵の飛行機が白い粉末を撒いていたのをみた。そして数日後、広大な森が枯れてしまった。「でも、それがエージェント・オレンジだというのは誰も知らなかった」と、ドー・ドゥック・ジウは力説する。
その数年後、國が解放されると、ジウは故郷に帰った。村の女性ファム・ティ・ヌックさんと結婚した。

結婚後、軍隊に再入隊した。そして、最初の子どもの誕生を待った。二人は、すでに最初の子の名前を“ドー・ドゥック・ホア”と決めていた。

誕生してわずか二日後、待望の息子は死んでしまった。二人とも大きな衝撃が心に残った。息子が死ぬ前に、息子の頭は膨れあがった。肌は黄色になり、肌からは濃い液体が滲み出てきたのだった。

ジウとヌックは、これは何かの事故だと思った。そして、次の子どもの誕生を期待した。1981年の初め、2番目の子どもを授かって、二人は幸福感に包まれた。女の子だった。健康そうで、長女にドー・ティ・ビンと名付けた。

その1年後、二人には3人目の子どもが出来た。その子は、引きつけを繰り返して死んでいった。

長女は順調に成長し健康な子だったので、夫婦はもっと子どもをもてると信じた。

ところが、次から10人目までの子どもは、誕生直後に亡くなっていった。そのほとんどは、名前を付ける間もなく旅立っていった。二人は、子ども達の名前を思い出せなかったので、ノートに命日を付けていった。命日には間違いなく冥福を祈れるようにと、墓に番号も振った。

夫婦の自宅の裏にある20平米の土地は、自分の子どもたちが眠るの一家の集団墓地になってしまった。

「ほとんど毎月のように、子どもの祥月命日がやってくるので、ベトナムの習慣にのっとってお参りをしなくてはなりません」と、ジウは苦笑した。

ジウ夫妻は、この辛いことを村人から隠そうとつとめてきた。しかし、ジウの親戚は、妻が悪いんだ・・と思っていた。

ジウは妻のことが好きだったが、息子ほしさに家を出て、他の女性のもとにいった。2年間の別居後、彼は戻ってきて、妻に白状した。「他の女性と子どもを作ったが、やはり死んでいったよ。この問題は自分のせいだ、お前じゃない」

ヌックは夫を好きだったがゆえに、また迎え入れた。

ジウはハノイに行って、検査を受けた。医者から言われたことは、“あなたはエージェント・オレンジの影響を受けている”だった。
生きている子どもたち

この診断の後、ジウ夫妻は、長女のドー・ティ・ビンさんが生きていることが奇跡だと思うようになった。それでも、夫妻は、健康な子どもがもっと欲しいと願った。

幸運はやってきた。14人目の子どもを授かったのだ。健康な子どもだった。ド・ティ・ハンと命名した。

その1年後、妻ヌックさんは15人目の子どもを出産した。女の子だった。ドー・ティ・ガーちゃんだった。この子が、夫妻の“最後の奇跡の子”になった。

生存している子どものうち、長女ビンさんは比較的問題が少ない。彼女は結婚した。しかし、時々、痙攣を引き起こす。

残りの2人については、7~8歳の頃から、引きつけを起こし始めた。

「天気が悪くなるとよだれを垂らし始め、体はひきつけ、ねじれてしまうのです。まるで動物のようにみえます」

と、ジウさんは言うと、涙があふれて頬から胸に伝わり落ちた。トゥオイ・チェ紙12月4日づけ)(文責:北村 元)
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こういうご夫妻の人生をどのように思われますか? この不幸が、ひと組のご夫婦のとどまらrないことに、憤怒と呵責と同情と寂寥の念がこみ上げてきます。この拙訳をもって、本年は筆を休ませていただきます。
私たちは、こういう方々と連帯していきます。「朝の来ない夜はない」と信じて・・・。「民衆ために一身を捧げよう。自分と人の世のために尽くすという仕事とのあいだにはー例えどんなことであれ割り込んでくる余地はない」とは、ロッシィの叫びです。
「民衆の苦しみをわが苦しみとすることによって、われわれは『人間共和』の市民、召使として献身することを誓う」とも、述べています。
                              
今年も残りわずか。2009年の皆様のご健勝とご多幸を、遙か地球の底・オーストラリアからお祈り申し上げます。
そして、2009年も、少しでも結構です、皆さまの暖かいお気持ちを、苦しむ被害者に分けていただければ、最高です。
                          
来年も宜しくお願い致します。北村 元Posted by Picasa