昨年の10月、愛のさわやかベトナム支援隊がベトナムを訪問して、皆様の浄財で購入した車いすですが、フート省で枯れ葉剤被害者・障害者の方々にお贈りした残り3台分の車いすの配布先が分かりました。日本ですと、通信事情がよくて、すぐ伝わってくるのですが、ベトナムでも首都のハノイからわずか70キロのフー・ト省でも、通信連絡は大変です。
そのうえ、こういう被害者の方々の面倒を観てくださっている方々に交通手段がありません。時間をみつけては、仲間のところにバスでいく、あるいはバイクでいく。訪問先に電話がありませんから、事前になかなか連絡をつけにくい。そういう事情を、ご賢察頂きたいと思います。人のために走る方々のご苦労は大変です。いつも、私は頭がさがるのです。
フート省の車いす残り3台の配布先のご報告。フー・ト省女性兵士連絡幹事長のトーさんからです。
1台目。贈呈日2006年3月8日。ゴ・ティ・フオン・トゥイ(Ngo Thi Phuong Thuy)さん(女性21歳=1985年生まれ)に。Thuyさんのお父さんは、中南部戦場で戦闘中に、枯葉剤を浴び、生まれた娘のThuyさんはその影響を受け、足が変形して歩けない状態です。Thuyさんのお母さんは、元チュオンソン女性兵士ではなく、普通の町工場で働いている女性従業員です。Thuyさんは今、ご両親と一緒にヴィエ・チ市(住所:Khu3、thon Huong Tram, phuong Dieu Lau, thanh pho Viet Tri)の実家に住んでいます。
2台目は、チュオンソン元女性兵士のご主人で、両足を失った傷病兵のThangさんです。フー・ト省のトーさんが、チュオンソン山脈元女性兵士についてのテレビ特別番組に出演するため、ベトナムテレビ局の撮影の時に、画面の中で贈呈してくれました。3月19日のことでした。Thangさんの住所・詳しい病状については後日報告させていただきます。
3台目。 3台目は、枯葉剤の被害者であるチュオンソン元女性兵士のキエムさんという方にお渡しする予定でした。この方は、ヴィエ・チ市から50キロも離れたフー・ト省のはずれのトゥエン・クアン省との州境に近い所に住んでいて、なかなか連絡がとりにくい方です。
車いす贈呈のお話を白紙に戻さざるを得なくなりそうです。と、申しますのは、車いす贈呈でご家族に連絡を取って頂きましたら、その方は「もう余命いくばくもないため、車いすを頂いても無駄になってしまいます。他の必要としている方にお渡しして下さい」という痛哭のお話を頂いたからです。
フー・ト省旧女性兵士連絡会のトー幹事は、正確な病状、病名を把握していません。脳に関係する病気ではないか、とトーさんは記憶しています。トーさんが4年前に、自宅まで見舞いに行かれたようです。その時すでに、その方はもう移動が困難でになっていたそうです。先週その方のご家族と話したところでは、キエムさんは容態も重く(しかし、どのくらい重いかは不明です・・とトーさん)、闘病の体力も無くなり、いつ向こうの世界に行ってもおかしくないと判断していているそうです。
トーさんの話では、以前、「枯葉剤の被害者に認定してもらうために検査を受けさせてくる、とご家族から聞いていましたが、その結果はどうだったかはわかりません。もし認定されれば、毎月枯葉剤被害者の手当てをもらうことができますが。キエムさんの他の家族にも長い間患っている難病の人がいて、その人を養わなくてはならず大変らしい、と聞いています」とのことです。
患者さんご家族のあまりにも素直なお気持ちだけに、一層胸が痛みます。正直なベトナム人のお気持ちを痛いほど感じます。少しでもご長命であられますように、私ども愛のベトナムさわやか支援隊は祈っています。次回訪問時に、お目にかかれるといいなと思います。
因みに、ヴィエ・チ市のもとは、1954年にフランス軍を破って、北ベトナムに最初に作られた工業都市です。1962年にベトナム政府は、ヴィエ・チ市を創立したのです。
来週その方の妹さんの所に電話して詳しく聞いてからまたご報告します。なお、この件では、ハノイのマイ(日本に長く留学していた)さんに、大変お世話になっています。感謝します。
以上、フー・ト省関係の3台の贈呈に関するご報告でした。(文責:北村 元 アップデイト2006・3・13)