2011-02-22

故桜田百合子先生(1)

私たちの蓮の花奨学金には、何人かの方が熱い情熱を注いでくださっています。ありがたいことです。

そのうちのお一人の方のご遺志で出来た『桜田基金』から、私たちは浄財を頂戴しています。

その方は、桜田百合子先生(写真下)という故人の方です。すでに、ベトナムでの奨学金授与式では、不十分ながらも、私は桜田先生の来し方の一端を一昨年から少し紹介させていただいていました。桜田先生のことをもっと知りたいと思っていましたところ、昨年11月に、愛のベトナムさわやかい支援隊に少なからず応援をしてくださっている北村修治さん(在静岡市)から、資料を頂戴しましたので、本ブログでご紹介しようと思います。
SAKURADA新聞から
 
本ブログでは書ききれないほどたくさんの量を頂きました。

今、私の手元には、そのうちの資料のひとつ、『SAKURADA新聞』があります。桜田先生の教え子の発意で制作されたことがよくわかります。

その新聞の「あとがき」で、教え子の編集者がこう書いています。

▼先生は、おっとりした立ち振る舞い、大きな声も出さず、扇動するような講義せず、笑う時は口に右手を当てて「ほっほっほっ」と・・・。私たちは、育ちの良いお嬢さん先生なのだなぁ~と勝手に解釈していたのです。


▼(中略)先生は名誉教授で退職した後、しばらくの間、講義などから解放されて、海外旅行など、活発に動いていたようですが、その後は一転して文章を書き始めました。

▼その文章を読み進めていくと、私の「桜田さん」イメージは、大きく崩れました。戦争に翻弄されたご両親。学生運動で挫折した高校時代。地元企業に就職、働く仲間との交友。東京での学問スタートは夜学から・・・・。


▼先生の、学生や知人に対するやさしい笑顔や心配りなどは、私たちが経験したこともない辛く苦しい生活と、それを乗り越えるための厳しい自己規制によって形成されてきたものだったのだということが文面から伝わってきました。

私は、厳しい状況の中で勉強されて教授にまでなられた方の貴重な遺産を受けているベトナムの子らに、もっと知らせてあげるべきだと強く思い始めました。教師と教え子という構図では成り立たないように、支援する側と受ける側という二面的な図式ではない・・つまり双方が一体になれるように、苦境の中で切り開いてきた学問の道を、ベトナムの学生・生徒と共有すべきだ・・と。桜田先生の道も、お互いが人間同士であるという大きな前提に立たれていたはずです。必死の思いで、教え子の可能性をひたすら信じていたと思います。

1回や2回で終わらないと思います。奨学金を受け取るベトナムの奨学生が、桜田先生の精神を学び、桜田先生と一体になって、ベトナムの地で、あるいは海外の地でしっかりと立ち上がってくれれば、桜田先生にも喜んでいただけると思うのです。(つづく)
 
北村 元 愛のベトナムさわやか支援隊 since1990
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