2009-07-17

戦争の悲劇 いつまで?

こんな悲劇はお伝えしたくないですが、お伝えしないと日本の皆さんには分かっていただけないでしょう。
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ベトナム戦争の不発弾は生き続ける 
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ベトナム戦争中、旧北ベトナム最南端の省であったクアンビン省で、また新たな悲劇が起きました。7月6日夜に、クアンビン省最北の村で、金属片をあさっていた人たちが、ベトナム戦争中の不発弾にぶちあたってしまったのです。4人が不幸な死を遂げました。
亡くなったのは、3人の農民と教員一人の合計4人です。4人は、7月6日夜に、金属探知機を使用して金属片を探していましたが、不幸にも見つけたのが不発弾でした。
この4人は、バールを使って掘り出そうとしましたが、なんと500キロ爆弾の不発弾が爆発し、即死でした。
クアンビン省フオン・ホア村のチュオン・クアン・タン村長が発表しました。年齢は26歳から30までと、戦争を知らない若い人たちばかり。金属片がそれほど大きいとは思わなかったでしょう。
下の写真は、2005年でしたか、南隣のクアンチ省の人家の近くで発見された不発弾です。
私たちは、通常不発弾を総称してUXBとよんでいます。まだまだどこかの地中に眠っているはずです。
なぜ、金属片などを集めているのか、止めればいいじゃないか、とお思いでしょう。貧しいからです。死者の中に一人教員が入っています。職を持ちながらも、食って行くにはこういう現金収入の道を探すのです。

北ベトナムなのになぜ?と思う人がいるかもしれません。

現場付近は、かつてのホーチミント・ルートでした。この村の西を国道15号線が走っています。それが、かつてのホーチミン・ルートです。この15号線が南下して、途中からラオスに向かう12号A線が始まり、ラオス国内の国道12号線となります。

クアンビン省フオン・ホア村の南西方向に、アメリカ軍の爆撃で有名な、チュオンソン山脈ムギア峠があります。これが、ラオスとの国境の峠です。そこを走っているのが、12号A線です。

ベトナム戦争中、北の共産国家から南の戦場へ送られる物資、兵士、武器の輸送を阻止するために、この省も、アメリカ軍機が重爆撃した地域です。

地理的に申し上げますと、当時の北ベトナムの最南端の省が、クアンビン省です。その南隣のクアンチ省は、旧南ベトナム当時の最北端の村になります。この両省の間に国境が存在していたわけです。アメリカ軍、南ベトナム政府軍、北ベトナム軍、南ベトナム民族解放戦線という4つの勢力がせめぎ合っていたわけですから、どうしても、物理的には爆弾の投下が多くなる事は必至です。

ちょっと下の写真をみてください。川べりの農地。農地の中の丸い穴は、すべてアメリカ軍の北爆による爆弾で出来たクレーターです。

政府統計によれば、戦争が1975年に終わってから、戦後に残された不発弾(爆弾、地雷と砲弾)で42,000人以上が死亡し、負傷者は約62,000に及んでいるそうです。これは国連の統計とも合致しています。

ベトナムの新聞はこう書いています。

ホーチミン・ルートという軍の補給ルートを妨害しようとして、アメリカ軍はクアンビン省で激しい空爆を敢行した。1960年から1975年までの15年間、爆弾はほとんど毎日、この省に落とされた。・・・と。

最後の2行に嘘があります。アメリカ軍がクアンビン省を攻撃すると言うことは、越境して北爆することです。1960年には、まだまだ北爆は行われていませんでした。アメリカ軍の北爆開始は1965年です。戦争を知らない世代の記者が書いたのか。それにしてもお粗末です。
                         
若くして亡くなられた4人の方々のご冥福を祈り、平和の到来を確実にしたいと思います。
*今年私たちのベトナム支援ツアーは列車の旅です。サイゴン行きの統一列車は、このフオン・ホア村の直ぐそばを通ります。

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