2006-04-19

ベトナム家族の絆

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(詳しくは4月12日号をご覧下さい)


 名前とは何だろう。かつて人々は、氏でひとくくりにされていた。やがて、それは壊され、家族となる。日本は、姓の数が一番多くて10万以上あるらしい。イングランドは1万6千に姓の数を持つ。中国は926,韓国は274だという。
 
 ベトナム最大の民族、キン族は、推定で190から300と幅が広い。正確な数を決めることは不可能だという。同じ姓であっても、必ずしも同じ家系の出身ではないというのだ。その一方で違った姓でも、事実姻戚関係にあることもある。

 姓の改変は、ベトナムでは新しい習慣ではない。歴史上、姓を変えた人の多くの例がある。当局とまずい関係になった人々、例えば反体制派の人、犯罪人などは、しばしば姓を改める。王が新たに誕生すると、前の王の支持者らは追求を逃れるために姓を変える。15世紀レ朝の役人は、マック・ダン・ズン(Mac Dang Dung)とその親戚は、チン王朝になった時に、ファム(Pham)とレウ(Leu)という姓にした。

 一方、新しい王が、その重みを示すために、あたらしい名前を送る例もある。例えば、15世紀のレロイ朝の役人グエン・チャイは、皇帝への奉仕のゆえにレ・チャイという名前を授かった。

 家系譜は、世代から世代に継がれた文書である。そこには、名前、年齢、墓の場所、祖先の命日、父方、母方の子ども、家族の系譜が収められている。家族の歴史は、“大越歴史全史”(Great Viet’s Full Text)のような歴史的記録とは別物である。そこでは、家族の歴史は、個人的なものである。家族史は、通常秘匿されているが、歴史的記録は、全ての人が閲覧できるのである。

 歴史家ファン・フイ・チュー(Phan Huy Chu)によれば、1026年にリ・タイ・ト{(註:1010年.、リ・コン・ウァンが帝位(李太祖:リ・タイ・ト)につく。都をタン・ロン(昇龍;現在のハノイ)に遷都する。トア・ティエン(順天)と改元。李朝:1009?1225年ベトナム初の長期王朝)}は、皇帝名の記録(Hoang Trieu Ngoc Diep)の編纂を命じた。残念ながら、その記録はなくなったままである。Sino-Nom研究所に保管されている264氏族の中で最古の家族記録は、チャン(陳Tran)家族のもので、1533年に遡る。この記録は、チャン・ヴァン・キン(Tran Van Kinh)氏まで10世代を網羅しているのである。

 現存の264氏族の記録の一部は、中国語で書かれ、一部チュノム(字喃)で書かれている。これらの記録書のうち3冊は印刷され、残りは手書きでなされている。およそ半分の記録書は、百頁以上である。一番厚いのは、フオン・ケのグエン・ティ(Huong Khe-Nguyen Thi)家族のことを記録したもので、手書きで1200頁にも及ぶ。この本は、フオン・ケのグエン家の家族史を載せてある。この家族は、学術的な成功を収めた家系である。一番短い物は、6頁しかなく、ナムディン省のギア・フン(Nghia hung)郡ダイ・アン(Dai An)のDO
村の祖先とドー家族の教育の家族記録という題名がついている。

 ほとんどの家系記録は散文調で書かれ、一部は詩で書かれている。また、中には、グエン・ディン(Nguyen Dinh)家の記録のように、自然神教の韻律を踏んだ6?8調の語で書かれているものもある。作者の名前は、162の記録書に記入されている。家系記録書の中には、はしがきを宮廷の権威ある者が書いている。例えば、18世紀の学者で大臣だったグエン・ギエム(Nguyen Nghiem)等がそうである。また、一方では、ゴ・ティ・シ(Ngo Thi Si)とかファム・ディン・ホー(Pham Doinh Ho)らの有名詩人が序文を書いているケースもある。

 家系の記録がしっかり残っているのは、タンロン(昇龍)のハノイ、続いてハ・タイ省、ハイ・ズオン省、ゲ・アン省となる。そして、ベトナム南部の省の名前が出てくるのは、わずか3冊の本だ。トゥア・ティエン・フエ省、ザ・ディン(現ホーチミン市)とハ・ティエン省だ。

 Sino-Nom研究所に残る家族の記録は、ベトナム家族の完璧ではない。多くのテキストは、戦争中に破壊されたか紛失された。強硬左翼がこれらの記録書を封建思想の名残りと非難したり、焼いてしまったが故に、政治敵変化も、また家族記録の減少の原因となっている。

 伝統と祖先への尊敬の念から、一部の人たちは、家族の記録を大事にしまっている。毎年、ハ・タイ省ズオン・ラム(Duong Lam)郡モン・フー(Mong Phu)社在住のハ・ゴック・ゴアン(Ha Ngoc Ngoan)さんは、祖先の命日にあたる陰暦の12月20日に、大家族が集合する。大家族が彼を取り巻く中で、語案さんは、記録書をひもとき、先祖の歴史を声に挙げて読む。そこで、ゴアンさんは、若い世代に先祖の威徳を聞かせるのである。

 自分のルーツを探りに出かける人もいる。ゲ・アン省で1919年に生まれたホアン・ギア・チュオン(Hoang Nghia Chuong)さんは、今、ハノイに住む。少年時代、彼は、自分の家族は、フン・イエン(Hung Yen)省ホアン・ヴァン(Hoang Van)村の出だと父親から聞かされていた。1980年に郵便局を定年退職すると、チュオンさんは、自分の家族の過去を調べ始めた。中国語とフランス語がわかるチュオンさんは、歴史記録を解読することができた。そして、息子のルオック(Luoc)さんの助けを借りながら、中部ベトナムへ足を運び、現在ヴァン・ノイと呼ばれる家族のルーツの村を探し当てた。

 グエン・フィ・トン(NguyenPhiTon)さんという73歳の農家の古老は、中国語とフランス語が読めないために、自分の家族のルーツを探すのを諦めた。トンさんは、現在タイ・ビン省に住むが、自分の父が中国語で書いた記録書を翻訳してくれる人を見つけた。そして、自分の子ども、孫、ひ孫の名前と誕生日も記録に書き入れた。16頁に及ぶ書類を自分の息子にタイプを打ってもらい、それをタイ・ビン省、バク・ニン省、バク・ザン省に住むグエン家の親戚に配った。

 この家族の記録のおかげで、グエン、ブイ、レ、ゴという姓のついたグエン家の若い世代の親戚たちは、毎年旧暦の3月19日に集い、タイビン省のタン・チュー社出身の祖先の命日に霊を慰めている理由が分かった。

   父の枝が同じ源に発していることは珍しくない
   四つの名前がなぜ同じなのか
   生活は山あり谷ありだが、ブイ、レ、ゴ、グエンは同じ流れだ。

   祖先が記録したものを求めて。
   子どもたちに安定したルーツをもった木々を覚えてもらう
   そして、自分の源を覚えている人は 成功するだろう

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