2010-09-28

支援の旅(31)奨学生との懇談会

8月17日:奨学金贈呈後の懇談会
この懇談会で、話したことを箇条書きにします。

奨学金を大事に使ってください。これは、日本政府のお金ではありません。日本企業のお金でもありません。日本の名もない庶民が、皆さんのために下さったお金です。
私たちは、クアンガイの若い皆さんに、日本の庶民の皆さんが託してくれたお金を使っていただくことに無上の喜びを感じます。
アメリカの民衆詩人ホイットマンは謳いました。
 「世の中のすべては、庶民から生まれる。平凡な庶民から生まれるのだ」と。
奨学証書の裏に訳されているベトナム語は、静岡在住のブイ・チョン・ホン・クエさんが、奉仕の精神で訳してくれました。
奨学金の封筒の中に、折り紙が入っています。紙を折って鉛筆を作って下さった方は、東京の80歳になる平田由美子さんという元気なおばさんです。
皆さんの証書には、お渡した日を8月10日と書いてあります。それは・・・1961年8月10日、コン・トゥム省のダク・トで試験的に撒いた日です(そのことは全奨学生が知っていました)。来年で枯れ葉剤を撒いてから50年になります。ベトナム国民のみならず、アメリカ、オーストラリア、NZ、カナダ、タイの旧兵士たちが苦しみ始めた淵源の日です。

「最も欠かすことのできない国家の歴史的資産」とは、一体何か。 それは「人材」です。皆さんが重要な人材に育つことです。

教育の目的は何か。その一つは、一人一人が自己の可能性を発揮し、幸福な人生を築くための「人間力」を培うことにあります。知識や学力は当然、大切です。しかし、それだけでは社会の荒波は越えられません。

苦難に直面した時、「だけど、私は負けない!」と立ち返る原点があるかどうか。 「困難がないことが幸福なのではない。困難に打ち勝つ中に幸福があるのだ」と。

写真を8枚配りました。①宇宙から見た地球の美しい写真。②富士山の写真3枚 ③今年初めて東京の4年制大学の入学者を出した北海道天売島の写真 ④ベトナムの蓮の花の写真 ⑤ピラミッドの写真 ⑥16歳で世界1周無寄港単独航海を果たしたオーストラアのジェシカ・ワトソンさんの写真
全てについて説明しました。(地球の写真は、ベトナムと日本とオーストラリアに雲がかかっていなくて、分かりやすい写真だっと思います。)

約束をしてください。封筒2通差し上げます。切手が貼ってあります。年に2回必ず手紙を下さい。これが皆さんの唯一の義務です。(奨学生全員で合議の末、2月と6月ということになりました)

宮尾会長からは、封筒にも差出人の名前を書いてほしい旨、お願いをしました。
ここで、奨学生に一つ質問しました。「尊敬している人はだれですか?」と。以下は、その答えです。

チ君:尊敬しているのは、私の兄です。家族がとても貧しい時に、兄は猛勉強して大学受験して合格しました。兄が大学に受かってからは、家は仕送りができませんでした。毎日の食事は、ご飯と野菜とヌックマム(魚醤油)だけでした。他のおかずは全然ありませんでした。だから仕送り等とても出来ませんでした。兄はアルバイトして、シクロの運転手とレストランで皿洗いをし、自分で生活費と学費を稼ぎ出しました。大学を卒業して、結婚して、今は幸せに生活しています。だから、兄を尊敬しています。

 ニュンさん:私が尊敬する人は母です。大変苦しい生活をしてきましたが、毎日一所懸命奮闘して、家族を支えてくれています。2人兄弟ですが、生活が大変にもかかわらず,高校に行かせてもらっています。母は体も弱いんですが、毎日ほんとうに頑張ってくれています。

ニャット君:私が尊敬する人は父です。父は障害を持っています。それにもめげず家族を支えて頑張っています。

アイン・ガンさん:私の尊敬する人は父です。父は戦争で障害者になりました。それでも、頑張って家族を支えてくれています。

トー・クエンさん:私は母を尊敬しています。小さい時から私の父はいなくて、私が小さい時からは、母は私の兄弟も一所懸命育ててくれました。

キエウ・ホアインさん:私はホーチミンさんを尊敬します。ホーおじさんは、いい生活をおくれたのに、自分の生活を犠牲にし、命をかけて人々のために働きました。

キエット君:私は父と母を尊敬しています。私が生まれてから、ずっと家がなくて、母の実家によせてもらっていたそうです。私は2人兄弟で二人共障害をもっているんですが、両親は一所懸命働いて、私たちに学校に行かせています。

キム・チュンさん:私も父と母を尊敬しています。戦争で被害を受けて、父も母も障害者になりました。そして、枯れ葉剤の被害を私たち兄弟も受けています。そういう中で、私たちこどものために、ほんとうによく面倒をみてくれています。
 ズン君:私は、母を尊敬しています。私が3歳の時に父は亡くなりました。母は、一所懸命育ててくれました。
「皆さんの一言一言で、ご家庭の様子が分かってきて、より皆さんに近づけたと思います。来年もお会いできると思いますが、来年はこのメンバーで1曲歌を歌ってくれますか?共通に歌える歌あるでしょう?」と私が言いましたら、キエット君がいきなり音頭をとって全員で歌を歌ってくれました。その時の写真がこれです。宴会だと思わないでくださいね。曲名をメモするのを忘れてどうしても思い出せません。戦争が終わって、皆家族が再会出来て嬉しかったという歌です。

質問がありませんかと聞きましたら、ここで、奨学金受領者の一人グエン・タイン・チ君から、次のような話しがありました。

「皆さんと、本日お会いできてとても嬉しかったです。でも、昨年お会いした方で、今年来られなかった方がいらっしゃいます。お元気でしょうか?いつか、お会いしたいです。ぜひ、よろしくお伝え下さい。」と。
「感動しました。皆さん、ありがとうございました。今年来られなかった方も元気です。日本にもどりましたら、チ君のお気持ちを伝えます」と、私はお礼を言いました。

続いて、通訳のザンさんのすばらしい通訳に拍手をと、全出席者にいいましたら、力強い拍手を頂きました。
懇談会の最後に、闘病中、病院から駆けつけて下さったホー・クイ・カイ会長に、日本人全員で色紙にサインし、病気克服と早期のご回復を祈って、直接お渡ししました。
そして・・・海苔巻き講習会に移りました。(つづく)Posted by Picasa

2010-09-25

支援の旅(30)クアンガイ奨学金6

8月17日:クアンガイ省の枯れ葉剤被害者協会会長のホー・クイ・カイ会長は、闘病中ですが、病院から駆けつけて下さいました。
クアンガイの枯れ葉剤被害者協会から一人の女性に奨学金を贈りました。その女性は、ファム・ティ・ニュンさんです。昨年、私たちの奨学金を受けた方です。

ベトナムでは8月15日が、全国の大学の合格者発表の日だそうです。私たちもぎりぎりの作業が続きました。ニュンさんは私たちの贈呈リストに入っていましたが、惜しくも大学には合格せず、専門学校に入ったそうです。規定により、私たちの奨学金の贈呈対象にはなりませんでした。そこで、枯れ葉剤被害者協会からの贈呈となりました。

「ささやかなお金ですが、これからもぜひ努力をしてほしいと思います」と、カイ会長は、ニュンさんにやさしく呼びかけました。
ニュンさん、これにめげること無く、勉学に励んでいただきたいと思います。むしろ、この残念な思いを忘れずに、乗り越えていく勉強をして欲しいと願っています。将来を期待しています。(つづく)

支援の旅(29)クアンガイ奨学金5

7人目。ヴォー・ティエン・ズン君です。

ズン君にお詫びをしなければいけないと思っていたところですが、佐々木あかねさんが写真を提供してくださいました。また、ブログにアップした翌日でしたが、名古医師も送って下さいました。名古先生には申し訳なかったですが、必ずズン君に手渡しますと約束しました。
佐々木あかねさん提供

以上3枚佐々木あかねさんのご提供です。名古先生撮影の写真も、下の写真に近いですが、写っている人が、全員笑顔でした。いやいやいや、ズン君の悲しい顔を見ずに、ちゃんとした写真を贈れるのは嬉しいです。佐々木さん、名古先生 大感謝です。

蓮の花奨学金証書

Võ Tiến Dũng君


愛のベトナムさわやか支援隊(あいあい眼科クリニッ

ク)は、クアンガイ省VAVAホー・クイ・カイ会長のご

推薦により、真心をこめてヅン君に、1年分の奨学金

150万VNDを贈呈し、学生生活を応援します。

さまざまな悩みがある。思うようにいかないこともある。

不満を抱える場合もあるでしょう。しかし、それで、

めいってしまっては損です。すべては「自分自身で決

まる」ということです。何事も「環境」が決めたり、

   「他人」が決めるのではありません。大事なことは、

    「全部よかった」「本当によかった」と自分で決める

   ことです。自分で「よかった」と決めた分、すべて、

よくなっていくのです。 今日も、明日も・・です。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長   宮尾 和宏

立 会 人   北 村  元  Hajime  Kitamura

*    *    *
8人目、ズイ・アイン・ガンさんです。

かなり緊張してましたよ。
蓮の花奨学金証書

Nguyễn Duy Thị  Ánh Ngânさん

愛のベトナムさわやか支援隊(あいあい眼科クリニッ

ク)は、クアンガイ省VAVAカイ会長のご推薦により、

真心をこめてアイン・ガンさんに、1年分の奨学金

150万VNDを贈呈し、学生生活を応援します。
変わらぬ友情は、いかなる宝よりも尊い。策や利害

ではなく、友情を結び、友情を大切にする人生こそ

光輝く人生です。
自分と違うところをもつ人を尊敬できる心の大きさが

 友情の土台です。大きい心があれば、その分、

 すばらしい友情ができます。小さい心には、小さな、

やせ細った孤独しか育たないでしょう。 今日から、

 大きな心で友情を広げていきましょう。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長   宮尾 和宏

立 会 人   佐々木 あかね  Akane Sasaki

* * *

アイン・ガンさんも最後になってようやく笑顔が出ましたね。アイン・ガンさんは成績優良賞を受けている生徒さんです。

***

以上8名の奨学生に対して、沼津西ロータリークラブ様 と あいあい眼科クリニック様 から頂いたご寄付を使わせて頂きました。ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
愛のベトナムさわやか支援隊会長 宮尾 和宏
(つづく)Posted by Picasa

2010-09-24

支援の旅(28)クアンガイ奨学金4

5人目はチャン・トゥアン・キエット君です。
富田さんからキエット君へ
蓮の花奨学金証書

Trần Tuấn Kiệt君

愛のベトナムさわやか支援隊(沼津西RC)は、クアン

ガイ省VAVAカイ会長のご推薦により、真心をこめ

てキエット君に、1年分の奨学金180万VNDを贈呈

し、学生生活を応援します。

自分のなすべきことに大きな情熱を燃やすことです。

今やるべきことに全力をそそげない人に、未来を語る

資格はありません。足元を着実に固めてこそ、次の

大きな飛躍があります。

営々黙々たる努力は、必ず誰かが見ているものです。

何よりも自分にとって揺るぎない自信となります。努力

は嘘をつきません。今日から、また努力を積み重ねて

ください。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長   宮尾 和宏

立 会 人   富 田 英 司    Eiji Tomita
贈呈の後、ロン副会長から次の説明がありました。
「彼は障害者で、いま大学4年生で勉強しています。弟さんのために働いてもいます。昨年は、仕事で手一杯で手紙が書けなかったのです。私たちの事務所まできて、『日本への手紙が書けなくて申し訳なかった』と言っていました。今年は、必ずお手紙を書いてもらうようにします」

6人目はキム・チュンさんです。
蓮の花奨学金証書

Lê Thị Kim Chungさん

愛のベトナムさわやか支援隊(あいあい眼科クリニ

ック)は、クアンガイ省VAVAカイ会長のご推薦によ

り、真心をこめてキム・チュンさんに、1年分の奨学

金180万VNDを贈呈し、学生生活を応援します。

人生には自分が試される”まことの時”があります。
ゆえに、日ごろ、いかなる心構えで生き、どう努力し

ているかが大事になります。日々、地味な精進を重

ねていてこそ、いざという時にチャンスをものにするこ

とができます。「多くのものが絶えざる苦闘によっての

み、かち得る」のです。

一日一日が大事です。一歩一歩、それが目標です。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長  宮尾 和宏

立 会 人   新 谷 文 子 Fumiko Singai 

(つづく)Posted by Picasa

支援の旅(27)クアンガイ奨学金3

3人目のトー・クエンさんです。
宮尾会長からトー・クエンさんへ
蓮の花奨学金証書

   Nguyễn Thị Tố Quyên さん


愛のベトナムさわやか支援隊(沼津西RC)は、ク

アンガイ省VAVAホー・クイ・カイ会長のご推薦に

より、真心をこめてトー・クエンさんに、1年分の奨学

金180万VNDを贈呈し、学校生活を応援します。

恩を知り、恩に感謝し、恩に報いようと生きるとき、

人間には、自分自身豊かに高めていくことができま

す。苦労して自分を育ててくれた親を大切にすること

は、人間として、根本の道です。恩を受けながら、そ

の恩に感謝し、報いることのできない人間に人を救う

ことなどできません。親の恩に報いるためにも、この

1年、死に物狂いで勉強してください。ご成功を!

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長   宮尾 和宏

立 会 人  宮 尾 和 宏   Kazuhiro Miyao
4人目はキエウ・ホアインさんです。
蓮の花奨学金証書

 Bui Thị Kieu Hoanhさん

愛のベトナムさわやか支援隊(沼津西RC)は、ク

アンガイ省VAVAホー・クイカイ会長のご推薦により、

真心をこめてホアインさんに、1年分の奨学金150万

VNDを贈呈し、学生生活を応援します。

"まじめ”と”努力”に徹した人ほど強いものはありま

せん。どこまでも地道な歩みを貫いた人に、人生最

終の栄冠は輝きます。

冬の寒さに耐えて、美しい花が咲くように、努力と忍

耐なくして、夢は開花しません。

毎日毎日の地道な勉強の努力を祈っています。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長   宮尾 和宏

立 会 人    名 古 良 輔  Ryosuke Nago
名古医師からホアインさんに
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支援の旅(26)クアンガイ奨学金2

いよいよ奨学金証書と奨学金の贈呈です。実は、通訳のザンさんによりますと、ベトナムの大学の合格発表は8月15日だそうです。クアンガイの対象者の中には大学生が含まれます。贈呈式前夜は、証書の名前書き換えなどで、大わらわでした。

トップのグエン・タイン・チ君への証書は松島梨沙さんが読んで贈呈しました。
グエン・タイン・チ君
蓮の花奨学金証書
Nguyễn Thanh Trị 君

愛のベトナムさわやか支援隊(沼津西RC)は、
クアンガイ省VAVAホー・クイ・カイ会長のご
推薦により、チ君に真心をこめて1年分の
奨学金、180万VNDを贈呈します。

自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸
もありません。人を幸福にした分、自分も幸福に
なれます。幸せは追いかけるものではありませ
ん。幸せになるために、今の苦労があります。
この1年間の無事故と成績優秀を祈ります。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長 宮尾 和宏

立 会 人  松 島 梨 沙 Risa Matsushima

*  *  *
なぜか梨沙さんのほうがうれしそうにみえますが・・・
松島梨沙さんと
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
続いて、グエン・タン・ニャット君です。
蓮の花奨学金証書
  Nguyễn Tấn Nhất君

愛のベトナムさわやか支援隊(沼津西RC)は、クア
ンガイ省VAVAホー・クイ・カイ会長のご推薦により、
ニャット君に真心をこめて1年分の奨学金、180万
VNDを贈呈します。

社会の矛盾を嘆くだけでは何も変わりません。まず
自分自身が強くなり、賢くなり、輝いていくことです。
それが、必ず社会を変革する力となります。

ドイツの大詩人ゲーテは謳いました。

「君は、上に向かって登るのか、下に向かって沈む
かだ。強大な勢力を得て勝利するか、服従して敗北
するかだ。苦しみ悩むか、凱歌をあげるかだ」
この1年間良い成績をおさめ、大活躍を祈ります。

2010年8月10日

愛のベトナムさわやか支援隊会長  宮尾 和宏

立 会 人  北 村 登喜子  Tokiko Kitamura 
グエン・タン・ニャット君
爽やかな笑顔でした。大学も合格し、うれしさいっぱいの時だと思います。(つづく)Posted by Picasa

2010-09-23

支援の旅(25)クアンガイ奨学金1

8月17日:前日、ホテルのチェックインよりも先に、おいしい夕食(人によって異論もありそうですが)をとってから、ホテルの部屋に入りました。私たちは、宮尾会長と、ダナンのホテルでやったように、奨学金証書の点検、奨学金の封筒詰め作業と、奨学生に渡す写真の仕分け作業をしました。佐々木あかねさんが志願してくれたおかげで、思ったより作業は早くはかどりました。助っ人の威力を感じました。この作業は、奨学金贈呈がある限り続くことになります。

ツアー参加者にとっては、ゆっくり休むまもなく、朝9時から始まる奨学金贈呈式に臨みました。

贈呈式の会場は、われわれの宿舎である石油系企業のホテルの会議室です。その石油に関係する日本企業の人も泊まるホテルです。私は、バスの中で、『クアンガイのシェラトン・ホテル』と紹介したところ、皆は笑いました。他のホテルに泊まると、ここがいかにシェラトン・ホテルかが納得でき、誰も何も言わなくなります。ツアー最初にして最後の4スターホテルです。会議室は、ホテル側のご好意で、無料で使用させてくれました。大感謝です。
なぜ,ホテルの会議室なのか・・・。奨学生に静かな環境で、涼しい部屋で迎えて、話し合いたかったからです。
司会↑:宮尾会長 北村様 日本の皆様、ようこそおいで下さいました。私たちクアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のカイ会長 そして、ロン副会長も今日は元気で出席しております。また、クアンガイ省各郡の枯れ葉剤被害者協会の会長も出席しております。では、静岡のグループを代表して、北村さま 宮尾会長、名古医師の順でご挨拶を頂戴します。

北村 挨拶(まず最初に、7月の台風でクアンガイ省で被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げました。病気入院中のカイ会長が病院を抜けだしてご出席下さったことへのお礼、この奨学金贈呈式の準備にあたって下さったロン副会長ほか枯れ葉剤被害者協会の皆様へのお礼、さらには、午後の眼科検診に全面的に協力して下さった本省人民委員会及びトゥー・ギア郡人民委員会にお礼を述べました。最後に、ご出席の皆様の末永いご健康と、クアンガイのすばらしい方々の人生行路に幸多かれと祈ります、と結びました)
宮尾会長
宮尾和宏会長↑(愛のベトナムさわやか支援隊) 挨拶(要旨)

皆様、こんにちは(シン チャオ カッバンと発音すると拍手が湧きました。)。昨年クアンガイ省を訪問してはや1年。本日、皆様と元気でお会いできることがとても嬉しうございます。クアンガイ省枯れ葉剤被害者協会のカイ会長には、6月の訪問時にはお会いできませんでしたので、今日もお会いできないと思っていました。今日、ご出席下さり、大変に嬉しく思います。昨年、奨学金を受け取った方は、一生懸命勉強され、充実した1年を過ごされたと確信します。これから、また新しい1年が始まります。一所懸命勉強して有意義な1年を過ごして下さい。皆様に差し上げるお金は、日本政府からのお金ではありません。日本の一般庶民からご寄付を頂いたお金です。有り余ったお金を寄付して頂いたわけでもありません。お金は十分ではないかも知れませんが、社会、国家のために立派な社会人になってほしいという気持ちから出たお金です。どうぞしっかり勉強してください。そして、頑張ってください。
お世話になりましたクアンガイ枯れ葉剤被害者協会の皆様に厚く御礼を申し上げ、今後とも宜しくお願いいたします。(拍手)
ロン副会長
ロン副会長↑ご挨拶(要旨)

クアンガイVAVAのクイ会長に代わり、静岡の宮尾会長、北村ご夫妻、そして今回の訪問団のお客様ようこそお越し下さいましたと、申し上げます。クアンガイのVAVAは、この4年間静岡の皆様とずっとお付き合いさせて頂きました。その間にとてもすばらしい支援を頂戴しました。遠い日本から、わざわざクアンガイまでお越し頂き、すばらしいお心でクアンガイの枯れ葉剤被害者の世帯の為に奨学金を贈ってくださいました。宮尾会長は少ない金額とおっしゃいましたが、枯れ葉剤被害者世帯には大きな金額です。日本政府のお金ではなく、一般庶民の浄財であることもよく承知しています。昨年贈って下さった豚も、被害者世帯の生活改善にかなり役立っております。以前贈って下さった車椅子も、被害者のためにとても貢献しております。特にお礼を申し上げたいと思います。

北村さんからも提案のあったクアンガイ省の枯れ葉剤被害者の写真展を、将来開催できればと念願しております。

できれば日本に行ってお礼を申し上げる機会を作り、恩返しが出来でればと祈っています。そして、日本のシンボルとなっている富士山を一目みてみたいです。(拍手)そして、関西空港をちょっと見てみたいです。そして、花売り(ベトナムの路上でよく見られる)もしてみたいと思います。そして・・日本の温泉や銭湯にも入ってみたいと思います。(笑い)
最後になりましたが、皆様のご健康とご幸福をお祈りします。そして、日越の両国関係、静岡の会とクアンガイの会との関係が発展をしていくことを祈っています。もう一つ最後に、皆様とクアンガイの会をつないでくれている外務省のタインさんにもお礼を申し上げます。(拍手)
名古良輔医師
名古良輔医師 挨拶(要旨):
皆様、こんにちは! 昨年私が奨学金を渡したレ・ティ・キム・チュンさんと元気でお会いできて嬉しく思います。
今年も奨学金を贈呈できることを嬉しく思い、このお金で、皆様が少しでも安心して勉学できることを祈っています。

北村元さんも私も、学生時代奨学金のおかげで、勉強することができました。これから、皆さんも一所懸命勉強してくれるはずですが、その前に一度は次のことを考えてみてください。

それは、何のために勉強するのかということです。もちろん幸せになるためです。では幸せとは何でしょうか。自分が本当に好きなことをみつけ、仕事として毎日取り組むことができること、それが幸せだと思います。自分が本当に好きなことは何なのかを見つけるために、人は勉強するのです。

映画監督の黒澤明さんはこう言っています。「自分が本当に好きな物をみつけてください。見つかったら、その大切なもののために努力して下さい。君たちは努力したい何かを持っているはずです。きっと、それは君たちの心のこもった立派な仕事になるでしょう。」
人に幸せには4つあります。一つは人に愛されること。二つ目は人に褒められること。3つ目は人の役に立つこと。4つ目は人から必要とされること。


そして人に愛されること以外の3つの幸せは、働くことから得られるのです。自分が本当に好きなことは何なのか? それを一生続けていくことが出来るのか? 勉強することは自分発見の旅でもあります。幸せへの道は、意外と遠回りです。時間もかかります。


私たちの奨学金が、そのために少しでもお役に立つことを心から祈っています。健康に注意して、毎日毎日を大切にすること、その積み重ねが幸せへの道のりです。


皆さんの頑張っている様子を知らせてください。それが私たちの幸せでもあります。ぜひ頑張って下さい。ありがとうございました。(拍手)
********
ロン副会長が、名古医師の挨拶を聞きながら、涙を浮かべていました。ご自分の来し方と重ね合わせていたのかも知れません。「とても意味の深いご挨拶でした」とおっしゃっていました。
自分の幸せのみならず、他人の幸せのためにも勉強するところに、大きな力が生まれます。

挨拶が終わって奨学金 奨学証書の贈呈に移りました。(つづく)Posted by Picasa

2010-09-22

支援の旅(24)私の8月17日

今日は、ダナン市、明日はクアンガイ省という予備日のない移動が続きます。

 実はベトナムの8月17日には、若い時の3つの思い出があります。
ハイバン峠から見たダナン市

まずは1964年8月17日、私がテレビ朝日(当時のNET)のアナウンサーとして入社した年です。この時は、新米でまだニュースなど読ませてもらえなかった時。旧南ベトナムの首都サイゴンで大規模なデモが行われ、アメリカが後ろ盾になり、クーデターで政権を奪取したグエン・カイン大統領の辞任を要求したのです。彼は、学生・仏教徒の激しいデモにさらされ、就任9日で辞任した短命大統領でした。デモは,アメリカに対しても南ベトナム介入を非難しました。ベトナム戦争を実感し始めた頃の記憶である。
ダナン空港(今年の6月)

2番目は、2年後の1966年8月17日。南ベトナム民族解放戦線がダナンのアメリカ機動部隊を襲撃したことです。死傷者500人以上、軍用車110台以上を破壊、と報道されました。400万リットルの石油も炎上しました。ニュースを通じて、ベトナム戦争の本格化をいやがおうでも感じ取った時です。
今考えれば、枯れ葉剤撒布の増量が始まったころですものね。
ダナン空港俯瞰
そして、3番目。1972年8月17日。韓国語を勉強しながら、やはりもう一つの目は、ベトナムに向いていました。南ベトナム民族解放戦線が、クアンナム省の米・南ベトナムのクエ・ソン基地を襲撃しました。これも、結構の破壊力であったようです。2連隊に損害を与え、航空機200機、供用者60台に大損害を与えた、ということです。翌年の1月23日のパリ和平協定につながる一件です。
灯火管制時代から考えれば何と明るい昨今・・ダナン市
もう一つ、65年と1ヶ月前の7月16日、アメリカで人類初の原爆実験が成功しました。この知らせは、チャーチル英首相に「赤ん坊たちが生まれた。つつがなく」と、忌まわしい表現で伝えられたといいます。その翌月、原爆は広島と長崎に投下されました。それにもかかわらず、核ミサイルが沖縄に配備されたことは許しがたい行為です。

さて、前にあげた3つの『8月17日』については、ツアー参加者には話しませんでしたが、中部ベトナムで奨学金を贈呈することの大きな意義を、私自身心の中で感じていました。この日に合わせたわけではありません。会の中心者の希望で決まったスケージュールです。

さあ、いよいよ、クアンガイへです。(つづく)Posted by Picasa

支援の旅(23)在宅訪問3

ホアン・ティ・テーさん宅を3軒目に訪問しました。
この6月に訪問した時、丁度、外から、テーさんが、息子さん、お嬢さんを車椅子を押して帰ってきたところでした(写真下)。気温が少し下がった夕方の散歩のようだった。ホアン・ティ・テーさんは、今年72歳。ご主人は2007年に亡くされています。

72歳には見えない、気丈そうな母親です。

自分がしっかりしなければ、皆が倒れるという大黒柱としての責任感が、この偉大なる母親を支えているのではないか?という気がします。
2010年6月11日
私は2ヶ月ぶりの訪問。近くの道路拡幅工事で、頻繁に通る車が前にも増して土埃を舞い上げて走ります。昼も夜も、交通はひっきりなしに走り、話もしばしば車の音で中断されました。

お元気でしたか?
「はい、はい、元気ですよ」

この夏暑かったでしょう?
「おい(ベトナム人はよくこういう言い方をする)暑かった。暑かったです。それに、大雨がきて、家の中まで水が来て・・・ほら壁に線がついてるでしょう。大変でしたよ。」

家は道路から1メートルくらい低い。確かに、水の線が壁の大人の腰より高い位置に付いています。

何日くらい水に浸かっていたんですか?
「半日ですよ。前はもっと高いところまで浸かりました。その時の雨にくらべれば、少し楽でした。今回は、子供たちを親戚の家に預けましてね」
今日は、日本とオーストラリアからきました。殆どの人が初めてなので、お名前から窺っていいですか?
「ホアン・ティ・テーです。」
息子さんのお名前を教えて下さい。
「チャン・ドゥック・ギアです。36歳です」
お嬢さんは?
「チャン・ティ・トゥイ・ガー。32歳です」

今回の訪問は私にとっては2回目の訪問ですが、6月の時は息子さんとお嬢さんの名前もどうしてか教えてもらえませんでした。シカゴの新聞にも、そういうことが書いてありました。心が開くまでに少々時間はかかりそうだと、感じたものです。

ご主人は、戦争中、フエとクアンチで戦ってきたそうです。「戦争中に足の指2本を失いました。そして、フエの刑務所に5年も投獄されていました」と、テーさんは言いました。

「主人は、子供をなでては、『かわいいね』と言っていました。子供二人を、治療のためホーチミンまで連れて行きました。持っていたお金は、すべて子供に注ぎ込みました。でも、主人は子供たちが治ると思っていたのに、『治らない』言われ、がっかりして、それ以後元気がなくなりました。主人のお金だけでなく、私のお金もつぎ込み、私はお金を使い果たしました。親戚は協力してくれませんでした。いまでも、お金はありません。ご飯を炊きますが、おかずがあまりありません」

テーさん(右)と息子のギアさん(中央)
テーさんの妹さんが、毎日手伝いに来てくれています。そして、時々ですが、日本で企業研修を受けたテーさんの従姉妹(Thai Mongさん。テーさんの兄のお嬢さん=下の記念写真の後列右から二人目)も来てくれています。
テーさんの子供は、二人共、おしっこはできますが、大便は自分できないので、浣腸を使うそうです。

世話は大変です。テーさんは睡眠が十分にとれないために、慢性疲労。そして、腰痛がテーさんを襲います。夕方の車椅子の散歩も楽ではないようです。

テーさんの今の心配は何ですか?

「二人の子どもが心配ですね。もっと年を取ったら、ご飯を作ってあげられなくなります。車椅子も押せなくなります。」
気丈そうに見えるテーさんの本音の心配です。

テーさんは奥に引っ込んで、私たちにお茶を出そうとしたので、丁重にお断りしました。

ご長男は、食事はどんなものが好きなんですか?
「野菜をゆでたもの。魚とか・・・」

余り肉は食べませんか?
「肉は高いので、あまりたべさせてあげられません・・・」

お嬢さんの一番好きなものは?
「肉が好きです」

 息子さんは、自分の足で歩けませんか?
「できません。何も分かりません・・・立つこともできません」

お嬢さんはつかまれば歩けるんですね?
「はい、でも足は弱いです。この間、娘の足が痛むようなので、枯れ葉剤被害者協会の第1位センターまで行って治療してもらいましたよ」

お子さんを世話するのに、一番大変な時間はいつごろですか?
「食事をさせる時間が一番大変です」

食事の時は、抱えて食べさせるのですか? それとも、車椅子に座らせたままあげるのですか?
「車椅子に座らせたまま食べさせます。ただ、なかなか飲み込んでくれません。娘は一応自分で食べられます」
記念撮影
いま、枯れ葉剤の手当は、お嬢さんが60万ドン、息子さんが65万ドンだそうです。
「足りません」と、テーさん。

二人の面倒をみていると、他の仕事はできませんね?
「まあ、時間があれば、どこかの店にご飯を炊くときに使う焚き木や葉を集めるのが精一杯です。家で、使いやすいように切りします」

旧アメリカ軍兵士からの支援をもらったことがあるようです。毎日使う車椅子2台、トイレのセット(簡易トイレか?)は、アメリカの復員兵からもらったそうです。

「今日は、お米と少ないですが、金一封を差し上げにきました。お母さん、健康に注意されて、元気を出してください。」

お話をし終わって、私たちは、次の訪問地クアンガイ省へ出発しました。午後4時過ぎでした。

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三島ワイズメンズクラブさまからとして、米30キロと金一封を差し上げました。テーさんは、何回も「ありがとうございます」を繰り返していました。ご報告に代えます。ありがとうございました。
愛のベトナムさわやか支援隊会長 宮尾 和宏
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対人地雷やクラスター爆弾の禁止条約の成立を見れば分かるように、一般市民の素朴な常識に反する兵器の非人道性への憤(いきどお)りと、被害の拡大を阻止しなければならないとの危機感の広がりが必要です。その憤りと危機感の広がりが少ない分、アメリカがのろのろしているのではないでしょうか。

それにしても、この3軒を訪問させてもらって感じたことは、「母は偉大だ」ということですね。不確実の時代。国も当てになりません。日本ほどではないかもれしれませんが、ベトナムの地域だって当てになりません。「でも家族は当てになるものでなければいけない。こういう時代こそ、揺るぎ無い存在である「母なるもの」を,もう一度考えてもいいのではないか」(東京大学大学院教授姜 尚中さん)Posted by Picasa

2010-09-20

支援の旅(22)在宅訪問2

今年の6月でしたか、IPS(インタナショナル・プレス・サービス)のニュースに載った親子を、私は、ダナンの枯れ葉剤被害者協会に探してくれるように依頼しました。場所に自信はありませんでしたが、記事からしてダナンと判断しました。
程なくして、みつかったという連絡を受けて、3世帯の在宅訪問の決心をしました。その2軒目です。
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グエン・ティ・タインさんとお嬢さんのチャン・ティ・レ・フエンさん宅です。
ベッドが置かれてはいますが、薄暗い一見台所風の部屋で、お話を聞きました。

「前回ベトナムにきた後、タインさん親子がIPSで紹介されていたのをみつけましたので、VAVAに探して頂いて、今日お邪魔しました。私たちは全員日本人です。安心してください。初めてお目にかかったので、ちょっと詳しいお話を聞かせてください」
タ「はい、わかりました」
タインさんは、1956年生まれ。54歳でした。
タインさんには、子供さんが5人います。現代の家族構成では多い方です。
長女(チャン・ティ・レ・フエン=1993年生まれ) 次女 長男 三女 次男
障害があるのは長女一人で、次女には皮膚疾患があるそうです。
長女レ・フエンさんの状況は、ずばり脳性麻痺です。

「何も分かりません。歩くこともできません。ただ横になっているだけです。毎日ご飯を食べさせ、排泄もさせて・・・とにかく何もわかりません。私(母)の呼びかけにも反応しません。名前を呼んでも分かっていません。ただ、そこ(ベッドの上)で横になっているだけです。生まれてから、ずっとこういう感じです」

足の指に奇形性がありますが、これも先天的ですか?
「はい、そうです」

妊娠中に異常があると医者は言いませんでしたか?
「子供を生む前は、私にはどこにも異常がありませんでした。」

ご主人は戦争のご経験は?
「主人も軍隊に入って、ダナンで戦争に行っていました。ダナンの空港周辺で従軍していました。川の水を飲んだりして・・・そして、戦後24年も竹を探しに山に入っていました。私も軍隊に入り、南の方にいっていました」
今日はご主人はどちらへ?
「今日は牛車を引いて(仕事を)しています」
ご主人の障害・疾病は? 
「あります。たまに出ます。足が傷んでいるようです」

お子さんは、枯れ葉剤の被害者に認定されているんですか?
「はい」
手当は月いくらくらいですか?
「昨年までは1ヶ月15万ドンでしたが、今年になってから1ヶ月50万ドンもらえるようになりました」
レ・フエンさんには、何か薬を飲ませていますか?
「いろいろな医者、病院に連れていきましたが・・・フエ病院にもいきました。ダメでした」

今一番困っていらっしゃることは何ですか?
「いつまでこうやって子供の面倒を見なくてはいけないのか、それが一番困っています」

お母さんは、今、痛いところとか、悪いところはないんですか?
「ありますよ。今は体も丈夫ではないので、この子の世話をして、てここにいるだけです」

お宅の収入は、ご主人が稼ぐお金とご長女の枯れ葉剤の手当だけですか?
「収入は、この子の手当が1ヶ月50万ドン、主人は警備員をしていて、1ヶ月の収入が60万ドンです。あとアルバイトをしてなんとか・・・」
脳障害をもっているうえに足にも奇形性が・・
この隣の部屋にはどなたが住んでいるんですか?
「家は自分のものですが、(収入を稼ぐために)部屋を学生たちに貸しています」
ご夫婦+5人の子供さんと合計7人でこの部屋にいるのですか?
「次女と三女は結婚して外に出ました」
5人でここで生活するわけですね・・・
私たちから、生活支援として、お米30キロと金一封を贈呈します。日本で集まった衣類も差し上げます。おいしいごはんを作ってあげてください。

「ありがとうございました。カム~ン」

三島ワイズメンズクラブさんからの支援を差し上げました。

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ダイオキシンとは、本当に困った化学物質です。

ダイオキシンは、人間の脂肪組織の中に入り込んで、化学的には安定し、安住し、身体機能と生殖過程に関係する複雑な細胞と化学的バランスを変えることになります。早期に発見できれば、その副作用は、ほとんどの場合、手術、投薬又はリハビリ療法によって改善することができます。しかし、一部の疾患は、どんなに多くの時間やお金をかけても治療で治すことはできません。

在宅訪問が枯れ葉剤被害者の心に届けるのは、愛する子供の介護に携わる人への「共感」や「安心」、「癒やし」でなければなりません。

私たちの目の前に、「負けるものか」と、苦闘に呻吟している母親がいる・・・多くの人は、悩みへの「答え」を求めているようで、実は苦悩する自分の気持ちや心に「応え」てくれる人や言葉を望んでいます。
まずは、苦悩する心に寄り添うことを心掛けて・・・。心を受け止め、心に応ずる振る舞いが、何より求められています。今日も、そうありたいと願って訪問しました。

お母さんのタインさんは、お嬢さんのフエンさんの体を支えながら、ずっと戸外を見やっていました。

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【この日ここでこんなことがありました 「私たちは日本の静岡という所から来ました」と、最初にグエン・ティ・タインさんに挨拶すると、同行のベトナム人から「静岡と言ってもわからない・・」と言われました。分からなくても、静岡を有縁の地にしたいので言わなければなりません。・・・ダナンでの奨学金贈呈会場の横断幕には、ちゃんとティン・シズオカ(静岡県)と書かれてありました。相手の方に正確な場所がわからなくとも、日本の出身地を表すことは大事だと思います。名峰富士を抱く静岡県に縁してほしい・・そんな強い気持ちがあります。お金も物も人も、殆ど静岡の拠点に集約している私たちが、「日本の静岡から来ました」というのが正当ではないでしょうか?静岡の「し」の字だけでも、タインさんの心の隅に置かせてもらいたい・・次に、たまたま誰か静岡の人が来たときに、「あ~」と、点は細い線になります。もう一人来れば、線は面になります。

では、因みに、ベトナムのグエン・タン・ズン現首相が日本に行って、「私は、カマウ省の生まれです」と自己紹介をした時に、側近が、「それを言ってもわかりません」と言うでしょうか? ”カマウ省”と聞いた今の日本人が、カマウ省がどこにあるかを知っている人は数%もいないのではないかと思うのです・・・が、いや、むしろ南端の出身を誇りをもって言うのが普通ではないでしょうか。 私の考えは間違っていますか?(つづく)Posted by Picasa

2010-09-18

支援の旅(21)在宅訪問1

8月16日:ダナン市の枯れ葉剤被害者の貧困家庭3世帯に、最上級のお米30キロずつと金一封をお贈りしましたが、これは三島ワイズメンズクラブさからの寄付金を使わせて頂きました。
お米は、当日ダナン市内のお米屋さんの前に私たちの専用車を止めて購入し、在宅訪問時にVAVAの副会長と参加者の皆様のいる前で差し上げました。
誠にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

愛のベトナムさわやか支援隊会長:宮尾和宏
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ファム・ティ・ナンさん(中央)のお宅に伺いました。
   ナンさんは、1943年生まれ。全く両目が見えないワケではありませんが、「近くは少し、遠くはまるで見えない」そうです。

 ご主人は1969年に、南ベトナム政府軍に入隊し、アメリカ軍砲兵隊に配属されたそうです。現在家族には、ベトナム航空局から補助金が出ていると言いますが、この補助金の構図は、私は初めて知りました。調べてみる価値はありそうです。

ナンさんは、結婚して7人の子どもを設けたそうですが、3人のお子さんが亡くなっています。盲目に近いナンさんから、ご家族の履歴の話を聞き出すのは、難儀しました。質問するたびに、子供の数が増えてきて、大変でした。

どうやら、産んだ子供の順序は次のようだったようです。
長女(既婚) 次女(パーキンソン病が出ている) 長男 次男  三男 四男 三女(灰色がすでに故人)
(2010年6月11日)
結婚しているのは長女だけのようです。「パーキンソン病が出ている」というのは、次女のようです。「姉は帰ってこない・・」と言う「姉」も次女ではないかと推測しました。現在生き残っている4人も病気を持っています。

家族に白血病の方がいらしたようですが、聞き取り調査ではないので、そこで止めましたが、果たして、下に書いた三女(故人)ではないでしょうか。

三女のグエン・ティ・ハー(Nguyen Thi Ha)さん:1973年生まれ。「体全体が黒かったんです。普通に生活していましたが、倒れてから25日でなくなりました(2007年?)。足、腿(もも)、背中、は黒く毛が生えていましたよ。精神異常もありました」と、母は淡々と話しました。
今回の訪問時では、お母さんのナンさんと四男のグエン・タン・タイン(Nguyen Tan Thanh1971年生ま。未婚)さんにお会いしましたが、三男のミンさんは8月訪問時に仕事で出ておりましたので、6月訪問時に書き取ったメモをここに掲載します。

ミ「88年軍隊に入り、アン・ケ(An Khe・ザライ省)に駐屯しました。ここも枯れ葉剤が撒かれた所です。今は、足がしびれます。足が麻痺しています。右足の筋肉は硬いです。左足は弱っています。歩くと倒れます。支える力がないのです。睡眠は2時間しかとれません。何錠薬を飲んでも効き目はありません。タバコ1日3本くらい吸います」
北「たばこは、禁煙できますか?他の病気を進めてしまいますからね・・・」
ミ「はい、頑張ってみます。」

自分でやりたい事は何ですかと聞きましたら、「元気になって仕事をしたいです」・・・実感がこもっていました。普通なら死に物狂いで働いている年代ですものね。

手当は1ヶ月10万ドン。3ヶ月30万ドン。月450円です。インフレのベトナムでは、雀の涙にもなりません。


四男のミンさんの話です。これも6月の訪問時の話です。
「頭が痛いです。時々倒れます。それで、そのまま立てなくなります。1回倒れると2~3日人事不省が続くこともあります。これは気候に無関係で起こります。常用薬を毎日服用しています。仕事中にこれが起ると、怖くて仕事ができなくなります。座る時も転びます。だから、怖くてなかなか歩けません。この1年間、この症状に苦しんできました」

30分話しを聞いていましたが、最後に失禁症がみられました。健常の男性なら、とてもそういう年齢ではないのですが。

しかし、四男のタインさんは、きれい好きなんです。朝5時半頃起きて掃除するそうです。私たちがお宅に伺った8月16日、綺麗に床も履かれ、整理整頓がされていました。6月の時も、いきなりお邪魔したのですが、塵一つ落ちていませんでした。人が来ようが来まいが、掃き清めるというベトナム古来の伝統を実行するタインさんの心の美しさに感心しました。

ナンさんとの簡単なやりとりです(8月訪問時)。
北「今でも,余り目が見えませんか?」
ナ「よくみえませんよ
北「ころびませんか?」
ナ「いえ、ころびません、慣れているんで」と、苦笑。
北「朝は、いつも何時に起きるんですか?」
ナ「5時半か6時です
北「何時におやすみになりますか?」
ナ「9時とか10時とか11時とか、寝たい時に寝ますよ
北「お母さんは働き者ですね」
ナ「ご飯を作ったりしなくてはなりませんから・・・前は豚を飼っていたのですが、今は飼っていません
北「豚は死んじゃったんですか
ナ「そう、伝染病にかかってね・・・だから、今は飼えませんよ・・・怖くてね・・
北「今年死んだんですか? 豚は・・」
ナ「はい、今年です。耳が青くなる青耳病で死にましたよ」と、悲しそうな表情になった。

※豚の「青耳病」:豚繁殖・呼吸障害症候群(PRRS)と呼ばれ、豚繁殖・呼吸障害症候群ウイルス感染によるブタの感染症。日本では家畜伝染病予防法のもとで届出が求められている伝染病。対象動物は豚といのしし。豚の耳・鼻などが酸素不足によるチアノーゼ現象で青くなる場合があるため、「青耳病」という俗称で知られる。接触感染および空気感染により伝播し、伝播力は強い。
06年から07年にかけて、中国26の行政地区で猛威を振るった。06年、40万頭が死亡したが、中国当局は、死亡した豚の組織サンプルを国際組織に提供することを拒否。このため近隣国への感染が憂慮される、と当時の国外のメディアは報じていた。
珍しく参加者全員がそろった記念写真:ダナン市
四男タインさんとのやりとりです。
北「今、体調はどうですか?」
タ「こういう暑い日は、疲れやすいです。手足がだるいです
北「最近は、転んだりしませんか?」
タ「はい、やはりしょっちゅう転んでいます
北「今日は、日本の静岡という所からきました。こちらの4人は、オーストラリアからきました」
タ「遠いところからありがとうございました
北「若い人を連れてきましたよ」
タインさんニコニコ笑う。
北「今は、何で生活をされているんですか?」
タ「貧困者のための助成金で暮らしています
北「1ヶ月どのくらい戴いているんですか?」
タ「枯れ葉剤の助成金は1ヶ月10万ドン。3ヶ月に1回もらいます。貧困者助成金は、母は1ヶ月24万ドン、です
北「そのお金の中で生活しているわけですか?」
タ「そのお金では足りません
北「生活の中で一番かかるお金は何ですか?」
タ「薬は、保険が少し使えるのですが・・・生活費が大変です
北「電気代も払わなくてはなりませんね?」
タ「もちろんです
北「電気代って、どのくらいかかりますか?」
タ「月6万ドンかかります。節約しても、そのくらいかかります。多い月は10万ドンかかります
北「ここは、水は井戸ですか?」
タ「はい、ここは井戸ですので、水道代はかかりません
北「今、一番困っていることは何ですか?」
タ「病気です
北「足は、今しびれてませんか?」
タ「しびれていますよ

北「お兄さん(NguyenThanh Minh)は、今日、何をしに行きましたか?」
タ「土木関係の仕事です

北「どうか、できるだけ健康でいられるように努めてください」
タ「ありがとうございます。わざわざ来て下さりありがとうございました
北「健康であることをお祈りしています。」

三島ワイズメンズクラブからのお米と金一封を贈呈し、下手な歌を合唱しました。そして、記念撮影をし、皆が手をぎゅっと握って握手をかわして失礼しました。


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こういう弱者とどう向き合ったらいいのか、私にはすばらしい回答が見つかりません。ベトナムのことですから、このお宅に私たちを案内してくれた枯れ葉剤被害者協会以外に全く援助者がいないわけではないでしょう。しかし、金銭的な援助と言っても、供与と貸与では全く違います。受け取る側からすれば、供与は楽ですが、長く続くものではないでしょう。貸与は、少なくとも元本はいつかは返さなくてはなりません。

金銭的な援助をしても、ナンさんの目が良くなるわけではありません。あるいは、二人の息子さんの転倒が無くなるものでもありません。

自立できるような何かの支えをつくってあげる、そういう支援にゆきつくのでしょうか?  少なくとも社会の隅に閉じ込めてしまうような無関心さは許せません。連帯の絆を太くしていく・・・まずそこから始まるのでしょうか。そんなきっかけになる訪問と贈呈であれば・・と思います。


それにしても、盲目に近い方の表情を読むのは難しいです。最近、日本でも表情の豊かな方が減っているように思いますが、それは社会的な閉塞感がそうさせているのでしょうか。面と向かって話をする時に、言葉以外にもさまざまな情報が得られます。この”アナログ”の情報から、言葉で表現されていない部分を理解するわけですが、視力が落ちている分、表情の豊かさが減ります。自分が辛い思いをしているときには、相手のネガティブな表情をしっかり読み取ることができます。逆に,自分が幸せな状態であれば、相手のネガティブな表情はなかなか読み取れません。

もう少し、相手の表情を読み取れるようにしたいと思います。(つづく)Posted by Picasa