2008-10-16

支援隊ツアー08(18)急遽ナムディン省へ

8月25日 この日の予定は、ニンビン省に早く入ることになっていた。しかし、ニンビン省旧兵士幹事会のビン幹事長が、ニンビンに贈呈する3台の車椅子のうち1台をナムディン省の戦友にあげたいという。
理由は、ニンビン省のファム・ティ・クオンさんという元女性兵士に差し上げることになっていた。しかし、その方がガンで入院されることになったからだ。しかも余り長くないという悲しい連絡があり、多分この先車椅子を使うことはないとのビンさんの判断だった。
その代わり、ビンさんは旧友にあげたいので、ナムディンまで出て来てくれるということになった。
私たちは、「使っていただけるなら、うれしい。喜んでいただけるなら最高」と、ナムディン省に立ち寄ることになった。
ナムディン省といえば、ロバート・キャパが、地雷を踏んで亡くなった省だ。今回の通訳のアインさんのふるさとでもある。因みに、ナムディンとは、漢字で「南定」とかく。そうすると、なぜか漢字圏として身近になる。
日本風の路地を久しぶりの外出

訪問したのは、ドー・ティ・トゥオイさんだ。戦争中は工兵だった。

いやたくさんの戦友が集まっていた。居間は、まるで、戦友会のようだった。

トゥオイさんは、1956年生まれ。戦争末期の1973年8月にラオス南部に派遣された。そこは、もう既に戦闘はなかった、という。
トゥオイさんは、1976年にマラリアにかかって、除隊。

ご主人は、現在58歳だが、戦争中南部のカントー省にて従軍。偵察任務を負っていた。今は、耳が聞こえなくなり、また視力を失うくらいに衰えた。「結婚した時は、げんきだったんですよ」と、奥さんのトゥオイさんは、喋りにくそうに一語一語ゆっくりと話した。

トゥオイさんの体は、枯れ葉剤に徐々に浸食されてきた。2年半前から左半身マヒになった。左半身は、完全に感覚を失っている。身の回りのことも、自分で出来なくなった。シャワーも子どもがやってくれる。話すことも食べることも、困難になってきた。そのうえ、高血圧。220←→120の数値は高すぎて危険。ご飯も、1回に1杯だけ。

ついに表通りまで来た

助産師・名古澄代さん、新谷文子さんが中心になって、車椅子の実習訓練に入った。

車椅子の利用に怪我があってはならない。扱う人がそこを心得なくてはならない。

心強かったのは、長女のトゥイさんがきてくれたことだ。「いつも遊びにきてくれる」と、母親のトゥオイさんは、嬉しそうだ。

名古さん、新谷さんが、通訳を通して、注意事項を分かりやすく伝えていく。長女は若いから飲み込みも早かった。贈呈にあたっては、誰が押して乗せてくれるのか、道路はいいか、常に贈呈側としては、最大に気がかりな部分だ。

門で迎える助産師・名古澄代さん(左)

トゥオイさんは、久しぶりに門をくぐって外に出た。

暑い日差しだったが、気分は良さそうだった。

母親の気持ちが分かってくれる娘さんが、車椅子の面倒をみてくれれば、こんなありがたい事はない。家の前の道を一往復して戻ってきた。「嬉しかった」と、一言。
「何もできません。子ども達の手伝いが必要なんで、とてもこの先心配です」と。

旧友と私たちも入って
外の風に当たることは、大きな気分転換になる。もしかしたら、社会にも参加できることになるかもしれない。
52歳ではまだまだ若い。体を少しでも、毎日使うことだ。何にもまして、枯れ葉剤の毒物に打ち勝つ強い意志が育たないものか・・と思う。Posted by Picasa

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