2010-05-19

平成21年の豚支援報告4

今回も、豚支援のご報告が続きます。
*******************
グエン・ティ・ホアさん(写真左)のお宅です。ホアさんは、1942年生まれ。4人家族です。農家として野菜を栽培していますし、豚を飼育する環境があるというので、2頭贈呈しました。

贈呈したのは、①鷹箸 多恵子(たかのはし たえこ)のご支援で「たえちゃん」と、②川津 康代(かわづ やすよ)ご支援の「せんちゃん」です。枯れ葉剤被害者協会からの連絡では、この2頭の豚は、半年ちょっとで60~70kgまでに成長したということです。そろそろ、繁殖させるそうです。
楽しみにしてますよ。
*************************
レ・ヴァン・タンさんご夫妻は、1961年生まれで、クアンガイ省ドックフォー郡フォーニン村に住んでいます。国道1号沿いの家です。ご家族は3人で、奥さんは子ども生めない体になっており、養女をひとりとっています。 

私たちは、タンさんのお宅に、原 政枝(はら まさえ)さんのご支援で「まさちゃん」と金原 昇さんの名前を借りて「きんちゃん」と名付けた2頭の子豚を支援しました。2頭の豚は健康ですが、いまだ子作りには至らず、そろそろ繁殖の時期だそうです。Please wait a while・・・です。
奥さんのタムさんのクアンガイでの軍事活動は、1972年から75年までです。「この間は、散布を見ていない」と言いました。これはほぼ正しいと思います。軍務に従事する前の話だとしたら、十分ありうる話です。「水を飲んだこともあります」とも、言いました。
アメリカ軍の散布は1971年に終わっています。しかし、旧南ベトナム政府軍も散布を終えたというわけではありません。アメリカ軍は、自分で撒かない代わりに、南ベトナム政府軍に撒かせています。


その後79年から1984年まで、奥さんはラオスに派遣されました。婦人にとってはかなり長期間です。アメリカ軍が枯れ葉剤を撒かなくなったといっても、ダイオキシンまでが活動を停止したわけではありません。


タムさんは妊娠したけど、1回流産したそうです。1989年のこと。
「流産した赤ちゃんは、ほんとうに小さかったです。本当に悲しいです」
「以後何回も病院で検査しましたが、お医者さんからは、『子供はできない』と言われました」  彼女の目に、涙がにじみ出ました。

チュオンソンなどの山に入っていった女性は、多くの人が子どもを産めない体で戻ってきています。母になれる夢が、あの戦争によって壊された可能性は非常に高いです。戦争が終わったら、皆自分の幸せをつかもうと考えていたわけですから。
 
2頭の豚が早く子どもを生んで、金銭的な余裕を作ってあげて欲しいです。このタンさんの家は、枯れ葉剤被害者協会からの支援で新築されたものです。Posted by Picasa

0 件のコメント: