2009-09-25

支援隊ツアー09(15) クアンガイ7

8月18日:グエン・ゴック・ソンさんのお宅に豚の支援をすることになっていましたが、前日に、「ソンさんの家は豚が飼えないので別の家にしたが、訪問だけはしてほしい」と枯れ葉剤被害者協会から頼まれ、ソンさんの義理の父親であるダン・ドゥック・ラップさんの家を訪問しました。ラップさんの三女がソンさんに嫁いでいて、ソンさんは娘婿になります。

ダン・ドゥック・ラップさんは、1948年生まれです。奥さんのグエン・ティ・ティンさんは、1949年生まれの今年60歳です。
ラップさんとお孫さん

ラップさんは、1965年に入隊し、1978年に除隊するまで、実に13年の軍隊生活でした。ラップさんは、飛行機が枯れ葉剤を撒布しているのをクアンガイ省で何回も目撃しているそうです。ラップさんの13年の軍隊生活で、忘れることができないことがおきました。1967年アメリカ軍兵士が投げた手りゅう弾が当たり、ドゥック・フォーで左足を切断手術する憂き目に遭いました。

「終戦はうれしかったですね。その時は酒を飲みました。もう戦わなくて済む・・」この言葉には、実感がこもっていました。

奥さんのティンさんは34歳で再婚。最初のご主人は一人の子どもを残して亡くなったそうです。
子どもは6人で、奥さんの連れ子1人も面倒見てきました。
1)長女
2)次女

衣類は奥井さんから


3)三女 ダン・ティ・タイン・ソンさん(1981年生まれ)の子どもは2人とも女の子。上の子は大丈夫のようですが、下のグエン・ホア・クックちゃん(6歳)には、枯れ葉剤の影響が出ています。生まれて上唇がなかったので、手術したそうです。さらに、神経症を患っており、今でも話すことはできません。声帯もないそうです。「表情がありません。少しは笑いますが」「耳は聞こえていないようです」「トイレなども教えてくれません」と、ラップさんは言いました。 

 「三女の家は生活できないほど貧しい」と、父親のラップさんは言っています。娘婿夫婦は、父であるラップさん一家に、経済的に世話になっているようです。

8月14日に下見訪問した時も、三女のお宅のすぐそばまで行って、理由もなく戻りました。私は不在だったのかなと思いましたが、ベトナム人はいつも詳しい話をしません。それは粗末な家でした。見せたくなかったのでしょうか。私は家畜小屋と思っていましたが、実は三女のお宅だったのです。

今回の豚支援対象の家でしたが、豚を飼うことが出来ないということで、支援を協会の方から取り下げました。しかし、本当の理由はわかりません。

「故郷」を演奏する静岡管弦楽団?

4)長男   5)四女   6)次男


ベトナム外務省のタインさんが、何かプレゼントしてほしいというので、支援隊からは、衣類の支援をし、奥井さんから衣類一袋をお送りしました。別にドゥック・フォーの枯れ葉剤被害者協会からは見舞金が送られました。

古着を奥井さんから贈呈して、少ししたところで、ラップさんが、急に大声で話を始めた。通訳がきちんと通訳しないだけに、皆は、あっけにとられました。だんだん興奮してきた様にも感じられました。

ラップさんには、アメリカ軍に対する、恨み辛みがあるのです。自分の足をアメリカ軍の手りゅう弾で失っています。来し方の自分の苦労、自分と孫は戦争被害者になったのです。アメリカ軍がここにこなければ、こういうことにはならなかった・・・すべては、アメリカ軍のせいだということです。

枯れ葉剤被害者協会の人が止めに入りました。それでも、話し続けました。
こういう発言は止めない方がいいのです。ラップさんに、いろいろな思いがうっせきしているに違いないのです。外交問題になるものでもありません。良いところに、われわれが訪問したのです。聞いてあげ津必要があるのです。全部言いたいことをいえる機会を作ればいいのです。

協会と対話が足りないのではないか・・・その通りだと思います。

合唱する静岡少年少女合唱団?
気持ちを鎮めて、元気を出していただこうと、1曲歌わせてもらいました。 全員で合唱したのは、「故郷」でした。Posted by Picasa

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