2008-12-27

2008年最後のお話・・・

旅行に出たりしていまして、長らくブログから遠ざかっていました。
皆様 本年も相変わりませず、大変にお世話になりましたことに対して、暑く御礼を申し上げます。
                                              
12月の三島市での写真展も、大成功に終わったと、報告をもらいました。
これもひとえにご支援下さっている皆様のおかげです。特に、地元の中学生の皆さんが来場してくださったことで、役員一同大変に喜んでおります。

今年のブログの終わりは何にしようかと考えましたが、戦争は語り継ぐもの・・・との気持ちから、ベトナムの新聞から、翻訳した話で今年の最後をしめることにしました。
ここにご紹介するのは、16人の子どもを作ったある男性の話です。トゥオイ・チェ紙の記事の訳です。拙訳ですが、お読み下さい。

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ある日の夕方、砂地の丘の麓で、男が小さな墓碑の前で線香を燃やし、いくつもの墓石をなでて回った。

彼は一つの墓石を指さし、これが私の最初の子どものです・・と言った。線香が燃え尽きると、男は頭を墓石にすりつけ、泣き始めた。
男は、ドー・ドゥック・ジウという。彼は、涙に苦しめられてきた。「9人目の子どもを埋葬した後何年にも渡って泣き続けたので、涙が涸れてしまった」と言った。

失ったもの

ジウは、クアンニン省ヴォー・ニン社に住んでいる。彼は、1972年に北ベトナム人民軍に入隊した。戦争中、彼はトゥア・ティエン・フエ省アー・ルオイ郡のモー・タウ地区でエージェント・オレンジの撒布を受けた。

あの時人々は、敵の飛行機が白い粉末を撒いていたのをみた。そして数日後、広大な森が枯れてしまった。「でも、それがエージェント・オレンジだというのは誰も知らなかった」と、ドー・ドゥック・ジウは力説する。
その数年後、國が解放されると、ジウは故郷に帰った。村の女性ファム・ティ・ヌックさんと結婚した。

結婚後、軍隊に再入隊した。そして、最初の子どもの誕生を待った。二人は、すでに最初の子の名前を“ドー・ドゥック・ホア”と決めていた。

誕生してわずか二日後、待望の息子は死んでしまった。二人とも大きな衝撃が心に残った。息子が死ぬ前に、息子の頭は膨れあがった。肌は黄色になり、肌からは濃い液体が滲み出てきたのだった。

ジウとヌックは、これは何かの事故だと思った。そして、次の子どもの誕生を期待した。1981年の初め、2番目の子どもを授かって、二人は幸福感に包まれた。女の子だった。健康そうで、長女にドー・ティ・ビンと名付けた。

その1年後、二人には3人目の子どもが出来た。その子は、引きつけを繰り返して死んでいった。

長女は順調に成長し健康な子だったので、夫婦はもっと子どもをもてると信じた。

ところが、次から10人目までの子どもは、誕生直後に亡くなっていった。そのほとんどは、名前を付ける間もなく旅立っていった。二人は、子ども達の名前を思い出せなかったので、ノートに命日を付けていった。命日には間違いなく冥福を祈れるようにと、墓に番号も振った。

夫婦の自宅の裏にある20平米の土地は、自分の子どもたちが眠るの一家の集団墓地になってしまった。

「ほとんど毎月のように、子どもの祥月命日がやってくるので、ベトナムの習慣にのっとってお参りをしなくてはなりません」と、ジウは苦笑した。

ジウ夫妻は、この辛いことを村人から隠そうとつとめてきた。しかし、ジウの親戚は、妻が悪いんだ・・と思っていた。

ジウは妻のことが好きだったが、息子ほしさに家を出て、他の女性のもとにいった。2年間の別居後、彼は戻ってきて、妻に白状した。「他の女性と子どもを作ったが、やはり死んでいったよ。この問題は自分のせいだ、お前じゃない」

ヌックは夫を好きだったがゆえに、また迎え入れた。

ジウはハノイに行って、検査を受けた。医者から言われたことは、“あなたはエージェント・オレンジの影響を受けている”だった。
生きている子どもたち

この診断の後、ジウ夫妻は、長女のドー・ティ・ビンさんが生きていることが奇跡だと思うようになった。それでも、夫妻は、健康な子どもがもっと欲しいと願った。

幸運はやってきた。14人目の子どもを授かったのだ。健康な子どもだった。ド・ティ・ハンと命名した。

その1年後、妻ヌックさんは15人目の子どもを出産した。女の子だった。ドー・ティ・ガーちゃんだった。この子が、夫妻の“最後の奇跡の子”になった。

生存している子どものうち、長女ビンさんは比較的問題が少ない。彼女は結婚した。しかし、時々、痙攣を引き起こす。

残りの2人については、7~8歳の頃から、引きつけを起こし始めた。

「天気が悪くなるとよだれを垂らし始め、体はひきつけ、ねじれてしまうのです。まるで動物のようにみえます」

と、ジウさんは言うと、涙があふれて頬から胸に伝わり落ちた。トゥオイ・チェ紙12月4日づけ)(文責:北村 元)
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こういうご夫妻の人生をどのように思われますか? この不幸が、ひと組のご夫婦のとどまらrないことに、憤怒と呵責と同情と寂寥の念がこみ上げてきます。この拙訳をもって、本年は筆を休ませていただきます。
私たちは、こういう方々と連帯していきます。「朝の来ない夜はない」と信じて・・・。「民衆ために一身を捧げよう。自分と人の世のために尽くすという仕事とのあいだにはー例えどんなことであれ割り込んでくる余地はない」とは、ロッシィの叫びです。
「民衆の苦しみをわが苦しみとすることによって、われわれは『人間共和』の市民、召使として献身することを誓う」とも、述べています。
                              
今年も残りわずか。2009年の皆様のご健勝とご多幸を、遙か地球の底・オーストラリアからお祈り申し上げます。
そして、2009年も、少しでも結構です、皆さまの暖かいお気持ちを、苦しむ被害者に分けていただければ、最高です。
                          
来年も宜しくお願い致します。北村 元Posted by Picasa

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